第3章 7
もう夕方だった。
期限が迫っている。しのぶちゃんは猫の姿を探しながら、神宮道を北上していた。
ふと、同じ学校の女子が平安神宮のほうを見ながら、声をひそめて話しているのが目に付いた。
「さっきの――だよね」
「こないだまでは――だったのに」
ピンときた。
「あの、すいません」
息をなんとか整えながら、しのぶちゃんは彼女らに話しかけた。
「なんか、変なもの見ました?」
汗だくで辺りを探してる自分も変といえば変だよな、と頭の片隅で思う。警戒されないだろうか、と不安がかすめるが、彼女たちは気安く返してくれた。
「見た見た! 校長がさ、犬みたいに四つ足で走ってったの。平安神宮んなかに!」
「ちょーキモかったよねぇ。こないだはメイド服だったし。大丈夫かなうちのガッコ」
多分、無関係じゃないんだろうなぁ。苦笑しながらしのぶちゃんは礼をいう。
「……ありがとうございました」
また走り出した。ふと、自分が何の抵抗もなく見知らぬ人に話しかけられたのが不思議に思ったが、今は考えないことにした。
平安神宮はもうじき門が閉められそうになっていた。
守衛さんににらまれるが、ひるまずに、逆に聞き返した。
「こっちに猫がきたの見ませんでした? デブな黒ネコなんですけど」
「猫、ねえ? 変な人ならきたけど……」
「その人は?」
「さあ? 中に入ったのは見たけど――」
答えを待たず、中に入る。
夕日で、白砂の地面が赤く染まっていた。もともと建物も朱色の柱に白壁が際立っていたが、伸びた影で黒い色映えも混じって、息を呑むほどの光景となっていた。
拝殿の前にまで来てみるが、ハネらしい影はなかった。
「ハネさーんっ!」
思い切って、呼んでみた。
が、返事はない。巫女さんが何事かとこちらを見るだけで、猫が応じてくれることはなかった。
いつもこの周辺にいるからすぐに会えると思ったが、あてが外れた。
どこを探せばいいか、考えていたとき。
「なにをしている」
「うわぁ!」
いきなり足元に現れた。
「ど、どこに――」
「声を抑えろ。君は目立っている」
周囲を見ると、閉門が近いこともあり参拝者はほとんどいない。そんななかで大騒ぎしていたら目立つどころではなかった。
ハネを抱き上げ、顔に寄せてつぶやくようにして話そうとするが。
「お、重い……」
「肉体的特徴に関する話題はマナー違反だ」
「す、すいません」
肩に担ぐようにして固定する。
「妙な魔物に追いかけられていてな。階の下に隠れていた」
校長のことだろうか。
「どうも、我の位置がおおよそながらわかるらしい。そこで尋ねるのだが、トツカはちゃんと持っているな?」
「あ、すいません、池に落としちゃって」
「……それか」
はあ、とハネがため息をつく。猫のため息というのを初めて聞いたしのぶちゃんだった。
「あれを経由すれば我の位置がわかってもおかしくはない。気をつけろ。まだその辺りにいるはずだ」
辺りを見てみるが、やはり、人影はない。しのぶちゃんは平安神宮のだだっ広い境内のまん中を歩いているので、接近してくる人がいれば一発でわかる。
「それで、我に何か用があるのではないか」
「はい、それなんです」
門のほうへと歩きながら、しのぶちゃんは答える。
「ほのか様を封じることも、野放しにすることもなくする方法を見つけました」
「まだそのようなことを。魔王がこちらにいる限り、いさかいは絶えぬのだ」
「そうです。魔王はこちらにはいられない。私は、それをなんとかしようと思っていたんですけど、でも、よかったんです。別に魔王が問題なんじゃなかったんですよ」
「……どういうことだ?」
「つまり――」
「上だ!」
門をくぐろうとした瞬間だった。
結論を言うことに意識がいって、反応が遅れた。
見あげる。校長がいた。門の上部にある階層に潜んでいたらしい。両手を広げている。
その手から、黒いボウリングの玉が落ちてきていた。重くて硬そうな玉が、直撃するコースだ。
が、それはただの玉じゃない。荒縄のような導火線がちょんと出ている。
黄色い火花を帯びて。
見覚えがあった。昨日、女子トイレでヘル子さんが持ち出した、伝説の邪龍の名がついた爆弾だ。
とっさに、しのぶちゃんはハネの体を突き飛ばすように門の外に投げ捨てた。
かばおうとしたわけではない。ただ、彼が無事でいないとほのか様が助けられないと思ったからだ。
爆弾が直撃する直前。
球体の爆弾の形状が崩れ、いくつもの竜の形になる。それぞれ、牙の生えた口元に異なる意味の嗤いを浮かべていた。侮蔑、嘲弄、優越、野卑、淫猥、憎悪、愉悦――暗い嗤笑を竜たちは浮かべている。竜は闇と化して、しのぶちゃんへと食らいかかる。
竜の名前を、思い出した。
ニドヘッグ。
《屍をむさぼるもの》。
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