第12話:ルールとタバコ。

 買い物を終えて、マスターの店へとだどり着き、カランコロンッと鳴る扉を開けた。


「お、いらっしゃい」

「どうも、先日は申し訳ありませんでした」


 店に入ると同時に、先ずは頭を下げ、マスターに謝罪。


「気にしなくてもいいよ。誰にだってお酒に逃げたくなる時くらいあるさ」

「マスター、こんばんは」


 俺の後ろからひょっこりと顔を出し、花宮さんは挨拶を交わした。


「おっと、ななちゃんまでいたのね……と言う事は、無事に成功したと捉えていいのかな?」


「はい! マスターのおかげで言いくるめることが出来ました」


 グッと握り拳を見せた。

 ちょいと花宮さん? その言い方はよろしくなくてよ? と思うが、なんとか言葉には出さずに呑み込んだ。

 生ビールとハイボールを頼み、カウンター席のいつもの定位置に腰を下ろす。


「佐伯君は前もここに座ってましたけど、定位置かなんかなのですか?」

「はい、いつもここです」


 壁から二つ間隔を空けた三番目に座るのがいつの間にか癖になっていた。というのも、マスターと話をする時に正面に座っていた方が、体勢を変えなくていいし、首の向きも変えなくてもそのままでいられる方が楽だからという理由で座っているだけ。殊更にここじゃないとダメだという理由はない。


「私も佐伯君がいない時、そこに座ってましたよ。なんか変な感じですね」


 確かに。俺がいない別の日には花宮さんが。花宮さんがいない時は、俺が。なにこれ運命感じちゃう……。


「あれでしたら代わりますけど」

「いえいえ、気になっただけなので。なんかあれですね……運命みたいな感じします」


 ドキッとして、肩が跳ねる。勘違いするからやめようね?


「……俺も……同じ事を考えてました」


 ほら、言わんこっちゃない。勘違い発言ですよ。


「不思議な巡り合わせですね」


 そう言って、微笑み一冊のノートとボールペンを取り出した。


「それ何に使うんですか?」

「決めたルールを書き込むんですよ。今からお酒を飲みながら話すんですよ? 有耶無耶になったり、忘れたら本末転倒です。ほら、佐伯君は先日潰れていたじゃないですか」


 いや、そうですけども……。普段から飲み潰れているわけじゃないからね。花宮さんが持ってる俺の印象はどんなんだよ。酒に溺れまくってる情けない男かよ……。

 何とか印象を変えてもらいたいので、弁解させてください。


「あれはたまたまです。結婚を考えていた人に浮気されてたら流石にきついですよね? だからお酒に逃げただけですよ。ね! マスター!」

「そうそう、本当に偶然だよ。はい、生とハイボールね」

「そうですか。いつもベロベロののんべぇかと思ってました!」

「んなわけ!!」


 間髪入れずにとりあえず突っ込んでおく。これで印象は少しでも変わってくれれば御の字だ。

 そして運ばれてきたグラスを持ち、乾杯の準備。


「……では、花宮さん。今日もお疲れさまでしたっ!」

「はい、この巡り合わせとこれからの生活に——乾杯っ!」


 カンッとグラスをぶつけ合い、口に運んでいく。


 ゴクッゴクッゴクッ!


 かぁぁぁ! うめぇ! キンキンに冷えてやがるぅぅ!! どこぞの誰かを心の中で真似をしてみた。

 口の中で広がる、ビール特有の麦の苦み、炭酸が喉を通るたび刺激し、最高の爽快感を与えてくれる。


「ぷはぁ~」

「ふぅ~」


 この一口の為に仕事を頑張っていると言っても過言ではない。

 社会人の楽しみの一つとなっているだろう。一言で言うならば『最高』以外の言葉は出てこない。


「さぁ、決めましょうか」


 時間はまだ八時。それ程急ぐ必要性はないが、長引くのはよろしくないのでささっと決めてしまおう。


「私からまず一つ。この同棲期間中、彼女、彼氏を作るのは禁止にしましょう。もちろん家に他人を上げるのも禁止でお願いします」

「了解です」


 後々の事を考えれば、妥当な提案である。

 俺達もいい大人だ。互いに相手を作れば、家に招くこと、あるいは行きたいと言われるのは必然的に起こり得る。なので、同棲を隠しながら付き合えば面倒に巻き込まれるのは明白。


 それを予見した上での禁止事項だ。反対するどころか、大賛成だ。

 そう、例えばこんな感じに。


『ねぇ、家行きたいなぁ?』

『家? うーんどうだろうなぁ。ちょっと散らかってるし。今日はごめん』

『えー、私が片付けてあげるよぉ』

『いや、いえはちょっとまだ早いというか……』

『なんで? 付き合ってるのに早いとかなくない? なんか隠してない?』

『何も隠してない……よ? けどちょっとまだ』

『前もそう言ってごまかしたよね! なんなの!? 私の事なんだと思ってるの!』


 とまあこんな会話になり、喧嘩へと発展。

 結果いつまでも家に行かせてもらえない事に腹を立てる。

 携帯を見られる。

 同棲がバレる。

 キレる。

 最悪、刺される。

 以上、の五つの工程を踏んで面倒な事になるだろう。

 大袈裟に言ったが、可能性はないと言い切れないので、改めて大賛成。


「佐伯君? 一人でなんで芝居なんてしてるんですか?」


 おっと……心の中でやってるつもりが表に出てしまっていたみたいだ。

 それは置いといて、しかしだ、花宮さんは好きな人がいると言っていたが、その辺についてはどう考えているのだろう。


「花宮さんは好きな人がいるのでは?」

「問題ありません、無理なので!」


 告白する前から諦めちゃってんのかい……。これ以上は聞かないとこう。


「あとはトイレは座ってしてほしいくらいですかね」

「えっ、そんだけですか!?」

「はい、前の人は女性だったのでトイレは座りますし、お付き合いにかんしては、家には連れ込まないだけでしたけど」

「そうですか……」


 じゃあ次は僕からの提案ですと一言言って、話を始める。


「洗濯は自分でやります。自分のは自分で。掃除も俺がやります。炊事に関しては手伝えることは手伝います。あと買い物は基本的について行く形で、車があるのでぜひ足として使ってもらえればと。……あとは俺は喫煙者なのでタバコを家で吸ってほしくないのであれば、吸いません。それと————」


「ちょちょちょっ! ちょっと待ってください! そんなにペラペラ言われてもメモが追いつきませんっ! 落ち着いてくださいっ! 待って待って!!」


 わなわなと手をばたつかせながら、静止してくる。……あんたが落ち着きなさいよ。


「すいません、一気に言い過ぎましたね」

「本当ですよ! 見てくださいこのノートを!」


 バッと両手で開かれたノートを見ると、最初の方はしっかりと書かれているが、途中から段々と文字が崩れ始め、最終的にはうねうねと線に変わっていた。

 この人面白いな。というか変わってる。

 ノートを片手で持ち、指を差しながら「最初は大丈夫でしたが、ここからもう段々と崩れて手がおかしくなってダメでした。それで——」と真顔で説明してくるのだが、その顔止めてっ! 笑えて来るからっ!


「ぶふっ! おっと失礼。……じゃあ気を取り直して、一個ずつ言っていきますね」


 改めて一個ずつ話していく。花宮さんは笑った事に対して、プリプリしていたが無視して話を進める。



「————とまあ今言ったのはこんな感じです」

「こんなに良くしてもらっていいんですか? 私、なんか申し訳ないです」


 申し訳ないか……。

 そう思ってしまうのは、今までほとんど自分がやってきてしまっているという裏側が見えてしまう。分かっちゃいるけども。

 これくらいやって当たり前で、普通はそうすべきなんだよ。しかし、世の中にはできない人が大半を占めている。やってもらって当たり前みたいなね。

 ネットでこう書かれているのを目にしたことがある。


『旦那、彼氏が何もできなくて嫌になってきた』


『一週間も家を空けて帰れば、家の状態は出る前と帰って来た時の差が天と地ほどある』


 つまり自炊することもままならず、掃除もしてない。洗濯物も溜まりに溜まって、帰ってくるまで、そのままとかザラにあるらしい。


 そして、イクメンという言葉があるが、あれはなんだ? 自分の子を育てるのは当たり前の事なのに、イクメンと呼ばれる。おかしな話だ。

 そもそもやらない人が大半で、やる人がちらほらと出始めてイクメンというくだらない造語が作り出されていくんだろう。


 要するに、やってもらうのが当たり前という考え方を変えろと。

 口先では出来ると言ったって、現実に出来てないのにどの口が言っている。相手が言葉を飲み込んで黙認しているだけ。そもそもが間違っていて、いつだって独り善がりで、釈然としない事を言っているだけだ。

 やらないのはやれないから人に押し付けて、なのに減らず口を叩く事ができるのだ。


 まずやってから言え。行動で示せ。


 例え、男だろうと、女だろうと、誰にだって通ずる話だ。現に俺の元カノがそうだったからな。

 価値観の押し付けだと言われたら、そうかもしれないが、ただ俺はそうありたくないと。そんな人になって欲しくないと。


 とまあ、世間に愚痴を垂れたって仕方がないのだが。

 花宮さんには、出来る限り前の生活から離れてもらおう。

 以前が当たり前と思わないように。それとこれからの生活にも。どちらにもうまく立ち回れるように……あれ!? 俺お母さんみたくなってない!?


「遠慮なんてしなくていいです。俺がやりたいんですよ」

「……わかりました。では、お言葉に甘えさせていただきます。それとタバコですが、縁側で吸ってもらえれば問題ありませんよ。前の人も吸ってましたので。私は吸いませんが、吸ってる姿を見るのは嫌いじゃないんで」


 吸ってる姿が好きか……。

 そう言われたからなのか、元々吸いたかったのかは定かではないが、一言断りを入れてからタバコに火をつけた。


「ふぅーっ」

「私が吸う姿が好きと言ったから吸い始めたんですか? 佐伯君って素直で面白いですね」


 一人で言って、一人で納得するのは止めて? 多分そうだけど。


「どうですか? かっこいいですか?」


 冗談で言ってみたり。


「はい、なんかかっこいいですよ」


 なんかって何ですか。


「冗談です。お酒を飲むとタバコ吸いたくなるんですよね」

「へぇ、美味しいんですか? 私は吸ったことがないので、少しばかり気になります」


 気にしなくていいよ。ノリで吸って、気が付けば俺はニコチン中毒者になっていたんでね。


「一口吸わせてください」

「だめ」

「いいじゃないですか、人生経験ですよ」

「経験しなくていいから」

「けち」


 ふくれっ面を見せ、フンッとそっぽを向いた。

 怒ったところで吸わせない。

 タバコを口に咥え、吸おうとした時、パッと手が顔の前に伸びてきてタバコを取られてしまう。


「油断しましたね! 作戦成功です! 頂きます!」


 ご飯でも食べるんかあんたは。

 口に咥え、すぅーっと音を立てる。

 吸いすぎっ! 吸いすぎだから!


「ゴホッゴホッ! ……うぇぇ、まずぅぅ」


 ほれ、言わんこっちゃない。

 予想通りの反応だった。

 初めてタバコを吸う人は、大抵咽る。身体が拒否反応を起こしているんだろう。


「口の中がぁぁ……変な味するぅぅ」


 あわわわわっと口を動かしてる花宮さんは可愛かった。

 ハイボールの入ったグラスを渡し、口直しさせる。


 お酒で口直しになるのかと疑問に思ったが、別に自分の事ではないし、俺はダメと言ったから、まあ自業自得。


 ごくごくとハイボールを飲む姿が妙に艶やかに見えてしまい、つい目を逸らし灰皿に置かれたタバコを吸う。

 そしてその行動に後悔する。……また、まただ。また間接キスしてしまった。しかも今度はされて、してしまった。


 タバコのフィルター部分には、ほんのりと薄ピンクの口紅の跡が付いていた。そのせいで余計に意識してしまう。

 俺だけがこの場で意識している。花宮さんは口直しに一生懸命で間接キスには気付いていない。それもそれでなんだか恥ずかしいんだけど。


「大丈夫ですか? だからダメだと言ったのに」

「まだ少し苦いです。……人生と同じですね」


 何を上手い事言ってんだ。


 相当まずかったんだろうと思わせるくらいな表情で渋い顔をし、口をへにゃっとさせている。



 また新しい花宮さんの表情が見れて、知れて、何故だか分からないけど嬉しく思ってしまった。

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