第4章 3

 夜更けの百合原家の前に、妙な連中が集まっていた。

 連中といっても、ちゃんと人なのはひとりだけ。彼女はメイド服を着ている。あとは犬と猫。

 ヘル子さんとチルとハネだった。

「なんであんたがここにいるですか。あんたのせいでほのか様は――」

 ヘル子さんがハネをにらみつける。

「我は自分の職務を全うしただけだ。境界侵犯した魔王を封じる。それができなかったのだけが残念だ」

「この――」

「影よ。暴力に訴えるのはやめたほうがいい。たしかにこのふくよかな肉体では君の毒牙をかわすことは難しいだろう。だが、ここで我を傷つければ――魔王の意志を踏みにじることになる。そうだろう?」

「……ぐぅっ」

 ヘル子さんは拳を震えさせて、耐えた。ブラシをにぎり、傍らで伏せるチルの毛並みをブラッシングする。

 手つきはかなり乱暴だ。

「――くぅん」

「黙るです。チルが余計なことしなくてもうまくいくはずだったですから!」

「それは浅慮だな。どの道、我々は魔王の存在を地上に許すことは――」

「いちいちうるさいです!」

「……ヘル子がいちばんうるさい」

 ぼそりと、チル。

「アンタは誰の味方なんですか!」

 が、チルはだんまり。前足に顎を乗せて、はたから見たら寝ているようにしか見えない。

 ハネが尻尾をぱたりと倒し、彼に話しかける。

「狼よ。君も興味深い。なぜ彼女を助けた?」

「……別に。ただ、殺す意味はなかった」

「そうだ。だが殺さない理由もなかった。見殺しにしてもよかったところを、池に落ちた彼女を引き上げた」

 チルは答えない。

 かわりにヘル子さんが吠えた。

「アンタは何が言いたいんですか!」

「さあな。我にもわからん。ただ、残念なのかもしれない。彼女が示せたかもしれない解答を見れなかったことが――」

 玄関のドアが開いた。

「――あれ?」

 しのぶちゃんとマコトだった。しのぶちゃんは自分の玄関先にたむろしているおかしな一団を見て、目を丸くした。

「みんな、なんでここにいるの?」

「伝達事項がある」「別に」「お姉様ぁ!」

 三者三様だった。

「ほのか様が、行ってしまったんです! でも、よかった――お姉様だけでも無事で」

「ありがと。えと……」

 チルを見て、少し驚く。円山公園で命を狙われて以来だった。が、彼は伏せたまま動かない。ただ尻尾が揺れて地面を掃いている。花の香りがした。

 しのぶちゃんは塀の上にいたハネを見る。

「伝達事項って?」

「君の任は解かれた。ご苦労だった。報酬は追って連絡する」

「どういうことですか?」

「魔王は君を助け、自ら魔界へ戻ることを宣言した。一部の魔界制圧を旨とする急進派が逃すまいと気をせいているが、このまま見送るのが大方の見解だ。正直、かき回されただけで一方的に被害をこうむられたわけだが、これ以上突付いてもお互いに得がない。幸い、甚大な被害も出ていない。ここは魔界に貸しにしておくことにした」

 すべてが元通りになる。

 ただ、ひとりの少女を魔王という檻に叩き込んで。

「私は納得しません」

 しのぶちゃんは言った。

「ヘル子さん、ほのか様は京都タワーね」

「え? あ、はい、です。京都上空にも魔界の扉があるです。十二時に開くです」

「私の携帯は――持ってないか」

 チルが首を振る。と、どこに隠し持っていたのか、しのぶちゃんの携帯が転がった。

「……ありがと」

「待て。どうするつもりだ?」

「ほのか様を連れ戻します」

「バカなことを。いまさらそんなことをしてどうなる」

「みんなが少しだけ――少なくとも今よりは満足できるはずです」

 しのぶちゃんは携帯を開く。防水加工だったのか、機能はまったく問題ないようだった。充電もフルである。

「そのために、みんなに協力してほしいんです。いいでしょう?」

「いいはずがあるか」

 しのぶちゃんは意地悪く笑った。

「一方的にかき回されただけ。それを不服に思っているのが、ハネさんの本音でしょう。これがうまくいけば、あなたたちにも得が生まれます。

 それに、あなたは私に借りがあるはずですよ。爆弾一個分はけっこう大きいと思いますけど?」

 ぐぅ、とハネはうめいた。言葉を失う猫をしのぶちゃんは初めて見た。

「チル。あなたにも手伝ってもらいたい」

「イヤだ」

「君の役目はほのか様を守ること、だよね。なら、これは受けないといけないと思うよ」

 チルが目を開いた。

「マコトが言っていた。望まれない魔王は殺して、次の魔王を待つことがあるって。間違いない、ヘル子さん?」

「え? た、たしかに、そういう歴史はあったです。でも、まさかほのか様を……?」

「魔界だって今回の騒動で引っ掻き回されたのは同じだと思うんです。だから彼らは、もしかしたらほのか様を厄介な魔王だと考えているかもしれない。なら、魔界に帰った途端強引に魔王を交替させる……なんてことも」

「――こっちにいたって狙われることには変わりない」

 チルの否定に、しのぶちゃんは首を振る。

「大丈夫。私を信じて」

 チルは、何も答えない。

 ただ、立ち上がって、玄関としのぶちゃんを背にして座りなおした。尻尾がぺたんぺたんと地面を打っている。

 しのぶちゃんはその尻尾にほほ笑みを返した。

 次に、ヘル子さんを見る。

 しのぶちゃんが言う前に、ヘル子さんは自分の胸を叩いた。

「任せるです! お姉様に、ヘル子のタマ、預けるです」

「ありがとう」

 最後にしのぶちゃんは振り返り、マコトを見た。

 予想していなかったのか、マコトは驚いていた。

「マコトも。お願い」

「あいよ」

 わざとだるそうに答えて、自転車を引っ張り出す。

 十一時十五分。

 しのぶちゃんの最後の疾走が始まった。

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