第2章:距離は近づくも、やはり遠い。

第1話:落ち着いて、花宮さん!

 ————月を跨ぎ、五月になった。


 木々の桜は散り、彩りは薄桃色から翠緑へと色を変えていった。

 自動車税の支払い納付書が届く季節である。


 蓮水からの告白という告白じゃない何かを伝えられて早三週間。

 あの日以降、どう接していったらいいのだろうかと悩んでいたが、案外普通に接する事が出来ていた。

 それでも尚、意識だけはしてしまうもので。


 彼女自身が気にもしていないので、こちらもそうするのが礼儀というものだろうか。今まで通り何事も無く過ごしている。

 好きだと言われた本人事、佐伯柊は割と悩んではいる。




****




 そして、今現在俺は喫茶店へ赴いている。

 ある人と会うためと言えばいいのか、それとも返してもらわなければならないものがあると言えばいいのか。


 とりあえずの目的は後者であって、前者は致し方なくという感じに捉えてもらえれば。

 本当は会いたくもない人が目の前に座っていて、さっきからうざいんだが。


「柊、私達もう一度やり直せないかしら。私はあなたしかいないの……」


 何回同じ事をこの数分で聞かされただろう。

 鍵は返してもらったし、もう用はないのだけれど。


 こうなる事は分かっていた。だから本当は嫌だった。

 ドアポストに入れておいてくれと言ったのを拒否されてしまい、やむを得ず会うことになったのだ。


「さっきも言ったろ。俺はもうお前とは付き合えないし、金輪際会う事もない。本当に顔を見るのも嫌なんだと」


 以前住んでいた家の片づけを終えて、沙也加も一応片づけはしてくれてあとは鍵を返すだけになっている。片付けに行く際には、細心の注意を払いながら出くわさないように平日にコソコソと進めていた。一度だけ花宮さんに協力してもらって片付けた事もあるが、出くわしたらどうしようという不安がずっと頭から離れなくて大変だった。


 浮気している気分になって、嫌になりその一回で止めた。


「たかが一回でそんなに私の事が嫌いになれるものなの? 柊は私の事そんなに好きじゃなかったの?」


「たかが一回だと……」


 なんだこいつ。反省すらしてない。ふざけてんのか。

 その一回で全て失ったと言ったはずだ。たかが一回? されど一回という言葉を知らんのか。

 論点をすり替えないで頂きたい。まるで俺が悪いみたな言い方しやがって。


「そう、ただ一回の過ちを犯してしまった。私はすごい反省したんだよ……」


 どこが? 反省している様には見えませんけど?


「俺には何も伝わってこない。沙也加は何が言いたいのか分からない。仮に寄りを戻したとして、一回の過ちを忘れずに背負っていけるのか? そのくらいの覚悟はあるのか? ……ないだろ、俺が断言できるくらいだからな。した側は忘れる。罪滅ぼしの為に行動を起こすのはいつだって最初だけ。いつまでも忘れないで背負って生きていくのはされた側だ。またするのではと不安を感じながら一緒に過ごす俺の気持ちも考えてくれよ。そんな息苦しい生活なんてまっぴらごめんだ」


「……でも、私はもうしない」

「そもそもな、たかが一回と言ってるけど一回じゃないだろ。家に連れ込んどいて初めましてなんておかしな話だ。逆に初めましてで家に連れてくるなんて心底気持ち悪いわ。例えそれが真実と言うなら、なおさら無理」


「なんで!? なんで柊は私を信じてくれないの!?」


 人の話聞いてた? 都合が悪いからって話変えるのやめろ。


「うぐっ……なんでぇ……」


 泣いたところで、戻るなんて思うなよ。

 泣きたいのはこっちだ、被害者面すんな。


「話にならんし、もう帰るから」


 立ち上がって、伝票を取り会計に向かおうとした時、腕を掴まれてしまった。


「待って……待ってよぉ」


「触んな」


 腕を振り払い、注目を浴びる中で支払いを済ませた。

 店を出て、イラつきながら家路へと着いた。




****




 家に着き、玄関を開けた。

 たった数十分で、こんなにも憂鬱な気分になるとは。


 はぁっとがっくり肩を落とすと、視界に入った見知らぬ靴。

 見て分かるのは、普段花宮さんは靴を一足しか玄関には出さないからだ。現状二足あるので、来客だと推測できる。


 他人を家に上げるのはルール違反ではとも考えたが、もしかしたら以前住んで居た人が荷物を取りに来たのかもと思ったので、ここは目を瞑っておこう。俺ってば、優しい。


「ただいまー」


 とりあえず帰宅した事を伝え、家に上がる。

 すると、その声に反応してかドカドカとリビングから勢いよく歩いてくる花宮さんの姿が見えた。

 それはもう、気持ちだけが先走ったような顔で。思いっきり腕を掴まれる。


「しゃっしゃしゃえきくん!! まままっ、まずい事になりたした! どどどっどうしやましょう!」


 こんなにも慌てている花宮さんは初めて見た。

 日本語すらもあやふやで、腕の力も半端なくて。相当にやばい事が起きたと思ってよさそうだ。


「とりあえず落ち着いて? 何があったの?」

「ハハッ! ハハッが!」


 何この人ふざけてんの? ここは夢の国じゃなくて、花宮ハウスですよ。


「何してんのー?」


 リビングのドアから覗き込むように、声をかけてきたのは、玄関に置いてあった靴の持ち主だろう。女の人だ。

 ちょっとだけしか顔を出していないので、よく見えない。廊下の電気も消えているので余計に。


「あの人誰?」

「とっにかく! やばいです! ごめんなさい!」

「なんで謝られた……」


 頭をぺこぺことそりゃもう高速に下げながら謝られるが、こちとらなんのこっちゃわっからせん。(訳:自分には何が起こっているのか、まったく分からない)


「花宮さん、落ち着いてください」

「今だけは! 今だけは七葉と呼んでください! 私も柊と呼ぶので!! とにかく私に合わせてください!」


 マジだ。これはマジだ。目がガンキマってるわ。

 そして突如に手を握られ、リビングへと連れていかれる。


「お、お母さん! お待たせしました————」




 あー、これあれだ。嫌な予感しかしないわ。




「————結婚を前提にお付き合いさせて頂いてる、彼氏です」



 ほらきたーーーー!! って……



「「え!?」」



 ええぇぇぇぇぇ!?



「ちょっ、えっ、はっ? どういう事?」


 聞こえないように、花宮さんに耳打ちをした。


「いいから合わせてください。はい、自己紹介して」


 小さな声で俺にだけ聞こえるように言った花宮さんに、仕方なくこくりとだけ頷きを返した。


「初めまして、七葉さんとお付き合いをさせて頂いております。佐伯柊と申します」


 沙也加と付き合っていた時に、親に挨拶をしたおかげで迷いなく言えて良かった。同時にスラスラ言葉が出てきた自分に嫌気が差す。


「あら、ご丁寧にどうも。私は花宮かおりです。七葉の母です」


 分かっていたけど、マジか。


 いんやっ! 待って! この人幾つだよ! どう見ても年齢少し上くらいにしか見えんぞ! 精々、高く見積もっても30後半くらいにしか見えない。花宮さんと似てるわ。当たり前か、親子だもんな。遺伝こわっ!

 スタイルもよくて、掻き上げられた長髪がセクシーさを醸し出している。まさにモデル! と言っても過言ではない!


「七葉、彼氏がいるならそうやって言いなさいよ。あなた好きな人がいるとしか言わないものだから、心配してお見合いの話持ってきたのに」


 お見合い……ね。

 ほうほう、何となく話が読めたぞ。


 つまり花宮さんは、突如母からお見合いの話を持ち掛けられた。

 だがしかし、お見合いなんてしたくないと思った花宮さんはそれを拒否したくて、咄嗟に好きな人がいると言った。


 でも、それはあくまでも好きな人なだけで、付き合ってはいないと。

母から一回会うだけでもいいからと説得されてしまいそうになった所に、偶然にも俺が帰って来てしまった。


 そこで花宮さんは思い付いたのだ。

『佐伯君を彼氏として紹介しよう』と。

 犯人の花宮さんは、慌てて玄関まで来て、とにかく私に合わせろと言いながらも謝って、犠牲にしたのだ。


 こんな感じの推理でよろしくて? と花宮さんに謎のドヤ顔を見せつけた。

 花宮さんは小首を傾げる。当然だ。


「お、お母さんが早とちりするからだよ! 私は好きな人がいるって言ったもん」


 お、敬語じゃない花宮さんだ。

 って、当たり前か。親だもんな。


「かおりさん、突然の挨拶ですいません。今日お伺いしているとは知らなかったものなので」


「いいのよ、私がここに急に来たので。それにそんなにかしこまらなくてもいいよ」

「本当に連絡もなく来るのやめてよ」

「いいじゃない。このおかげで七葉に彼氏がいる事を知れたんだから。恋愛には興味がないのかと思って少し諦めかけてたんだから」


 見限らんでやってください。好きな人はちゃんといるらしいんで、誰か知らんけど。


「まだまだ未熟者ですが、これからよろしくお願いします」


 そう言って俺が頭を下げると、何故か花宮さんまでもが一緒に頭を下げていた。顔を真っ赤にさせながら。


「いつから? いつから付き合ってるの?」

「それは……えっと……」


 俺が悩んでいると、それをカバーするように食い気味で花宮さんが答えた。


「先月! 先月から!」

「先月のいつ?」

「……二日?」


 なぜ疑問形なんだ。そこは言い切れよ。


「あなた達付き合ってるのよね? 二人とも曖昧だよね。そんなに日がっ経ってなければわすれないよね? なんか怪しい」


 ほれみろ! 言わんこっちゃない! 

 ジト目で見つめられ、冷や汗がドバドバと滝のように流れてくる。

 これはまずいな。証拠でも出せと言われたら終わってしまう。


「ちゃんと付き合ってるよ!」

「じゃあ証拠見せて?」


 考えてた事をそのまま言われてしまった。思考が読めるのか!?

 証拠になるものって何だ。写真? そんなもの見せたって信じてもらえるかどうかすら怪しい。そもそも写真なんてないし。俺だったら信じない。


 したがって、何もないという結論に辿り着いた。




「あなた達やっぱり付き合って————」




 ————チュッ


 


「こっ、これで伝わりましたか?」

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