第3章 6
「くそ」
東山京阪の近くのコンビニにあった公衆電話で、マコトは何も聞こえなくなった受話器に向かって毒づいた。
姉への電話が聞こえなくなった。
切れたわけではないようだったが、うんともすんとも言わない。なんにせよ、トラブルが起きたには違いなかった。
最後の言葉は「チル? それなら」。
ほのか様が弱気な声で尋ねてきた。
「しのぶちゃん、どうでした?」
「わかんないけど、もしかしたらもうチルと遭遇してるかも」
マコトは自転車にまたがる。
「とにかく、円山公園だ。乗って」
ほのか様を促す。
二人乗りで円山公園までなら、五分から十分が妥当なところだ。だが、それまで持つかどうか。
「あの、しのぶちゃんがわたくしの討ち手だったというのは、本当なのでしょうか?」
ほのか様が尋ねてきた。
全力でこぐマコトは、その問いにどう答えるか迷った。ごまかすか、いっそ風の音にまぎれて聞こえなかったことにしたかった。
「――そうだ」
結局、ちゃんと答えることにした。
「わたくしを討つつもりだったのでしょうか?」
「ねーちゃんがそのつもりだったら、とっくにやってたと思うよ」
「そう、ですわよね」
ほのか様の声から不安の色はぬぐいきれていなかった。
「当たり前だ。友達、なんだから」
かすかに、息を呑む音。
後ろは見えないが。
ほのか様が笑っているんだとわかった。
「そう、ですわね」
さっきよりも、かすかに明るかった。
花見小路通りから古門前通を左に折れる。古美術店が建ち並ぶ路地を全力で疾駆する。四車線の三条通や白川に面したこの辺りは、人通りが少ない。自転車を飛ばすにはもってこいだ。
「ほのか様ぁ!」
その最中に、ヘル子さんが飛んできた。文字通り、家の屋根の上を飛び跳ねて、地面に着地する。
マコトは自転車を止める。
「ヘル子さん?」
「お、お姉様が大変です! チルが――」
そのとき。
遠吠えがした。
力強い声に地が震えるのを感じる。
音は疾風になって辺りを吹きすさぶ。木々が大きくしなり、ほのか様の髪も大きく揺らされる。思わず、マコトも目を閉じる。
「……ほのか様」
風がやむと同時に、少年の声が間近からした。
目を開くと、そこに狼がいた。彼が座っている周囲は陥没し、なぜか花が咲き乱れている。
「チル。あなた、縛めを解いてるの?」
言われて、チルは息を吐いた。
途端に、逆立っていた毛並みが柔らかくなっていく。チルの周囲に咲いていた花も枯れていき、崩れて塵となり風に散った。
「お、お姉様はどうしたですか!」
ヘル子さんが涙目になりながらチルに詰め寄る。
「何かあったら、許さないですよ!」
「……生きてるよ」
チルは疲れたように言った。いや、疲れているのかもしれない。息も荒く、手足も震えている。
さっき、縛めがどうの、と言っていた。それと関係するのかもしれない。
ほのか様が尋ねる。
「助けたのですか?」
「殺さなくてもよかっただけ。あいつを殺すのが僕の目的じゃない」
チルがほのか様を見あげる。
「そして、僕の目的も達成される。ほのか様、魔界へ帰ろう」
「……イヤです」
「どのみち、もうほのか様はこちらにはいられなくなるよ」
「どういうことだ?」
たまらず、マコトが尋ねた。
が、チルは見向きもしない。
「まさか」
ほのか様が息を呑んだ。
「わたくしを狙っているという神様のほうを、倒したのですか?」
チルはうなずいた。
「でも、いくらあなたでも第三の縛めを解かなければ神殺しはできないはず」
「僕の力じゃない。他にも神を殺す方法があるよ」
「……あっ」
ヘル子さんが、しまった、という顔をしていた。
「もしかして、あれですか? なくしちゃってどうしようって思ってたんですが、チル、まさかヘル子の盗んだんですか?」
「盗んだわけじゃない」チルはそっぽを向きながら答えた。「落ちてたのを拾っただけだ」
「なにを――いいから、返すです! あれはヘル子のなんですよ!」
「ダメだ。僕は持っていない。別の魔物に持たせた」
ほのか様が尋ねる。
「どうやって神様の居場所を探したんですか?」
「あの娘の武器を奪って、一緒に持たせた。神が与えた器ですから、そこから神の居場所を割り出すのはたやすいです」
チルは空を見あげる。
「ニドヘッグで神を殺す。それで、ほのか様の安全は確約されます」
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