第2章 3
昼休み、ほのか様を体育館の裏に呼び出した。
そこには設置されなおした百葉箱があった。無論、もう動かない。
「なんですの、しのぶちゃん。わたくし、お腹がすいて倒れそうですの」
「ちょっと、話があるんだ」
しのぶちゃんはほのか様の後ろにいるチルを少し気にしながら、言った。
「ほのか様。ヘル子さんやチルに、魔物の力を使わせるの、やめさせてもらえないかな?」
ほのか様は首をかしげた。
「なぜですの?」
「人に迷惑がかかると思うから……」
さすがに、神霊から目をつけられているから、とは言えなかった。
「例えば、ヘル子さんがクラスの人をどこかに消してしまったのは、知ってる? ほのか様の席を確保するのに、私の横の人を」
他にも何人か消えてしまったということを聞いているが、一応、しのぶちゃんは自分で見たことだけで話した。
ほのか様は首を振った。本当に気づいていなかったらしい。
「でもそれは、ヘル子さんがわたくしのためにしてくれたことでしょう? ならなぜ止める必要があるのです?」
「え?」
しのぶちゃんは、一瞬返す言葉をなくしてしまった。
「だ、だって、言ってみればほのか様のせいで人がひとりいなくなっちゃったんだよ?」
「まあ、そうですわね。けど、なぜそれがいけないのでしょう?」
しのぶちゃんは、愕然とした。
彼女は、王なのだ。
自分の都合で人に迷惑をかけてはいけない。そんな当たり前のルールさえ、適用されない存在なのだ。
その当たり前のことを、当たり前だと思わない人に、どうやって伝えればいいのか。
しのぶちゃんはわからなかった。
「そ、そしたら、例えば神様とかに目をつけられることになるんじゃないかな。魔王、ということで」
「ああ、なるほど。それはありますわね」
苦し紛れに言ったことだが、意外にもすんなり納得してくれた。自分の不利益に繋がる、ということなら理解するのだろうか。
「けど、わたくしからヘル子さんやチルに命じることはいたしません」
きっぱりと、ほのか様が言い切った。
「なんで? だって、言えばやめてくれるんでしょう?」
「言えば、やめざるをえないのです。わたくしが命じれば、魔物であらばそれに従わねばならない。そんなのは嫌なのです」
命じれば従う。絶対強制力。
であれば、その言葉は重くならざるをえない。特に否定の言葉ならばなおさらだ。
「わたくしは、誰にも命じません」
「それが、王であるための義務?」
ほのか様はほほ笑んだ。
なぜかそれが、泣きそうな顔に見えた。
「逆、かもしれませんわね」
逆?
「逆って?」
「言えませんわ」
ほのか様は答えなかった。
「それは、許されないことですから」
明確な意志を感じた。これ以上は何も聞き出せないだろう。
「ほのか様がそう言ってくれれば、ほのか様が望む普通の生活が手に入るとしても、命じないんだね」
「そうですわね。命じないことでダメになってしまうのなら、しかたありませんわ」
ダメになってしまう。すんなりと彼女の口から出てきたのが、意外だった。
ほのか様は、実はすべて知っているのではないか。魔王である自分が人間の世界で普通に暮らすことがどれだけ難しいか。もしかしたら、自分が狙われていることまで。
それなのに。
どうして、彼女は危険を押してまで、実現できないのをわかっていながら、こちらにきたのだろう。
それを尋ねる前に、しのぶちゃんの携帯が鳴った。
「あ、ごめん」
ほのか様に断わってから電話に出る。相手はハネだった。
『今すぐ三階のいちばん東の女子トイレに迎え。《蒼ざめた影》がいる』
「え? ヘル――」
ヘル子さん、と言いかけて止めた。目の前にほのか様がいるのだ。
「ごめん、ほのか様。私、行かなきゃ」
「ええ。また午後の授業でお会いいたしましょう」
しのぶちゃんは走り去ろうとする。が、ふと気になって、振り返った。
チルは最初から最後まで、ずっと同じ調子で座っていた。
「その子、私が力を封じさせろとか言っても、全然気にしてないんだね」
これがヘル子さんなら顔を真っ赤にして怒りそうなところなのに、チルはまるで普通の犬のようだった。あるいは、人間の言葉もわからないのかもしれない。
「ああ、チル?」
ほのか様はチルの頭をなでる。自慢のペットを紹介するように、言った。
「優れた猟犬というのは、必要なとき以外は吠えないものですのよ」
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