第4話:閉じていた蕾は、咲き始める。

 ————ライブは最高の盛り上がりで、幕を引いた。


 初めてのアイドルのライブは、思っていた以上に楽しかった。彼らのプロ意識はすごいと実感。


 アイドルが少し服をめくり、肌を見せようもんなら会場全体から黄色い声で埋め尽くされる。


 バンドなどのライブでは、絶対と言っていい程にこんな光景を見られることはないだろう。一つ一つの反応が面白かった。 


 ウインクすれば、キャー、投げキッスすれば、キャー、とファンの皆は歓声を上げる。


 アイドルってやっぱりアイドルだと思い知らされた。

 テレビで見るよりも、実物の方が数倍かっこよくて、男の俺ですら惚れちまいそうになったくらいだ。……惚れてないけどね。あくまで例えだからね?


 この人達を見てこう思った。

 自分が存外にイケてるとか、格好いいとか思ってる人がいると思う。

 だがな、それは思い上がりだと。本当のイケメンとは、彼らを指す。

 一回でいい、一回でいいから、アイドルのライブに行って観てご覧なさい。自分が格好いいだなんて烏滸がましい考えは一切なくなるから。そして美意識は高くなるから一石二鳥だ。


 自信を持っていかれるから、行くときはその覚悟を持って行くんだぞ?

 ——とまあ、感想はこの辺にしておこうか。


「花宮さん、楽しかったですか?」

「はい! こんな間近で見られることはなかったので。流れる汗まで見えましたよ!」


 紅潮した顔で、満足気な笑顔を浮かべた。


「俺も楽しかったです。機会があれば、また来たいと思うくらいですよ。今度はちゃんと曲を聴いてね」

「本当ですか!? では次もぜひ行きましょう!!」


 ガシッと手を掴まれ、ぶるんぶるんと振られまくる。

 そんな同士を見つけたみたいなキラキラな瞳で見られてもなぁ……それはもう満面の笑みで。


「そろそろ出れますかね?」

「はい、荷物を纏め、準備しておきましょう」


 丁度アナウンスが入り、俺達のいるCブロックの退場が案内された。

 ぞろぞろと出て階段を上り、通路に出る。そこには先を待つように、人だかりが出来ていて混雑OF混雑。


「これ進めるかな……てか外雨降ってるじゃん」

「雨ですか、傘持ってきてないです」


 こんなこともあろうかと、折りたたみ傘をしっかりと持ってきている。準備に抜かりはない。


「俺、持って来ているんで、大丈夫ですよ。とりあえず行きましょか」


 なんとか人を掻き分けて外へと目指すが、人がごった返しているので中々進めない。


 花宮さんは俺の後ろを張り付くように着いてきては居たが、大丈夫かなと後ろを振り向くと……あれ? いない。目を凝らして、よく見てみると……あ、いた。


 気付いたら彼女は俺の真後ろにはおらず、揉みくちゃに巻き込まれそうになっていた。

 段々と、顔が見えなくなり、ついには挙げている手だけしか見えなくなってしまう。……これはまずいぞ。


「花宮さんっ!」


 必死になって戻り、挙げられた手を取った。


「し、死ぬかと思いました!」

「このまま俺の鞄の紐を掴んでてください!」


 と、言ったのに……この人は。

 背中から抱きついてきた。

 まるで、彼女が『行かないで!! 嫌だ!』と駄々をこねるような状態だ。


 ギューッと力を入れて、絶対離しませんからという意思が胸から伝わってくる。めっちゃおっぱい当たってる。


 人は増えていく一方で、全然減って行かない。出口はここしかないのかよと言うくらいに。


 さっきまでキャーキャー言っていた可愛らしい女の子の姿はなく、まるで男かよと突っ込みたくなるくらいの力で多方向から押され、埒が明かない。


「痛っ」

「大丈夫ですか? あともう少しだけ我慢してください。横道に出れれば何とかなりそうなので」

「わ、分かりました」


 少しの隙間に入り込んで、花宮さんを引きずりながら、何とか出ることに成功。


「やっと出れた……はぁはぁ……花宮さん、もう出れましたよ。恥ずかしいんで早く離れてください」


 そうやって声をかけたのも、未だに必死になって抱きついてる花宮さんがいたからだ。周りから見たら『この人達、恥ずかしくないの?』状態だ。


「あ、本当ですね! 気付きませんでした」


 パッと離れて、「ありがとうございます」と一礼をした。

 とりあえず出られたのはいいが、雨が降っている。ぽつぽつと服に染みを付けていく。

 鞄から傘を取り出し、差してみたものの……小さい。


「これじゃ一人が限界だな。花宮さん、これ使ってください。多少濡れるくらいなら平気なんで」


 花宮さんに傘を差し出すと、それを拒むようにかぶりを振った。


「そういうわけにも行きませんよ、一緒に入りましょ?」

「でもこれ小さいんで結局意味ないですよ」

「こうすれば大丈夫です」


 そう言いながら、腕を絡めてくっついてくる。


「ち、近いですよ……」


 近いというか、密着。


「仕方ありませんよ。こうでもしないと濡れてしまいますから」


 ——にしてもだな、色々と問題があるんですけど。

 かといって、無理矢理引き剥がすのも、失礼だし。諦めてこのまま帰るしかないか……。


 まだライブの熱が残っているのか、花宮さんの横顔はまだ火照っていた。


「とりあえず併設されてるショッピングモールにでも行きましょうか。そこで大きめの傘を一つ買えばいいですし」


 おぉ、我ながら名案! 普通にコンビニで買えばいいのにな。

 言った手前、やっぱりコンビニとは言えないのでこのままで。


「……そうですね」


 彼女は静かに、返事だけをかえした。





*****




 ショッピングモールに入り、傘が売っている場所を歩き続ける事10分。

 不意に後ろから名前を呼ばれた気がした。

 立ち止まって振り返るとそこには、会いたくもない人がいて、俺の顔を確認するや否や、目を見開いたと思えば、すぐに表情を変え、睨みつけてくる。


「沙也加……」

「最低ね、あなたも同じじゃない」

「お前と一緒にしないでくれ」


 昨日、会いたくない人ランキング第一位にランクインした元カノに遭遇するとは。

 そして彼女の一言で、言いたいことは理解できた。が、それはただの憶測でしかない。


「一緒じゃん、どう見ても。既に違う女がいたんでしょ? 都合が良かったんでしょ? 私の浮気が。人の事ばっかり責めるけど、自分もやる事やってんじゃん」

「的外れな妄言はその辺にしときな。俺とお前はもう他人なんだ。俺が何しようが勝手だろ」


 酷く冷たい言い方かもしれないが、今は隣に花宮さんがいるし、この場を早く立ち去るのが、優先だ。


「浮気相手のあんたさ、やめといた方がいいわよ。隣にいる男は最低よ。浮気相手ってのも知らないかしら? ごめんね、でもこれが現実よ。可愛い顔してんだからもっと他にいい男くらい落とせるでしょ。柊には釣り合ってないよ。彼は私の物なの邪魔しないで」


「ごめん、花宮さん。無視していいから」


 沙也加の話に答える必要なんてないので、花宮さんの腕を掴んで「行こう」と声をかけたのだが、振り払われてしまう。


「今のっ! 今の言葉っ! 取り消してください!」

「嫌よ、私はあんたの為に言ってんだけど」


「佐伯君はとても素敵な人です!」

「馬鹿じゃないの? どこが素敵なの?」


「佐伯君は優しくて、男らしくて、仕事も出来て、良識もあって、ちゃんと人を愛せる人です! 誠実な人なんです! 勿体ない事なんてありません!! とても魅力のある人です! それに佐伯君は物ではありません! しっかりと感情のある人です。私物化しないでください」


「花宮さん、もういいから……」

「良くありません!! あなたは間違ってる! 自分がした事を棚に上げて、今の現状を見て判断しているだけじゃないですか! あなたがした事で、彼がどれほど傷ついたかも知らないあなたが彼を貶す事は断じて許しません!!」


 怒り心頭で、俺の声は彼女の耳には届かない。怒りで肩が震えている。


「私は十分反省してるの。もうしないって。私が間違った事くらい分かってるの」

「それを決めるのはあなたじゃありません。自分の物差しで測ってる時点で分かっていません。問題外です。それに私は浮気相手ではないですよ。だって私は————」



 人の為にこれほどまでに怒る事が出来るのだろうか。彼女は優しい。素直な人だ。

 逆の立場だったら、ここまでできるだろうか——否、できないだろう。

 ……花宮さんが自分の彼女だったら、どれだけ幸せなんだろうと場違いな気持ちを抱いてしまった。



「————私は佐伯君の婚約者ですから!」



 何てことを言ってるんだ……。



「そんなの嘘に決まってるじゃない。頭おかしいんじゃないの」


 そうだろう。これが普通の反応だ。でも、これに乗じて一言付け加えさせてもらおう。


「ま、あながち間違ってはないけどな」

「え? 嘘でしょ……」


 俺も肯定すれば、沙也加は信じるだろう。もう一言付け加えるか。


「もう親同士の了承を得てるんだ」


 へにゃりと崩れ落ちた。これで十分だろう。

 伝わったはず。遠回しで、少し盛ったがもう可能性がないことくらいはわかるだろう。


 そんな彼女を横目に、見せつけるかのように恋人つなぎをして踵を返す。今度はちゃんと着いてきてくれて安心した。


 ぎゅっと握りしめられた手は、このまま離すことはない。

 彼女も嫌がったりしないので、離さぬまま。

 例え、向こうの視界から見えなくなったとしても、今だけは繋いでいたいと。


「あ、あの、佐伯君……」

「何ですか?」

「ごめんなさい」


「謝らなくていいですよ。花宮さんが言ってくれたおかげで俺もスッキリしました。危うく好きになる所でした。あんな風に思ってくれてるとは、嬉しいです」

「……別にいいのに」


「ん? 何て言いました?」

「い、いえっ! 何でもないです」

「そうですか」






*****






 ————このまま時間が進んでいくのが、惜しい。

 



 まだ繋いでいたいと、この小さい手を。

 周りの喧騒は静かになり、この二人の空間が特別なものに感じる。




 ————だけど、それももう終わりの時間。




 外に出れば、雨。



 目の前に売られている傘を手に取ってしまえば、繋がれる事のない手と手。



 今だけの特別な時間ほど、早く過ぎ去ってしまう。どれだけ願っても、いずれは解かれてしまう。

 


 後悔したって、遅いのだ。



 少しくらいなら、抗ってもいいだろうか。



 あの時、こうしておけばなんて悔恨するくらいなら、俺は————



「やっぱりこのまま帰りませんか?」



 傘に伸ばした手を止めて、俺はそう言った。



「そうだね……帰ろっか?」



 突然のため口と悪戯っぽく白い歯を見せた笑顔に、ドクンッと胸を撃たれたかのように、心臓が跳ねた。



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