第4章 8
展望室の下の階だった。さらに上に階層がある。最後の気力を振り絞って階段を上ろうとするが、チルがスカートを噛んだ。
「待って。様子がおかしいよ」
「えっ?」
「たしかに、静かすぎる」
ハネがつぶやいた。
「報告では、急進派の巫女たちと交戦状態にあったはずだ。だが、この静けさ――」
「決着してる?」
しのぶちゃんは、最上部に続く階段をゆっくりと上がった。
ふたつのエレベーターがあった。黒服が倒れていて、ドアが閉まらなくなっていた。
「し、死んでる?」
「息はしている。気絶しているだけだ」
ハネが黒服の顔を覗き込んでいった。
チルも鼻をならした。
「死臭はしてない。血は……流れてるけど」
しのぶちゃんは扉を潜り抜け、展望室に出る。
ひどいありさまだった。
壁という壁に刃傷ができて、割れた窓もいくつかある。血もいくらか飛び散っていた。
「もうたくさんです!」
声が聞こえた。ほのか様の声だった。
しのぶちゃんはその方向――北東のほうへと回り込む。
そこには、黒服と巫女たちが向かい合っていた。
そして、その中心にほのか様。割れた窓の外に出て、強い風に髪がなでられている。
「ほのか様!」
しのぶちゃんが叫ぶ。全員が、こちらを見た。
新たな人物の登場に、魔物たちも巫女たちにも緊張が走る。それぞれが武器を構えなおすが――。
「動かないでください!」
しのぶちゃんが携帯を掲げる。
「この携帯にはあなた方に宿ったものを封じ込める力があります。動いたら、封じます」
魔物たちに動揺が走る。彼らもこの存在を知っているらしい。
巫女のひとりが反応した。
「十握剣か! そうか、あなたが魔王討伐の――」
「動かないで、と言ったはずです!」
厳しい口調で、しのぶちゃんは巫女の言葉を遮る。
「たしかにこれは十握剣です。でも、魔封じの力を持つと同時に、神殺しの力もあるんです。あなたたちに宿ったものをも封じ込めることができるんです」
「な――」
最初の十握剣の持ち主だった伊邪那岐命【いざなぎのみこと】は、我が子である迦具土神【かぐつちのかみ】をその剣で斬り殺している。
属性をあわせれば、神をも封じることができる。
「わかったら、みんなそのまま後ろへ下がってください」
「ま、待って。だったら、それは今、魔か神か、どちらかしか封じることができないはずでしょ?」
巫女のひとりが言った。
その通りだった。
しのぶちゃんは、ゆっくりといった。
「逆に言えば、どちらかは封じることができるんです」
助かるかもしれないし、助からないかもしれない。
この曖昧な状態が、彼らの中に迷いを生み出した。もしトツカが確実に彼らの存在を脅かす――銃弾のように絶対的な武器であるなら、いっそ彼らは一か八かの反撃を試みたかもしれない。
それしか助かる道がないからだ。
だが、あえて曖昧にすることで迷いを生じさせ、一か八かの反撃を封じ込めたのだ。
しのぶちゃんはほのか様のいる窓のところまでたどり着いた。
「ほのか様」
窓の外のほのか様に向けて手を伸ばす。
「こっちにきて。もう大丈夫」
しかし、ほのか様は首を振った。
「……もう、嫌なのです。わたくしのせいで、みんなが傷つけあう。こんなの、見ていられません」
しのぶちゃんはもう一度、展望室の中を見た。
魔物たちも巫女たちも、無傷のものはいなかった。全員傷つき、中には立っていることさえままならない者もいる。
全員、ほのか様を巡って傷ついたものたちだ。
「しのぶちゃんだって、傷つけてしまいました」
血を吐くように口にした言葉。
「他にも、そうです。雪が降ったのも、地震が起きたのも、学校が大騒ぎになったのも……すべて、もとを正せばわたくしのせいなんです」
「桜はね、暖かいだけじゃ咲かないらしいよ」
唐突なしのぶちゃんの話に、ほのか様は言葉を失った。
しのぶちゃんは笑いかけながら、話を続ける。
「一度、寒い期間をおかないと、つぼみが開かないらしい。今年はすごい暖冬で、その寒さが足りなかったのが、咲かない原因だったんだって」
「……なんのことですか?」
「でもね。ほら」
その瞬間。
闇が訪れる。
すべての明かりが消えた。タワーの室内灯はもちろん、京都中の夜景の一切合財が消えうせてしまった。
「見て」
しのぶちゃんの言葉と同時に――京都の区の中のとある箇所に光が戻った。
「……あ」
ほのか様は気づいたらしい。そこがどこか。
円山公園。白川疏水周辺。木屋町通り。近いところでは渉成園がよくわかる。
すべて桜の木がある場所だった。
光で浮かび上がる、白桃色の色。
満開だった。
京都中の桜が、いっせいに花をつけていた。
「……なんで……」
「雪が降って――そして暖かくなったから。寒くなってから、また暖かくなった。だから、咲いた。
ほのか様のせいで雪が降ったとしたのなら、桜を咲かしたのもほのか様なんだよ」
光が、戻った。
夜景も戻り、代わりに桜が消える。
すべて数秒前のまま。
ただ、ほのか様の手をしのぶちゃんがしっかり捕まえていた。
「悪いことを起こしてしまうのが魔王だというのなら――ほのか様は、魔王なんかじゃない。
周りが勝手に、ほのか様を魔王にしてるだけ。魔王だと思っているだけ。それで勝手に争って、大騒ぎして、傷ついているだけ。
でも、私は知ってる。あなたはただの、ちょっと元気がありあまってて、自分に正直なだけの女の子。
魔王なんかじゃない。ただの、私の友達」
「し……のぶ、ちゃん……」
ほのか様はしのぶちゃんの胸に顔を押し付ける。
「わたくしは、許されるのでしょうか」
「当たり前だよ。あなたは何もしていない。思いやりさえ忘れなければ、なにをしてもいい。自分のせいで他人を傷つけたんじゃないかと思ったあなたなら、もう大丈夫。こっちにいたければ、いくらでもいてもいいよ。学校に通ってもいいし、お腹いっぱい食べてもいい」
「……ありがとう」
「ま、待ちなさい!」
声は、今は完璧に外野になった巫女たちのほうからだ。
「勝手に話を進めてるけど、そんなの、神々が許すはずが――」
「そっちには話をつけてあります。ねえ、ハネさん?」
しのぶちゃんが水を向ける。が、返事がない。
ハネは倒れていた。力を使い果たしたのか。身動きしていなかった。
「…………くぅん」
見かねたチルが鼻先で、ハネの体をひっくり返す。
「……はっ。む。うむ、そうだな」
ごほん、と咳払い。
「今、我々の協議にようやく決着がついた。急進派が折れた。彼女に関しては我々は許容することにした」
「ば、バカな!」
「君たちの上役たちも同意している。むしろ喜んでいるだろうよ。失敗した急襲作戦の責任がそれだけで免れるのだから」
「……ぐっ」
それで、巫女たちは押し黙った。
続いて、魔物たちが騒ぐ。
「魔王でないなどと――人間ふぜいが何がわかる。我々はそのお方が魔王だとわかっている。いまさらなにを言おうと、運命は曲げられぬ」
「運命? あなたたちがそろいもそろって勝手に感じてるだけじゃない。多数決が正しいとでも思ってるの? なら、こっちだってそうさせてもらうよ」
しのぶちゃんの言葉に呼応して、チルが魔物たちの前に立ちはだかった。
魔物たちが戦慄する。
「狼、まさか、裏切ったのか――」
「別に僕はお前たちの仲間だった気はない。ほのか様を守るのが僕の役目。それだけ」
チルは、淡々と言う。
「ほのか様を傷つけるのなら許さない」
反抗できるものはいなかった。純粋に力においては、誰もこの狼に敵うものなどいない。欲望と力に忠実な彼ら魔物を抑えるには、もっとも単純なやり方だ。
とにかく、これですべての決着がついた。
「わたくし、こっちにいてもいいのですか?」
しのぶちゃんの腕の中でほのか様が尋ねた。
「もちろん。これからも、よろしく。ほのかさ――ううん」
しのぶちゃんは笑いかけた。
「ほのかちゃん」
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