第3話:花宮さんとの交渉。
目が覚めると、目に映し出されたのは知らない天井。知らない家だった。ソファーで寝かされていたみたいで、着ていた服も丈の合っていないスウェットに変えられていおり、小さくて苦しい。
お洒落なBGMを流し、それに合わせて鼻歌を歌い、共にトントントンッと心地よい包丁で何かを切っている音が耳に届いてくる。
その音のする方へと顔を向けると、そこには見覚えのある後ろ姿の人がいた。あのゆるふわボブで茶髪の彼女は……。
なぜ俺がここにいるのかは記憶がない。マスターのとこで、テキーラを浴びるほど飲んでから、気がついたらここだ。分かるわけがない。
「頭いってぇ」
俺の声に反応して、彼女は包丁を持ちながらこちらを向いた。
「起きましたか? おはようございます。佐伯くん」
「お、起きました……えっと……ここは……俺はどうしてここに? なぜ花宮さんがいる……?」
状況が理解できなさすぎて、頭が痛い。これは二日酔いか。
「全く……お酒に溺れるのは良くないですよ? 昨日大変だったんですからね!」
めっ! と言わんばかりに呆れながら、包丁をこちらに向けるのはやめてるください。少し怖いです。てか花宮さんってこんなキャラだったの? 会社じゃ清楚でポワポワしてるけど、仕事は出来るというイメージで、更に言えば会社の一番の人気者だ。
「すいません。色々とありまして……お酒に逃げてました。……それとこの服は自分で着替えたんでしょうか?」
あからさまにサイズの合ってないスウェットは上下ともに七分丈みたくなっていた。
「……スーツのまま寝ていたらシワになっちゃいますから、私が脱がしました……本当にごめんなさい」
何で今謝ったの? ……ハッ!? もしかして見ました!?
「えっと……何で謝られた……かな?」
「実はズボンを脱がした時に……その、無理矢理引っ張ったので……その弾みでパオーンさん見てしまいました」
彼女は顔を真っ赤にさせ、恥ずかしそうに俯いた。パオーンさんって表現は新しいですね。はい。……ん? っておい! 俺息子を見たということか!? これじゃもうお嫁にいけないじゃない……。
「逆にすいません。お粗末なものを見せてしまった上に、介抱までしてもらって……」
「いえっ! お粗末だなんて……ご立派だと思います! ……多分」
最後に多分っていうのやめてもらえます? なんか悲しくなるだろ……。
「とっ、とりあえず! ご飯にしませんか? 二日酔いに効くしじみのお味噌汁作りましたので」
「えっ、逆にいいんですか? そこまでしてもらって……あぁ! やべえ! 彼女に連絡してないから怒ってるかも!」
思い出したら即行動! 急いでスマホを取り出し、画面を見てみると……あれ? 連絡が来てない……。
「あ! それなら連絡しておきました。適当に」
手をポンっと叩き、指を立てながら彼女はあっけらかんと言った。
気が利きすぎていて怖いんですけど。
「パスワードあったはずなんですけど、どうやって解除したんですか?」
ここ最近のスマホは顔認証でロックを解除するが、顔が認証されない場合にはパスワードを打ち込む必要がある。
彼女は人差し指と親指で下唇を挟むように触り、とんでもないことを言い始めた。
「無理矢理目を開かして、セロハンテープで固定したらロック解除されました。白目でも行けるもんなんですね! 顔認証ってすごいです! 驚きでした!」
この人なんでこんな楽しそうに言うんだろうか? 人の顔にセロハンテープは普通貼らないだろ。あぁ、俺の花宮さんのイメージが段々とぽろぽろと崩れ落ちていく。
「嘘でしょ……」
「なんでわかったんですか!?」
「あ、いやっ、そういう意味じゃないんですけど……」
今のは驚きの意味だったんですけど、疑問系にしてないからね……。白目でも本当に反応するのか今度試しにやってみようかな。
「本当はパスワード聞いたら教えてくれました。念には念をと思いまして。私には関係のない事ですが、関係があったりもするので」
「ちょっと言ってる意味が分かりませんけど……」
「まあまあ、とりあえずこれ食べてください」
一通りの話を終え、リビングに移動する。ソファーで寝ていた為か、体が痛い。
ダイニングテーブルに配膳された料理はご飯に、味噌汁、鮭の塩焼き、味付け海苔、漬物と今まで家では食べた事のないくらいに、贅沢な朝ごはんであった。とはいえ、ここまでしてくれる理由が彼女にはない。優しすぎる善意が少し怖い。
「では、いただきましょう」
「あ、はい。頂きます」
ご飯を口に運び、味噌汁を啜る。そして鮭の身をほぐし、一口分を切り分けて口の中に放り込む。味を堪能しながら咀嚼した。めっちゃ美味しい。
「食べましたね?」
「はい? だって食べていいんじゃ……」
俺の目をまじまじと見ながら、にっこりと不気味に笑う。
「はい。では、私のお願いを聞いてもらいます」
「お願いですか……?」
「そうです。お願いです!」
「まあ、できる範囲でなら」
「では、単刀直入に言います。——私と同棲してください!!」
カランカランッと箸が落ちる音が聞こえる。その音に釣られて下を見ると箸が落ちていた。俺は驚きのあまり持っていた箸を落としてしまったみたいだ。
お願いをする相手を間違えてるのではないかと思った。急に同棲するって言ったって直ぐには了承出来ないし、それに付き合っているわけでもない。よって、彼女の発言に対して驚く俺の行動は当然の事である。
「はい?」
「いいんですか! ありがとうございます」
これは疑問系だから。聞いてた? 違いますから。
「いや、そういう意味じゃなくて……」
「どういう意味ですか?」
「普通に話の内容がよく分かんなくてですね、何で俺と花宮さんが同棲する必要があるのかよく分かんないです。それに俺は帰る家があります」
「いやいや、佐伯くんはもう家を出るとお聞きしましたが。違うんですか? これからすぐ家を探すのは大変ではないかと」
なぜ知っている。花宮さんに話した記憶などない。いや、もしかしたら昨日酔っ払っていた時に話してしまったのかもしれない。とにかくこれは断るべきだ。
「それは心配しなくても何とかなるんで大丈夫です。昨日俺が何を話したかはわかりませんが、俺があなたと暮らす事に何のメリットがあるんですか? 花宮さんもわざわざ異性に頼まなくたっても友達とかいるでしょう?」
俺が言ってる事は何も間違ってはいないはずだ。だからよく分からんけどここで食い下がって頂きたい。
「頼める人が佐伯くんしかいないんですよ! 丁度タイミングよくてですね」
頼むから他を当たってくれよ。俺にもメリットがあるならまずそれを提示してもらわないと考える気にもならない。これは商談と同じように、自分にも相手にもメリットがある、お互いがwin-winにならないと意味がない。
「じゃあ、まず花宮さんのメリットは何ですか?」
そうですねと前置きをした上で、仕事モードに入って話し始める。
これがいつもの花宮さんだ。さっきまでの花宮さんはどこかおかしかった気がする。
「まず私が困っている事は、昨日一緒に暮らしていた友人が家から出ていきました。それによって14万という家賃を1人で払っていくのは私の給料じゃ厳しいです。なので佐伯くんがきてもらえるのであれば家賃が安くなります。ここは14万の家賃でそれを半分ずつすれば、1人7万でやっていけます。この広さで、7万ですよ? うちは7畳の部屋が2部屋、6畳半の部屋が一部屋ある3LDKです。とても魅力的じゃないですか?」
これが花宮さんのメリットか。確かに俺も住んでる家よりも家賃は抑えられる。それにこの家は割と綺麗だ。だが、それでは足りない。
「じゃあ次は俺がここに住んだ時のメリットは?」
「佐伯くんは車を持っていますか?」
「はい。一台あります」
「駐車場も無料です。とはいえ、家賃に含まれてるんですけどね。五千円程度ですが、それも含め7万というのはお手頃ではないでしょうか?」
むっ。確かに。俺の住んでる家の近くで借りている駐車場は1万円を超えている。確かに値段の面では、今よりいい物件ではある。
「確かに今住んでる所よりは良いですけど……ここまで聞いといて、あれなんですけどまだ家を出て行くと確定した訳じゃないんですよね」
彼女は俺の言葉を聞きサーッと青ざめていく。そんなに落ち込まなくても。
「1年だけでいいんです! 1年で更新を解約するんで! その間にゆっくりと物件を探していくというのはどうでしょうか! そこを何とか! 今月までなら待てますから!」
「と言われましてもねぇ……」
「では仕方ありません。ここに住んでくれた暁には、朝、昼、晩とご飯を提供します! 朝も起こしてあげます。……どうでしょうか!!!」
……なん……だとっ!?
朝昼晩の食事付きだと? ちょっ、ちょっと待てよ。……俺の今の生活を振り返ってみよう。
まず朝。おれが作ってるな。
次に昼。社食で食べてるな。
最後に夜。俺が作ってるな。
あれ、俺の彼女なんもしてねーじゃん。ちなみに掃除洗濯も俺がやってる。なにこれ、俺だけ負担多くない? 終いには浮気ときた。クズじゃん。
「それは本当にしてもらえるんですか? お昼は弁当を持っていくという事でいいんですか?」
「はい! その方が節約にもなります。どうせ私の分もあるので大して苦ではありません!」
理想の彼女。これほどまでにその言葉が似合うのは今、花宮さんしかいないだろう。
「そこまで言うなら、ちょっと前向きに考えさせてもらいます」
「本当ですか!? ありがとうございます!! いつでも来ていいですからね! あ、でも1ヶ月以内でお願いします!」
とりあえずまずは彼女と別れるところから始めないとこちらも動くに動けない。今日帰って別れを切り出し、不動産もなんとかしないと。
「分かりました。とりあえずもうご飯食べていいですか?」
「あっ! はい! どうぞどうぞ。ゆっくりと食べてくださいね!」
彼女の作ったご飯を噛みしめる。
こんな彼女がいたら、幸せなんだろうと。
自分には不釣り合いな、ニカッと笑った彼女の顔はとても眩しくて、まるで陽の光を浴びるように感じた朝だった。
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