第7話:山田祐介と蓮水雫
日々、暖かさは増していく。
桜の木は華やかに、可憐に、淡い桃色に色を付け、季節が春だと教えてくれる。ひらひらと舞う桜の花びらが情景に彩りを与えていた。
そんな中、何の気なく俺達は一緒に通勤をしてしまっている。これがカップルならこの風景に合うのだろうが、そうはいかない。
普段しない事をすることによって、人目に付きやすい。言わば、会社の人に見られたら物珍しく見られてしまうということだ。俺達は同期だけど、会社ではほぼ話さない。仲が悪いの? と言われた事まである。そんな二人が仲良く通勤だなんておかしな話だろう。一応、否定はしたが。
会社まではもう目と鼻の先。三分もあれば着いていしまう。そろそろ職場の人に見られてもおかしくないので、ここら辺で花宮さんとは別れよう。
「花宮さん。俺達が一緒に暮らしてることは会社にはバレたくありません。敵を増やしたくないので。だからこの辺で俺は時間を潰してから出勤します」
「確かに、会社には内密にしておいた方がお互いの為ですね。わかりました。では、また後ほど会社で」
「じゃ、また」
話が早くて良かった。これで『え? なんでですか? 別に良くないですか?』とか言われたらどうしようかと思った。そこら辺の理解は早くてありがたい。
スタスタと歩いて行く花宮さんを見送ってから、近くにあるコンビニに入って時間を潰すことに。
雑誌コーナーでペラペラと雑誌を見ては、違う雑誌を手に取ってを繰り返していた。すると、後ろから声を掛けられる。
「あれっ、佐伯先輩じゃないっすか! こんな早くに珍しいっすね」
敬語ではない、若者敬語で話しかけてきたのは、直属の後輩の
「祐介か、おはよ」
「おざまっす! さっき見たんですけど、花宮さんといましたよね?」
あたかも偶然みたいな感じで声掛けたくせに、それ言ったら俺がコンビニに入るの見てたのバレバレだからね。考えようね。
「まあ、たまたま会ってな」
早速見られていたので、これからは家を出る時の時間から変えてしまおう。花宮さんが出た後、五分後に出るという感じで提案しよう。……となると、合鍵貰わないとな。
「珍しいこともあるんですね。会社では話してるところ全然見ないのに。なんか怪しい」
「そんな事ないぞ。祐介が知らないだけで、話したりはする。……缶コーヒー買ってやるからそろそろ行こうぜ」
話を逸らし、物で釣る。多分、簡単に釣れる。
「マジっすか! あざーっす! まだ時間あるんでタバコ吸ってから行きません?」
ほら釣れた。単純でよかった。
「そうだな、早く来過ぎた。もっと寝てればよかった気がする」
「何すかそれっ! だらけてますねぇ」
暖かくなったとはいえ、まだ朝は寒い。なのでホットの缶コーヒーを二本買って、一本を祐介に渡してコンビニを後にした。
****
会社に着いてから、一目散に喫煙所に向かった。
喫煙所は人が十人くらい余裕で入れるくらいのスペースがある。よほど吸う人が多いのがわかる。
でもこの時間ではまだ出社してきていない人が大半なので、俺と祐介の二人だけしかいない。
カシュッカシュッとジッポでタバコに火をつけ、一吸い。
「ふぅー……」
いつもは家で一本吸ってから出社していたけど、これからはそうもいかない。花宮さんはタバコを吸わないだろうし、家では吸えなくなる。
タバコを吸いにわざわざコンビニ行くのも面倒だし、禁煙でもしようかな。この事もとりあえず話だけでもしてみよう。
「佐伯先輩はさ、タバコ止めようとか思ったことないですか?」
丁度、今思ったところだが。
「うーん。やっぱり無理だろうなって思っちゃうよね。だから逆に死ぬ間際まで吸い続けてやろうと思う」
「間際は無理でしょ。あほだなこの人……」
「あほかもしれんな。んで? 急にどうしてそんな事を?」
「いやぁ、最近親がうるさいんですよ。止めろ止めろって。止めれるならとっくに止めてるわって感じです」
そうそう。簡単に止めれるなら皆今頃吸ってない。だが、ここ最近の世間様は喫煙者に対してとても風当たりがきつい。吸い辛くなった世の中だ。
「どこもかしこも吸えなくなってきてるし、世間様は止めてほしいんだよ。臭いし、害しかないから」
「でも、ムカついた時とか吸いたくなりません? 先輩に怒られた時とかムカついて吸いたくなりますもん。うざいっすもん」
「おい山田おい山田。本人を前によく言ったな」
「まあ佐伯先輩だからこうやって言えるからいいんですけど、関谷さんとか結構きついっすよ」
俺だから言えるってどういう事? 信頼関係出来てるって思っていい? 舐めてるわけじゃないよね? そうだと言って!
「今のは聞かなかったことにしとくわ。関谷さんは俺も苦手だ。でも仕方ない。どこに行ってもああいう人はいると思うしな。我慢しろとは言わないけど、ほっとくのが一番だぞ。相手にすればするほどムカつくのは自分だからハイハイって言っておけばいいんだよ」
「それもそうっすね。そうします」
タバコの火を灰皿でもみ消して、喫煙所を出る。
鞄の中から常に備えてある消臭スプレーを取り出し、祐介に振りかけて俺にも振りかけてもらう。こうでもしないとタバコ嫌いな人に嫌な顔をされてしまう。
「臭い取れた?」
「喫煙者に聞いても分かんないでしょ」
「だな。多分いい匂いだ。さ、行くか」
臭いをかぎ合ってからオフィスへと向かった。
****
自分のデスクに辿り着くと、何故かそこには突っ伏して寝ている一人の馬鹿がいた。
俺の席は壁際の窓側であり、さっき言っていた苦手な上司の関谷さんからは見えない位置に配置されている。それを考えた上でか、こいつはよく俺の席で就業時間になるまで寝てたりする。正直、迷惑極まりないが……可愛いのでいつも許してしまう。やっぱり俺は甘ちゃんだよな。
亜麻色の髪を可愛らしい花飾りがついた髪ゴムで束ねて、ポニーテールをしているこの女は花宮さんの直属の部下、
「うわっ、こいつなんでまた佐伯先輩の机で寝てるんだよ」
めっちゃ嫌そうな顔をしながら、祐介は隣のデスクに座って、仕事の準備を始めた。
祐介と蓮水は同期であり、仲が良いのか悪いのかは良く知らないが、祐介はよく愚痴を言ってたりするから……多分仲良しではない。同様に蓮水も祐介の悪口を言っているのでやっぱり仲良くない。そういう事にしておこう。
「おい、蓮水。起きろ。なんでいつも俺の席で寝てるんだよ」
「ふぇ? あぁ、先輩。おはようございまーす」
ふぇ? じゃねーよ。自分の席で寝ろよ。よだれ垂れてんぞ。机についてたり……あぁ、付いちゃってるよ。
「よだれ垂れてんぞ。ほら拭け」
鞄からティッシュを取り出して、蓮水に渡し、口回りを拭かせた。俺はお母さんか。
「机も拭きなさい。垂れちゃってるから」
「あ、ごめんなさーい。えへへ、はずかしいなぁ」
絶対恥ずかしいとか思ってないだろ。何回目だよ、ここで寝てよだれ垂らすの。両手じゃ数え切れんぞ。
「拭き終わったなら戻りなさい」
「ちょっと今日は用事があったんですよ! だから先輩待ってようと思ってここに座ってたら眠たくなっちゃって、一眠りしてたって感じです!」
そんな満面の笑みで言われてもね……。
「用事って何?」
「あれ? ちょっと待ってください」
俺の顔に段々と近づいてきて、スンスンと匂いを嗅ぎ始めた。
「何だよっ!」
慌てて身を引き、身構える。恥ずかしいんですけど……もしかして、臭い?
「先輩から花宮先輩の匂いがします!」
なんという嗅覚! そんなにするの? 全然自分じゃ分からない。自分からはさっき振りかけた消臭剤の匂いしかしない……はず。
「んなわけないだろっ」
「いいや、します。私は毎日花宮先輩の隣にいるのでわかるんですよ。もしかして……先輩、花宮先輩と————」
「ないないないっ!! 絶対にないから! 俺、昨日彼女と別れたばっかだし!!」
じとーっと怪しげな目で見てくるが、嘘ではない。決して嘘ではない。
「誰も付き合ってるとか聞いてないんですけど。まあいいですけど、今の彼女と別れったって本当ですか!?」
なんでそんなに嬉しそうに聞いてくるんでしょうか。さては性格悪いな? 人の不幸でご飯三杯いける口だな?
「本当だ。晴れて独り身です。これから独り身謳歌する予定だ」
「じゃあ丁度良かったです! 今日御飯行きましょ!」
何が丁度いいのか教えてくれ……。
「却下」
即答されて彼女は不機嫌になり始める。
立ち上がっていたが、ドスンと椅子に座って、ぷっくりと頬を膨らませ「何でですかー」といいながら上目遣いで可愛く睨めつけてくる。
「けちー。先輩と御飯行きたいんですよー。先輩がいいんですよー。寧ろ先輩としかご飯行きたくないんですよぉ」
とまあこのような感じで毎回行くと言うまでここから動かないので厄介なのだ。でもまあ俺がいいって言われるとそれはそれで嬉しいんだよな。この発言をすれば、こういう仕草をすれば、御飯に行ってくれると分かっててやってる所があざといんだよね。まんまと行く俺も俺なんだが。
「おい、蓮水。バタバタすんな鬱陶しい。うるせえ。早く自分の席に戻れ」
「黙れ山田」
蓮水のマジトーンボイスは低く、ドスが効いていてすごく怖かった。祐介に対してだけこの態度である。ちょっと可哀想。
「なっ……!!」
弱っ! 祐介弱っ! 何でそこで黙っちゃうかな。さては、尻に敷かれるタイプだな?
「分かった分かった。今日は無理だから、また今度な」
「じゃあ明日!」
「あーうん、多分大丈夫」
「では、明日楽しみにしてますね!」
立ち上がって、喜色満面でとてとてと歩いて自分のデスクへと戻って行った。
くそぉぉぉ! やられたぁぁぁ! とジャックバウアーばりに悔しがってみたり。あの笑顔の為なら先輩どこでも行っちゃう! ご馳走しちゃう! と毎回なってしまう。ずるいなー、あざといなー。でも可愛い後輩のお願いだから聞いちゃう。
「佐伯先輩、蓮水に甘すぎませんか? 好きなんですか? ああいう女が」
「好きではないが、可愛いには違いないよな。なんだろう、おっさんになった感じ?」
「完全に騙されてる。見ました? 俺への態度。あれが本性ですよ。あいつにキャバ嬢やらせたらすぐナンバーワンですよ。あの猫撫で声で、あざとさで、オヤジはイチコロですね。俺は靡かないですけど。あんな腹黒性悪女には」
ハハッ! 黙れって言われてすぐ黙った奴がなんか言ってるぞ! ハハッ!
蓮水がいなくなった途端に饒舌だなおい。やめとけ。
「ま、俺もそれに金をはたくオヤジって事だな」
「先輩はもっと叱った方がいいですよ。だからあんなんになるんです」
長嘆息を漏らされ、祐介は仕事に取り掛かり始めた。
その発言に、考えさせられる。
思い当たる節があるから。
優しくしすぎるのも相手の為にならないと。結局、ここに起因してくる。悪い癖だ。
もっとこれからはメリハリをつけて人と接しようと心に決めたのだった。
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