第2話:時には、甘えてもいいじゃない。

 朝からミンミンと声を高らかに、本能のままに鳴く蝉。

 昼になれば、太陽はじりじりと照り付け、肌を焼く。

 夜には、じめじめとした纏わりつくような暑さを感じさせる。

 そんな八月初旬。

 

 仕事が終わり、家に帰宅した俺はソファーで寝転がりながら携帯を見ていた。もちろん着替えている。風呂上がりの束の間の一時だ。

 テレビは付けず、風呂に入る前に付けたエアコンがごうごうと風を送る音だけが聞こえる。


 部屋はキンキンに冷やされて、最高に気持ちのいいチルタイム。

 携帯でネットサーフィンをしていると、目の端でちらちらと動くものが目に入った。


 言わずもがな、七葉である。


 横目で彼女に気付かれないように見ると、彼女は背もたれの後ろから、ぴょんと顔を出しては、引っ込めてを繰り返し、謎の行動をしていた。さらに言ってしまえば、濡れた頭のてっぺんが少し見えている。隠れ切れていない。本人は見えてないつもりなのだろうが、見えているのだ。


 テレビ画面は真っ黒で、電源が入っていない。そこに映っている自分がいる事も知らずに。そう、バレてないと思っている。彼女は俺に気付かれていないと思っているのだ。……何これめっちゃ可愛いんですけどぉ。


 だが、ついに来たかと。

 ついに暑さにやられてしまって、頭がおかしくなったと。

 そろそろやめなさいと思い、背もたれ側を凝視する。

 すると、ひょっこりと顔が出てきた。

 

 はい、こんばんは。


 目が合い、七葉は『ハッ! しまった! 見られた!』みたいな表情をし、顔を引っ込めた。


 はい、さようなら。


 って、違うわ!


「七葉、何してるの?」

「むー、バレてしまいました……」


 あからさまに落ち込んだ表情で、のっそりと顔を出した。


「ずっと前から気付いてたけど……」

「言ってくださいよっもう!」


 なんで俺が怒られているのだろう。

 よいしょと声を出して、ソファーを跨ぎ、俺の上に仁王立ちした。


 ショートパンツからすらりと伸びた白い脚を下から眺めると、もうなんとも、エロいこと。パンツ見えそうですけど。


 そんなよこしまな思考を遮るように、携帯を顔の前に持って来て視界を塞ぐ。


「ふあぁ~」


 気の抜けるような声を出して、上に乗っかってきた。

 俺の胸に顔を置き、女の子座りならぬ、女の子寝転がり。と表した方が分かりやすいだろう。


「どした?」

「たまには抱きつきたくなるものです」


 たまには……だと?

 よぉ~く思い出してほしい。

 君はたまにじゃない。毎日抱きついている。と、指摘しても怒られそうなので言わない。それにこちらも嬉しいし。女の子の身体ってなんでこんなに柔らかいんだろう。


「今日は何秒かな?」

「気の済むまでですかね」

「秒レベルじゃないってことね」


 夏になると、食欲も減退し、なかなか喉を通らない。俗にいう、夏バテってやつだ。ご飯も作る気になかなかなれないもので。


 ここ最近、気温は増すばかり。

 夜ご飯は、そうめんやうどんといった、簡単に食べれるもの且つ、冷えていても美味しいものを好んで食べている。


「ご飯どうしますかぁ~」

「今日は冷やし中華かなぁ」

「ありですぅー」


 だらけ切っている。あのテキパキした七葉がだらけておる。

 夏生まれの七葉は、夏が苦手らしい。

 勝手な思い込みで、自分が生まれた季節は好きだと思っていた。ちなみに俺は秋が大好き。


 ぽんぽんと背中を二回叩く。

 これはハグ終了の合図。

 そして決まってこのセリフ。


「もう少しだけー」

「終わりです」

「けちー」


 むくりと起き上がり、どいてくれると思ったが……。


「んっ……」


 唇を奪われた。


「ぷはぁっ。元気出ました」

「そりゃよかった。はい、ご飯の準備するよ」

「はーい」


 ソファーから降りた七葉は、ぺたぺたと裸足でキッチンへと歩いて行く。

 むくりと起き上がった俺は彼女の後ろ姿を愛おしく思いながらも、







******





 ご飯を食べ終わり、半乾きになった髪の毛を乾かそうと洗面所に行く。

 大分伸びてきた髪の毛は自然乾燥では、乾かないし、髪の毛も痛む。

 ドライヤーを手に取って、コンセントに挿そうとしたところで手を止めた。


 パチンッ。


 洗面所の電気を消して、リビングに戻った。


「七葉、髪の毛乾かしてあげる」

「え、急にどうしたの?」

「いいからいいから」


 ソファーに座っている彼女を下に移動させて、ドライヤーの電源を入れる。

 ぶぉぉんと音が鳴り、七葉の髪に当てていく。


「痒い所ないですかー」

「それはシャンプーの時に言うんです」


 ごもっともなツッコミです。


「わざとだよ。熱くない?」

「うん、大丈夫」


 にへへっと頬を緩まして笑った。

 ゆっくりと髪に手を通し、頭を撫でるように髪の毛を乾かしていく。


「気持ちぃ~」

「七葉の髪の毛さらさらで羨ましいなぁ」

「そりゃあ女の子ですもの」

「そうだね」


 一通り髪の毛は乾き、ドライヤーの電源をぱちりと落とす。


「はい、終わりです。お疲れさまでした」

「じゃあ次は柊」


 その言葉を待っていました。

 というか、そのために乾かしたまである。

 俺は羞恥に耐えられない可能性があるから、敢えてこうしたのだ。


「はーい」


 場所を交代して、俺が下に移動し、七葉がソファーに座る。


「痒い所ないですかー?」

「あ、そこ痒いです」

「それはシャンプーの時に言うセリフです」


 乗ってあげたのにまさかの拒否。

 それでも七葉は優しくその場所を掻いてくれた。

 髪の毛を人に乾かしてもらうなんて、美容院以外でしてもらったことない。しかも好きな人にやってもらえるなんて、嬉しくてたまらない。自然と笑みが零れてしまう。


「柊、なんでニヤニヤしてるんですか?」

「え!?」

「テレビに映ってますよ。見えてます」


 しまった。さっきの七葉と同じことを……。

 でも、ここは素直に言おう。


「あー、うん。なんか嬉しくて。たまにはこういうのもいいなって」

「そうですか。じゃあ毎日乾かしてあげるよ?」

「違う違う。たまにだからいいの」


 毎日でも確かに嬉しいと思う。しかし、慣れてしまったら嬉しさは半減、それのさらに半減と特別感がなくなっていってしまう。だから、こういうのは本当にたまに、俺が時だけでいい。


「そうですか……少し残念」

「なんで?」

「こうやって触って、気持ちよさそうにしてる柊を見ると、私も幸せな気分になるのになぁって。私達、付き合ってるんだぁって、実感する」


 そう言った彼女は、すごく幸せな笑顔で満ち溢れていた。


「俺さ、今が一番幸せだよ」

「私も、柊と付き合ってから、見える景色が変わりました。恋ってこんなにも人を変えるんだって」


 何気ない日常が俺達の今を作っているわけで。

 ただ髪の毛を乾かし合ってる、普通な一日でも切り取れば大切な思い出で。決していつもと同じ日常じゃない。一緒であって、一緒じゃない。


「はい、終わりです」

「ありがと。ドライヤー戻してくるよ」

「ううん、私が戻しておくよ」

「じゃあ一緒に行く」

「なんですかそれ」

「たまにはいいじゃん」

「さっきからそればっかり」


 ふふっと笑い、立ち上がって洗面所へと向かった。





******





 ちょっと今日の柊は変です。

 いつもとは違う何かを感じます。


 さてはやましい事でも……ううん。ないない。


 ぱちりと、洗面所の電気をつけ、ドライヤーを片付け、化粧水でも塗ろうと化粧鏡の裏の収納スペースに手を伸ばした。


「ひゃっ!?」


 後ろから、急に柊に抱きつかれ、変な声が出てしまった。


「……どうしたの?」

「いや、特に意味は……」


 言外に、抱きしめる強さは少しだけ強まる。


 可愛い……。


 今の今まで、彼がこうして抱きしめたりはしてくれなかった。なのに突然こうして抱きつかれると嬉しい反面、ドキドキする。


「正面からじゃなくて良かったですか?」

「えっと、うん。正面がいいかも」

「じゃあ正面に向きます。はい、どうぞ」


 私の彼氏って、めちゃめちゃ可愛いのでは!? 急に甘えん坊さんになっちゃって……。


「ごめん、七葉。今だけだから」


 今だけなの!? 嫌だ! もっと甘えていいのに!


「なにかありました?」

「さっき携帯で調べてたことがあって……もうすぐ七葉の実家に行くから、その、どういう格好したらいいのかとか、挨拶の仕方とか調べてたんだけど……不安になってきた」


 本当にこの人は。

 真面目が故に、心配になるんだろう。


「柊、大丈夫だよ」


 背中を優しく擦ってあげる。


「俺、上手くやれるかな? 嫌われないかな?」

「大丈夫です。心配しなくても柊ならやってのけちゃいますよ」

「うん。ありがとう。そう言ってくれるだけで、安心する」


 余計な言葉はいらない気がした。

 言葉を重ねれば重ねるほど不安になるし、負担になる。


「リビング行きましょ? もっといい事してあげます」

「えっちなこと?」

「違いますよっ! ばか!」


 パンっと背中を叩いてやる。軽口を叩けるのならしてあげませんよ! もう!



 リビングに移動し、ソファーに再び座る。

 ぽんぽんと太ももを叩いて、おいでと呼びかけた。


「膝枕してくれるの?」

「はい。おいで?」


 柊は寝転がり、頭を太ももに置いた。


「どうですか? 少しは落ち着きますか?」

「うん。世界一の枕だと思う」

「そうですか」


 頭を撫でる。優しく、そっと。気持ちよくなるように。


「たまには甘えたくなる。七葉みたいに、素直になれない」


 ぼそっと、柊は呟いた。

 遠慮だろうか。その言葉にちょっとだけ、嫌な気持ちになる。だって、付き合ってるんだから気にしなくていいのに、それでも彼は遠慮をしているから。


「柊が言ったんだよ」

「うん?」


「俺達は言いたいこと、考えてることを言葉に出来るって。なのに、柊は気持ちを抑えてるんですか? 我慢してるんですか? 言ってる事とやってる事が違いませんか? 私は確かに甘えています。それは時々、こんなんじゃだめだなって思います。でも、同じように柊だって甘えてくれていいんです。私を受け止めてくれるように、私も柊を受け止めますよ。どんな柊だって私は受け止める覚悟でいるんです。……だから、遠慮なんてしないでください」


 勢いに任せて、想いをぶちまけてしまった。

 私は間違ってない。今回ばかりは柊が悪い。


「あはは……怒られちゃった。でも七葉の言う通りだ。言葉だけで格好つけて、その実、出来てないのは俺だね」


「そうです! 今回は柊が悪い!」

「ちゃんと言う」


「はい! ドンと来いです!」


 胸を叩き、包容力を見せつける。


「キス、もう一回して」



「——そんなのお安い御用です!」





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る