第3話:花宮さんの好きな人。

 朝になり、目を覚ます。無駄に早起きしてしまったのか、まだ薄暗い部屋だ。

 今日は花宮さんに、好きな人に会わされるという謎の日である。


 すると、コンコンッとドアを叩く音が聞こえ、咄嗟に寝たふりをした。


「おはようございまーす! 柊、朝ですよー」


 ドアが開き、普通に入ってきた。それに名前呼びは今でも続いてるのか? だが、そんな事を突っ込むことすら今の俺には許されない。とにかく行きたくないので、このまま寝たふりをするしかない。


「……」


 時刻は朝6時。外はまだ暗く、曇っているのも先ほど確認した。今日はもしかしたら雨が降るかもしれない。


「本当は起きているんでしょ? バレてますよ?」


 なぜ、俺に好きな人を紹介するのかよくわからない。正直に言えば、迷惑極まりない。

 とにかく今は寝たふりを続け、この場をやり過ごし、諦めてもらおう。


 そう、思った時だった————


「ゔっ!」


 情けない声と共に、体に重みが伝わる。

 花宮さんは、起きない俺を無理矢理起こすために、俺の上に跨って乗り、上下に動き始めた。


 体の感触が伝わってきて、変な気持ちになってしまう。

 これはいやらしい言い方をすれば、ただの騎乗位でしかない。多分この人は、そんな考えすらないだろう。俺が上を向いて仰向けで寝てたらそれこそ問題だぞ。


 今の体勢は、横に向いて寝ているので問題はない。

 なので、それ程エッチな状態にはないにせよ、一応言っておくけど俺は男で、これは朝の生理現象だからね? 花宮さんに興奮してるわけじゃないからね!?


 健康な証拠とも言うが、ある意味この状況では恨むしかない。俺の息子よ、落ち着いてくれ。


 最近になって……いや、昨日から大胆になりすぎだろ。どうしてこうなった!?

 ついに俺も観念し、重たい瞼を開けて、今起きた感じを演技してみたり……。


「やっぱり起きてるじゃないですか! 行きますよ! 準備してください!」


 演技の意味はなかったようだ。どうやら俺には拒否権というものがないらしい。

 よいしょと一声出しながら、彼女は俺の上から降りてくれた。


 体を起こして花宮さんを見ると、彼女はいつもとは違った服装で、化粧も違って、女の子をしていた。

 この言い方だと、普段はそうでもないみたいに捉えられちゃうので訂正しておこう。彼女はいつだって綺麗だし、可愛いのには変わりはない。


「めっちゃ気合入ってますね」

「もちろんです! 好きな人に会いに行くんですから」

「花宮さんのスカート姿は初見です。普段はパンツのイメージなんで」


 そう言うと花宮さんは立ち上がって、くるりと一周回った。

 一瞬だけ目のやり場に困ったが、服装自体は完璧なほどに似合っている。

 ゆったりとした白っぽいシャツに、Aラインの綺麗めなスカートを穿いているのだ。大人っぽさが滲み出ている。大人なんだけどね。服装が好みすぎて、つい見惚れてしまった。


「そんなにマジマジと見られると、少し不安になるんですけど……大丈夫ですかね? 似合ってますか?」

「とてもお似合いです。ちゃんと着こなしているなぁって感じです」

「なんか素直に喜べない私がいます」


 なんで!? 最高の褒め言葉だと思ったんですけど!? 

 まあいい、俺もそろそろ準備するか……気が乗らないけども。


「佐伯君も、あ! 間違えた! 柊もお洒落な格好でお願いしますね」

「はいはい……」


 ウキウキしながら部屋を出て行く花宮さんを見送り、立ち上がって開かれたクローゼットの前で仁王立ち。


 ハンガーで掛けられている服と睨めっこ。……うーん、お洒落ってなんだ?

 とりあえずこの季節は寒暖差が±10℃くらいあったりするから、羽織るものが一枚あれば問題ないだろう。それに今は早朝だし、流石に半袖で出たら寒いだろう。


 自分なりにお洒落な服装を考えてみたが、これはお洒落と言えるのだろうか。

 全身鏡を見て、余計に分からなくなる。モノトーンすぎるかな?


 まず下は黒のスキニーパンツ、上は白のTシャツを着て、その上から羽織るものとして、開襟シャツの長袖(グレー)、レーヨン素材で大人っぽさは出ているだろう。靴はスタンスミスを履けば、コーディネートは終了だ。

 色がないんだよなぁ。まさにシンプル。季節感ゼロ。


 いやいや、シンプルイズベストという言葉があるくらいなんだから、これはこれで良しとしよう!


 って俺は何で花宮さんの好きな人に会うのにこんなに張り切ってんだよ! 馬鹿か俺は。


 だが! この際だ、見極めてやろうじゃないか!





*****





「到着です!」

「え? ここ?」


 好きな人がいるという場所に到着。

 それを目の前にして、頭がこんがらがる。


 ドームだ。野球をするドームが目の前にズンッと構えているのだ。

 そして見渡す限り、女、女、女! 女性のオンパレード。


 更に言えば、看板にはでかでかと某男性アイドルグループの名前と今回のライブツアーのタイトルが掲げられている。


 そして今並んでいる、この長蛇の列は多分グッズ列と思われ、周りにはほとんど女性ばかりで、男の俺は浮きまくっている。ちらほらと男は居るには居るが、両手で数えれるほどにしかパッと見では、見当たらない。


 完全アウェーな所に来てしまった。


 好きな人ってアイドルかよ、勘違いするだろ。


「は、花宮さん? 俺ってここに居ないほうが良くないですか? なんか周りの視線が痛いです」

「大丈夫ですよ、誰も柊の事は見ていないので。見てるのは私くらいですよ。自意識過剰、今ここに居る人達は、自分の好きな人に夢中ですから」


 おいおい、急に毒吐くなぁ~この人。流石に今の言い方は傷つくぞ。だけど間違った事は言ってないな。うん、自意識過剰です。


「というか何で俺は連れてこられたんですか? 一人で来たら良かったのでは?」

「本当は以前一緒に暮らしていた友人と来る予定でしたが、彼氏と旅行だから他の人と行ってと言われてしまいまして。会社の人には私がアイドルが好きな事を隠していますし、柊にはいずれバレると思っていたので丁度良かったんです」


 一応だけど、俺は同居人である前に、同期で会社の人だからね?


「いずれバレるか……でも、俺は花宮さんの部屋には入った事ないので、バレないと思いますけどね。それに好きな人って言うから、色々と勘違いしましたよ」


「好きな人ですよ? 私は間違ったことは言ってませんけど」

「まあ、間違ってはないんですけど、間違ってると言うか……。好きの境界線? 難しいですけど、彼らを好きと言うのは『推し』みたいな感じのイメージです」


 好きには違いないんだろうけど、好きと好きの間には好意の違いがあると思う。

 ライクやラブで分けるというのは、あまりにもざっくりとし過ぎで、曖昧な気がする。……難しいな、言葉にするのは。


「推し、ですか。確かにその単語はよく聞きますね」

「ここに限ってじゃないですけど、女性アイドルなどはよく〇〇推しとか言いますからね」

「じゃあこれからは推しで行きます。勘違いさせて申し訳ありません。好きな人ではありますが、恋をしているわけではないので安心してください」


 安心? なぜ、俺が安心する必要があるんだろう。恋をしていようが、いまいがそれは花宮さんの自由であって、俺が口出しする事ではないはず。

 そもそも安心する理由が……。


「は、はぁ……」


「話は変わりますが、まだ三時間ほど並ばないといけません。さっきここには居たくなさそうだったので、あれでしたら近くの喫茶店でモーニング食べていても構いませんよ? ご飯も食べずに来てしまったので」


「いやいや、大丈夫です。一緒に並びますよ? 一人では寂しいじゃないですか? お互いに。話し相手くらいになら、俺にもできるので、このアイドルグループの魅力をたっぷりと聞かせてください。あと参加するので、それなりに曲を聴いておきたいです」


 この発言のせいで、花宮さんのスイッチが入ったらしく、言った事を少しだけ後悔した。


 熱が入ったマシンガントークは販売開始時間まで、ひたすらに続いたのは言うまでもないだろう。




****




 開場時間となり、順に荷物検査を受けている。

 会場内を外から見渡すと、女性がひしめき合って歩いていた。……あの中に入って行くだと!? 


 考えるだけ憂鬱になってしまう。少しでも身体に手が当たって、『この人痴漢です!』とか叫ばれたらどうしよう……。バンザイしながら歩くしかないのだろうか……。


 そうこう考えている内に、入口へとたどり着いた。

 花宮さんの後ろに張り付きながら待っていると、携帯を取り出してQRコードをスタッフに見せた。

 機械でピッと読み取り、スタッフが確認する。


「チケット二枚ですね、お連れ様はどちらの方でしょうか?」

「後ろにいる人です」


 最近は転売対策の為か、当日にならないと席が分からないというシステムが増えてきたと思う。特にこういうアイドルグループのライブチケットの転売は横行している。逮捕者が出るくらいだからな。


 ネットで興味本位に見たことがあるが、一枚十万とかザラに出回っている。こんな値段で買うわけないだろうと思うかもしれないけど、買うやつがたくさんいるんだよなぁ。転売屋からしてみれば、いいカモだわな。


「かしこまりました。今チケットを発券しますので」


 ビビッ、ビーーっと音を鳴らしながら、出てきた紙をスタッフが裏側にして、見えないように渡してくれた。


「席、どこでしょうね? いい席だと嬉しいなぁ」


 ドキドキしながら確認するのも、楽しみの一つかもしれない。結果を見て、友達と一喜一憂する。周りにはチケットを見て、騒いでいる子もいるくらいだからな。


「やりました! アリーナです!」

「アリーナという事は、ステージが近いって事ですよね?」

「しかも! 座席表は一列目、一番二番ですよ!」


 今にも飛び跳ねてしまいそうなくらいに、花宮さんの顔は嬉しそうだった。


「あの、喜んでいる所に申し訳ありませんが、トイレ行っておきたいです」

「もちろん! です! ふっー」


 鼻息荒っ! 余程、嬉しいんだろうなぁ。まだ詳しい場所は知らんけど、良かったね。




****




 トイレを済ませ、早速席へと向かう。

 アリーナ席では、ブロックごとに振り分けられており、俺達のチケットにはCブロックと記載されている。


 上から座席をブロック分けをすると、左上がAブロック、右上がBブロック、左下がCブロック、右下がDブロックとなっている。


 つまり、花道が四方向に十字になって作られいるので、俺達は花道のセンターステージ側の一番前となる。


「やばいですやばいです! こんな席初めてですよ! 今年の運全部使い切っちゃった気がします!」

「良かったですね。この何万人も入るドームで、ここってすごいですよ。驚きです」


 興奮冷めやらぬといった感じで、いつよりも増して、声が大きい花宮さん。

 今日でまた色々と花宮さん情報は更新されていった。


 人もそれなりに入ってきて、あっという間に空席は埋められていく。

 小学生からおば様まで老若男女問わず、人気だ。


 周りを見渡せば、スタンド席ではグッズ販売されていたペンライトが光り散らしている。


「本当にすごいな。男性アイドルのライブなんて来る機会ないから、楽しましてもらおうかな」

「是非! 彼女と来る方はちらほらいますが、そういった事がない限り来ることはないですからね」

「楽しみになってきました。もうすぐですね」


 そろそろかなと時計を見ると、そのタイミングで照明が暗くなった。


『きゃーーーーーー』


 全方向から、一斉に観客の悲鳴なのか、歓声なのか分からない、もはや奇声と言っても過言ではないくらいの声が響き渡ったり、その声で地面を揺らす。

 声量の大きさに驚いた俺は思わず耳を塞いだ。


 隣を一瞥すると、叫んでいた。


 ステージ上はまだ暗く、何も見えないが音楽がかかり始め、順にスポットライトが当てられていく。


 その登場の瞬間の歓声が、想像の範疇はんちゅうを超えており、またもや耳を塞いでしまった。


 こうして、人生に一度きりの想像外のライブが始まりを迎えたのだった。


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