第2章 7
放課後。マコトは友だちと一緒に川端四条の交差点を歩いていた。新学年最初の実力テストがあったので、早く終わったのだ。
新しいクラスの仲間も合わせて河原町通りのゲーセンで遊ぼう、ということだったが、マコトは四条大橋の上で見知った人を見つけた。
「あ、ねーちゃんの」
ほのか様だった。
両手で頬杖をついて、欄干から鴨川上流を見ている。強い風がほのか様の髪をなでる。寒くないんだろうか。
と、男二人がほのか様に話しかけていた。長い髪を染めてダボダボの服を着ている。なんと声をかけているのかはわからない。男たちは軽い調子で笑いながらほのか様に親しげに肩を叩いたりしていた。
友人だろうか。
だが、ほのか様は取り合わないようだった。男たちがイラついたのがわかる。ほのか様の腕を引く手に力が入った。
「悪い。俺、抜けるわ」
そう仲間たちに一方的に別れを告げて、ほのか様のほうに向かった。
「ごめん、待った? ん? あんたら何?」
ほのか様に話しかけつつ、男二人にも目線で牽制する。向こうは明らかに年上だろうが、背丈だけならマコトのほうが幾分大きい。男たちは舌打ちをして去っていった。やっぱりナンパの類だったらしい。
「大丈夫っすか?」
ほのか様はぼんやりとマコトの顔を見て、首をかしげる。
「どちら様だったかしら?」
「百合原マコト……しのぶの弟っすよ」
「あら、そういえば昨日お会いしましたわね。たしかに、言われてみればしのぶちゃんと似てますわ」
「そうすか? 姉弟なのに似てないなってよく言われるんすけど」
「髪の色とか、目がふたつあるところとか」
マコトは冗談だと思って笑ったが、そもそも人の形をしている生き物のほうが少ない魔界に育ったほのか様は、本気で言ったつもりだった。
「しのぶちゃんに似てるということは、弟様も、きっといい人なのよね」
「いや、よくわかんないっすけど」
「ひとつ、お願いがありますわ」
神妙な顔つきでほのか様がマコトの目を見る。
次の瞬間――
ぐきゅぅー、とマコトがこれまで聞いたことない音で、ほのか様の腹の虫が鳴いた。
「ご飯をくださいませんか?」
「え?」
「ご飯ですの。さっきの男性がたはごちそうしてくださるとおっしゃっていたのですが……」
ぎゅるぎゅるぎゅる、とまたしても聞いたことのない音で腹の鳴き声がした。
なんだか非難されてるような感じもする。
「……わかりましたよ」
マコトはため息混じりにそう言った。
ため息の調子は、本当に姉と似ていた。
「ラーメンこってりの大にギョウザ二皿、から揚げ、チャーハン、キムチ。あとご飯を大盛りでいただけるでしょうか」
「ラーメン、ニンニクは入れやしょうか?」
「たんまりと」
東大路通に戻って、知恩院通り前の天下絶品ラーメンに入った矢先だった。
ほのか様が沈痛な面持ちで、一気に注文した。
いろいろ不安になってマコトは思わずたずねてしまう。
「……あの、けっこう量ありますよ?」
悲しそうに、ほのか様は言った。
「それは喜ばしいことです」
マコトはため息とともに、ほのか様の注文を思い出しながら財布の中身を計算した。足りるだろうか。
「お兄さんは、いいんですか?」
店員が、まだ注文していないマコトに尋ねた。
「あ……大丈夫です」
「ところでラーメンの替え玉はできますの?」
「すいません、替え玉はないんですよ」
「なら、あとチャーシューメ――」
「以上でお願いします」
ほのか様をさえぎって、マコトは強引に注文を切り上げさせる。
「ご馳走してくださるとおっしゃったのに」
ほのか様は不満そうに、割り箸の先を唇でくわえる。
「せめて第一陣を片付けてから追加はお願いします」
あとで姉に請求しようと決め、マコトは水を飲み干す。
「……もしかして」
ほのか様は、今気づいたように言った。
「わたくし、弟様の迷惑になるようなことをしてしまったでしょうか?」
「えぇ?」
マコトは返答に窮した。
迷惑といえば、今のマコトはストレスを感じているので迷惑とも言えるが、ごちそうすると言ったのは自分だし、しょうがないとも言える。
「まあ、別に気にしちゃいないよ」
ただ、敬語だけはやめさせてもらった。
「そうですか」
ほのか様は、どこかほっとしたようだった。
「……ねーちゃんとなんかあったの?」
「しのぶちゃんではありません。ヘル子さんです。今まで、ヘル子さんのすることはわたくしのためにしてくれていることだから、いいことだと思っていたのです。しのぶちゃんにそれが迷惑になると言われても、何のことやらわかりませんでした。
けど、しのぶちゃんがヘル子さんに襲われているところを見てしまって、それがわかったような気がいたしました。しのぶちゃんがいなくなったらわたくしは悲しい。たとえ、ヘル子さんがわたくしのために動いているとしても」
何のこっちゃまったくわからなかった。
ヘル子さんが誰かがわからない。なにをしていたのかもわからない。姉がなにをアドバイスしたかもわからないし、襲われたとかも意味不明。
ただ、ひとつだけ言えることがあった。
「じゃあ魔王をやめればいいじゃん」
「え?」
「だって魔王であることが問題なんだろ。ならやめれば全部解決するんじゃない?」
「そ、それはそうですが、しかし、はたして許されるのか、わたくしが魔王なのに魔王をやめてしまったら――」
「はいお待ち。こちらラーメン大と……あと、色々です」
「あ、はい。ありがとうございます。あら、おいしそう。いただきますわ」
ずぞぞぞぞ。
ほのか様はこってりラーメンを思いっきりすする。箸立つほどの濃厚スープが机に飛び散り、マコトの顔にまで飛んできた。
真面目な話、台無し。
「そんな魔王ってのは重大なものなのかねぇ」
相当重大なことなんだろうな、と思いながらも、マコトは言った。きっと彼女にとって、それをやめることなんて想像もできないほど中心にあることだったのだ。
「わたくし、魔王をやめてもよろしいのでしょうか?」
「え? わかんないけど……」
ふと、マコトはこの間覚えた言葉を思い出した。
「人間が想像できることは、すべて実現することができる」
「そうなのですか?」
マコトは曖昧にごまかした。そもそも魔王がなにものかを知らないのでは考えることもできない。
「――具体的には何をやってるの、魔王って?」
「さあ。普通の方がどのような日々を過ごしてらっしゃるかは存じ上げないので比べられないのですが――朝起きて、朝ご飯を食べて、昼ご飯を食べて、夜ご飯を食べて、寝ています」
それじゃニートだ。
「王っていうくらいだから、政治のこととかしたりしないの?」
咀嚼の合間にほのか様が答える。
「その辺の小難しいことは他の方たちが取り仕切っておりますわ。わたくしは城の中でお勉強したりするのが今は大切だ、とヘル子さんがおっしゃっていました。たしかな教養は淑女のたしなみを学んでおります。しかし、魔王として具体的に何かをするというのはないようです」
皇室やイギリス王室みたいなものだろうか。王といっても象徴としているだけで、政治には絡まないという意味で。
「ねーちゃんもたいそうな人と友達になったもんだなぁ」
ほのか様の動きが、止まった。
すすり切る直前で宙ぶらりんになったメンが口の下でぷらぷら揺れて、スープを撒き散らす。
「ほほぶぁち?」
そのまましゃべるもんだから机はおろか備え付けの調味料やメニューまで汁まみれである。どう考えても淑女としての教育は間違っていたとしか思えない。ただ、どういう技なのか、ほのか様自身には汚れはひとつも付着していないが。
ずぞぞ。すべてメンを口に収めて、改めて言った。
「トモダチ、なんですか? わたくしとしのぶちゃんが」
「違うのか?」
ほのか様は箸を止めて、じっとラーメンのどんぶりを見つめていた。
「わたくし、トモダチというのがよくわからないのです。なにやらやら、とてもすばらしくて、とても心安らぎ、そしてとても楽しいものだと聞いておりました。わたくしぐらいの年の子は学校に通い、それを手に入れるんだと。だからわたくし、こちらにきましたの」
ラーメンに箸を突き刺して、ぐるぐる混ぜる。が、目はそれを追っていない。無意識にやっているようだった。
「そういえば、しのぶちゃんといると楽しゅうございましたわ」
「じゃあ、友達なんだろ」
「そうなのですか」
ほのか様はお腹をさする。
「なんだか、不思議な感じです。この辺りが妙に暖かい。お腹はすいているのに、満たされたような」
ほのか様は箸を置いた。
「わたくし、魔王やめます」
いきなりの宣言に、マコトは少なからず驚いた。
「やめるって……そんな簡単にできるものなの?」
「わかりませんわ。けど、魔王でいたらしのぶちゃんを困らせることになるようですから。やめるといったらヘル子さんや他の魔物たちも困るかもしれませんが――」
んー、と考える。
「まあ、がんばりますわ」
「がんばってどうにかなるものなのか……」
マコトはため息。
姉は今ごろ、なにをしているのだろう。
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