第5話:花宮先輩は頼りになる。

 毎日の日課は藤堂君、いや、敬称をつける価値もない、藤堂によって阻害されるため、祐介の席に行くことはできなくなってしまった。

 マジ恨む……。とはいえ、私自身あいつが怖いのも事実で、今は行かない方がいいと彼も私もそうする他なかった。


 でもでも、私が行けない代わりに、朝は祐介が私のデスクに来てくれるようになった。

 ほんの少しだけしかないけれど、会話の時間がある。それだけで私は幸福感を感じていた。

 藤堂の耳には入らないように、祐介からメールで藤堂の配属理由を聞かされた。


 曰く、彼は以前の部署で女性社員をその容姿で誑かし、仕事もせず遊んでばかりだったと。社員からの密告が多数あり、不倫もしていたらしい。その結果、社長の耳に伝わり、やめさせる訳ではないけれど、異動としてこの部署に配属されたらしい。


 だが、どこまでが本当なのかは、祐介自体も知らない。彼もまた、関谷さんに聞いた話だからと言っていた。

 息子だからって贔屓しすぎ。親バカか、あの社長。


 全く、そんなやつをこの部署に配属させるなんていい迷惑。

 だからこそ、そんなあいつに目を付けられた私は怖い。何をされるか想像もできないし、かと言って仕事を放り出して休むわけにもいかないし。


 なるべく一人で行動しないようにはしているけど、どうしても一人でという状況はできてしまうわけで。毎回祐介が助けてくれる保障なんてない。

 ここは一つ、周りを固めるべきだと思い、花宮先輩にも彼の配属理由を話しておこう。それが一番の最適解。


「花宮先輩、ちょっと今いい———」

「蓮水先輩」


 藤堂の話を花宮先輩に伝えておこうとした矢先、目の前に立ちそれを阻んできたのは、この話題の中心人物の藤堂だった。


「っ……」

「何ですか? えっ……と、藤堂壱弥君でしたっけ?」

「ちょっと蓮水先輩に用事がありまして、借りてもよろしいですか?」

「嫌だよ、私には何も用事はないし、今は仕事中。見て分からないの?」

「俺は用があってここに来たと言っているんだけど?」


 あの時と同じ声音で発されたが故に、ビクッと肩が跳ねてしまった。

 用と言っても、以前からここで働いてる私達が外に出る仕事なんてないのは、分かっている。であれば、導き出される答えは——仕事ではない。


「用件があるならここでいいじゃないですか? 私達はあなたよりここで長く働いているんです。佐伯君や山田君から私達を連れ出す必要がある仕事はここに来て一度もないんですよ? 私用なら就業時間が終わってからにしてください。迷惑です。それに蓮水さんは断りましたね? それでも尚、貴方のその態度はいかがなものでしょうか。傲慢にも程がありますよ。大人の対応してください、ここは大学じゃないんですから。そんな気持ちで仕事をしないでください」


 花宮先輩……。


「はぁ~、別に僕はあなたに話してるわけじゃないんですけど」


「まだ理解できないんですか? 貴方、自分がどの立場にいるか分かってますか? 藤堂君、貴方はこの部署で一番下の人間なんですよ。その態度、口調は上の者に対して使うものではないです。高校生でも分かる事が藤堂君には分からないんですか? 一体これまで何を学んできたんですか? これはもっと教育が必要みたいですね——山田君、来てください」


「ぐっ……」

「どうしましたか?」

「この人は礼儀というものを知らないみたいです。中学生からやり直した方がいいんじゃないですかね。不真面目で、ここを学校と勘違いしています。自分がどういった立ち位置か理解していません。社長の息子だからと言って遠慮しないでくださいと言っていたのは、どこのどいつですかね?」


 花宮先輩はいつもと雰囲気は変わらないのに、とても頼もしく、そして恐ろしかった。確実に怒ってる。

 だが、確かに怒ってはいるが、傍観している私が見るに、二人は何か視線を交わして、会話しているようにも思えた。


「すいません。僕が目を離してしまったせいで、失礼なことをしてしまったみたいで」


 祐介は頭を下げて、花宮さんに謝罪した。


「ほら、お前も謝れ。藤堂」


 嫌々ながらも、頭を押さられて下げさせられる藤堂。


「すっ、すいませんでした……」

「はい、これからは気を付けてくださいね」

「後できつく言っておきます。もうお前は戻れ」

「……っ、はい」


 はぁっと同時にため息を出した、祐介と花宮先輩。


「本当にすいませんね、花宮先輩」

「いえ、ちゃんとああいう事は言っておかないと分からないと思うので」

「雫、大丈夫だったか?」


 なんだか私だけ置いてけぼり感。

 二人の中で解決しちゃってて、輪に入れない。


「うん……ありがとう。……怖かった」

「俺が居るから大丈夫だ。何もさせない」


 そういうのサラッと言うのやめてよね……ばか。

 一人で勝手に惚れ惚れしていると、花宮先輩が藤堂を見て、不安そうに口を開いた。


「あの子、大丈夫ですか? ろくに仕事できないのでは? こんな仕事中に私用で人を連れ出そうとするなんておかしいですよ。仕事が出来る雰囲気だけで、何もできてない。そんな感じに見えます。心配ですね、今後が」


 めっちゃ辛辣に言うなこの人……。間違ったことを言っているわけではないし、言われても仕方がないけど。


「そうですね……。正直なところ手を焼いてます。花宮先輩にそこまで言われてしまうと、俺も面目も立たないと言うか……あははは……しっかりやってるんですけどね、難しいものです」

「いえ、山田君がしっかりとしているのは大前提ですよ。ただ……彼はどこか幼稚な感じというか、まあ今ので蓮水さんに気がある事は分かりました。でも本人はそれを嫌がってます。詰まる所、山田君何か知ってるんじゃないんですか?」


 花宮先輩の洞察力、慧眼には感服。

 この人は敵に回したくないなぁと思ったけども、既に一回敵になっていた。

 あの時のことは水に流してくれているだろうか……。ちょっとだけ不安になる。


「それは休憩の時に話します。佐伯先輩にもまだ伝えてないので一緒にお昼どうですか?」

「柊もっ——ゴホンッ、佐伯君も一緒にですね。分かりました」


 佐伯先輩の名前が出てきただけで、あんなにも嬉しそうに頬を緩ませちゃって……ばれてないつもりなのかもしれないけど、ばれてますからね。


「では、また後ほど」

「祐介、ありがとう」

「気にしなくていい。花宮先輩のおかげだ」


 手をひらひらと振って、彼もまたデスクに戻って行った。


「蓮水さん、私には何があったのかは分かりませんが、なるべく一緒に行動するようにしましょう。私じゃ頼りになるか分かりませんが、一人よりはいいかと思う。さっきの蓮水さんすごく怯えていたから」


 この人はお人好しだ。あんなこと言って藤堂が何を思うか……。私よりも自分の心配もした方がいいのに。


「私、花宮先輩が上司でよかったです」

「へっ!? 急にそんなに煽てても何も出ませんよ!?」

「煽ててないです。本心ですよ。花宮先輩が大好きですっ!」


 勢いよく彼女の胸に飛び込んだ。


「なななっ!? どうしたんですか!?」

「どうしたも何も大好きという感情を体現してるんですよっ!」

「はぁ、もう今だけだからね。ここは佐伯君の特等席なんですから」


 はいちょっとあなた。急に惚気るのやめてくださいね。……先輩め、こんなほわほわのぽわぽわの胸に抱きついているのか……変態め。

 それでも花宮先輩は、子供の頭を撫でるように優しく一撫でしてくれた。


「さっきはありがとうございました」

「いいの、可愛い後輩が困ってたんだから、前に出るのは当然ですよ」

「花宮先輩、これから名前で呼んでもいいですか?」

「いいですけど……じゃ、じゃあ私も呼んでもいいかな? 雫ちゃんって……」


 恥ずかしそうに言う花宮先輩はやっぱり可愛い。


「もちろん、私はなな先輩って呼びますね」

「はい。これからもよろしくね、雫ちゃん」

「はい! なな先輩っ!」

「じゃあもうそろそろ離れてくれませんか? 仕事中ですし、一丁前に言った手前、こんなことしてたら示しがつきませんから」

「あと十秒だけぇ~」


 うりうりとなな先輩の胸に顔を押し付けて、おっぱいを堪能する。この人着痩せするタイプだ。意外と大きくて、弾力があって、うん、最高。私もそこまで小さくはないけど、なんかまた違うタイプ。


「十秒経ちましたよ」

「延長で~」

「もう、甘えん坊さんですね。あと十秒だけですよ」


 顔を上に上げると、満更でもなさそうに頬を緩ませ笑っていた。

 あなたも甘やかしに過ぎには注意ですよと、甘えてる本人が言っておきます。





*****





 時刻は12時になり、喫煙所でタバコを吹かす二人を待つこと5分。

 くっさいヤニ臭を纏いながら出てきた二人は、鞄から消臭スプレーをキャッキャッと振りかけ合っていた。


 何を見せられているのだろう私達は。

 隣にいるなな先輩を一瞥すると、その二人の光景を楽しそうに眺めていた。ちょっと間違えば、必要もないあの二人の輪に入って行くんじゃないかと思うくらいに、羨ましそうに見ていた。その感情は一体なんですか……。


「お待たせ。今日はせっかくだし七葉の御用達の公園で食べないか?」


 先輩は外を差しながら、恥ずかしげもなく名前を言った。


「いいっすね。話も聞かれないし、晴れてるし」

「私も賛成ですっ! なんかピクニックみたいで楽しそうです!」


 これから祐介が話のは、楽しいとは正反対の話なんですけどね……、というかいつもお昼にいないと思ったら、公園で食べてたんですか。私も誘ってくださいよ。


「意義はありません」

「じゃあ満場一致だな」






「近くにこんな公園あったんですね」

「えぇ、穴場ですよ」


 辿り着いた公園は、広さこそ大きいとは言えないが、まあこの都会の中では大きい方だろう。それにベンチがあり、机も備え付けられていて、四人で食べるには十分なくらいだ。

 なな先輩はいつも一人でここで食べてたんだと思うと何だかシュール。

 でも、彼女らしいっちゃらしい。想像も容易い。

 いつの日か、先輩が外に出るって言ってたことがあったけど、あれはここに来るためだったのかと、二ヶ月越しに腑に落ちた。


 そして、佐伯先輩となな先輩が並んで座り、その対面に私と祐介が座った。それぞれに弁当を広げ、ご飯を食べ始める。

 もちろんだけど、私と祐介はいつも社食で食べているからコンビニ弁当だ。



「食べながらでいいんで、聞いてください」


 弁当を食べ始め、少し経った頃に祐介がその場を仕切るように、話を進めた。


 まだそこまで時間が経っていないのに、弁当に目をやると、彼は既に食べ終えていたのだ。早食いすぎる……。


「ここに集まってもらったのは、藤堂の配属理由です。俺自身も聞いた話なんで、どこまでが本当かは分からない事を承知の上でお願いします。

 簡単に言ってしまえば、女です。

 以前、所属していた部署で不倫をしていたらしいです。

 他にも、たくさんの女性社員と関係を持っていたらしいです。

 仕事は全然覚える気もなく、遊んでばかり。その反省をさせるために、異動命令を社長が下したらしいです。

 入って二ヶ月で異動なんて、問題がない限りありえません。だが、彼には通用していない。むしろ喜んでいるといった感じです。それはここ最近の彼を見たら分かりますよね? 僕たちが勤めている部署は美人が多い。花宮先輩しかり、ここにいる雫も」


 私は一度聞いていたので、内容は知っていた。だけど、最後のはずるい……。


「だから配属初日にお前は関谷さんの所へと話を聞き行ってたのか」

「そうです。普通に考えてこの時期の異動はありえません」

「つまり……今の藤堂君のターゲットが雫ちゃんって事ですよね?」

「そうです。でも、花宮先輩も気をつけてください。あいつが何をするかまでは僕も知らないんで。雫曰く、ほしいと思ったものは力尽くでも手に入れたいと言っていたらしいです。ま、そこは佐伯先輩がしっかり守ってやってくださいね」

「もちろんだ。七葉は俺の大切な彼女だからな。それよりも祐介こそじゃないのか」

「わかってますよ。あいつに手出しはさせません。こいつは俺が守りますから」


 隣に座っていた祐介は私の頭をくしゃくしゃと撫でくりまわした。


「へっ!? あわわわ」


 唐突に守る宣言と頭を撫でられた私は、蟹が茹で上がって赤くなるように、顔が熱くなる。

 恥ずかしさに俯いていた頭を上げると、対面に座っている二人が目に入った。


 その顔はニマニマと少しばかり馬鹿にするような笑みをこぼしている。悪意に満ちた顔と言った方が分かりやすいかも。いじられそう……。


 断言した彼はというと、自分の言動と行動を時間差で理解し、「あっ、いやっ今のは……その……」と手で口を覆い隠し、恥ずかしそうに誤魔化していた。


「約束……だからね? 何があっても……守ってよ」


 わわわ私ったら! 何を言ってるんだ!? こんな先輩もいる前で!


「お、おう……絶対守るから……うん」


「ごほっごほっ! 誰かブラックコーヒーを……糖分過多だ……」

「こほっ! 私もです……柊、自販機行きましょう……このままでは身体が持ちませんっ。ではこのまま私達は会社に戻るので!」

「それもそうだな! じゃあまたな!」


 わざとらしい演技をして、二人は足早に公園から去って行った。

 気を遣わしてまったのは言うまでもないが、一つ言わせてもらうとする。悪いけど演技へったくそだな!


「何なんだ急に……糖分の多いものなんか弁当に入って無くね?」


 おっと、祐介は気付いてないのか……。まあ私に気を遣ってくれたんだろうから仕方ないか。


「二人で居たいんだよ。多分……私も」

「私も? どういうこと?」


 聞こえてた!? ぼそっと言ったつもりなのに。


「別にそんな事言ってません。聞き間違えです。ばか祐介」

「はぁ? なんで俺が怒られてるのか全然わからん」

「ふふっ、いいの。怒られてれば」

「意味わかんねー」


 眉尻を下げて、がっくりと肩を落とした。


「……嬉しいの」


 頭を祐介の肩に預けて、もたれかかる。


「ちょっ、何だよ急に!」

「今が学生だったらよかった」

「何それ、本当に訳分からん」


 ——今、学生だったら。

 このままこの公園で授業を二人でサボって、二人で過ごして。何処かに遊びに行ったり。

 そんなことが出来てしまう。

 帰りたくないのだ、戻りたくないのだ。

 この時間が終わってほしくない。

 こうして触れているだけで、私は幸せ。

 少しタバコ臭いスーツが愛しい。

 低い声が心地よくて、安心する。

 


 嫌がりながらも受け入れてくれるそんな彼が——



「好き」

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