第2章 1
翌日。
新たな解決法という突破口を見つけて元気が出たしのぶちゃんだったが、朝起きてみたら、やっぱり気が重かった。
そもそも、具体的な案がない。
ほのか様を封じるか否か、以外にどんな選択肢を作ればいいか。それさえもわからないのだ。
あと、学校でほのか様とどんな顔をして会えばいいかわからない。懐にはほのか様を害することができる――というか、ほのか様を害するための道具を持っている。そこで笑顔で話せるほど自分を器用だとは思っていない。
「どうしよ」
結局ろくにご飯も食べないで出てきてしまった。「じゃあお弁当多めに入れておいたから」と、お母さんによくわからない配慮までされて。
あれこれ思い悩みながら、昨日と同じ神宮道を歩いていた。
今朝も寒い。雪はほとんど残っていた。こんなに寒くて、大丈夫だろうか。異常気象とはいうけど、さすがにおかしい。まだ桜も咲いていないし。
ふと、この異常気象もほのか様のせいではないか、と思ってしまった。ほのか様と出会ったのは、大雪が降った朝だ。
また、その日は地震もあったらしいことを思い出した。ちょうどほのか様がこちらにやってきた時間に起きたはずだ。崩落した寺院は、鞍馬寺。魔王尊が奉られているお寺だ。
これがまったくの偶然なのだろうか。
――って、会うのにどんどん気がめいっていくよ。
大鳥居の横にきたとき、妙なものに気づいた。
国立近代美術館の隅にカマクラがあった。
しのぶちゃんの胸くらいまであり、けっこう大きかった。その中に人影が見える。
ビニールシートを敷き、白い犬と一緒に新聞紙をかぶって寝ている。しのぶちゃんと同じ制服を着ていて、長い髪が特徴的だった。
「……ほのか様」
「ふあ?」
ほのか様は呼ばれて目覚めたようで、起き上がった。頭がカマクラの壁にぶつかり、崩落する。
「――ごきげんよろしゅうございまして? しのぶちゃん」
雪に首だけ出す格好になって、ほのか様が眠そうに言った。あなたのご機嫌のほうは大丈夫か。
もぞりと、崩落したカマクラの中から出てくる。雪を払い、大きく伸びをする。チルも一緒に体を振るい雪を落とした。こちらは眠そうな様子はない。
「案外寝心地いいものですわね。キャンプも悪いものではありませんわ」
「キャンプとは違うと思う……」
「うむん? そういえばキャンプファイヤーがございませんでしたわね」
そこまでやったらすぐ交番のお世話になってしまう。
「って、もしかしてそこで寝てたの?」
しのぶちゃんは思わず尋ねる。驚きで、わだかまりなど吹き飛んでしまったことを気づいていない。
「ええ。それがなにか?」
何でもないようにほのか様が首を傾げた。
「なにかって――どっか泊まれる場所確保してないの?」
「ああ。その辺りはヘル子さんが工面してくれるはずでしたけど、はかどらないようですわねぇ。たまたま雪が降っていましたし、ここはキャンプというものをやってみる好機と思い、実行いたしましたわ。なかなか興味深い体験でした。寒いと眠くなるとはよく聞きますが、本当に寒いと震えるばかりで眠気など起きないのですわね。新たな発見ですわ」
「……そりゃ、寒くて眠くなるってのはもう末期だよ」
得意げに極限状況を話すほのか様を見ていて、しのぶちゃんは自然に笑みが出てきた。半分以上苦笑いだったけど。
「そうそう。しのぶちゃんに見ていただきたいものがあるのです」
ほのか様は大鳥居の根元に走っていった。
そこには大きな雪玉がふたつ並べてあった。玉というには角張りすぎていて、なんだか不恰好だった。
「これは?」
「雪だるま!」
「横に雪玉並べたのでも雪だるまっていうのかな……」
「重くて持ち上げられませんでした。だから、寝ているダルマということにしておきましたわ」
よく見たら、左側の玉には木の枝と石が埋め込まれていて、目と口を形作っている。口の位置が目に対して右側にあるので、たしかに寝ているようにも見える。
けどダルマというのは倒れないから縁起物になるんじゃないんだろうか。思ったけど、いわないでおいた。
「でもどうやら日が出たら溶けてしまうようですわ。せっかく作ったのに、それが残念といえば残念」
ほのか様は太陽を眩しそうに見あげた。さすがにもう四月ということもあり、太陽の光には力がある。この雪もじきに消えてしまうだろう。
いまどきの女子高生なら、記念といって携帯のカメラで手軽に撮影するんだろうな、としのぶちゃんは残念に思ったが、
「あるじゃん!」
とひとりで突っ込んだ。
「アルジャン?」
ほのか様はフランス人男性を呼ぶイントネーションで繰り返した。
「あ、えっと、その……」
少し迷ったが、しのぶちゃんは昨日もらった携帯を取り出す。たしか普通に撮影する機能もあったはずだ。
すぐにカメラを起動する。昨晩のうちにカメラの機能は一通り把握しておいた。いくら流行にうといとはいっても現代っ子、機械の操作の飲み込みは早い。
雪だるまに焦点を合わせて、シャッターを押した。
「あらっ!」
ほのか様は両手を合わせて目を輝かせた――とは言っても、目が細くて瞳は見えないけど。きっとまぶたの下の目は輝いているだろう。とにかくあふれんばかりの笑顔だ。
ほのか様にさっき撮った画像を見せた。
「すごい! さすがですわ、しのぶちゃん」
「何がさすがなのかよくわからないけど」
「もっと撮ってくださいましな」
せかされるまま、何枚か撮った。
ふと、しのぶちゃんは気づいた。ボディガードだというチルも、カマクラの残骸の上に座って、雪だるまをいろいろ加工する主を見守っているだけだ。
今なら、「ほのか様も撮ってあげるよー」とか言って簡単にほのか様を封印できるよなぁ。
「次はわたくしを撮ってくださいません?」
「えっ!」
さすがに動揺した。
「いや、まあ、それは――」
普通の撮影モードなら大丈夫かもしれないけど、もしなんかの間違いで封印しちゃったら……。そう思うと、とても撮ることなんてできなかった。
「さあ、はやくはやく」
ほのか様はしのぶちゃんの思いなど気づくはずもなく、ポーズをとっている。なんで歌舞伎の大見得なのかと突っ込む余裕もなく、しのぶちゃんは辺りを見回した。
ふと、チルと目があう。ピンと伸ばした耳。さっきまでは伏せていたような――
「ちょっと、しのぶちゃん?」
「あ。えっと……ああぁ、猫だ!」
ほのか様と反対側に猫がやってきていた。それを撮影。猫に夢中なふりをして何度も撮った。よく見たら、昨日ほのか様が追いかけていた猫だ。
「そういえば、お腹すきましたわ」
きゅー、とほのか様のお腹が鳴る。
猫を見て食欲を思い出すのもどうかと思うが。そんなことはおいといて、しのぶちゃんは話を完璧にカメラとは別のほうへ流せた。
「お弁当あるよ!」
それでなんとかごまかせた。
ほのか様は嬉しそうにお弁当に箸を進めた。
相当お腹がすいていたのか、あっという間にたいらげてしまう。
「魔王って、なに?」
一息ついた辺りで、しのぶちゃんが尋ねた。
第三の選択肢を探るために、まずは魔王について知らなければならないと思ったのだ。ハネに聞いてもよかったかもしれないが、こういうのは両方から意見を聞いたほうがいい、と思っていた。例えば幕末を語る場合、佐幕派と倒幕派、両方から語られたものを読まないと本当のところはわからないように。新選組好きだといっても、龍馬が主人公の話も読んでおいたほうがいいのだ。おかげでしのぶちゃんは土方歳三も坂本龍馬も好きだった。
「魔王、ですか」
ほのか様は少し表情を曇らせた。
「それを聞いてどうするのですか?」
「いや、もしかして世界征服をたくらんでたりするのかなー、とか思って」
わざとおどけた調子で尋ねた。
ほのか様はため息混じりに笑った。
「実はわたくしも、魔王というのがなんなのか、よくわかってないのです」
「え?」
「たしかに魔界のお城に住んで、多くの魔物たちにかしずかれておりました。けどわたくしは、これといって何もしてませんでしたわ。王、といっても国を持っているわけでもありませんし。むしろ象徴に近かったのかも」
「じゃあ、なんでこっちきたの?」
少し、間があった。
「夢、でしたの」
「夢?」
「普通の人間のように、制服を着て学校に通ってみんなと勉強をして。誰にもかしずかれることもなく、普通の生活をしたい。けど、うまくいかないものね。早速しのぶちゃんにはばれてしまいましたわ」
寂しそうな笑みを浮かべていた。
すべてをあきらめきっている。
「だ、大丈夫だよ」
自然と口から言葉が漏れていた。
「ぜんぜん、ほのか様が魔王だとか、気にしてないし!」
ほのか様はぽかん、とした。ぼんやりとしのぶちゃんを見つめ、だらしなく口を開いている。
「そう、なの?」
「う、うん」
嘘じゃない。
ほのか様を封じるとかなんとか悩んでいるけど、それとこれとは別だ。
ほのか様が魔王だからといって、それだけで嫌いになったりはしない。もし「魔王を封印しろ」とか言われてなければ、普通に話せていた――かは彼女のハイテンションを見ている限り自信はないけど、魔王ということには気にしなかったと思う。そもそもいまだにこの子が魔王だという実感がわかないというのもあるけど。
「でも、それじゃほのか様が悪さをしてるとか、そういうことは全然ないんだよね?」
「わたくしが悪さを? なぜ?」
「なぜって……魔王だから?」
「なにを言っているか、よくわかりませんわ」
しのぶちゃんもなんだかわからなくなってきた。
魔王だから悪さをするのか。
悪さをするから魔王なのか。
そもそもハネはなぜ彼女を封じろと言っていたのだろう。魔王だからというよりも、敵対勢力のトップだからだ。
なら、実は第三の選択肢は簡単なことじゃないだろうか。
ほのか様は、何もしないというのだ。ただ普通の生活を望むだけ。それをハネに教えれば、すべて解決してしまうのではないだろうか。
「ほーのか様ぁ―っ!」
甲高くも甘ったるい声が聞こえる。
「うわっ」
しのぶちゃんが声をあげる。座っているベンチの下からヘル子さんが這い出てきた。
「な、なんですか! ほのか様の横に座るだけじゃ飽き足らず、ヘル子を上から見下すなんて、とんでもないやつです!」
ヘル子さんが顔を真っ赤にして怒った。
そもそも、いまさらながら気づいた。ほのか様が魔王なら、ヘル子さんは魔物なのだろうか。あと、チルも。
「それよりほのか様、見てください! 自動販売機とかの下に落ちてたお金を拾い集めてみたですよ! 一晩でけっこう集まりました! これなら誰も損してないし大丈夫ですよ!」
得意満面で、小銭の入った皮袋を見せた。けっこうずっしり入っている。
「あら。たしかに。これならすき焼きも夢ではなくてよ」
ほのか様のお腹がきゅーっと鳴った。今食べたばっかりなのに。
「早速両替してまいりましょう」
ほのか様はベンチから立ち上がり、橋の向こうコンビニに走り出した。昨日、ほのか様と出会った場所だ。
「ほのか様、走ると転ぶよ」
二日目の雪はところどころ凍ったりしてアイスバーンになってたりする。
「だ――」
大丈夫、と言おうとしたのだろう。が、そのそばから足を滑らす。すぐにバランスは立て直せたが、お金の入った袋を放り投げてしまった。
「あっ」
慌ててそれをキャッチする。
が――。
キャッチしたのは橋の欄干の上だった。川のほうに身を乗り出す形になる。
「危ない!」
しのぶちゃんが叫ぶと同時に、ほのか様は欄干の外に落ちていった。
その瞬間、ふたつのことが起こった。
ばちん、という金属が引きちぎれる音とともに、チルが消える。雪が巻き上がり、宙で花びらに変化した。いきなり現れた花弁に疑問を挟む余地もなく、しのぶちゃんは暴風に吹き去らされた。
その横で、ヘル子さんが自分の影に落ちていった。そこに穴が開いていたかのようにあっという間に消える。彼女の姿がなくなると、影も消えた。穴なんか開いてなかった。
甲高い電子音がしのぶちゃんのポケットから響き渡った。初めて聞く音。警報みたいだ。
が、爆音と盛大な水しぶきが、その音を打ち消す。
ちょうどほのか様が落ちた場所から、真っ白い巨大な水柱が上がった。橋の半分以上は水に飲み込まれ、しのぶちゃんのところには雨のように飛沫が落ちてくる。
しのぶちゃんは、見た。
膨大な水飛沫の中から、深緑のシルエットが飛び出すのを。
両の翼には赤い日の丸。
が、まさかと思う。そもそもそっちの知識はうろ覚えだし、いきなりあんなところから飛立つのもわけがわからない。
それでも、主観的感想とするのなら。さっきのは、零式艦上戦闘機――通称ゼロ戦の機影、に見えたのだ。第二次戦争中の日本軍の戦闘機だ
その影はもう東山のほうへと飛んでいき、小さくなって消えてしまった。
ピーピー、というずっと鳴っていた警報に、ようやく意識が戻る。
警報を鳴らしつづけていた携帯を開いた。
「うそっ」
魔力値――魔物が活動すれば高まり、より魔物の存在力を強める数値。
それが百万を越えていた。
ただし、今は加速度的に落ちている。目の前では、飛沫によって生まれた霧がだんだん晴れていっているように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます