第2章 8

 しのぶちゃんはヘル子さんを引き連れ、家がある聖護院天王寺町の辺りを歩いていた。

 あの騒動で学校は午前中で終わりになってしまった。生徒が次々とメイド服姿で奇怪な行動をし始め、最後には気を失ってしまう。この事態を重く見たらしい教師陣が、そういう決定をした。

 今ごろ会議は紛糾しているだろう。

 結局、後日「集団ヒステリーで、自分がメイドだと思い込んだ人や人がメイドに変身するという幻覚を見てしまった人たちが多発した」という、なんだかこじつけめいた結論に収まってしまった。真実である「メイドの銃弾でたくさんの生徒がメイド化」というのも無茶苦茶さでいえばどっこいどっこいなのだが。

 とにかく、しのぶちゃんもヘル子さんも教師陣に目をつけられることなく、帰路につくことができた。

 ふと当たり前の疑問が浮かぶ。

「ほのか様の入学手続きとか、どうしたんですか?」

 魔界からきたのがつい先日ということは、入試も受けていないことになる。

 ヘル子さんは胸を張った。

「そこはヘル子の能力ですよ。ヘル子によってメイド化されたらゾンビになりますが、調整次第でどんな行動をさせることもできるです。まさにオーダーメイドですね。校長をメイドにして、ほのか様の入学を認めさせたです」

 裏口入学じゃないの。

 しのぶちゃんは深く考えないことにした。

 ようやく家につく。

「ここだよ」

 しのぶちゃんちを見て、ヘル子さんは目を輝かせた。

「な、なんて狭い家! さすがお姉様、小市民の代表なだけあるです!」

「……褒めてるの?」

 集合住宅でなく一戸建てというのは京都ではけっこうすごいと思うのだが。たしかに城に住ん.でいたヘル子さんにとっては小屋みたいなものだろう。

「たしかに、こっちにはあまり大きな家はないですね。ほのか様の住居はやはり相応のものでなければならないと思って探していたのですが、どこもダメだというのですよ」

「いったいどこに住もうとしたのよ」

「最初に行ったのは、たしか『にじょーじょー』ってとこだったです。門構えがそれっぽかったですから。でも入るのにお金取るとか言ってきたです。物件見るのにお金取るだなんて、こっちの不動産業界はアコギですねぇ」

「……そもそも物件じゃないからね」

「しょうがないから大きいのは我慢しようってことで、もっと北のほうにあった金ピカの家にしようとしたです。だけどこっちも門前払い。火をつけてやろうかと思ったです」

「……いろんな意味でシャレになってないよ」

 鍵を開けて家に入った。

 どうやらお母さんは外出しているらしい。家の中は静まり返っていた。

 台所のコンセントに充電器をはめて、携帯を充電した。これで一安心。

「ちっさな家」

 後ろでヘル子さんがつぶやく。

 さすがのしのぶちゃんもちょっとむっとする。言い返そうと振り返るが――

「ほのか様も、こんな家に住みたかったんですかね……」

 さみしそうにつぶやくヘル子さんに、何も言えなくなった。

 ほのか様は、魔王になりたくない、と言った。

 しのぶちゃんも、振り返ってみると思い当たるふしがある。

 百葉箱に魔王だといわれたとき、さみしそうな顔をしていたこと。

 しのぶちゃんに魔王であるのが平気だといわれて、驚いていたこと。

 そして、誰にも命じないということ。

 あのときほのか様は「逆」だと言った。魔王だから簡単に命じることはしない、というわけじゃない。命じてしまったら本当に魔王になってしまうからだ。

 ほのか様は魔王なんかじゃない、普通の女の子として、普通の生活をしたかった。

 なのに、なぜ魔王になってしまったのか。

「話、聞いてもいいかな?」

 しのぶちゃんはヘル子さんに椅子を薦める。

「ほのか様は、なんで魔王になってしまったの?」

「それは、そういう風に決まっているのだからです」

「決まっているって?」

「運命制です。ヘル子たち魔物には、ほのか様が魔王であるという運命が見えますですす。黒いものが黒だとわかるように、ほのか様が魔王だとわかるのです」

 しのぶちゃんは、ひどく曖昧なものだと思った。けどもし全員が同じ感覚を持っていて、ほのか様が魔王だと感じているのなら、それでも十分なのかもしれない。

「実際、ほのか様の運命の強さゆえに、ほのか様の一族は滅亡してしまったのです」

「え? 一族って……両親とか?」

「はいです」

 ヘル子さんは遠くを見つめながら言った。

「世界龍家は全世界の魔導・魔術の総元締めだったのです。けれどほのか様誕生と同時に、世界龍という名がついた者は次々と不審な死に遭っていったのです。

 ほのか様の運命に関しては、一族も把握しておりました。万全を喫するために何重にも守られた結界の中で執り行われたです。が、それでも魔王の力を封じ込めることはできなかったのです。超新星爆発のように強い魔力が親縁というルートで流れ出し、ほのか様に類する者が次々と死んでいきました。

 まず結界魔術の暴走という形でご両親と祖父母、出産に立ち会った面々が吹き飛びました。遠く離れた場所にいた親類も、その魔の手からは逃れえませんでした。事故死、病死、他殺、老衰――太陽が月に食われ、新たな太陽が出現するまでに、ほのか様は天涯孤独の身となってしまわれたのです」

 なんと言っていいかわからなかった。

 とても信じられない。が、事実今のほのか様の状況を考えれば、納得せざるをえないだろう。

 それに、ほのか様がこちらにきたときに、大雪が降り地震が起こった、という事実もあった。

「ヘル子はほのか様の育児担当として事前に冥府から召喚されていたのですが、一族全員おっ死んでしまったので、そのまま生まれたばかりのほのか様を連れて魔界へと行きました」

 結果としてそれは正しかったのだろう。魔界でなら支援者もたくさんいるだろうし、事実、ほのか様は今では元気すぎるほどのお嬢様に成長した。こっちなら、神霊たちに目をつけられて、今ごろどこかに封印されていたかもしれない。

 だけどこれからも魔王であることが正しいとは限らない。

「ほのか様が魔王をやめることは、できない?」

「そんなこと、ありえません!」

 ヘル子さんは叫んだ。

「ほのか様は立派な魔王になって、幸せになっていただくので――」

 ヘル子さんの瞳から、一時は止まっていた涙がまたあふれてきた。ほのか様のことを思い出したのだろう。

「なんで魔王になりたくないだなんておっしゃってしまったのですかぁ!」

 しのぶちゃんはヘル子さんの頭をなでる。髪は作り物と言ってもきめ細かくて柔らかい。

 諭すようにゆっくりと言う。

「ヘル子さん、魔王だからほのか様に付き従っているの?」

「そ、そんなわけがないです! ほのか様がほのか様だからヘル子はほのか様のメイドであるのです。ほのか様がいちばん幸福なのは魔王になることだったはずなのに――」

「それは、ほのか様が決めることだよ」

 ほのか様は魔界ではなく、こちらでの普通の生活を望んでいる。

 魔王でいたら、それが叶えられない。

「ほのか様は普通の生活を望んでいる。ヘル子さん、それを協力してあげられない?」

「で、でもヘル子は、もうほのか様に――」

「協力してあげられるなら、ほのか様も許してくれると思うよ」

 ヘル子さんが目を丸くしてしのぶちゃんを見た。

「ほ、本当ですか?」

「うん。ほのか様が喜んで、ヘル子さんも仲直りできる」

 ついでに自分も厄介な使命から解放される。と、しのぶちゃんは心の中で付け加えた。

「わかりました。がんばるです!」

 しのぶちゃんは胸をなでおろした。

 風向きがいい方向に変わってきた。

 あとはほのか様とヘル子さんをうまく取り合わせて仲直りさせること。ほのか様が魔王をやめることと、ヘル子さんが指数を上げるようなことを控えてくれることを材料に、ハネを説得すること。

 それができれば、一件落着だ。

「ただいま」

 マコトの声が玄関からした。

 しのぶちゃんはヘル子さんをどうしようか、と迷うが、それより早くヘル子さんが立ち上がった。

 表情を輝かせていた。

「あ、ちょっと――」

 止める間もなく、ヘル子さんは玄関のほうに駆け出した。

 しのぶちゃんも追いかける。

 玄関では、戸惑うマコトの横で、ヘル子さんがなぜかそこにいたほのか様の胸に飛び込んでいた。

「ほのか様、ヘル子は改めて、ほのか様のために尽くさせていただきます!」

 全員があっけに取られる中、ほのか様はゆっくりとヘル子さんの頭をなでた。

「そうね。よろしく頼みますわ」

 なんだかわからないが、ほのか様のほうもどうやらすでにケリがついていたらしい。

 しのぶちゃんは安心するとともに、ひとつの違和感を覚えた。

 ――あれ?

 いつもほのか様の後ろについていたチルがいない。

 無言でついているのでときどき忘れそうになるが、このときは、なぜかその不在に嫌な予感を覚えた。


 その夜。

 二度目の地震が起きた。

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