第1章 7

 しのぶちゃんはマコトの自転車の後ろに乗って、東大路通を南下していた。さすがに大通りなだけあって、道の雪も解けている。二人乗りで大通りを走るのが気になったが、雪道を走るよりは安全な気がした。

「なんだって俺が――」

 マコトがぼやく。

 お母さんの命令で、しのぶちゃんの足にされたのだ。理由は三つ。もうすぐ晩御飯で早く帰ってきてほしいから。女の子の夜の一人歩きは危ないから。しのぶちゃんは自転車乗れないから。

「ここまででいいよ」

 東大路通から折れて、学校へと続く道で、しのぶちゃんが自転車から飛び降りた。

 マコトが怪訝そうな顔をする。

「なに言ってんだ。もうそこなのに」

 マコトの言い分はもっともだった。この後に及んで遠慮するのはおかしい。だけどしのぶちゃんとしては、まさか弟の前で魔物退治をするなんてできなかった。

「いいよ。マコトは、ほら、そこのコンビニで立ち読みでもしてて待っててよ」

「……ねーちゃん、なんか隠してない?」

 鋭かった。

「わ、私がなにを隠すって――」

 そのとき、携帯の着信音が鳴る。しのぶちゃんは、マナーモードの大切さを悟った。

「ケータイ? 持ってたの?」

「えっと、その、人からもらったっていうか」

 変なところだけ正直に答えてしまう。

 マコトに追究される前に、電話に出た。

『もうすぐ到着だな。改めて機能を確認するが――』

「待って。弟がいて、その――」

『別に問題なかろう。最終的に魔王を封印できれば、特に秘匿の必要はない』

「それはそうだけど、なんというか、恥ずかしいというか……」

 肩を叩かれた。

 マコトがすべて納得したような顔をしてうなずいている。

「邪魔者は消えるよ。まあ、ねーちゃんもがんばれよ」

「え?」

 そう言って、マコトは自転車にまたがり去って行く。

 弟の妙に優しげな笑み。

「ち、ちが――」

 しのぶちゃんが否定をする間もない。

『いなくなったようだな』

「あれ絶対なんか勘違いしてたよ!」

 あとでなんて言い訳しようか、今から先が思いやられる。

『いてもいなくても文句を垂れるとは、難儀なやつだ』

「そういうことじゃなくて――はぁ、もういいです……」

 しのぶちゃんはとぼとぼ学校へ向かって歩いていく。

『さっき言いかけたが、カメラとは別に補足しておくことがある。携帯の時刻表示の下に数字が並んでいると思う』

 しのぶちゃんは画面を見る。二万近い数があった。少しずつ増加している。

『それが魔力値の指数だ。やつらがこの世界に存在し、力を使える割合で、魔物にとっては酸素のようなものだ。つまり、多いときは魔物が活発だと思ってくれていい』

「普段はどれくらいなんですか?」

『京都のこのあたりなら、百から二百が平常値だな』

「ものすごくまずいじゃないですか!」

『二万を越えると雑霊が実体化をし始めるから気をつけろ』

 そういえば、学校の百葉箱のお化けもそんなことを言っていたな、としのぶちゃんは思い出した。

 やはりほのか様は魔王なのか。

「ほのか様は、本当に魔王なのでしょうか?」

 気づいたら、尋ねていた。

『彼女の名である「ほのか」とは、忌み名だ。炎花、洸、滅乃歌――炎の花を咲かし、洪水を起こす、滅びの歌い手。また、ミドルネームのLも、世界の不浄なる者から取っている。【虚星】、【泥の娼婦】、【未明の星】……すべて、異国の神話にて語られる、破滅へといざなう者の名だ』

 ハネのあだ名はしのぶちゃんからすればわからないが、とにかく、不吉な存在だというのはわかった。

 実際、しのぶちゃんもその目で見ていた。魔物がほのか様を畏れ敬う姿を。あれこそが、彼女が魔王であるという証明ではないか。

 と、魔力値の数字が一気に上がった。今まで一か二くらいだったのに、二ケタ単位で上がっていく。

『魔物が活動を開始した。やつらが動くほど、魔力値は上がっていく。植物が光合成をして酸素を作り出すようにな。くるぞ』

 学校の門扉を、白いモノが飛び越えてきた。

「あれは……」

 ガコ、とアスファルトに着地するそれにしのぶちゃんは見覚えがあった。というか、つい数時間前のことだ。

「む。魔王様のご朋友であるお嬢さんではないか」

 百葉箱だった。

 しのぶちゃんは、百葉箱にカメラを向ける。画面の中の百葉箱には、黒々としたモヤがかかっていた。

『そのモヤが、やつの本体だ』

 イヤフォンからハネが命じてくる。

『撮れ。そうすれば、魔物は封印される』

 しのぶちゃんはシャッターを、押さなかった。

 かわりに百葉箱に尋ねた。

「あの、どこに行くんですか?」

「せっかく自由な体が手に入ったのだ。ゆえに今宵は舞妓さんの足袋に包まれたくるぶしを求めて、祇園にでも出ようかと。魔王様に迷惑はかけられぬが、他の場所でなら問題あるまい」

「でも……そんなことしたら、大騒ぎになりますよ」

「さもあらん。されどやむなきかな。そこに女性のおみ足がある限り、我輩は舐めねばならぬ、舐めねばならぬのだ!」

『なにをしている。今騒動になれば、そのまま開戦に繋がることもありうるぞ!』

 ハネが声を荒げた。

 だがしのぶちゃんは説得を続けた。

「約束は、していただけないでしょうか。人に迷惑をかけない、共存していく、と」

「愚問。足を目の前にして舌を出さぬ時点で、我輩は我輩ではない。死したるも同じ。これ以上の問答は無用だ。そこを退きたまえ」

 しのぶちゃんは唇を噛み締めた。

「ごめんなさい」

 そうつぶやいて、シャッターボタンを押した。

 カシャ、という軽い音が夜道に響く。

 次の瞬間、百葉箱がアスファルトに転がり、大きな音がした。長い舌だったものは一瞬で砂の塊に変化し、地面に散らばった。

 静寂が戻る。

 百葉箱は微動だにしない。それはもう、ただの百葉箱に戻っていた。

 しのぶちゃんは、カメラの画面を見る。

 舌を出した百葉箱が地面を走り出そうとした瞬間が写っていた。この奇怪な存在はもうこの世にはいない。この小さな携帯端末の中に封じ込まれてしまった。

 ――それって……殺すのと同じじゃない。

 足から力が抜け、しのぶちゃんは地面に崩れ落ちた。

 携帯が重い。なぜか鼻の先が痛くなる。泣きそうになる前兆だ。

『やつらは己の欲望を満たすことしか考えてはおらぬ。説得など無意味だ』

 ハネの言葉が聞こえるが、頭に入ってこなかった。

 あんな変態百葉箱を放置しておいたって、被害者を増やすばかりだ。同情の余地なんかないし、自分たちを守るためには、こうするしかなかった。

 けど目の前で、動くものが動かなくなった。自分がそれをした。

 その事実がしのぶちゃんを打ちのめした。

 これを次はほのか様にしなければならないのだ。

「ねーちゃん?」

 振り返ると、自転車を押したマコトが立っていた。

 彼はじっと、動かない百葉箱を見つめていた。

「……マコト」

「今、何したの?」


 学校の近くを流れる白川疏水。そのほとりのベンチに腰掛け、しのぶちゃんはマコトに一部始終を話した。

 ハネは話していいと言っていたし、正直、自分だけで抱え込むのは限界だった。

「はぁ」

 すべてを聞き終えたマコトは、そんな気のない返事をした。

「……やっぱり、信じてない?」

「信じてなくはないけど。実際、見たわけだし。しゃべる百葉箱も、あとは神社から送られてきたケータイも」

 マコトはしのぶちゃんの携帯をいじる。カメラを起動して、川に向けてみた。肉眼では見えない光球が、画面の中の川にはいくつも浮遊していた。水のあるところには霊が集まるという。さまよえる魂だろう。ためしにシャッターを押してみたが、何の反応もしなかった。しのぶちゃん専用のロックがかかっているようだ。

「ふーん」

 マコトはしのぶちゃんに携帯を返した。

「で、ねーちゃん、どうすんの?」

「どうって――わかんないよ」

「でもどっちにしたって、後悔するのはわかってんだろ。そのほのか様って人を封じるにしても、それをやめて自分が生き地獄、死に地獄を味わっても」

「……死んでも地獄に行っちゃうのかな?」

「そりゃまあ、こんな超アイテムもってたりする連中だったら、できるんじゃないの? 魔物がいるってことは地獄もあるかもしれないし」

 ずいぶん理解するのが早かった。さすがゲーム世代の最前線。現実の枠に捕われず柔軟な思考だ。

「どっちにしても後悔するなら、後悔が少ないほうを選べってこと?」

「……そうかもしんねーけど。それであきらめられるならな」

 コンビニの袋からジャンプを取り、しのぶちゃんに渡してきた。

 しのぶちゃんはその意図がわからずジャンプとマコトを交互に見る。

「努力、友情、勝利。ジャンプのマンガのやつらはあきらめなかったからこそ、不可能を可能に、新しい選択肢を作り出して、本当の解決を見つけ出してきたんじゃないか」

 第三の選択肢。

 ほのか様を封じるか否かだけじゃない。別の、もっと自分も納得できる解決法。それを探せばいい。

 しのぶちゃんの中にずっとわだかまっていた何かが溶けた。

「そっか、そうだよね」

 その声は知らずに弾んでいた。

 具体的には何も解決してないけど、うまくいく気がする。

 そんな気がした。

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