第3章 1
暑くなった。
積もっていた雪はあっという間に溶けてしまう。気が早いセミが鳴き始めるほどだった。
しのぶちゃんは、円山公園の池の前のベンチに座っていた。隣りにはほのか様とヘル子さん、そしてマコトもいた。
「そろそろ咲いてると思ったんだけど、まだだったみたい」
しのぶちゃんが枝垂桜を見あげながら言った。円山公園の中心にある、祇園枝垂桜と呼ばれる、この公園のシンボルとも言える木だ。樹齢は八十を超えるらしい。
「ヘル子さん、クレープが売っていますわ」
「しかしこれで使ってしまいますと夕食代がなくなってしまうのです」
「世知辛い話ですわね。いいですわ。弟さん、クレープ買ってきていただけませんか?」
「……あんたホントに使えそうなやつは使い倒すんだな……」
あれから結局ほのか様とヘル子さんはしのぶちゃんの家に一泊していった。お嬢様はともかくメイドさんに親のリアクションが心配だったが、両親ともたいがい適当なので、「しのぶも変わった友達ができたなぁ」と笑ってOKだった。
今日も今日とて普通に登校した。一晩明けたら、学校は普通どおりだった。飯尾君も戻ってきて、最初はほのか様が座るはずだった席に座った。他にも失踪していた人たちは元に戻って、問題はなさそうだった。
今はその帰りだ。ほのか様がどこで覚えたのか「花見がしとうございます」とか言い出したので、京都有数の桜の名所、円山公園にまで赴いたのだ。
桜は全然咲いてなかったが。むしろ葉っぱが先に出てきてたくらいである。
「残念ですわ。お花見できれば、お弁当もたくさん食べられましたのに」
「絶対それが理由だと思ってたけどやっぱりそうなんだね……」
花より団子ここにきわまれり。
「それにしても、暑いなぁ」
しのぶちゃんは出て顔をあおぐ。と、ほのか様がなにやら嬉しそうに「わたくしもあおいでください」とか言い出した。あおいであげる。「あはは、全然涼しくありませんわ」うわーい、わけかんないよー。
「これもやっぱり温暖化ってやつかなぁ」
しのぶちゃんがなんとはなしにつぶやくと、マコトがいじわるそうに言った。
「温暖化してるから暑いってのも、ねーちゃんも短絡的だなぁ」
こういうときのマコトは小憎らしい。
「さては、二酸化炭素がそのまま原因だって信じてるたちだろ」
「む……違うっていうの?」
「地球の平均気温の上昇と二酸化炭素の増加量が、単に一致してるってだけなんだぜ。逆に、温暖化のせいで二酸化炭素が増加してるって考えもあるって。原因と結果がどっちかなんて、簡単に入れ替わるもんらしいぜ」
ヘル子さんがうなずいた。
「そうです。この暑いのは、結界が解けたからなのです」
「……は?」
しのぶちゃんもマコトも、いきなりの話の方向転換についていけなかった。
「うりゅ? だから、ニタンカサンソ? のせいなんかじゃなくて、昨日おとといとこの街を覆っていた神霊どもの結界が破れたせいなのですよ。反動でどーん、と暑いのです」
ほのか様が笑った。
「やだ、ヘル子さんったら。過酸化水素、ですわよ」
「いや、それも違う――って、そうじゃなくて。え? ヘル子さん、どういうこと? 寒かったのはほのか様のせいじゃないの?」
「えー? なんでほのか様がそんなことするんですか? あれは、地上の魔物が入ってくるのを防ぐためにやったものです。えっと、特一級緊急配備、とか言ってた気がするです」
聞き覚えがあった。
ほのか様がこちらにやってきたときに、ハネたちが取った処置だ。
「結界外と遮断すると同時に、中の魔力値指数を一定量確保するものです」
「魔力値って、魔物が力を使ったら増えるものじゃなかったの?」
「もう、なにを言ってるですか? 魔物も神霊も、属している次元は同じですよ? 魔力値がないと魔物も動けませんが、やつらも動けんのです」
「じゃあ、例えば百葉箱に魔物が宿ったのは、天界のせいだっていうの?」
「そういうことです」
おかしい。
しのぶちゃんが聞いていた話と食い違いがある。魔物と神霊とで把握していることが違う、というレベルではない。根本的なところで食い違っている。
携帯を忘れてきたことを悔やんだ。普段から持ち歩く習慣がないのが災いして、昨日充電しっぱなしのまま家に忘れてしまったのだ。
「ごめん。先に帰るね」
しのぶちゃんは走り去っていった。
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