第2章 6

 タクシーから抜け出し、しのぶちゃんはすぐさま走り出した。

『よく気づいたな』

 ハネの声に答える間もなく、後ろを振り返り携帯を向ける。すぐ後ろに別のメイドゾンビが迫っていたのだ。

 カシャ。

 緊迫感とはかけ離れたシャッター音とともに、メイドゾンビのメイド服が消えた。メイドゾンビは普通の学生に戻り、意識を失ったまま地面に倒れた。

 しのぶちゃんは、自分の心拍が高まるのを感じた。

 まさに起死回生。次々とメイドゾンビを普通の人間に戻していく。

 猫に九生あり――つまり猫は長寿の象徴でもあった。しかも黒猫。黒い猫が不吉だというのはキリスト教の思想で、わが国日本では縁起がいいものとして考えられているのだ。ビバ島国。

 一瞬だけ、しのぶちゃんの上に影が差した。

 とっさに空に携帯を向ける。

 シャッターを切る。

 上空から落下してくるヘル子さんだった。シャッターで、飛来する弾丸とその右手のガトリング砲が塵になって消える。砲の影になるように落ちていたので、ヘル子さんそのものは無事だった。

「この――」

 ヘル子さんは着地と同時にスカートを翻し、手を中に入れた。

「動かないでください!」

 その眼前に、しのぶちゃんは携帯を構えた。

 ヘル子さんは静止する。スカートの中から、西部劇でしか見たことがない大型拳銃が、手に捉えられることなく地面に転がり落ちた。

「……思ったより、やるじゃないですか」

 ヘル子さんがしのぶちゃんをにらみ付けながら言った。

 その状態のまま、しのぶちゃんはマイクに向かって尋ねる。

「ハネさん、一回封印した魔物って、もとに戻せますか?」

『無理だな。封じた魔物は自動的に我々のもとに送信され、処理する』

「そうですか……」

 しのぶちゃんは、大きく息を吐いた。ヘル子さんをこの場だけ封印しておく、という考えは、消えた。逃げ道はない。覚悟を決める。勝負する覚悟を。

「ヘル子さん」

 携帯を構えた。

「話があります」

 ヘル子さんが唇を噛むのが見えた。

「……話すがいいです」

 ようやく、まともに話に応じてもらえた。

 しのぶちゃんは皮肉に思う。銃口を突きつけないと、話もちゃんと聞いてもらえないのだ。

 しかし考えてみれば、自分もほのか様が魔王であることに対して真剣に考え始めたのは、自分への危機感がきっかけだった。

「こんなことはやめてください。こんなことを続けても、ほのか様がどんどん立場を悪くするばかりじゃないですか」

「それでも――やらなきゃいけないんです。ほのか様は、立派な魔王にならなきゃいけないんです」

「どうして、ですか」

 ヘル子さんは答えない。

 かわりに、その目に力が宿った。

「そうです。そうだったのです。たとえヘル子の身が滅んだとしても、ほのか様のためならば、ヘル子は本望なのです!」

「う、動かな――」

 その瞬間、しのぶちゃんは固まる。

 アラームが鳴った。画面には、赤く染まった電池の記号が大きく表示される。

 電池切れ。

「うそ――」

 思わず出たその一言で、ヘル子さんが動いた。

 身をかがめ、地面に落ちていた拳銃を拾う。同時にしのぶちゃんの足を蹴りつけて払った。

 すっ転ぶしのぶちゃん。起き上がろうとしたその眉間に、ヘル子さんが銃口を突きつけた。

 二秒前と構図が逆転する。

 ヘル子さんの顔が凶悪に歪む。まさに冥府の長たるものの凶悪さ。

「メイドとして教育しなおしてやるです」

 撃鉄が引かれ、引き金にかかった指に力が込められる。

 その瞬間――。

「ヘル子さん!」

 しのぶちゃんの後ろを見やる。

 騒ぎに集まった生徒が何人か集まっていたが、その中から近寄ってくる女子生徒がいた。

 ほのか様だ。

「これは、ほのか様……」

 ヘル子さんは笑みを浮かべた。

「見ててください。今、ほのか様を陥れんと企てていた首謀者を成敗して――」

 パン。

 ほのか様がヘル子さんの頬を打っていた。ヘル子さんの頭からメイドカチューシャが外れて飛んだ。

「な――」

 ヘル子さんは目を丸くして、ほのか様を見やった。

 ほのか様は全身を震わせて言った。

「なぜこんなことを!」

「だって、こいつがほのか様のことを――」

「わたくしは、魔王なんかになりたくないのです!」

 ヘル子さんの手から拳銃がこぼれ落ちた。

「な、なにをおっしゃっているんですか? だってヘル子は、ほのか様のために」

「知りません! もうわたくしの前に姿を見せないで!」

 そう言って、ほのか様はきびすを返す。

 野次馬を押しのけ、学校にも戻らず、立ち去ってしまった。

「う……あ、あ……」

 ヘル子さんはその場に崩れ落ちる。

「な、なんでですか? ヘル子、何かいけないことしたでしょうか? な、なんで――」

 ぽろぽろと目から涙がこぼれ落ちていった。

「なんで捨てられちゃったですかぁぁぁ!」

 しのぶちゃんは頬をかく。

 さっきまで敵だったのだけど、子供みたいに泣きじゃくるヘル子さんを見ていると放っておけない感じがしてしまった。

「えっと、大丈夫だよ。ほのか様も、今は怒ってるだけで、しばらくしたら――」

「嘘です! ほのか様は本気です! だって今まで怒ったことなんかなかったのに!」

「え? そうなの?」

 意外な感じがした。あのわがままっぷりを見ていると、終始ぷりぷりしていそうだ。だけど、彼女は王だ。すべてのわがままが叶えられるといってもいいんだろう。命じれば叶えられる立場なのだ。

 だけど、彼女は命じたことがない、という。

 彼女は言った。魔王になんかなりたくない。魔王であっても――魔王であればこそ、叶えられない願いだった。

 しのぶちゃんが考えている間にも、ヘル子さんは涙と泣き言を垂れ流しまくっていた。

「嫌われたですぅ! ヘル子は、これから野良メイドとして生きていくしかないのですぅ! 道端をお掃除したり、お地蔵さんの前掛け洗ったり、ハトにエサをあげたりして生きていくしかないですぅ!」

 それはそれで平和な気もするけど、このままほったらかしにするのは気が引けた。

 だからしのぶちゃんは、口走ってしまった。

「よかったら、ウチくる?」

「ふぇ?」

 泣きやんだ。

 真っ赤な目で、しのぶちゃんを見上げてくる。

 しのぶちゃんはハンカチを差し出しながら言った。

「ほのか様もすぐに機嫌直してくれると思うけど。それまで行くところがないなら」

「ゆ、百合原しのぶぅ……」

 ヘル子さんはハンカチを受け取る。

「あんた、実はいいやつだったんですねぇ!」

 また泣いた。ハンカチがすぐにびしょびしょになる。

「これからは、お姉様と呼ばせていただくですぉ」

「そ、それはちょっとやだな……」

 苦笑しながら、人垣の向こうを見た。

 ほのか様は、一体どこへ行ってしまったのだろう。

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