第6話:零れた気持ちを届けたい。
「今……なんて言った?」
「えっ……」
私は知らぬ間に口に出してしまっていたみたいだ。
『好き』と。
抑えていた感情が溢れ出すように、そんなつもりはなかったのに、ただ心情が言葉になって音を作り出してしまったのだ。
本当は聞こえていたんじゃないの?
「別にっ! なんもっ!」
——違う違う違う。
そうじゃないでしょ。そんな事ない。なんもない事なんてない。
私は好きなの。祐介が好きで、付き合いたいと思ってるのに。どうしていつもこうなっちゃうの……違うんだよっ……私は好きって伝えて、ちゃんと付き合いたいって伝えたいのに。
でも、私はそれが出来ない。自分の理性が邪魔をする。嫌われることに憶病になって逃げているだけ。
奥歯を噛みしめ、拳を握る力は強まっていく。
惰弱で不甲斐ない自分に苛立ち、情けなさにプルプルと肩は震え、涙が瞳に溜まる。
言ってしまえば、後戻りはできない。関係は断ち切られ終わってしまう。
そんな事ばかりを考えてしまって、一歩が、この簡単で難しい一言が言えないのだ。
「なんだ……そっか、聞き間違いか……」
その言葉は残念そうにも聞こえ、心なしか表情もそのように見える。
聞き間違いじゃないんだよ……好きなの。大好きなの。あなたの隣にこうして居たいの。
「……きっ、聞き間違いじゃない!」
勇気を振り絞り、声を出してみたものの、変に声が裏返ってしまった。
「どっちだよ」
祐介は微笑みながら言った。
言うんだ。たった二文字じゃない。逃げちゃいけない、ここで逃げたらあの時と同じだ。変わらないと。私はもう強がりでいたくない。
——返事を聞きたいんだ。
「好き。私は祐介が好き」
「それは……その、友人として? 同期として、それとも一人の男としての恋愛対象としてなのか……だぁぁぁ!」
突然、気が狂ったかのように頭を掻きまわし、叫び出した祐介に驚いた。預けていた頭も離し、彼から距離を取るように上半身だけ離れた。
「えっ、えっ? なに、怖い、急にどうしたの?」
「どうしたも何も、お前のせいだろうが……ばか」
「何でよ!? 人のせいにしないでよ……しょうがないじゃん、我慢できなかったし、伝えたかった。知って欲しかったの……返事だってほしい」
「あのなぁ、こんな仕事の休憩中にそんな大それたこと言うやつがあるか!? 心の準備とかってそうじゃなくて! そういうのは男から言いたいもんだろっ。なんかもう色々整理つかんわ」
「それって……」
「あぁ、そうだよ! 俺もお前が好きだよ! ずっとタイミング狙ってたんだよ。雫から言われるなんて一ミリたりとも思ってなかったぞ。まだ時期じゃないってずっと考えてて……だから、その、あれだ応えられない」
「えっ……なんで……?」
祐介の言葉が太い針のように、心に刺さった。
その瞬間、涙が零れ落ちて、いつの日かのようにズボンを濡らした。
結局、こうなっちゃうんだ。私が好きになる人はいつも私から離れていく。
恋って難しいな……。
お互い好きなのに付き合えないのは何だろう。祐介が何を考えているか全然分からないや。
「分かった。……じゃあもう行くね。これからは友人としてよろしく……ね。私も頑張ってそのようにするから」
立ち上がってコンビニの袋を手に取り、その場を離れる。
だが、祐介はそれをさせてはくれなかった。
「雫、違うって! そうじゃなくて……待ってくれよ」
繋ぎ止められた手はあの日の夜のように暖かく、でもそれが今の私には冷たく感じる。
「何が違うのよっ!」
握られた手を振り払い、意味もなく声を荒げてしまった。
こんなのはただの八つ当たりでしかないのに。
「もう終わったじゃない! 私は祐介が好き、付き合いたいってずっと思ってた! でもそれはできないんでしょ!」
涙が後を引くように流れ落ちていく。それは後悔に引きずられるように。
「何言ってんだ? 俺は雫が好きって言ってるじゃないか」
「でも応えられないって言ったじゃん!」
「そうだ。俺は応える立場じゃないから。だって……その……応えるのは雫だから」
「意味わかんないっ! もっと分かりやすく言ってよぉ……ばかぁ」
「今日、仕事が終わったらご飯行こう」
「なにそれぇ……ばか……全然分かんないよ……うぅっ」
「本当は分かってるんだろ?」
祐介の言いたいことは分かってる。
流れている涙も後悔の涙から嬉しさの涙に変わっていることも。
だけど、口に出しては言わない……だって。そういうことなんでしょ? もう……面倒くさいやつだな……ばか祐介。
「あ、今ばかって思っただろ」
「思ってないもん。ばか」
「言っちゃったな」
体を引き寄せられ、抱擁される。
「ねぇ、なんで今はだめなの? 今でいいじゃん」
「だめなんだ。こういう事はしっかりしたいんだ。ごめんな」
「だからばかって言ってるんだよ」
「知ってる。この続きは夜にしよう。俺の口からちゃんと伝えさせてくれ」
背中をポンポンと優しく叩いて、私達は離れた。
名残惜しい、もっとくっついていたかった。そんな私の気持ちには気付かない祐介は「早くしないと休憩終わっちゃうぞ」と言いながら歩いて行ってしまう。
その背中に引っ張られるように私も後へと続いた。
*****
仕事が終わり、鞄を持って立ち上がった時、目の前にまたもや藤堂が立っていた。
「何?」
「仕事中はやめろって言われたんで、しっかりと仕事終わりに来たんですけど?」
嫌味ったらしくなな先輩を見下ろしながら、口端を吊り上げて笑った。
「しつこい男は嫌われますよ、藤堂君」
そんな藤堂に尻込みせず、堂々となな先輩はにっこりと笑って返事をする。
「相変わらずの減らず口ですね」
「そのままお返しします」
なな先輩は怒っているのだろうけど、表情には出さず、変わらずの笑顔で対応しているが、その笑顔が逆に怖い。藤堂には効いてすらいないのだけど。
「そんな事はどうでもいいです。蓮水先輩、これからご飯行きませんか?」
ずっと断って、態度にも出しているのに、諦めもせず誘ってくるのだろうか。マゾ気質なの?
「私はあなたが嫌いなの。だから何回誘われようが、絶対に行かないから」
「きっついなぁ。でもそういう所が好きなんですよねぇ」
「そういう事なんで、ごめんね。雫ちゃん行こっか」
「はい、行きましょう。お疲れ」
なな先輩は私を藤堂から離すために、気を利かせ外へと連れ出してくれた。
「ありがとうございます。なな先輩が居なかったらどうしようかと思いました」
あの場に祐介と先輩の姿はなかった。それを見計らって来たんだろうけど、あの二人は何処に行ったんだろうか。
仕事をしているのは間違いない。祐介の鞄はなかったが、先輩の鞄はあった。二人で一緒に出て行くのも見たから、帰ったわけではないだろう。
「お互い気を付けましょう。特に雫ちゃんは狙われているし、どうも諦めが悪いようですし」
「はい。でも、どうしましょう。これからあんな風に仕事終わりに毎回来られても困ります」
話ながらエレベーターホールで上がって来るのを待っていると、背後から「僕のことですよね?」と一言。後ろを振り返ると——
「……っ藤堂」
「その心底嫌な顔が堪らなく可愛いですよね。こういう人に僕は魅力を感じるんですよ。服従させたいって。強がってるくせに、いざとなったら弱いんだよね。襲いたくなっちゃうんですよ」
咄嗟になな先輩の腕にしがみつき、恐怖を和らげる。
「自分の思い通りになるとでも思ってるんですか? 何でも手に入ると思ったら大間違いです。いい加減にしてください」
タイミング悪く、ピンポンっとエレベーターが到着した。
「嫌がってるからいいんじゃないですか? ほらエレベーター来ましたよ。一緒に行きましょうよ、蓮水先輩」
「行くわけないじゃん……」
「花宮先輩は邪魔。ほら、離せよ」
藤堂は私の手首を掴み、なな先輩にしがみついていた腕を無理矢理引き剥がしてきた。
「痛っ! 嫌だって、行かない、やめてよっ! 離してっ」
「やめなさい! いい加減にしな——」
——パシンッ
周りに人がいないエレベーターホールで破裂音だけが響き渡る。
「なな先輩っ!」
「暴れんじゃねぇよ。黙って乗れ」
藤堂はなな先輩の頬を裏手でビンタし、その衝撃で彼女は倒れた。
「……分かった。分かったから、一緒に乗るし、ご飯も行ってあげるから、もうやめて……」
「そうそう。最初からそうしてれば、こんな事にはならなかったんだよ」
肩に回された腕に反抗の一つも出来ず、一歩ずつ歩みを進める。
怖い……怖いよ、祐介。助けて……守ってくれるんでしょ……。
「雫ちゃんだめ! 行っちゃだめ!」
「うっせぇなぁ。また殴られたいわけ?」
「もういいんです。私がこうすれば誰も傷つかなくて済むんです。だから……ごめんなさい」
「よく分かってんじゃん。じゃあ行こうか、今日は楽しみだなぁ。どんなことしようかねぇ? 蓮水先輩」
「おーおーおー、なにやってんだ? 藤堂よぉ!」
私の大好きな人の声が後ろから聞こえてきた。
その声を聞いただけで、安堵してしまう。
隣にいる藤堂は祐介の声を聞いて、肩に置かれた手は離れ、後ろを振り返った。
「山田先輩、お疲れ様です」
「うんうん、お疲れさ——とでも言うと思ったかてめえ!」
ガシッと胸ぐらを掴み、エレベーターから離れて勢いよく壁に打ち付けた。
「お前今自分がした事が分かってんのか?」
「あんたこそ自分がしてること分かってんの?」
「分かってるよ。クズ野郎の胸ぐら掴んでんだよ。自分が偉いとでも思ってんのか? 七光りのクソガキが」
「俺はここの次期社長だぞ。口利きすれば、あんたなんて一発でクビだ」
「馬鹿言ってんじゃねーよ。お前が社長? そんなのこっちから願い下げだわ。辞めてやるよ。いいか、お前が偉いんじゃない、父親が偉いだけだ。仕事も出来ないガキが生言ってんじゃねーよ。例えお前が息子だとして、擁護できない事態に陥れば、お前は容赦なく切られる。この異動は最後のチャンスだったんだよ。二度目はないって言われたんじゃねーのか? 俺はそう聞いたぞ?」
「そんなの口だけに決まってる。俺は息子だぞ、後継者なんだ。そう簡単に切れるわけないだろ」
通じていない。私でも祐介の言ってる意味が理解できた。なのに、彼はそれを理解していない。
「自分がした事がバレないとでも思ってんのか? あそこ見ろよ」
祐介は天井の一部分に指を差す。そこに釣られるように顔を上げると、そこには防犯カメラが備え付けられていた。
「あれがどうした? だからなんだよ? もみ消してもらえばいいだけの話だ。残念だったな、その力が僕にはあるんだ」
「苦し紛れに出る言葉がそれかよ。情けない奴だな。結局、それも大好きなパパに頼むんだろ? パパァって縋ってよぉ。自分自身に力がないと言ってるものだろ? おぉ? 違うんか?」
「はははっ! お前だって見られてるんだぞ。お前も一緒だ。蓮水先輩が俺の言うことを聞かないからこうなったまでだ。せっかくのおかずが台無しだよ」
「……おかずだと?」
「ああそうだよ」
「お前……殴られたいのか?」
「殴ればいいじゃないか? 殴れよ、ほら、やれよ」
「てめぇ!」
祐介は挑発に乗るように腕を振り上げて、強く握りしめられた拳を藤堂の顔を目掛けて、一直線に振り下ろした。
つい、反射的に目を逸らしてしまう。
すると——
「はーい。そこまでだ。祐介、落ち着け。手を離せ」
先輩は後からエレベーターで降りてきて、間一髪で祐介を止めてくれた。
それからすぐに、なな先輩に駆け寄って、話を聞いていた。
祐介は手を離し、はぁーっと深呼吸し、気持ちを落ち着かせている。
「藤堂、こっちこい」
先輩は立ち上がり、彼を呼ぶ。
「はい、何ですか」
「話は聞かせてもらった。お前、七葉を殴ったらしいな」
「だったら何ですか?」
「……歯、食いしばれ」
「え?」
間抜けな声と共に藤堂は倒れた。
先輩は怒りに満ちた声で、静かに彼の顔を思いっきり殴ったのは言うまでもないだろう。
その殴られた当本人は、起き上がる気配がない。気を失って伸びている。
「ふぅー」
「佐伯先輩、人の止めておいてそれはどうなんですか? 気絶してますよ」
「七葉の代わりに殴ってやったんだ。これくらいされったって仕方がないだろう」
「そうかもしれないですけど……」
「ま、あとは任せておけ。今日は大事な日になるんだろ?」
「そうっすけど、いいんですか?」
「いい。俺が上司なんだ。お前らの尻くらい拭いてやるさ。だから行ってこい」
「じゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」
「祐介、頑張れよ」
「はい。じゃあ雫、行こう」
祐介は私の前に立ち、手を差し伸べてくれる。私は腰を抜かし、一連の流れを見ていた。というか、怖くて立ち上がれなかった。
差し伸ばされた手を握り、小鹿のように脚をがくがくとさせながらも、支えられてなんとか立ち上がった。
「なな先輩、先輩……ありがとうございました」
「おうっ、気にすんな! 頑張れよ!」
「私の事も気にしなくて大丈夫です。楽しんできてください。私達はいつでもあなた達の味方ですから」
こんな時でも二人は温かく見守ってくれる。そんな優しさに思わず涙が出てしまう。
「ありがとうございます」
頭を下げ、エレベーターに乗り込んだ。
******
ご飯を食べ終えて、二人で公園にやってきた。昼間の公園だ。
てっきり私はご飯中に言われるかとドキドキしていたのに、そうでもなかった。
ドキドキを返してほしい。
「ご飯美味しかったな」
「……うん」
「お酒も美味しかったな」
「……うん。って何その下手くそな話の切り出し方は」
「しょうがねぇだろ! 緊張してるんだよ。いざ、言うとなるとドキドキするもんだろ!」
「だから昼間でよかったのに、かっこつけるからだよ」
「うっさい。ほっとけ」
「私の心の準備はできてるよ」
いつでもカモン。返事は一つしかないからね。
「そうか。じゃあ……改めて、言うぞ」
「うん」
大きく深呼吸をして、真っ直ぐとこっちを見る。
「俺は雫がずっと前から好き。
誰よりも、雫が好きだ。
絶対に幸せにする。
……だから、俺と付き合ってください!」
誰よりも真っすぐな君が私も好き。
誰よりも優しい君が好き。
誰よりも温かい、君が好き。
「はい、こちらこそよろしくお願いします。——大好き! 祐介っ!!」
「ばっか、急に飛び込んでくるなっ!」
そんなこと言いながらも、受けて止めてくれる祐介が大好きだよ。
**
あとがき。
こんばんは、お久しぶりです。
えぐちです。
えー、先日無事に挙式を終えることができました。
とても緊張しましたが、楽しくて幸せな1日でした。
結婚式、悪くないですね笑笑
さてさて、今日で蓮水と山田の話は終わりです。
すごく唐突に終わってしまったと思う人もいるかもしれませんが、これで終わりです。
次話からは原点に戻ります。
花宮さんと同棲。そもそも第3章のタイトル通り、同棲話を描いていきます。
もちろん藤堂の行く末も少しだけ描きます。要らないかもしれませんが。笑笑
次回も楽しんでもらえればと思います!
いつも応援やコメントありがとうございます!
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