第9話:蓮水雫は怪しんでいる。


「はぁ~やっちゃったぁ。嫌われちゃったかなぁ……」


 後悔しても今さら遅いのだと分かっていて、それでも後悔してしまう。最後の先輩の一言は冷たい言い方だった。怒らせてしまったかもしれない……。


 いつからか私は先輩を目で追うようになっていた。

 それが恋と気付くまでにそんなに時間は掛からなかった。

 きっかけなんて覚えていない。

 いつも優しい先輩に惹かれているのは事実で。

 だから少しでも一緒にいたい、距離をもっと詰めたい。後輩という壁を壊したい。……と思いながらも中々行動はできなかった。だって彼女がいたから。


 周りからは奪っちゃえって言われたりもしたけど、私には出来なかった。そもそも先輩は私に興味がない事くらい分かっているし、先輩がそれでこっちに寄ってくるのも嫌だし。

 私は誠心誠意に真っ向から戦って、負けるなら負けたい。負けるつもりなんてさらさらないんだけど。

 

 それで今日、彼女と別れたと聞いた時に、申し訳ないけど嬉しく思ってしまった。だってもう遠慮する事なんてないんだって思ったら嬉しくて。

 今までは彼女がいたから、ちゃんと一線を引いてきたつもり。としてご飯に連れて行ってもらってただけ。辛かったけど、好きだから我慢できた。まあ先輩は何も分かってないし、後輩とご飯に行ってるだけとしか思ってないだろうし。伝わらないのは自分のせいでもある。だって私からアクションを起こしているわけでもなく、ただご飯を食べているだけだから。


 沢山私の話を聞いて、ちゃんとそれに対する答えをくれる先輩が好きで、話を聞いてもらえるだけで嬉しいとかよく言うけど、寧ろ逆で私はそれに対してどう思ってるかを言ってほしい。

 



 よし! 明日からは後輩としてではなく、として先輩と……いや佐伯さんとご飯に行くと心に決めた。

 ふんすーっと鼻息を荒立てて、ぐっと拳を握り、気合を入れていると少し離れた所から私に嫌味を言ってくる山田が来た。


「なぁーにそんな所で突っ立ってんだよ。邪魔だろ」


 山田はうざい顔で近づいてきて、エレベーターのボタンを押した。

 

「うっさいなぁ」

「本当に俺にだけ口が悪いなお前」

「だってむかつくもん」

「直球だな。そのままそっくりお返しするわ」


 同期は他にもいるが、唯一と言っていいほどに話をするのは山田だけで、嫌いだけど、別に嫌いじゃない。

 それにある意味、本音で話せるのは山田以外にいない。思った事を素直に言えるのは、だからこそなのかもしれない。

 先輩と一緒でちゃんと答えてくれる所は好感が持てるけど、何だろう。口が悪いからかな? 山田は対象にならない。ごめんね。


「山田さ、何か知ってる?」

「蓮水よ、脈絡もなく言われったって何の話かすら分からんだろ……」

「そうだったね。ごめん……佐伯先輩と花宮先輩の事なんだけど」

「素直で気持ち悪いな……」


 エレベーターが辿り着き、不本意だが山田と一緒に乗り食堂へと向かう。


「いいから早く答えてよ」


 しーんとしたエレベーター内で、聞こえてくるのは自分の苛々した声と機械音だけだった。

 ピンポーンと音を鳴らし、目的階に着いたことを教えてくれる。それでも尚、山田は口を聞いてくれない。


「ねぇ……聞いてるの?」


 エレベーターを降りながら再び問うと、やっと答える気になったのか口を開いた。


「悪いけど何も知らん。それにそんな事知ってどうする? お前が佐伯先輩が好きなのは分かっているけど、失恋したばっかりの人を攻めたって多分無理だぞ」


 は? はあぁぁぁぁ? 何で!? 何で知ってるの!?


「べべべべっ!」

「何だ唾でも吐いてんのか?」

「違うわよ! 別に好きじゃないし!」

「ツンデレか?」

「ツンデレでもない!」


 彼は私が佐伯先輩の事が好きだと知っている。私ってそんなに分かりやすいのかな……。

 食堂に着き、私の反応を他所に注文し始めた。


「ラーメン定食で」

 

「わ、私もそれで!」


 お盆を取り、箸をおいて、コップに水を二つ入れて山田に一つ渡す。そこから横に移動しながら山田は話を続けた。


「んで、蓮水はあの二人を疑っているのか?」

「うん。だって先輩から花宮先輩の匂いがするのはおかしいもん。いつもはなんか石鹸みたいな匂いなのに、なんか今日は花のような香りがしたもん。よく嗅ぐ匂いだからすぐに分かった」


 そう言いながら山田の顔を見ると、その顔は歪んでおり、眉を顰めてドン引きしていた。


「もはや、変態では……」

「し、失礼ね! 好きだから仕方ないじゃん……匂い変わったら分かるもん」

「普通に言っちゃったよこの人」

「あっ……もういいよ! 好きなの! だからあの二人の関係が気になるの!」

「分かった分かった。俺も少し気になるし、少しなら協力してやるよ。でも出来る範囲でな?」


 ラーメン定食を受け取り、空いてる席へ二人で座った。

 山田が協力してくれるとは予想外すぎる展開。


 ラーメンを啜りながら、一つ考えてみる。

 先輩は何かを隠しているのは明白。あの態度と対応を見れば一目瞭然。

 それに花宮先輩にも同じ事を聞いたら、唇を触りながら話始めたので、あれは嘘の発言だということがわかった。


 彼女は嘘をつくときに、無意識なのか下唇を触る癖がある。分かりやすくて可愛いんだけど、今回はそう思えなかった。


 ここ二年ずっと傍にいたからこそ、花宮先輩の癖を知っている。

 あの人もまた嘘が下手で。


「なあ蓮水、お前の予想は存外に悪くないのかもしれん。そういえば今日の朝、一緒に歩いているところを見たんだ。佐伯先輩はいつもギリギリの時間に出勤しているのは知ってるよな? なのに今日は早く出勤していたし、しかもその時間はいつも花宮先輩が出勤してくる時間だった」


「それってもしかして……一緒に暮らしてる可能性があるって事? わざわざ時間を合わせて出勤するなんておかしいもんね……」

「そこまでは考えすぎじゃないか? たまたまの可能性だって無きにしも非ずなのに」


 どうだろう、それにしては偶然が重なりすぎな気がするけど……。


「せ、先輩は花宮先輩と浮気していた!?」

「飛躍しすぎだろ!」


 これは追跡案件です! 

 飛躍しすぎかどうかは、自分の目で確かめてからです。今日、仕事終わりに尾行を開始します!


「山田君、今日は仕事終わり暇……かな?」


 私の出来る限りの甘え声で山田に予定を聞くと「うっわ……」とワントーン落ちた声音で、めっちゃ嫌そうな顔をする。

 やっぱり山田には通用しないかぁ。


「何だよ」

「ちょっと付き合ってよ」

「付き合うとは具体的に何をするんだ?」

「尾行よ! び・こ・う!」


 協力すると言った手前、断ることが出来ないのを知っていてのお願いだ。断られない事くらい分かっているのだよ。ふっふっふ。


「まじか……まぁ、別にいいけども……」

「じゃあ決定ね! 定時で仕事終わらせてよ?」


 そう言って。ズズズッーとラーメンを啜り、一気に口の中へと掻き込んだ。


「さっきの可愛らしい声とは反する食いっぷりだな……」

「うるさい」


 絶対にあの二人は何かを隠しているはず!

 その秘密を解き明かしてやる! 

 真実はいつも一つです!!


「名探偵蓮水さん、心の声が漏れちゃってるよ」

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