第34話 漸く的撃退

「が……っは……」

 ノスリブはうめき声とともに口から血の塊を吐き出した。

 一体何が起きた? 何で俺は倒れた?? 俺の身体を押さえつけるのは何だ???

 懸命に身じろぎをし、己の体を視界に収める。そこには――。


「……なんだ、これは。なんでこんなものが……」

 ――そこには豪奢な宝箱。それが己が半身を押しつぶしていた。

 なぜだ、何がどうしてこうなった。何が起きた。何があった。何が何がなぜなぜなぜ――。

 あまりの非現実さに痛みはない。ただ脳裏を走るのはなぜという言葉。そしてそれは――。

 ――――ッ。

 一定量を超えたところで消え去った。平静の刻印が発動したからだ。


 ――そうだ。まずは万能霊薬の確保。あれがあればこんな傷、死にさえしなければいくらでも治せる。

 目の端にかかるのは鮮朱の滴の収められた小瓶。大丈夫、まだ手の届く位置にある。

 なら次の懸念はあのダンジョンマスターだ。今の事態を引き起こしたのはあいつに違いない。くそっ、舐めたまねしやがって。

 いや、だが大丈夫だ。あいつは動けないはずだ。あのナイフは引き抜けない、焦るな、だけど早くあいつを視界に捉えて刻印を――。


「――――なっ」

 いなかった。振り向いた視線の先にあったのは、あいつの操作していた板きれ、地面に刺さったままの俺のナイフ、そして血と肉片。

 あいつの姿は、なかった。


 カラン――。

 乾いた音が響く。視線の端を鮮朱の瓶が転がる。

「ぐっ……あ……」

 必死に手を伸ばす。が、届かない。


「……使わすわけ、……ねぇだろうが」

 絞り出すような声。見えるのは万能霊薬の瓶を蹴り、転がした血だらけの足。

「……お前、どうやって」


《んなもん、抜けないから無理矢理引きちぎったわ》

《使わせるか》

《いてぇよ、くそ》


 さっきまでとは逆にノスリブを見下ろす穂良賀。その瞳は半ばうつろ。だが思考はしっかりとしていた。その証拠にノスリブのつぶやきに応えるような心の声がしっかりと浮かんでいる。

 それを読み取りながらノスリブは考える。

 …………読心の刻印は作動している。ならなんであいつの行動が読めなかった? それに罠は使えないんじゃなかったのか? あの女神が嘘をついてた? いやそんなはずはない。まずはそこを明らかに。大丈夫だ、まだ挽回できる。


「お前、何をしやがった。どうして俺に隠し事ができた」

「……ああ? んなのラノベのお約束だろうが…………」

 ノスリブの問いにそう吐き捨てて穂良賀は背を向ける。

 ……ラノベ? 何だそれは。こいつは何を言っている。


《どうせ表層意識しか読み取れないとか、そういうありきたりの設定》

《いてぇ、しんどい》

《エリクサーの瓶は割れてない大丈夫。早くあいつに使わないと》

《体が重い、暗い》

《先にあいつを》

《多分見てないとダメ》

《視線を外したときは読めてなかった》


 足を引きずり部屋の隅へと歩く穂良賀の背には、そんな細切れの心の声が浮かぶ。


「お、お前。なんでそこまでわかって……」

「だから……、設定が…………、ありきたり、なんだよ……」


《どこに転がっていった……》

《あそこか》

《本心隠して行動とか楽勝だろうが》

《家でも会社でも》

《なんで体半分潰れてるのにあんなにしゃべれる》

《こっちはもうギリギリ》

《刃物向けられるのも手慣れてるし》

《いや、あいつのことは考えるな》

《あいつまだ余裕がある?》

《やるしかない》




 ちっ。甘ちゃんかと思ったら、それなりに鉄火場は乗り越えてたか。

 ……このままだとマズいな。あいつはとどめを刺しに来る。だけどそこがチャンス。

 機会は一度。あいつが近づいてきたら衝撃の刻印で気絶させる。

 くそっ。鎮圧部の連中みたいな刻印がありゃここからでもとどめを刺せたんだが、所詮は護身用だからな。ギリギリまで粘らないと。

 その後はなんとか万能霊薬を取り返して……。


 ――ガラン。

 ダンジョンマスターが何かを拾った。

「何だ……、それは……」


《何って、バールのような物だよ》

《見ればわかるだろ》


 ダンジョンマスターが無言のままにそれを拾い、こっちに近づいてくる。

「ち、違う。そうじゃない!」

 思わず叫ぶ。

「何でそれはそんなに禍々しい物を持っていられる!」

 ダンジョンマスターの拾ったそれには、何かひどくおぞましい物がまとわりついている。それが俺に恐怖を感じさせる。あれは人のそばに合ってはいけない物だ。

 だが俺の声はあいつには届かない。

 あいつは無言で、カラカラとおぞましいそれを引きずりながらこっちに歩いてくる。


《何言ってるんだ?》

《おぞましい? ただのくぎ抜きだろうが》

《ああ、人種特攻がついてたな、これ》

《ならでも、イリスが使ってたときは何で》

《まあいい、もう何もするんじゃねぇぞ》


 カラカラカラ……。

 ゆっくりと歩いてくる。ずりずりと足を引きずって歩いてくる。


 あれの攻撃を受けちゃダメだ。いや、そもそもあんなもんで殴られたらマズいんだが、それ以上にあれはヤバい。

 投げて攻撃されたらヤバかったが、あいつは幸いそれには気づいてない。いや、そんな体力はもうないのか?

 どちらでもいい、もう少しだ。もう少し近づいてこい。


 ずりずり……、

 カラカラ……。

 …………

 ……


 近づいてくる近づいてくる近づいてくる……。

 ――今だ!

 あいつに手を向け衝撃の刻印を発動させる。


 ずりずり……、

 カラカラ……。

 あいつは止まらない。


「何で、発動しない!」


《てめえ、何かしようとしやがったな》

《刻印とかいってた奴か》

《はは、笑える》

《それじゃあ発動しないだろ?》


 ダンジョンマスターがおっくうそうに指さした先。俺の手には黒ずんだ斑点が無数に浮かんでいた。

 それが肌に彫られた刻印を塗りつぶしている。


「な、何だこれは!」


《知るかよ……》

《あ、そういやあのネズミ、病気持ちだったな》

《あの斑点はそのせいか》

《おかげで助かった》

《ああでも、復活の設定してなかったな》

《なら早くこいつを始末しないと》


 うつろな目で俺を見たダンジョンマスターが、禍々しいくぎ抜きを、ゆっくりと振り上げる。


「なあ、おい、やめろ。お前に従うからよ。これでもいろいろと情報は持ってるんだ。それに、お前は外に出られないだろ? 代わりに俺が情報収集してきてやるから、な」

 必死に命乞いをするも、ダンジョンマスターは首をゆっくりと振る。


《そんなの嘘だろ?》

《信じられるか》

《あいつもこんな気持ちだったのか?》

《許せる訳ないけど》

《俺、何もするなって言ったよな》

《言った? 言ったはずだ……》

《それなのに刻印使おうとしたよな》

《だからこれは、その……》


「その……、ペナル、ティだ…………」


 力なく、重力のままに振り落とされたくぎ抜き。それは俺の頭の上に落ちてきて……。

 ――ぐしゃり。

 そんな音とともに、俺の魂は壊れた。





 いのちを砕いたのがわかった。これが人種特攻という事なんだろう。

 だけど今はそんなことどうでもいい。


 ――ガラン。

 バールのような物から手を離す。

 今欲しいのは、探さなきゃいけないのはエリクサー。

 まだこのあたりに転がっているはず……。


 ――あった。

 暗くなった視界の隅に、鮮やかな朱が目に入る。

 その瓶を拾い、重い足を動かす。向かう先はイリスの元。

 かすむ視界。でもまだ見える。あいつは消えてない。

 消えていないならまだ間に合う。……ははっ、今の俺にあいつを復活させるDPなんてないからな。


 ……やっとついた。エリクサーって掛けるだけでいいんだよな。早く瓶を開けないと……。

 ああ、くそ……。右手だけじゃあかない。力もうまく入らない。

 イリスが責めるような視線で見つめてくる。

 わかってるって。早くしろって言うんだろ。ぬめる手のひらを何度も服で拭いなんとか瓶を開ける。

 あとはこれを…………。


 最後、倒れ込むような形になったが、エリクサーをイリスに掛けることが出来た。

 だけどこれで限界だ。もう何も、確認することすら出来ん。


「…………、…………。……」

 イリスが何か言っている気がする。しゃべれるのか。ああ、じゃあ治ったんだな……。


「馬鹿ですかマスター。何を考えてるんですか――――」

 ええぇ……。せっかく治したのに怒られた。まあ、そこまで仲良くなかったからな。仕方ないか……。


「今一帯どんな状況か――――」

 状況? ああ、敵にマイルームまで攻め込まれて、味方も全員やられて、すまんかったって……。


「マスター離してください。はやくポー――――」

 そんなに嫌わないでくれよ。一蓮托生なんだろ。それにもう力が……。


 ――視界が暗くなって暗くなって……。そして白い光りに包まれた。

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