第6話:佐伯柊は贈りたい。
挨拶前に準備がしたかった。全て何もかも。
なので今日は仕事終わりに、俺と七葉でショッピングモールに来ていた。
理由は単純で、自分にとって人生の大一番と言って良いくらいに大事なことを確認するためだ。格好つけて買って、サイズが合いませんでしたじゃ、俺の中では決まらない。
——婚約指輪。
それは昔から給料三ヶ月分といった値段の相場がある、あれだ。
しかし、よく考えてほしい。
給料三ヶ月分と誰が考えたのだろう。なかなかの値段だぜ? そんなほいほいとお金出せるのは、金持ちだけではないんだろうか? と思うくらいに、値段相場には困らされているのが現実。
いや、まあね? それなりに仕事を始めてからは、コツコツと貯金してますけどね? でもね、ポーンッと払える値段じゃないよね?
俺の給料は30万くらいで。
三ヶ月分は90万で。
これはもう100万みたいなもので。
あるよ? あるんだけどね?
俺は気持ちだと思ってるよ?
値段の高さが愛の大きさを語るなんて、そんな押し付けな考えはやめて頂きたい。世の中には貴方みたいな金持ちばかりではござらんのですから。
と、そんな知らない誰かに八つ当たりしつつ、辿り着いたのは、例の俺が入るのに時間が掛かったターコイズブルーをあしらったジュエリーショップだ。
なぜ今回は一人ではなく、七葉を連れて二人で来たかと言えば、ちゃんとした三つの理由がある。
まず一つ。
七葉の薬指のサイズを知るため。
二つ。
七葉がどんな指輪が好みなのか知るため。
三つ。
俺の予算で購入できるかを知るため。
もちろんだが、今日この場で買うつもりは、さらさらにない。
今日はあくまで下見。からのサイズを確認するため。……大丈夫。七葉は意外とポンコツなので気付かないだろう。
適当に誤魔化しておけば、「えへへ~」とか言って頬を緩まして終わりだろう。俺の七葉に対するイメージはこんな感じだ。
「ジュエリーショップに行きたいなんて柊も変わった事言いますね。明日は雪でしょうか?」
こんな真夏に降るわけないだろうと真面目なツッコミを心の中で入れておく。ぺしりと。
相も変わらずなポンコツぶりを披露してくれたわけなので、こちらとしては御の字だ。
「ほら、結婚するなら結婚指輪見ておきたいでしょ? それにサイズも知っとかないと、お互いにね」
俺の言葉を聞いた七葉は案の定、
「えへへ、結婚かぁ」
と、思った通りの反応を見せてくれた。
吹き出しそうになるが、心を無にして、やり過ごす。
「いらっしゃいませ。今日は何かお探し……あ、この前の」
「どうも、覚えてくれてましたか」
「もちろんです。覚えていますよ」
ニッコリと店員さんは微笑んだ。俺も恥ずかしがりながらも、笑みを返す。
隣で、俺と店員さんをキョロキョロと顔を左右に動かしている七葉は、なにやら怪しみの視線。
そんな七葉を気にもしていない店員さん。
「どうやら無事に渡せたようで」
七葉の首元を見てそう言った。
「おかげさまで」
ふふっと、また笑い合うと、七葉が袖をくいくいと引っ張ってくる。
「し、柊……? 誰ですかこの人は……」
どうみても店員さんだろ……。話してる内容聞こえないのか? とはいえ、彼女は嫉妬しているようなので、早々に話を切り上げる。
「この前の誕生日にプレゼントしたでしょ? その時にお世話になったの」
「あ、そう言う事ですか!」
そう言いながらも、グイッと腕を絡めて、店員さんにドヤ顔を決めた七葉。
どうやら納得はしたものの、牽制をしているようだ。言葉にすれば、こんな感じだろうか? 『私の彼がお世話になりました。彼、かっこいいでしょう! ドヤァ』
俺は自分で一体何を考えているのだろうか……。でも、彼女の顔はそんな顔だ。
困り果てた顔で店員さんは愛想笑いを浮かべていた。
「……今日は指輪ですか?」
「はい。サイズを知りたくて」
「かしこまりました。少々お待ちください」
「七葉、ちょっと離れて。ここお店。公共の場」
「あ、そうですね。すいません、つい」
何がついなのか教えてほしいものだが、敢えては聞かない。
「とりあえず店員さんが戻ってくるまで、見てみようか」
「はい!」
目を輝かせた七葉とショーケースに飾られた指輪たちを見ていく。
「わぁ! これ可愛いです!」
どれどれと、七葉の指差す指輪を見やる。
それはダイヤがハートの形をした婚約指輪だった。
……ん? もしかして気付かれてる? 違うよね?
「こういうのが好きなの?」
「うん! まあ憧れに近いですけどね。高いですし」
値段の方に視線を移してみる。
イチ、ジュウ、ヒャク、セン、マン、ジュウマン、ヒャクマン……んん? ゼロが一つ多い気が。
目を見開き、もう一度確認。
イチ、ジュウ、ヒャク、セン、マン、ジュウマン、ヒャクマン。
桁が違うじゃないか。無理無理無理。七葉の言う通り。高いです。
値段に驚きを隠せなかった。
おい誰だ。給料三ヶ月分とかホラを吹いた馬鹿野郎は! こんなの給料三ヶ月分で買えるわけないだろ! もはや年収じゃないか! いや、年収でも足りてないからな!
一か月の給料160万くらいいるだろ! どんな仕事だよ! 社長しか無理だろ!
——500万。
——はい、無理です。
「お待たせしました」
ジャラジャラとリングゲージを片手に持っていた。
「では左手の薬指をいいですか?」
まずは七葉からサイズを測っていく。正直な事を言えば、七葉だけ測ればいい。俺にはまだ必要のないものだから。
「どうしよう、指デブだったら……不安だなぁ……」
とりあえず9号から。
「どう見ても七葉の指は細いから大丈夫だよ」
「そ、そうかな?」
「9号はちょっと大きいですね。では、8号をつけますね」
「……はい」
なぜにそんなに緊張した顔をしてるんだ? ちなみに言うけど、さっき敵対心持ってた人だからね、その人。
「どうですか?」
「ちょっとでかいです」
「じゃあ7号ですね。失礼します。もう一度」
7号を付け、きついかきつくないかを真剣に見極めている。
「ぴったりです!」
「では、7号ですね。旦那さんはどうしますか?」
「あ、いえ、僕は旦那じゃないです……まだ」
「あっ、すいません! つい」
旦那さんという響きはとても恥ずかしかった。それと同時になんだか嬉しい気持ちにもなる。だって旦那さんだぜ? 七葉の旦那って……そりゃ頬も緩みますわ。
「柊が旦那……ってことは、私は奥さん」
嬉しそうに両手で頬を抑えてる七葉も同じ事を考えていたみたいだ。顔もなんか火照って、赤く染まっている。
「あのぉ……どうしますか?」
「あ、いえ、僕はまた今度で大丈夫です」
「では、奥様のサイズだけ紙に記入しておきます。次回ご来店される際に、口頭でも紙でもいいので伝えてもらえればいいので」
俺だけを見ながら言う店員さんは、多分理解している。俺が婚約指輪をまた買いに来ると。さすがジュエリーショップで働いているだけはある。
「分かりました」
七葉は奥様という言葉に反応して、頬を緩ませまくっていた。
幸せだな。お互いに。
この日は、とりあえずサイズと七葉の好みを知って、あまりにも高い値段驚愕し、家へ帰った。
*****
翌日、俺は仕事終わりに再び店へと赴いた。
「いらっしゃいませ」
綺麗な挨拶に軽く会釈をし、婚約指輪が飾られているショーケースを見ていく。
七葉は、この500万もする指輪が可愛いと言っていた。だが、いくら貯蓄があるからと言ってこの額は流石に厳しいものがある。
いつもの店員さんに声を掛け、似たような婚約指輪で自分に合った予算内の婚約指輪がないか尋ねた。
「そうですよねぇ。さすがにここまで値段が高いと購入する人は限られてきますし……ちなみにご予算はおいくらで考えていらっしゃいますか?」
「50万くらいですかね」
昨日、家に帰ってから婚約指輪の相場をネットで調べてみた。俺はいつだってインターネットに頼る最近の若者なのだ。先人の知恵も必要な時もあるが、こんな時はグーグル先生に頼らざるを得ない。
調べた事によると最近の若者は、大体20万~30万くらいが相場らしい。そもそも買わない人もいるのだとか。婚約指輪の代わりに、お高めのネックレスを贈る人もいるとか。なぜならば婚約指輪は結婚するまでしか付けられないから、敢えてネックレスという意見がある。
昔は昔。今は今という事が顕著に表れていた。
時代はこうやって変わっていくんだろうと実感。
「そうですね……では、こちらとかどうでしょうか」
出された指輪は、可愛いと言っていたものとあまり変わりがないものだった。ただダイヤが小さくなっているだけにしか男の俺には分からない。
「これであれば、予算内に留まります」
ふむふむ。
これであれば、七葉自身も気に入っていたし、値段も合う。
問題はお盆までに間に合うかどうか。
「これってお盆までに間に合いますかね?」
「大丈夫ですよ」
良かった。これならプロポーズも出来る。こんなギリギリになって買いに来るべきではないことくらい分かっているのだが、どうしても先送りにしてしまう悪い癖は治らない。
旅行も同じようにギリギリでホテルを取ったし、新幹線もギリギリ。テーマパークのチケットもこの後取りに行く。
もっと要領よくできないものかと、自分を責めてみたり。
「じゃあこれでお願いします」
「かしこまりました」
よし。これで準備は万端。
あとはお盆の挨拶。
そして、プロポーズ。
どっちもドキドキするなと思いながらも、会計を済ませ、店を出る。
指輪はお盆の挨拶後には準備が出来ているらしいので、挨拶後取りにこればいいだろう。
日にちはもう残りわずかしかない。
もっと綿密にどうするか考えておかないと。
*****
「ただいまー」
「おかえりー!」
家に帰り、リビングの扉を開けると七葉が飛びついてきた。
自分で言うのも烏滸がましい所だが、どうやら柊成分の補給のよう——だ?
くんかくんかと匂いを嗅ぎ、マーキングチェック。
「柊、どこ行ってたんですか?」
その目は完全に疑いの目。匂いで? さすが犬宮さん。
「そりゃ、あれだよ。うん。あれ」
「あれ。じゃわかりません!」
「テーマパークのチケット発券してきたの」
「あぁ! そうでしたか。てっきり逢引きかと!」
誰とだよ。
「そんなわけないでしょ?」
「ですよね」
…………。
何この沈黙。
「柊は私の事好きですか?」
「もちろん」
「好きですか?」
なぜ2回聞く……。
「うん」
「好きですかぁ!?」
え、なに。ほんと何なの?
「大好きだよ」
「えへへっ、私も好きです」
うりうりと顔を押し付け、抱きしめられる。
多分、言葉にしてほしかったんだと、遅れて理解する。
俺は普段からあまり口にはしない。
なので余計に心配になるのだろう。きっと私ばかりじゃないかと。
だから、いつかきっとこれでもかと七葉の事を好きだと、証明してやろうと思った夕暮れ時だった。
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