第8話:宣戦布告
佐伯君が家から居なくなって、3日目。
会社で会うので、寂しくてつらいとか、会いたくて震えたりはしない。
そんな感情はなく、いつも通りでいられる自分がいる。
————でも、あの言葉を聞いた時から私の感情は揺らぎ始めた。
当たり前のように。
今までもそうして来たかのように。
彼は……。
毎朝、車でうちまで来て、車を停めて出勤してる2人。流石にパーキングにずっと停めっぱなしはお金がかかるのでと言っていた。
それに対して私は反対したりはしなかった。お金を払ってるのは佐伯君だから。
まだ大丈夫。こうして会えるだけでも、家に居ない僅かな寂しさは埋められている。
今日はたまたま家を出る時間が重なってしまい、一緒に通勤することになった。彼らがいつもより早く来たことによって。
その時だ。彼がその名を呼んだのは。
「雫、今日はポニーテールじゃないのか?」
驚いた。驚きのあまり、歩く足が止まる程に。同時に横を見ると、山田君も足が止まっていた。いや、止まってくれていたと言った方が正解なのかもしれない。
「ななさん、そういえば弁当忘れてませんか? 俺、弁当貰ってないですけど、今日はなしでしたっけ?」
さりげなく彼は私を愛称で呼ぶ。
本当に気を利かせてくれる子で……なんだか泣きそうになってしまう。泣かないけれど。
だけど彼が愛称で呼ぶのは意味があっての事。彼なりのけん制、私の為に。
自分にとってメリットなど何もないのに……。本当に優しい子。
お弁当だって本当は渡している。でも、このまま一緒に行くのは辛い。それを即座に理解して、離れる理由を作ってくれてた。
彼が彼女の名前を呼ぶ。
私の名前を呼んではくれない。
その差が顕著に表れている。
————私は、負けている。
私のが長い間一緒にいたのにも関わらず、蓮水さんは経った2日ばかりでこの縮め方だ。
「ごめんね、祐介君。私うっかりしていたみたい。取ってきます」
「僕も行きますよ」
「じゃ、お二方は先に行っててください」
私は山田君を待たずに、二人の返事も聞かずに踵を返す。
「じゃ、また後で佐伯先輩。ななさーん待って下さーい」
家の前に着き、しゃがみこんだ。
はぁぁ。何やってんだ私。あんな事で……。こんなに弱かったのかな?
「花宮先輩、はい、これどーぞ」
手渡されたのは、冷えた缶コーヒー。山田君を見上げると、煙草を咥え、カシュッとライターを擦って火をつけていた。
「ふぅーー、流石にきついってあれは。俺も先輩もね。たかが3日であーなるとは予想外。展開が速すぎる」
笑いながら言うけど、本心はどうなんだろう。彼だって辛いのはこの前の話で何となくは察している。
人の恋事情には敏感だけど、自分自身になるとまた違うんだけども。
山田君は今動いたところで、意味がないと分かっている。だから彼がとった行動は何もせず彼女の行く末を静観するという事。
それがどっちに転ぼうとも、彼は受け入れる覚悟を持っているんだろう。私にはない覚悟を持っている。
「ですね。蓮水さんは手強そうです、潰されてしまいそうなくらいに彼女の気持ちが伝わってきます。それに……佐伯君も……答えようとしている感じが見受けられました」
「確かに。大きすぎて怖いっすね。花宮先輩も負けないように頑張るしか選択はなさそうです」
「頑張るですか……」
頑張ると口で言うのは簡単だ。しかし、口にはしたものの実際何をすればいいかなんて自分には分からない。初めての恋だから。
恋愛において徹底してやるべき事。そんなのは知らない。
……これは本を読むしかなさそう。分からないことがあれば自分で調べるしかない。仕事終わりに本屋に行こう。
「今日なんですけど、少しだけ夜ご飯遅くなってもいいですか?」
「いいっすよ。何か予定でも?」
「本屋に行って、恋愛指南の本でも買おうかと!」
「ぷっ……ははははっ! そんなの売ってないですよ!」
「そんなに笑わなくてもいいじゃないですか! 分かんないんですもん! 何したらこっちに振り向いてくれるかなんて!」
「いいんですよ。分からなくて。変に知識つける方が煩わしいですから。花宮さんが佐伯先輩を思う気持ちがあれば、伝わっりますって。誰だって最初は分からないことだらけなんです。とりあえず蓮水に水を差すようにメールからでも始めたらいいんじゃないですか? とにかく自分の存在をアピールするって感じで」
「でもそれは卑怯では?」
「卑怯もくそもないですよ。メールくらい誰だって好きな人としたいじゃないですか。俺だって何やかんや蓮水と連絡は取ってますよ。邪魔するようにね。甘過ぎるよ、ななさん。時には刺激も必要です」
「分かりました。早速今日から始めてみます!」
「おう、よろしい。今日は肉の気分だなぁ」
くっ、調子に乗ってきましたよこの人。
でも、山田君には救われてばかりなのも事実ですし、仕方ないなぁ。
「そうですね。今日はステーキでも焼いちゃいますか!」
「いや、そこまでとは言ってない……」
「じゃあそこら辺の草でも食べてたらいいんじゃないですか?」
「急に辛辣!?」
どっちの味方もしないと言いながら、山田君は私がどうしたらいいのか手取り足取り教えてくれる。
私は彼に感謝しかない。
「山田君、ありがとね。感謝してるよ」
「えっ!? やめてくださいその顔。危うく惚れそうでした」
「ごめんなさい」
「何で振られてるんだろう……」
*****
実はまだ、蓮水さんには佐伯君の事を好きだと打ち明けていない。
彼女も聞いてきたりはしない。
もう既に気付いているのかもしれないけど、私が伝えたら彼女はどういう反応をするのかも気になる。
仕事中ではあるけれど、とりあえず伝えてしまおう。
「は、蓮水さん」
「なんですかー?」
パソコン画面から目を逸らすことなく、返事だけが返される。
私もパソコンに向かい、仕事を続けながら話をする。
「私、佐伯君の事が好きです」
カタカタと打ち込んでいた音が止んだ。
「そう……ですか。気付けて良かったですね。分かってましたけど」
「やっぱり分かってましたか?」
再び、カタカタと書類を打ち込み始めた。
「そんなの見てたら分かりますよ。花宮先輩だって、私が好きって事気付いてたじゃないですか? それと一緒です。負けないですけどね」
タッーンと力強く、エンターキーを押した。
「私も負けません。蓮水さんには感謝しておりますが、それとこれは話が別ですからね」
「まあ自分が蒔いた種でもありますから、気にしてません」
強い。相変わらずこの子には気圧されてしまう。
「あと3日ですね。楽しくやっておりますか?」
「はい。それはもう。こんなに楽しい日々が続いたらいいのにって思います。花宮先輩の家で私と佐伯先輩が住んで、私の家に花宮先輩が住んでもいいんですよ?」
なんという考えだ……。恐ろしい。平然と言ってのけてしまう所がまた怖い。
「それはちょっとめんどくさいのでお断りします」
『おーい、そこ二人! 私語が多いぞ。仕事しろぉー』
「「すいません」」
仕事に戻ったふりをしながら、コソコソと会話は続く。
「とにかく私は負けませんから。何があってもこの期間は口を出さない事ですよ」
「分かってますよ。それは蓮水さんも同じですからね」
宣戦布告。
朝、山田君に言っていたように、私も佐伯君にアピールをする。ただメールをするだけなのに、蓮水さんにドヤ顔をしてしまう。
「自信満々ですね。いいですよ。私、そこまで小さい女じゃないんで」
「はい。お互い切磋琢磨しましょう」
「何言ってんだこの人……敵だよ私……意味違うから」
聞こえてますからね!? 二人の後輩に最近馬鹿にされてる気がします。
*****
昼休みになり、ご飯を食べる前に一服。
ふぅーッと息を吐き、煙と共に幸せを逃がす。
「お疲れ、祐介」
喫煙所に入って来たのは、佐伯先輩だった。
「うっす」
「どうだ? 花宮さんとはうまくやってるか?」
「やってますよ。好きになりそうです」
「そう——はっ!?」
くくくっ。嘘だ。
どういう反応を見せるか気になって言ってみただけ。だが、意外といい反応をしてくれる。
「冗談ですよ。琴線に触れる所は多々ありましたけど」
「そ、そうか」
なんでホッとしてるんだ。
そんな姿を蓮水が見たらどう思う。
中途半端な気持ちならやめてほしい。
「そっちはどうなんですか?」
「まあ楽しくやってるって感じだな」
「まあ名前を呼ぶだけはありますよねえ。驚きましたよ。急に近づきましたし」
「それは……呼べって言われたからでだな」
「ふぅーん。花宮先輩も同じ事を言ってたのでは?」
今の発言で、佐伯先輩の表情は強張る。俺が花宮先輩からどこまで聞いているのか気になったからだろうけど。
「——どこまで知ってるんだ?」
「さぁね。でも変に期待させないでくださいよ。俺はあいつの悲しむ顔を見たくないんで」
「それって……」
「じゃ、俺はこれで」
俺はそれだけを伝え、喫煙所を出て行った。
人に大層なことを言っておきながら、ずるい人間だと思う。
でも、これくらいしか……。
「せこいなぁ俺。最低だわ」
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