第10話:帰り道。
仕事が終わり、定時で退勤。
そそくさと会社を出て、家路へと急いだ。
今日は花宮さんとの生活において、ルールを話し合う予定になっている。昼休みにその旨をメールしといた。
花宮さんもルール決めには乗り気でいる。
だがしかし、ルールを決めるということは、必ずしも決めたことはやらなければならないということだ。
つまり、どちらかがルールを破った場合に、喧嘩に発展していく可能性があるということだ。
一緒に決めた事なのに、それを守られないと、ルールをきちんと守っている方の立場からしてみたら、苛立ちを感じてしまうのは当たり前の感情である。
カップルに限った話というのは置いといて……。
最初から決めなければよかったとか、言ってしまうのは簡単だが、決めなかったら決めなかったで、どちらかがだらけ始めて、そのしわ寄せが相手に行く。そうすると全部私が、俺が、と結局喧嘩に繋がってしまう。
この二つのやり方に正解なんてない。
ルールを決めるなら、しっかりと守る。
決めないのであれば、互いを支え合う努力を。
そうしない限り、大体の結末は前述した通りの結果になるだろう。
だから、どちらかが正しいなんて言えない。
それぞれに合った生活スタイルにしていく他ないんだと思う。
どちらにせよ、やむを得なくてできない事だって出てくるはずで、そこをどうやって折り合いをつけるかが、喧嘩に繋がらない為の予防策だろう。
要は、話し合えってことだ。
俺は前の彼女と暮していた頃は、後者だったのでやはり多少は苛立ちを感じていた。
あの時、もっと話し合えば良かったと今さらながら後悔した。
同棲……いや、同居は難しい。所詮、他人だから仕方がない事なんだけども。
あの日からまだ二日しか経っていないというのに、俺は彼女の事を割と考えずにここまでこれている。それも花宮さんと一緒に住んでいるからであって……。
これが一人だったら多分辛かっただろうなと。
考えないようにしていた、その理由を花宮さんに押し付けて正解だったとも思う。
立ち止まり、空を見上げると空はまだ明るく、だいぶ日が長くなったと実感。
日が長くなればなるほど、季節が変わってきたという実感を持ち、日々は変わらず流れているのだと安心する。
俺の周りで起こることは、あまりにもちっぽけな存在で、日常に流れている一部でしかない。
そうやって考えていけば気が楽に生活していける。俺より辛い出来事がある人なんて山ほどいるわけだし。
立ち止まっていた足を動かし、見上げていた空から目を戻して正面へと向き直した。
歩きながらも、思い返す。
いつもこの時間は駅のホームで立っている。
何も考えず、音楽を聴いて、電車が来るまでただひたすらに。その時間はあまりにも退屈だった。突っ立っているだけで時間だけが過ぎていく。
周りの人も同じように、携帯を触っていたり、本を読んでいたりと、いつも退屈そうだ。
これに対して、今は歩いている。あと五分もすれば家だ。10分も経たないうちに家に辿り着けるのは嬉しい。止まっている時間と自分が動いている時間は別物だ。
通勤、退勤時間が長ければ長いほど疲れてしまうし、帰りなんて尚更、疲れているのに帰宅ラッシュの電車にもみくちゃにされる。一駅だとしてもあの混雑した電車には気が滅入ってしまう。
それに比べたら、徒歩10分圏内って最高過ぎんか!? 18時に終わって、会社を出て18時15分には家に着いていられる。こんな幸せな事ない。
混雑もない、無意味な待ち時間もない、すぐ家。
推奨したいね。会社の近くに住むことは自分にとって最高の場所だと。
いつもとは違う環境の帰り道、うきうきな気分で歩いていると、前に花宮さんの姿が見えた。なので小走りで花宮さんの隣に並んだ。
「お疲れ様です、花宮さん」
「あら、佐伯君。お疲れ様です」
「相変わらずいつも早いですね」
「はい、定時に上がるのが私のモットーなので」
彼女は微笑みながら冗談交じりで言うが、本音だと分かってしまう。
こうして花宮さんと一緒に帰っていく時間も、楽しみの一つとなりそうだ。ただ、バレないようにしていくのが、面倒くさいだけで。
「今日の話し合いは家でしますよね?」
「あぁ、それなんですけど今日はマスターの所へ行きたいんですけど……その前に買い物も行きたいです」
「わかりました。では、買い物に行ってからマスターの所へ行きましょう」
この辺のスーパーだと、会社の人に見られる可能性もあるよなぁ。少し離れたスーパーに行くか。
「そういえばなんですけど」
そんな事を考えていると、花宮さんが困り顔で口を開いた。
「実は今日、蓮水さんから佐伯君と同じ匂いだと疑われまして……もしかしたら彼女に気付かれたかもしれません。誤魔化してはみたんですけど、どうも信じてもらえなくて」
蓮水の奴……。徹底的に粗を探しに来ているな。
ふと、視線を感じる。
もしかしてと思い、後ろを振り返った。
————だが、誰も知った顔はいなかった。
「どうかしましたか?」
「いえ、何か視線を感じたので。知った顔はいなかったですけど……俺も今日疑われたんですよ。花宮さんと同じ匂いがするって、それからなぜか執拗に絡んでくるんですよねぇ。あの子勘が鋭すぎて少し怖いです」
逆に話してしまえば、楽な気もするが。全員ではなく、祐介と蓮水だけにでも話してしまえば……。
「女の勘って結構侮れないんですよ。無駄に察しがいいというか……いっその事、2人には話しておきますか?」
「俺も同じ事考えてました。それも今日話し合いましょうか」
「ですね。変に隠してバレた時、面倒くさいですし……あ、でも……」
「……でも?」
何かを言いかけて、言葉を止めてしまった。
途中で会話を中断させられると、余計に気になるんですけども。
「なんですか? めっちゃ気になるんですけど」
「いえ、これは私が言う事ではないので。確信もないので止めておきます。それに安易に言って良いものではないので。それは本人から聞くべきだと言っておきます」
「何のことかさっぱり……」
これは大変ですねぇとぽしょりと呟いて、くすりと小さく笑った。
花宮さんも蓮水も2人してなんだよ。言ってくれなきゃ分からんだろ。
「まあいいです。それは置いといて、家に住み始めてから言う事じゃないんですけど、気になってる事があって」
「なんですか?」
「花宮さんって、彼氏とかいないですよね?」
これは確認だ。勝手にいないと決めつけていただけなので、しっかりと本人の口から聞くべきだと思った。だって、これで彼氏いたりしたら、俺のただの邪魔者でしかなくない? 念の為だ。そう、念の為。
「いませんよ、お恥ずかしいですが、今の今まで出来た事がありません」
「えっ、しょっ」
と言いかけ、すぐに口を閉じた。
危ない危ない。気にしているかもしれないのに、安易にそのような事を言ってはいけない。ましてや、昨日の今日で怒りを買って追い出されても困る。
「はい、まだ未経験です」
察されてしまった。
「すいません。失礼なことを言いました」
「大丈夫ですよ。気にしていませんので」
「本当にすいません。でも意外でした。正直、花宮さんはとても魅力的な人だと思います。可愛いですし、料理も美味しいですし、仕事もできるし。完璧じゃないですか? ……もしかして理想が高い系ですかね?」
「うーん、どうでしょう。一応好きな人はいます。手が届かないくらいの人が」
「……へぇ、そうなんですね」
ちょっと? 何で俺は少し落ち込んでいるんだ? 失恋したばかりだから寂しいのか? やめとけ! そんな感情捨ててしまえ!
「あ、もしかして私の事狙ってました?」
「い、いえっ! これっぽっちも思ってませんよ!」
人差し指と親指を出して、その指の間の隙間で度合いを表現すると、それを見た花宮さんは不満を表すかのように、頬を膨らました。
「なんですかそれ! めちゃくちゃ失礼!」
立ち止まって、バシンッと肩を叩かれた。表情は怒ってはいるけれど、それは表面上だけで内心は怒っていないようだったので、少し安心。
「冗談です。俺に花宮さんはもったいないですよ。それと髪型はすごく好みです。ボブヘアー好きなんですよね」
「その言い方も何だかむかつきますね。何ですか? 髪型はって! 顔は好みじゃないんですか!?」
むすっとしながら、ぐいぐいと顔と身体を近づけてくる。
近い近い近い近いっ!!
こうして間近で見ると、本当にこの人肌が綺麗だよなぁ。化粧もそんなにしてないのに、これだけ綺麗なのは素晴らしいな。
それにさっきから胸! 腕にめっちゃ当たってます! 意外とでかい。さてはこの人着痩せするタイプだな?
「あの……近い……んですけど」
「佐伯君って肌綺麗ですね」
全然人の話聞いてないし。
「いやいや、花宮さんのが綺麗ですよ」
「少し触ってもいいですか?」
「えっ!? だ——」
返事をする前に既に手が伸びてきて触られてしまう。道端で何やってんだよ俺達は……。
わぁ、すべすべだぁ。何したらこんなに綺麗になるんだろう、あっここは少しチクチクします、髭かぁなどと、一人ぼそぼそと喋りながら無遠慮にベタベタと触られる。
そんな事をされていると、こちらは恥ずかしくて段々と身体が熱を帯びてきてしまう。
「佐伯君、顔が赤いですよ。熱、ですか?」
とんちんかん!! と言ってやりたかったが、くりくりな瞳で、小首を傾げた花宮さんを見ると、何だかこれはこれで悪い気はしない。……顔が可愛いすぎるせいだ。
「あ、目が合いました……ちょっとそんなに見ないでください……恥ずかしいです……」
てやんでい! こっちのセリフだい!!
顔から手が離され、そっぽを向いた。
そして何事もなかったかのように、彼女は歩き始めて行ってしまう。
自分がした事に気が付いたのだろうか? 耳が真っ赤だ。平常心を装っているのかもしれないが、耳が真っ赤だ。大事な事なので二回言ってみた。
まあこれが俺じゃなかったら、男は一発よ。一発で落ちますよ、花宮さんの虜になっちゃいますね。
そんなこんなで、家に辿り着いて、着替えて買い物へと向かった。
まるでさっきの事はなかったみたいに普通に話してくる花宮さんは神経が図太いと新しい情報が俺の中で付け加えられた。
————この時の俺と花宮さんは尾行されている事に全く気が付いていなかった。
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