第8話:階段をあがる、それは僕たちの歩く道。

 東京駅に辿り着き、俺達は新幹線を降りた。

 重い荷物を片手に、ガラガラと引きながら階段へ向かうのだが、人の多さに圧倒され中々に進めない。


 七葉も同じようにおどおどとしながら、俺の腕を掴んで離れ離れにならないように必死だ。


 圧倒的人の多さ。

 俺らが住む愛知とは大違いで、名古屋駅ですらここまで混んでいない。ここが日本の中心地、東京か。


「七葉、大丈夫?」

「はい! 何とか!」


 行き交う人も、喧騒も慌ただしい。そんなに焦らなくてもいいのに。周りにいる人たちは視野が狭くなって、俺が! 私が! みたいな状態だった。このまま遠慮ばかりしていると先に進めないので、タイミングを見計らって人混みの中へと入りこんでいく。


「絶対手を放しちゃだめだよ」

「離しません!」


 七葉とアイドルのライブに行った時を思い出して、頬が緩む。あの時はがっしりとホールドされていたなと。


 今回はさすがにそれ程までに人が密集しているわけではないので、そこまではしないだろうけど。


「ライブ行った時のこと、思い出しました」

「俺も同じ事思い出した」

 顔を合わせ、笑みを交わす。

「さ、あと少しだ。頑張ろう」

「はい!」



 改札を出ずに、そのまま藤沢に向かう。

 でもどの電車に乗ればいいのかわからないので、駅員さんに尋ねて、教えてもらった電車に乗った。


 電車もお盆休みだけあって混んでいて、ポールを片手にもう片手で七葉の腕を掴んで支えながら、一駅、また一駅と過ぎていく。


 ——ガタンッ


「きゃっ」

「おっと!」


 揺られる電車に体を持って行かれた七葉を咄嗟に引っ張って抱きよせた。

 小さな体はすっぽりと腕の中に収まった。


 こんなの慣れていたはずなのに心臓は弾む。ドキドキと脈を打って、変な汗を掻いてしまう。胸に押し付けられている彼女に心音を聞かれそうで、でも同時にいいやと思った。


香るシャンプーの匂いにまたドキドキしてしまう。同じシャンプーを使って、同じトリートメントを使って、慣れているはずの匂いに。


「柊、ドキドキしてますね」


 上目遣いで、密着した状態で、少し笑みをこぼしながら七葉は言う。


「……まあ、うん」

「嬉しいです。今もこうしてドキドキしてくれるのは、いつまでも柊が私の事を意識してくれているって実感します。……恋してくれてるんだなって」


 それもそうなのだが、今日の七葉の色気は半端じゃない。夏だからそれなりに露出が高いし、いつもに増して露出が高い。特に上半身。


 上はノースリーブの白シャツ、下は紺色の花柄の薄いロングスカートでサンダルを履いている。完全に夏仕様の格好で、清楚なお嬢様感がバッチリと決まっている。海が似合いそうな感じだ。だからこそ、彼女が艶めかしく見えてしまうのはしょうがない。


 こんな可愛い彼女が抱きついてきたらそりゃ心も踊ります。


「麦わら帽子、被って欲しいです」

「え? なんで?」

「その格好にすごい似合いそうだし、えっとあれだよ! 写真撮ったら映えるよ!」

「……分かりました。買います!」

「俺が買ってあげる」

「じゃあ私も柊に買ってあげます!」


 お揃いか。


 ——そうだな、悪くない。





******




 藤沢駅に着き、ロッカーに荷物をしまって、江ノ島電鉄線のホームに辿り着いた。


「おぉ! これが江ノ電!」


 スマホを撮り出して、これでもかと写真に収める。

 一車線しかない線路、レトロな雰囲気、扇形になっている天井がこの雰囲気を醸し出している。なんとも言葉にしがたい、お洒落な雰囲気を。


「柊、そんなに江ノ電に乗りたかったんですか?」

「うん。死ぬまでに行きたいところランキングに入ってるから」

「大袈裟! これからだって何回も来られますよ!」

「だね! また来たい!」

「もう終わりみたいな言い方しないでくださいよ。さ、行きますよ」


 手を繋ぎ、ホームへと並んだ。



 電車が予定通りに到着し、電車に乗り込む。

 幸い一番前に並んでいたので座る事ができ、進行方向に対して左側にある座席に腰を掛けた。これも理由があって、こちら側に座っておけば正面に海が見えると前にテレビで見たからだ。


 心地よいリズムを刻みながら、進んでいく電車にわくわく。

 そんな気持ちでいると、七葉がちょんちょんと肩を突いてきた。


「まず江ノ島に行って、ビールでも飲みますか?」

「そうだね。でもお腹にもなんか入れたいかも。せっかく江ノ島にいくんだから、なんか食べたいよね軽く」

「確かに朝は急いでましたし、何も食べずにビールはあれですね」

「外は暑いし、キンキンに冷えたビールは美味しいだろうけど、ツマミが一緒にあるところだったら最高」


 多分、そのような店くらいはあるだろう。江ノ島に着いてからだな。


「わぁぁ! 柊! 柊!」


 突然トントンと叩かれて、顔を上げると、目の前には一面の海。

 太陽にさらされて、海が、波が、輝いている。


 空の青さを映し出した海は、綺麗以外の言葉を出させないほどだった。


「急いでいたのもありますが、今日晴れてよかったですね」

「うん。そうだね。こんな綺麗な景色を見たのは初めて」


 感情が違うから、環境が違うから、隣にいるのが七葉だから、見える景色が違うのかもしれない。幸せという感情は情景に彩りを与えてくれる。

 隣に座っている七葉の横顔に見惚れてしまい、目の前にある海より隣にいる彼女に目を奪われてしまった。


「……どしたの?」


 見過ぎたせいか、ほんのりと頬を染めながら尋ねられてしまった。


「あ、うん。ごめん、なんでもないっ」


 咄嗟に顔を逸らして、海を見る。

 自分の顔が赤くなり、「あちぃなぁー」と呟きながら手で顔を扇いだ。


「もしかして、今私に見惚れてましたか?」

「ううんっ、あっ、いや、そうじゃなくてっ……はい。見惚れてました」

「素直でよろしいです。ありがとう」

「いえいえ、こちらこそ……」



 そんなこんなで江ノ島駅について、江ノ島に足を向かわせた。

 

 しばらく歩くと、江ノ島と神奈川を結ぶ大きな橋が見えてきた。江の島弁天橋だ。この長い橋を渡りきると江ノ島に辿り着く。

 日差しが強く、じりじりと肌を焼かれ、汗は滴り落ちていく。


「七葉、今日はすごい露出が多いけど、日焼け止めは塗ってきた?」

「はい。私はしっかりと塗ってきましたよ! 柊は?」

「俺は塗ってない。このままじゃ肌焦げそう」

「塗りますか? 今、持ってますけど」

「じゃあお言葉に甘えて、借ります」


 日焼け止めを歩きながら、腕に塗っていく。今更手遅れかもしれないが、塗らないよりましだろう。明日のリスリィーランドで痛い目に合うのも嫌だしな。


 両腕と首、顔にも雑に塗りたくり、日焼け対策は完了。

 もうすぐ橋も渡り切るところだ。


「いい匂いがいしますよ! これは……」


 くんくんと匂いを嗅いだ七葉は、

「ズバリ! イカ焼きです!」


「ほんとかぁ? ホタテとかじゃなくて?」

「それもあります! あとは……あれです!」


 どれだ。


「とりあえず匂いのする方へ行きましょう」


 流石、犬宮さん。匂いに誘われる野生感。

 獲物はすぐ近くにあるかな?


「ありました!」

「まじか……匂いだけで分かるものなの?」


「私、鼻がよく利くんです!」

「じゃ、先ずは腹ごしらえといきますか!」

「はい!」






*****





「では、初旅行記念に……乾杯っ!」

「はい、乾杯」


 缶ビールを片手に、意気揚々と缶をぶつけ合ったのだが……、どうやら不服のようだ。むっくりと頬を膨らませた顔は「テンションが低い」とでも言いたげの顔。


「やり直しです」

「すいません」


 また同じことを繰り返し、乾杯を交わした。

 七葉の飲みっぷりは、男勝りでぐびぐびと飲んでいく。机の上に置かれた、例のイカの姿焼き。そしてホタテのバター醤油焼き、サザエの醤油焼きとそれぞれ二つずつ並んでいる。


 祭りの時もそうだったが、やはりこういう場所で食べるのは一味違う。雰囲気が違えばまた味も違うと言ったところだろうか。三倍増しで美味しい。


「はふっ、はふっ」


 イカの姿焼きは出来立てで出てきているので熱いのも当然。他も同じように出来立てなので熱い。さらに季節は夏。日光が強いので、外で食べてもなかなか丁度いい温度に冷めるのにも時間が掛かる。


「おいひぃー」


 落ちそうになる頬を支えながら、またビールをグイッと飲んだ。

 七葉は本当に会社にいる時と、プライベートの差が激しくて、そのギャップに萌える。こんなに嬉しそうにしている顔を見られるのは俺だけで、会社の奴らは知りもしない現実だ。


「俺も食べたいなー」

「あーんですか?」

「うん」

「しょうがないなぁー、次私にもやってくださいよ?」

「やりますやります」


 箸でイカを取って、「はい、甘えん坊の柊くん、あーん」と七葉も口を開けながらこちらに差し出してくれる。


「あーん……あれ!?」

「はむはむ」


 迎え入れたはずのイカは俺の口の中には入って来ず、目を開けると七葉が食べていた。


「人生は甘くないのです。はむはむ……」


 むっふーとしてやったりの顔。もぐもぐとイカ頬張る七葉。なにそれ可愛いんですけどって、違う!


 ふーん。そういうことするんだぁ。

 へぇー。ほーん。


「そっかそっか」

「何ですか……?」

「いんやー、別に?」

「え、わわ、私調子こきましたかっ?」

「さあ、どうだろう」


 こちらもぐびりとビールを呷り、タバコを吸う。


「はぁー」


 煙と共に、ため息を吐き出すと、七葉は焦り始めた。


「ち、ちゃんとやってあげますからっ、ほら、あーんですよ?」

「自分で食べるから」

「そ、そんな事言わずに、フーフー付きですよ!?」


 イカをフーフーッと焦りながら吹いて、ごめんなさいとアピールしてくる。……可愛い。もうちょいいじめてやろうかな?


 そう思った直後、七葉は瞳に水をため始めていた。


「ごめんごめん! 冗談だよ! ちょっとからかってやろうと思っただけで……」

「なーんて嘘ですよーん!」


 けろりと表情が一転。


「演技でしたぁー!」


 ぺろっと舌を出して、けらけらと笑う。


「してやられたり……」

「はい、あーん」


 はむりと今度こそイカを口に迎え入れる事が出来た。


「ん~、美味しい!」

「何倍増しですか?」

「七葉があーんしてくれたから、百倍増し」

「当然の結果ですね!」


 ふふんと鼻を鳴らした。


「なんでそんな自信満々なんだよ……」


 今日は七葉のペースに掴まれっぱなしだ。

 この四か月の間に、俺は攻略されつつあるのだろうか。恐るべし、花宮七葉。






*****





 飲み食いを終え、続いては江ノ島神社に足を向かわせた。

 途中、麦わら帽子を打っているお店を見つけ、お互いに買い、そしてプレゼントした。その麦わら帽を被りながら、やや傾斜のある坂道を上って行く。


 麦わら帽をかぶった七葉は思った通り、似合っていて、安定の可愛さ。すれ違う人も二度見をし、「今の人可愛い」と口ずさんでいるくらいに、彼女は可愛いのだ。振り返ったりしたら、それはもうCMに出れるレヴェル。レベルな。もう本当に可愛いし、美人だし最高なんだが。


 今回はガルルルルとは威嚇しない。こんな俺も大人になったんです。どちらかと言えば、ドヤ顔をかますくらいにはなりました。


「知ってますか? 江島神社は縁結びが有名なんです」


 もう既に結ばれていますけど。

 そんな事はどうでもいいのだろう。彼女はこれからの俺達の縁に願いを込めたいと、そう思ってしまう。


 ——だって俺がそうだから。そうであってほしいから。


「宗像三女神のご利益は半端じゃないそうです! ネットに書いてありました!」


 あぁ、これは俺に毒されてきてるわ。

 気になる事があったらすぐにネットに頼るやつ。

 まだまだ彼女の言葉は続く。


「それに! 子宝に安産と! 女性にとってご利益だらけなんです! 子だくさんではなくていいですが、二人は欲しいのでお願いしておきましょう!」


 興奮冷めやらぬ七葉。


 サラッと、子供も話しをしてくるところが、なんだか嬉しいなぁと思ったり。


 俺と七葉の子供。

 七葉に似てほしいなぁ。まじで。


「早く行きますよ!」


 差し出された手は小さくて、でも温かくて。安心する。


 大きな進歩であって、小さな一歩。


 俺達はまだ恋の道を歩き続けているのだろう。

 この先に続く階段は、二人が駆け上がって行く人生の階段のような気がした。



「君はいつも無邪気で、……でもそんなところが大好きなんだよな」



 ぽつりとつぶやき、握りしめられた小さな手に愛を込めて握り返した。


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