第1章 6
魔王。
たいてい、悪魔が魔物が住む世界である魔界の奥底に城を構えていて、人間界を支配、ないしは滅ぼそうとしているものだと思う。一応、最後には勇者一行に倒される。「人間どもに悪の心がある限りわしはまた復活するぞ」とか捨て台詞を吐きながら。
例外を除いて、魔王は悪の権化であり、救いようがない悪者であることが多いと思う。そこに人間界があるからという程度の動機で攻めてきている。迷惑な話だ。そういえば織田信長も魔王を名乗っていたか。でも彼も自分の領地を広げるために他国を侵略していたのだから、攻撃するのに動機なんて実はいらないのかもしれない。
とにかく、それが魔王。
そしてほのか様も魔王である、という。
たしかに空気を読まずクラスの――そしてしのぶちゃんの――安寧を妨げるという意味でははた迷惑といえなくもないけど、諸悪の根源である魔王だと言ってしまうのはやりすぎだ。
それとも、実は魔界から自ら人間界の支配にやってきたのだろうか?
「アホらし」
思ったことを口にした。
疏水沿いを、まだ咲かない桜を見あげながら帰っていた。
さすがに、ゲームと現実が違うことはわかっている。
でも事実として、魔物は彼女に従ったわけだし。そもそもあの百葉箱が本当に魔物だったのか――。
そんなことを考えているうちに、しのぶちゃんは家についていていた。
その二階建ての我が家を見た瞬間、安堵した。外は訳のわからないことが多すぎる。ここだけが今朝のまま、現実感のある場所だった。
「ただいま」
声をかけると、制服から着替えたマコトがアイス食べながら出てきた。
「ジャンプは?」
一瞬、なにを言ってるのかわからなかった。そういえば朝、そんなことを頼まれてたかな、と思い出す。すごく昔のことのような気がした。
しのぶちゃんの表情で、マコトはわかったらしい。露骨に顔をしかめた。
「うわ最悪―、忘れるかよー」
「ご、ごめん」
しのぶちゃんは顔を伏せる。慌てたのはマコトのほうだ。彼としてはいつものように「一方的に押し付けるあんたが最悪だよ」とか言われるのを期待してわざといやらしく言ったのだが、謝られてしまった。
「べ、別にいいけど。大体は学校で読んできたし」
「うん」
マコトは顔をしかめた。張り合いがない姉に、調子が狂っているようだ。
と、彼は靴箱の上に置いてある箱に気がついた。
「そーいや、ねーちゃん宛てに荷物が着てたぞ。ほら。神社からだって」
「え?」
反射的に、差し出された箱を手にとってしまった。
両手を並べたくらいの大きさの箱だ。紫色で藤花の絵があしらった包装紙に丁寧に包まれている。貼られた伝票にはたしかに自分の名前と住所。そして送り元の住所は三重県の伊勢。名前には、賀茂御祖神社。ワレモノ注意。
今日、何度目かの嫌な予感がした。
「賀茂御祖神社って、下鴨神社のことだろ?」
「そうなの?」
「さあ? かーさんが言ってた」
下鴨神社といえば、京都の中でも歴史が古い神社だ。しょっちゅう祭りもやっている。でも、住所は伊勢。意味がわからない。わからないだけに、どんどん嫌な予感が募っていく。
「わかった、ありがと」
しのぶちゃんは階段を駆け上がり部屋に入る。とっさに鍵もつけてしまう。普段はほとんど鍵なんか使ったことないのに反射的にかけてしまった。
ベッドに座り、手にしていた箱を確認する。
意外なほど軽い。実は空じゃないかと軽く振ってみたが、ごとごとと何かが入っている感触はする。
「う、うーん」
今日、さんざ考えつづけて、ひとつだけわかったことがある。
わからないことを考えても、答えなんか出てこない。箱は開いてみないと中身はわからないのだ。
しのぶちゃんは意を決して、包装紙を剥がしていく。几帳面にセロテープからはがしていった。
中から出てきたのは、何の変哲もない紙箱だった。お祝いの品か何かのようにのしがつけられている。
それも解き、箱を開く。
しのぶちゃんは、わかっていなかった。
神話などでは往々にして、秘匿されているものを開けたってろくなことにはならない。好奇心から不幸の蓋を開けてしまったパンドラを例に出すまでもなく。
「これって……」
携帯電話だった。
あとは説明書と思しき冊子に、充電器やイヤフォンマイク、珠のついたストラップまで入っている。
見たことのない機種だった。携帯電話は持ってはいないが、クラスメイトが使っているのを何度も目にしているから大体の種類はわかるが、そのどれとも違う。
手にとって開く。待ち受け画面として、翼が生えた猫のイラストがあった。頭の上には輪っか。猫天使?
いきなり画面が変わり、音楽が鳴り出した。着信している。着信者の名前が『ハネ』と表示された。
しのぶちゃんは硬直したまま、その名前を見つめる。ハネ。羽。ヨハネ、という聖人がいたよね、とか連想する。着信メロディのコンチキチンの祭囃子が延々と鳴りつづけていた。
出るかどうか迷う。着メロが二順したところで、しのぶちゃんは意を決して、通話ボタンを押した。
「もしもし?」
一瞬の間があった。相手は何も言わない。電話の向こうから、川のせせらぎが聞こえた。あとは、かすかに自動車の駆動音。
繋がっている場所がこの世界の中であってくれたことに、まず安堵した。
『百合原しのぶ、だな』
綺麗な男性の声だった。しのぶちゃんは、最近始まったアニメの二枚目キャラの声に似てるな、となんとなく感じた。
「そうけすけど……誰ですか?」
『便宜上ハネと名乗っておこう。詳しくは話せぬ。ただ、今日君が遭遇した、この世ならざるものに近い、とだけ言っておく』
この世ならざるもの。
それはあの魔物のことか。それとも、ほのか様のことか。
『ただし、属性は逆ではあるが』
逆。魔物の逆。
「――神様とか、天使とか?」
『そのようなものだ』
用件を先に言おう、と前置きして、ハネは言った。
『魔王を封印してほしい』
しのぶちゃんの思考が停止する。
魔王。封印。天使。私。ほのか様。
私が、ほのか様を、封印する。
「え! ちょ、そん――」
『これが叶えられない場合、君に対しては、狭き門の扉を永久に閉ざすことになる』
「狭き門?」
『天国には行けず地獄に堕ちるということだ』
んな無茶な。
今日という途方もない一日を駆け抜けたしのぶちゃんも、この展開にはさすがについていけなかった。
「そんなこと、信じろって言うんですか?」
『無論、信じる信じないは君の自由だ。だが、例えば我々は電気系統への干渉を行える力を有している。これを行使すれば、君に生きながらにして地獄を味あわせることも可能だ』
「電気系統って……」
停電でも起こすというのだろうか。
『試してみるか。ふむ。では、まず君の部屋の電気だけを止めよう』
ハネが言った瞬間、本当に電気が消えた。一瞬、視界が真っ暗になる。すぐに窓の外から入ってくる外灯の光で薄暗さは確保された。
しのぶちゃんは電気の紐を引く。何度引いても灯りは戻らなかった。ドアを開けると、廊下のほうは明るい。本当に自分の部屋だけ電気が止まっているらしい。
ぶつ、とラジオのスイッチが入る音がした。しのぶちゃんの部屋にある電化製品といったらラジカセくらいだ。
『多少は信じる気になったかね?』
ラジオからハネの声が聞こえた。
『人間レベルのセキュリティなど紙も同然だ。銀行口座の残額をゼロにすることも、役所の戸籍情報を抹消することも、逆に悪徳金融業者のリストに君の名前を追加することもできる。その気になれば、脳内の電気信号さえにも干渉することさえできる』
「そ、それって脅迫じゃないですか」
『本気になったか?』
言われたことそのものよりむしろ、あくまでも冷静な口調に恐れを感じた。
まだ彼が本当に神や天使といった神霊であることは信じたわけじゃない。けど、そんなことを平気で言える人は、どっちみち人ではない。
人でなし、という言葉が脳裏をよぎった。人でないから、人に対して簡単にひどいこともできる。
「自分たちでやればいいのに……」
つい、本音が出た。
『それができないのだ。我々と魔界とは、微妙な関係にある。人間界という緩衝地帯をはさんで、一応の停戦状態、とでも言おうか。だが本日02:13、魔王が人間界へと越境を強行した。それにより、世界のバランスが大きく崩れかけている。本来ならば、一定以上の力を有する魔物が許可なしにこちら側に渡れば境界侵犯とみなし攻撃、排除ができる』
いきなり大きな話になってきた。しのぶちゃんは心する。
「……しないんですか?」
『彼女が、一応人間だからだ』
冷静な口調のなかにも、苦いものを噛み潰すような感情が見えた気がした。
『人間が魔界から戻ってくるだけなら、何の問題もない。また、ただの人間なら、我々が独自に間引いても、これもまた問題ない。だが、魔物であるのなら、ある程度の正当性は必要だ。魔王は、自分が人間であることを、今回の境界侵犯の口実としている』
しのぶちゃんは考える。どうやら、魔王は魔物の長ではあるが、魔物の中から選ばれるというわけではないらしい。
『このようなケースは前代未聞だ。下手を打てばそのまま最終戦争に突入する。だが、手をこまねいていては相手に先手を許すことにもなりかねん。我々はいつ爆発するかもわからない時限爆弾を飲み込まされたようなものだ。特一級緊急配備のまま、我々は議論を重ねた。
結果、三つの提案された。
まず、穏便に魔王の動向を監視するにとどめ、無用な争いを回避する日和見な意見。この場合、魔王の目的が侵略なら致命的となる。
次に、戦闘準備を急ぎ、これを機に積年のにわたる膠着を一掃する、という開戦主義の意見。ただ、この場合人間界は焦土となる。また、正直なところ戦力はやや我々に分が悪い。
そして、人間により、人間である魔王を封印させるという意見。人間であるのなら、人間に害されても問題はない。「滞在中に起きた不幸な事故」ということで片付けることができる』
「……それで、私が選ばれた?」
『そうだ』
「でも、こうして私に接触してるじゃないですか。魔王を封印しろって」
『君がどう捉えたかは知らんが、我々は「魔王を封じろ」とは言っていない。我々が魔王が封印されてほしいことを望むことを話し、また君の未来を潰すだけの力があることを伝えただけだ』
「……卑怯じゃないですか」
「外交とはそういうものだ」
言い切られる。
しのぶちゃんは悟る。拒否権は、本当にないのだ。
「でも、なんだって私が――」
『魔王の監視を続けた上での結論だ。現状、君が魔王ともっとも近しい人間である』
「でも近しいなら、封印なんてしないと思うんじゃ」
『近しいといってもまだ友人にはいたっていない、というのが我々の見解だ。君が自分を犠牲にしてまで彼女をかばうことはしない』
たしかに、正直、助けようと思うほど思い入れもない。
でも、自分が手を下すとなるなら話は別だ。
「封印って、具体的にはなにをするんですか」
『君がすることは簡単だ。君が今持っている携帯電話のカメラ機能で、魔王を撮影すればいい』
「え?」
『名をトツカという。太古、神武天皇が東を平征した際にも使われたという神具だ』
うそつけ、と思うが、あまりにも真面目くさった言い方に突っ込めなかった。
『機能を説明しよう。一旦、イヤフォンをつけろ』
しのぶちゃんは箱に入っていたイヤフォンマイクを本体につなぎ、自分の耳にもつける。襟元にマイクをクリップで固定した。
『使い方は普通の携帯についたカメラと同じだ。カメラを起動し、対象を画面中心に映るようにして、シャッターボタンを押す。それで対魔兵器装備としてだけでなく、普通の携帯カメラとしても機能する』
しのぶちゃんは言われたとおりにしてみる。通話中でもカメラ操作はできるようだ。カシャ。問題なく、部屋を撮影できた。
『魔物を封印する際は、通常撮影モードから封印撮影モードにするんだが――口で説明するばかりではわかりづからろう』
しのぶちゃんは何度か撮影を繰り返していたが、ハネが言った。
『これから実際に魔物を封印してもらおう』
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