第1章 4

 神宮道の南端近くに、しのぶちゃんのこれから通う学校があった。制服を着た男女が、校門に吸い込まれていく。

 しのぶちゃんは胸の前で拳をにぎる。さっきまではおかしな子にかき回されて忘れていたけど、さすがに緊張してきた。

 電話で担任から教えられたクラスはB組。場所も大体聞いてきた。その点では大丈夫だけど、そこでクラスメイトとうまくやっていけるかどうか――そればかりが不安だった。

「よしっ」

 口の中で小さくつぶやいて、しのぶちゃんは校門をくぐった。

 その瞬間、悲鳴をあげかけた。

 校長先生がいた。

 入学パンフレットにあった写真と同じ、髪が薄いでっぷりした顔だから、間違いない。その校長がメイド服を着ていた。

 堂々と胸を張り、生徒たちに挨拶をしている。生徒たちは一瞬ぎょっとするのか体を硬直させ、小走りに校舎へと逃げていく。

「おはよう」

 しのぶちゃんにもにこやかな笑顔で挨拶してきた。

「お、おはようございます」

 気持ち悪いというか気味が悪かった。校長の笑顔には迷いが一切なかった。すね毛はえてますがなにか? といわんばかり。そういえばヘル子さんも当然のようにメイド服着てたし。実は、知らないだけで普通にはやってるのかもしれない、となかば強引に納得した。

 教室についた。

 中にはもう半分くらいの生徒が入っていた。授業が始まるまでのわずかな時間を、思い思いのすごし方をしている。予習に励む者、睡眠を稼ぐ者、そして友人と談笑する者。つい先日出会ったばかりにしては打ち解けている。もしかしたら同じ中学の出身なのかもしれない。

 しのぶちゃんの中学からもこの学校にきた人はいるにはいたが、クラスは別になった。しのぶちゃんはそれが残念のような、安心したような、妙な気持ちになった。名前と顔は知っていても、話したことがない人たちばかりだったから、なまじ同じ中学出身という共通項があってもぎこちないことになりそうだからだ。

 そんな言い訳めいた弁解を頭の中で繰り返しつつ、自分の席についた。前から三番目の、左から二番目。担任から教えてもらった場所を確認し、一応机の中が空で自分の席であることを確認してから、腰をおろす。

 五秒くらい、そのまま待ってみた。

 誰もしのぶちゃんのことなど気に留めたようすはなかった。

 しのぶちゃんは少し気落ちしてしまった。そんなことはないと思いつつ、どこかで期待していたらしい。自分が席についた瞬間、笑いながら手を引いてくれる人がいるんじゃないか、と。

 携帯電話を片手に向かい合っている女の子が目に入った。番号でも交換してるんだろう。メモリに相手の番号を入れる――それが友だちの証のように。

 しのぶちゃんはそっちを見ないようにした。携帯電話なんか持っていなかったのだ。自分には似合わない、もっと明るくて社交的な人たちが持つものだ――なんて思っていたりする。

 途端に、あきらめに似た気持ちが胸の中に広がった。

 携帯電話を使ってでしか友人が作れないのなら、自分は無理なんじゃないか。自分から無理して話しかけたところで、相手になんかされないんじゃないか。音楽番組よりアニメが好きで、ファッション雑誌より少年マンガ誌を読んでる自分なんか女の子の話についていけない。けど男の子の輪に入るなんてもっと無理だ。

 ふと、今朝出会った破天荒なお嬢様を思い出した。

 今思うと、彼女には敬語を使ってなかった気がする。

 ――ざわっ

 一瞬、クラスの中が静まり返った。しのぶちゃんは、みんなが見ている方向を目で追った。

 メイドさんがいた。

 今朝出会った、ヘル子さんだ。ただ、なぜか頭に水玉もようの手ぬぐいをほっかむりにしてかぶっている。

 彼女は全員の注目など意に介さず、掃除用具入れの中に入り込み、その扉を閉めた。

 クラスに、静かなざわめきが甦る。「なぜメイドさんが――」「そういえば校長も――」「掃除用具入れはメイドの国に繋がっていて――」「集団催眠だ――」「プラズマだ――」

「ホームルーム始めるぞ」

 担任が教室に入ってきて、そのざわめきを強引に鎮めた。みんなが、胸をなでおろした気配を、しのぶちゃんは感じた。うやむやにしたかったのだ。目の前で起こった不可解なことを。

 ただひとり、しのぶちゃんだけは、妙な予感がしていた。

「さて。妙なタイミングだが、転校生がきた。入ってきなさい」

 全員が戸口のところを注視する。

 しのぶちゃんは、予感を否定するのに精一杯だった。まさか、いやしかし、それでも――。

「お初にお目にかかりますわ、一年C組の皆様」

 ――やっぱり。

 ほのか様だった。

 背中まで伸びた黒髪。閉じてるように見えるくらい細い糸目。ほほ笑みを絶やさない口元。そして傍らには白い大型犬チル。

 担任が、名前を黒板に書く。

『世界龍・L・ほのか様』

 様、だけ筆跡が違った。筆記体のように崩した字面。一瞬、教卓が揺れたような気がした。が、担任もほのか様も気づいていない。

 ふと思い立って、しのぶちゃんは後ろの掃除用具入れを見た。

 扉は相手いた。

「名前は、世界龍・L・ほのか『様っ!』そうだ……ん?」

 担任の名前に、『様』と高い女の子の声が割り込んだ。さっき揺れた、教卓の辺りから聞こえた気がする。

 ほのか様は一歩前に出て、ポケットから取り出した扇子を開いてみんなに掲げた。

「どうぞ、気安くほのか様とお呼びくださいませ」

 ぜんぜん気安くないよ!

 心の中で全力で突っ込みつつ、周囲の様子をうかがった。

 みんな、ドン引きしてた。

 今朝のしのぶちゃんと同じようなものだった。不可解な展開についていけていない。ただし、教室の場合は順番が逆だ。しのぶちゃんはだんだんと妙なことになっていったからまだ順応できたが、ここではまずメイドさんの闖入という一番訳のわからないところから見せ付けられた。そこで揺さぶられたところに、犬を連れた転校生がめちゃくちゃなことを言ったりしている。

 しのぶちゃんは逃げたくなった。

「あら、しのぶちゃんではありませんの」

 全員の視線が、しのぶちゃんのほうに向く。

 逃げるどころか、その発言で渦中に放り込まれてしまった。

「奇遇ですわねぇ。まさか同じクラスになるだなんて」

「あぁ……うぅ……」

「あら、どういたしましたの? まるで熱病に浮かされた小鹿のように震えておりましてよ?」

 めちゃくちゃ恥ずかしいだけだった。

「それじゃ世界龍の席だが、空いてるところで――」

 担任が一番後ろの席を指そうとしたが、「ふっ」とほのか様は髪を払い手を腰に当て、ポーズ。

「案ずることはありませんわ」

「は?」

「運命とは自ら切り開くもの。与えられずとも、作り出して見せましょう」

「いや、意味がわからんが」

「わたくし、しのぶちゃんの横がいいと申し上げているのです。あ、景色がいいから窓際のほう」

 ほのか様はしのぶちゃんの左横の席を指差した。そこに座っていた男子はぎょっとしている。

「いや、あそこは飯尾の席だから」

「わたくしは屈しませんわ。欲しがりましょう、勝つまでは」

 そりゃただのわがままだ。

 そのまま担任と言い争いになる。

 と、ヘル子さんが教卓の下から出てきた。ほふく前進でしのぶちゃんの席の前までやってくる。キッとしのぶちゃんに一発ガン飛ばしてから、その横の飯尾くんに飛びかかった。

「――なっ!」

 飯尾くんはとっさの出来事に反応できない。あっという間に床に引き倒される。ヘル子さんは丈の長いスカートをまくりあげ、飯尾くんをくるんでしまった。

「な、なにしてるんですかヘル子さん!」

 慌ててしのぶちゃんは止めに入るが、ヘル子さんは人差し指を口の前に立てて「しーっ」と言った。飯尾くんを吸い込んだはずのスカートは、何事もないかのように元に戻った。まるで飯尾くんが消えてしまったように。

 再びヘル子さんはほふく前進、教室の後ろに進み、最初のときのように掃除用具入れに入っていった。

「あら。いつの間にか席が空いておりますわ。まるでわたくしに座れと言っているよう」

 今気づいたかのようにほのか様がはしゃいだ。いや、本当に今気づいたのかもしれないが。

「飯尾、どこに?」

 担任は首をかしげる。こちらはほのか様に気を取られて、本当に気づかなかったらしい。

 誰も真相を担任に伝える者はいなかった。

 ひとたび注目を浴びれば、飯尾くんのように消されてしまうのではないか。そんな緊張感が教室を包み、息さえも漏らすまいとみんな必死だった。

「よろしくね、しのぶちゃん」

 満面の笑みを浮かべながらとなりに座るほのか様。「あら、教科書ひとそろえ用意されてますのね。ますますついてますわ」とかお喜びあそばれている。

 痛い。

 全方位から射出される視線が痛い。

 これからどうなるのか。考えたくなかった。考えたら、泣いてしまいそうだから。

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