第2章 4

『《蒼ざめた影》は今朝がた君に話しかけた女学生を狙っている』

 向かっている最中に、ハネが言った。

『彼女らの悪意に気づき、報復に出るらしい』

「なんで、そんな、こと」

 荒げた息でしのぶちゃんは聞き返した。もともと運動は得意なほうじゃない――というかぶっちゃけ嫌いだった。自転車も乗れないほどだし。

『我々は独自の情報網がある。その程度のことは把握している』

「じゃなくて、なんで、教えてくれ、るんですか?」

『君が嫌がると思ったからだ。封印するべき相手に情をかけるくらいだ。自分に話しかけてきた人間が傷つくのは困るだろう』

 知ってたのか。第三の選択肢を探っていることを。

 考えてみれば当たり前かもしれないが。本当に封印しようと思うなら、とっくにできている。それができていないということは、その意志がないということだ。

 しかし、それでも勝手を黙認してくれていたことに、しのぶちゃんは安堵を感じる。ハネは、思っていたよりもいい人なのかもしれない。

「あり……う……ざいます」

 三階まで階段を一気に駆け上がり、息も絶え絶えになる。そのまま礼を言ったものだから、ろくに言葉にならなかった。

『その言葉は取っておけ。君が思っているような優しい意図はない』

「それでも、私がそう思ったんだから、言っておきます」

 一番東のトイレは、階段を上がってすぐだった。

 開こうとして、ドアが開かないことに気づく。押しても引いてもびくともしない。鍵の閉まりかたとは違った。ドアが溶接されているんじゃないかと思うほど、ぴくりとも動かない。

『トツカで見ろ』

 言われたとおり、携帯のカメラを起動する。通常のカメラではわからなかったが、封印モードに切り替えると、ドアが黒いモヤで覆われているように見える。

『魔力で封印されている。シャッターを切るんだ』

 言われたとおり、撮影する。

 ドアを押すと、さっきまではびくともしなかったのが簡単に開いた。

 中には、ヘル子さんがこちらに背を向ける形で立っていた。

 その向こう側には、女子が三人、床に崩れ落ちて、身を寄せ合うようにしている。

「ゆ、百合原さん!」

 ほとんど悲鳴に近い声で、ひとりが叫んだ。

 ヘル子さんがこちらを向く。

 手には、ボウリングの球のような黒い球体のものを持っていた。一箇所から、荒縄がちょろっと出ている。ギャグマンガにしか出てこないくらいシンプルなデザインで逆に自信がなくなるが、しのぶちゃんにはの爆弾に見えた。

 ヘル子さんは少し驚いたようだった。

「百合原しのぶ! どうやって扉を!」

 とっさに、しのぶちゃんは携帯を構える。

 が、一瞬、壊れたのかと思った。

 画面の中、ヘル子さんからは青いモヤがかかっているのがわかった。が、爆弾を中心に、ドブに浮かび上がった油のような極彩色のモヤが広がっていて、画面の半分近くが見えなくなっている。

「な、なにあれ」

 ヘル子さんは手にした爆弾を掲げて、自慢げに笑った。

「ふふん、どうやらこれの恐ろしさに気づいたようですねっ? でももう遅いです! ほのか様を恐ろしさを知らないやつは、この《ニドヘッグ》の悪夢で身をもって知ればいいんです!」

 ニドヘッグ。聞いたことがある。ゲームにそんな名前の邪龍が出てきた。終盤のボスだった。毒の息がものすごく厄介だった。

『ニドヘッグ! 邪竜の魔物を濃縮した神殺しの兵器だ!』

 ハネが叫んだ。

『封じろ! 今ならまだ間に合う!』

「でも――」

 彼女はほのか様のためを思ってやっているんだ。行動は間違っていても、その気持ちは間違ってはいないと思う。ヘル子さんは悪い人じゃない。それを封じるのは、やっぱりためらわれた。

 ――そっか。

 ほのか様のためにしているんだ。なら、それを使えばいい。

「ヘル子さん。そんなことして、本当にほのか様が喜ぶと思うんですか?」

「むみゅ?」

 意外な問いだったらしい。ヘル子さんはかわいい生返事をした。

「ほのか様は、普通の人間としての生活を望んでいるんです。だから、こんなことをしても、ほのか様は悲しむだけですよ」

「ほのか様がそんなことを――」

 ヘル子さんはうつむき、小さくつぶやいた。

 その手から、ニドヘッグがこぼれ落ちる。がこん、と重い音を立てて地面に落ちた。その瞬間しのぶちゃんは肝を冷やすが、爆発はしなかった。

「ほのか様が――」

 ヘル子さんが顔を上げた。

「そんなことを言うはずがないです!」

 涙をにじませて怒っていた。

「ほのか様は立派な魔王におなりになるのです! 昨日今日お声をかけていただいただけの人間が、知ったようなことを語るなです! もうトサカにきたです! 百合原しのぶ、お前はヘル子じきじきに折檻してやるです!」

 個室のドアが開いた。

「ゆくのです、生ける屍ども! あの泥棒猫をこらしめるです」

 そこから、白目を剥いたメイドさんが出てきた。ロリータな黒いドレスを身にまとい、頭には白いメイドカチューシャ。両手を前に突き出し「うあぁぁ」と低くうなりながら、しのぶちゃんのほうに向かってくる。

「え!」

 よく見ると、それは初日に隣りに座っていて、ヘル子さんのスカートの中に消えた飯尾くんだった。

 慌ててトイレを出てドアを閉める。その瞬間、飯尾くんの腕がドアを突き破ってきた。

「うわっ」

 ドアから突き出た腕は獲物を求めて虚空を掻く。「うぉぉぉ」といううめき声がドア越しに聞こえてきた。ついでに「なんでそこに突っ込むですか! ヘル子が出れないです!」とわめく声も聞こえた。

 しのぶちゃんはその場を走り去る。

「な、なにあれ!」

『動く死体――君たちの世界でいうゾンビだな。もとは異国のブードゥーという呪術で――』

「じゃなくて、なんでメイド服着てるんですか!」

『冥土服だからゾンビなのだろう』

 口語で聞いたら全然わからないことをハネが言った。数秒たって、その意味を知る。メイドと冥土をかけているのだ。

「ダジャレ?」

『言葉には力が宿る。連なればその力も大きくなる。なめるな。重ねた言葉は強いぞ』

 そんなことを言われても……。

『それより、《蒼ざめた影》だ。先刻説明したが、異国の伝承に伝わる冥王だ。死したモノを現世に呼び寄せることができる。ちなみにやつの依代は万能型自動魔導具』

「その万能ナントカって?」

『炊事、掃除、洗濯――家事ならば何でもこなせる魔法仕掛けの自動人形、という意味だ』

 冥土産――つまりメイドイン冥土のメイドロボということか。

「……………」

 しのぶちゃんは脱力で突っ込む気力もなくなる。

 今すぐ携帯を床に叩き付けたい衝動だけが残ったが、それは理性が押しとどめる。どんな冗談みたな状況だとしても、今そこに危機があることはたしかなのだ。

「うおぉぉぉ」

 水道の下や、ロッカーの中から次々にゾンビが出てくる。

『とにかく建物の外に出ろ。敵は影の中を伝ってくる。影が多い場所では敵が有利だ』

「は、はい」

 といいつつも階段を降りている最中だ。

 が、前から新たなメイドがやってくる。

「こ、校長先生?」

 薄くなった頭にメイドカチューシャ、中年太りのお腹がメイド服から出ている。ゾンビとかとは別の意味で身の毛がよだつ風貌は、昨日目にしたときのままだ。

『ゾンビが腐った死体だというのは実は偏見だ。本来、ゾンビパウダーという粉を使用し、生きたものをそのまま操り、奴隷として労働をかさせたものを言う。そういう意味では、メイド服を着せることで操るという《蒼ざめた影》の力はゾンビの原点とも言えるな』

「知りませんよ!」

 しのぶちゃんは迫ってくる校長ゾンビに携帯カメラを向ける。

 画面の中には、青いモヤに包まれた校長の姿が映っていた。

 が、やはりためらう。いくら見た目が気持ち悪くても、封印してしまったらば後味も悪い。

『案ずるな。トツカは異界のものを封印する。消えるのはメイド服だけだ』

 ハネの言葉に後押しされ、眼前に迫った校長に向かってシャッターを押す。

 が。

「うそ」

 校長のメイド服は消えなかった。何事もなかったかのように、校長はしのぶちゃんに腕を伸ばしてくる。

「ひっ――」

 校長の顔が間近に迫る。うつろに開かれた口から粘り気の多いよだれが二重あごに飛び散っている。

 変態的に壮絶な絵だ。

 ところで、しのぶちゃんが変態と遭遇するのはこれで二度目となる。セカンドインパクト・バイ・ヘンタイ。

「えいっ」

 経験は人を育てる。

 しのぶちゃんは硬直することなく、変態に対する適切な応対を炸裂させた。

「――うごぉぉぉ」

 低いうめき声をあげて、校長は小刻みに震えてその場に崩れ落ちる。股間を両手で押さえながら。

「……すいません」

 その横をすり抜けて、しのぶちゃんは階段を駆け下りる。

「どういうことですか、なんで消せなかったんですか!」

 下駄箱で靴に履き替えながら、しのぶちゃんはマイクに文句を叩きつけた。

『そうか。属性が違う。今、トツカは対魔属性になっている。それを対死属性に変えねばならない』

 属性。これまたRPGではおなじみの要素だった。火と水のように、相反する属性を相手にぶつければ大ダメージになる。

『死の対になる属性を撮影して、カメラ機能に組み込むのだ』

 そういえば、そういう項目が昨日取り説を読んでいて書いてあった気がする。そのときは関係ないと思って忘れていた。

 問題は、死と対の属性だ。

「死ってことは、生ですよね?」

『不老長寿や不死をモチーフにしたものを探せ。例えば京都なら――七福神の寿老人を奉った革堂行願寺か。京都御苑から少し下がったところだ』

「遠いよっ」

 自転車でも十、二十分はかかる。

 そんなことを言ってるうちに、校庭に出る。

 とりあえず一安心、と思ったが。

「まさか日の下に出たら大丈夫だなんて思ってないですよね!」

 ヘル子さんの声が高らかに響いた。

 校舎を見あげると、屋上にスカートを風になびかせたヘル子さんが立っていた。手に何か持っている。

「が、ガトリング砲?」

 六本の砲身を円状に並べた機関砲だ。回転用のハンドルもついている。アメリカの南北戦争時代に使われた、今となっては骨董品だ。

 一般には使われなくなった――死した武器。

 しかし体ひとつしかないしのぶちゃんにとっては、ほとんど致命的な兵器だった。

「覚悟するですよ!」

 片手で重量感あふれる本体を支え、もう片手でハンドルを回す。砲身が回転し、銃声とともに次々と弾丸を吐き出してきた。

「うっ」

 しのぶちゃんは校舎に戻ろうとするが、そっちは追いかけてきたメイドゾンビがいた。増えてる。ドアを腕にはめたままの飯尾くんに、股を押さえた校長。さっきヘル子さんに襲われていた三人の女子もいた。

 しのぶちゃんは横に走る。幸い、命中精度は低いのか、弾丸はしのぶちゃんの体をそれて地面に突き刺さった。

 土煙を上げて地面にめり込んだものを見て、しのぶちゃんは驚く。

 メイドさんのトレードマーク、メイドカチューシャだった。当たってもそこそこに痛そうだが、怪我とかはしなさそうだ。

「ぎゃ」

 流れ弾が、遠くを歩いていた男子に当たる。

 飛来したメイドカチューシャが頭にはまった。

 装着された瞬間、彼の体は虹色の光に包まれる。一瞬にして広がった光は、また一瞬にして収束する。

 再び現れた彼は、立派なメイドさんになっていた。

「うぉあぁぁぁ……」

 低いうめき声を出して、しのぶちゃんのほうに向かってきた。

 どうやら、あのメイドカチューシャを受けろと、同じようにメイドゾンビになってしまうらしい。

 しのぶちゃんは想像する。自分がメイドゾンビになってしまった姿を。メイドコスをして白目を剥いてよだれを垂らしながら夜な夜な墓場をうろついていたりする。

 ――いやだ!

 強い意志が限界に近かった体に活を入れた。しのぶちゃんは校門のほうに向かって走りだす。

「あ、待つです!」

 ヘル子さんも掃射するが、距離が離れすぎていてろくに狙えていない。流れ弾でただいたずらにメイド人口を増やしていくばかりだ。

 そのメイドたちに追われて、しのぶちゃんはなんとか校門にたどり着く。

「ちょっとハネさん! なんとかならないんですか!」

『とにかく、長寿のモチーフを探すのだ。例えば、亀や鶴はもっとも知られた長寿の動物だ』

「亀も鶴もその辺にいたら苦労しませ――」

 言いかけて、考えた。

 普段見かけない動物はどこにいるか。

「京都市動物園!」

 それなら平安神宮の南東にあった。なんとか走っても行ける距離である。体力に不安が残るが、京都御苑まで行くのに比べれば近所みたいなものだ。

 しのぶちゃんは神宮道を北に目指す。

 と。学校を出たところで、タクシーが何台か停まっているのに気づいた。観光の街京都。観光名所付近なら、必ずタクシーが停まっている。ここは知恩院や八坂神社も近いので、常に何台かは停まっているのだ。

 学生の身分ゆえに普段は視界にすら入らなかった。だが今は非常時。多少の出費はこらえて、足を確保したほうがいいのではないか。

 しのぶちゃんがタクシーに近づくと、ドアが開いた。そのまま、中に乗り込む。

 タクシーの乗り方なんてぶっちゃけわからなかったが、今は遠慮してる場合じゃない。

「すいません、出してください」

 尋ねながら、財布の中身を確認した。最近お金はマンガにくらいしか使っていないから、なんとか足りそうだった。

「どこまで?」

「動物園まで……って、急ぎでお願いします」

 タクシーは動かない。それどころか、運転手は微動だにしていない。開いた窓から吹き込んでくる風だけが動いていた。

「そんなに慌てて、どうかしましたか」

「その、追いかけられてまして……」

 じゃら――

 しのぶちゃんの言葉が、止まる。

 足元にガラスが散らばっていた。

 何のガラスか――わかった。運転手側の窓が開いていると、最初は思った。けど違う。破れていた。粉々に砕けていたのだ。破片は、内側に散らばっている。外から割られたのだ。

 何かが飛んできて。

 突然、ドアのロックが閉められた。

「もしかして、追いかけてるのは、こんなのですか?」

 振り返った運転手の頭には、メイドカチューシャ。

「やああ!」

 ドアを開けようとするが、動かない。

 ドアの外に他のメイドたちが集まってくるのが見えた。

「うそ」

 逃げ場がない。

 十を越える人数のメイドゾンビが迫ってくる。

 もうダメだ。

 そう思ったとき、視界の隅にジャンプが見えた。運転手が読んでいたものだろう。無造作に、ボードの上においてあった。

 ――勝利を呼び込むのは、あきらめない心から。

 しのぶちゃんは携帯を開く。長寿にまつわるものを撮影してカメラに組み込まないと、生き残れない。

 だけどもうここで行き止まり。どこにもいけない。

 ないないばかり。

 でも、まだひとつだけ希望があった。

 しのぶちゃんは写真のフォルダを開く。過去に撮った写真を保存してある場所だ。

 この中に、何かないか。

 ためし取りした自分の部屋の写真。

 マコトが撮った夜の川の写真。

 ほのか様の作った雪だるま。

 ごまかして撮ったたくさんの猫。

 ダメだ。

 ダルマが縁起物だった気がしたが、その意味は不退転。七転び八起き。今のしのぶちゃんのことだが、求めているものではない。むしろ魔王が作ったものなら縁起が悪いかもいれないし、そもそも寝てる。

 ふと、猫の写真に目が止まった。

 橋の欄干の上から飛び降りるシーンだ。猫はどれだけ高いところから落ちても、抜群のバランス感覚でちゃんと足から着地する。

 それを見た古代の人は、こう言った。

 ――猫に九生あり。

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