第3章 4
「マコトくん、わたくし、気づきましたわ」
新京極通を四条通から上っていった最中に、ほのか様が言った。
「お金があれば食べ放題ですわ!」
「はぁ。そーすね」
ほのか様のことはしのぶちゃんに一応聞いていた。魔王だ、という。世間知らずでわがままなのはそのせいだろう、と。
「その上、食べ物屋さんで働けば、食べながらお金をいただけます」
「売り物食べたらダメすけどね」
「なんだかわたくし、こっちでやっていける自信が湧いてきましたわ」
「あなたの心配そこだけだったんすか」
マコトもだんだんとこの年上のくせにやたら子供っぽい人の扱い方がわかってきた。最低限のところはブレーキをかけさせて、あとは一歩下がって放任。
近すぎたときは振り回されてばかりでわからなかったが、少しだけ距離をおいてみるとなかなか見ていて飽きなかった。
「あっ!」
八橋の試食を見つけて、飛んでいく。どうぞどうぞ、と笑いながら薦めるおばちゃんの言葉を聞かないうちから手をつけてる。
マコトもあとを追おうとするが、男性と肩をぶつけてしまう。
誤ろうとした矢先、
「気つけろ、ボケ」
鋭く吐き捨てられる。男はそのまま早足で人ごみの中に消えていってしまう。
なんだ、と思う。
よく見ると、街全体がどこかいらだたしげだった。むっとしたこの気候のせいかもしれないが、道行く人たちの表情がどこか余裕がない。全員がストレスを募らせている感じがする。
近くでサイレンの音が聞こえた。
なんとなく不吉な予感を覚えた。
「おかわりいただけるでしょうか」
「待てコラ」
そんな街の様子などお構いなしに、ほのか様は試食品を平らげていた。マコトは彼女の襟元を引っぱって店頭から引き離す。
「あら、何いたしますの?」
「マナーってもんを覚えてほしいところだな」
「ふっ、見くびらないでいただきたいわねっ。買うつもりもないのにやたら試食してお腹の足しにするのが褒められたことでないことなど、百も承知ですわ」
「確信犯かよ!」
試食を平らげられてもにこやかに手を振るおばちゃんに見送られる。京都人の鑑だ。あるいは、こんな小娘のわがままなど気にも留めていないのかもしれない。器の大きさを感じた。
「どこに連れて行かれるかと思ったら、試食あさりツアーかよ」
円山公園でほのか様のほうから行きたいところがある、と言ってここまで自転車を押してついてきたのだ。
「新京極、寺町と何週かすれば時間とお腹の隙間を埋められますわよ」
「俺を巻き込まないでくれ」
「あら、あちらでは漬物がやってますわ。あれは気づきませんでしたわね」
聞いてないし。
もうほったらかしにして帰ろうか。そう思ったとき、妙な人影を見つけた。
黒づくめだった。黒いスーツに帽子、サングラスまでかけている。「秘密組織の者です」と言ってるようなものだった。
壁に張り付くようにして、ほのか様の入っていった漬物屋のほうを伺っていた。よく見ると、他にも数人同じような人たちがいる。
よくない感じがした。
ほのか様は中で漬物の味を食べ比べるふりをして次々とお漬物をお腹に入れている。漬物っていうのは風味を味わうもので腹の足しにするものじゃないのだが。
男の視線がやはり気になる。
マコトはほのか様に声をかけようとした。
同じタイミングで、店員のおばちゃんがほのか様の向かいに立った。
「お嬢はん、あんじょう食べとんなぁ」
「千枚漬けというのですから、千枚くらい食べないとわからないかと思いまして」
「それはよろしおすけれど。しまったら、はよ帰りおすな」
顔は笑顔だが、食べ終わったらさっさと帰れとはなかなかきつい。
「すいません」
マコトはほのか様を引っ張ろうとするが――
「なに言うてはりますの。魔王様が帰る言うたら、魔界に決まってるやないですの」
マコトは、気づいた。
おばちゃんの影の形が、体に比して大きく、そして濃い。その黒い色の中でぐるりと渦が巻いた気がした。
「あなた、魔物ね」
ほのか様がもごもご食べながら言った。
マコトが聞き返した。
「魔物……?」
「こっちで魔物は力はあるけど形がありません。一部を除いて、なんらかの形を宿さないとこちらでは活動できませんの。けれど、人間に宿るのは、境界条約違反ですわね」
「そりゃもう、危ない橋渡ってわざわざきたんですえ。おとなしゅう、帰ってきてくれへんやろか?」
「悪いけれど、わたくし、こちらに住むことにいたしましたの。魔王の座も返上いたしますわ」
「……今のは聞かんかったことにいたしましょ。魔王は座ではなく宿命でおます。死ぬときまで魔王。そない簡単に行くもんともちゃいます」
「あら、やっぱり?」
あっけらかんとほのか様は肯定した。
「けれど、わたくし、不可能は可能にするためにあるものだ、と存じておりますの」
「そう思うことは魔王様の好きやけど、それでのうなるものがあるっちゅうことを、考えておまっしゃるでしょうか?」
黒服たちが動いた。
「まあ、話は魔界のほうで聞きましょ」
「ほのか様、乗って!」
マコトは自転車に飛び乗り、すかさずほのか様も荷台に腰掛ける。
取り押さえようと手を伸ばしてきた黒服の男たちにほのか様は赤い粉末を振りまいた。
「ぐわァァーー」
目を押さえてその場に崩れ落ちる。
そのままマコトはチャリで新京極通を北上した。ちなみに、基本的に自転車は押して歩きましょう。
さすがに歩行者が多いので走りづらく、わき道から裏寺通りに入る。こっちなら道も入り組んでいるので撒きやすい。
L路地を左に曲がりながらマコトが尋ねた。
「さっきのあれ、なに?」
赤い粉末である。かけた瞬間、相手が苦しみだした。姉の携帯のような。対魔用の聖遺物か何かだろうか。
「え? お店にあった七味唐辛子ですが? さすが京都の七味は一味違いますわ。サングラスの上からでも効果てき面」
えげつないことする。
「さっきあの人が言ってた、魔王をやめることができないってのは、そうなの?」
「ええ。運命ですから、死ぬまで変わらぬことですわ。本当にやめようと思ったら死ぬしかない。彼らとしても魔王が不在では気が休まらないでしょうから、最悪、わたくしの命を絶って次なる魔王を待つことさえするかもいたしません」
ほのか様は淡々としゃべる。
「それなのに、なんでこっちに?」
「このまま魔界にいたって、どうせ退屈で死ぬのと同じような日々があるだけですわ。なら、まだ希望があるほうを選ぶでしょう?」
それにしても、とほのか様はため息混じりに続けた。
「実際にわたくしを力づくで連れ戻しにくるなんて、少し驚きましたわ。相当切羽詰ってますわね」
L路地を右に曲がりながらマコトが尋ねた。
「いったい、どうして?」
「魔界の扉が開いたことと関係するでしょうね。すると、あの子の思惑かしら。でも、どうしてかしら。あの子がそこまでするとなると……」
L路地を左に曲がりながらマコトが――止まった。
「うん? どういたしました?」
「……さっきから、同じ路地を曲がってる」
ビルに囲まれた、何の変哲もない路地だ。角には枯れた鉢植えが並んでいて、上にはカーブミラーが備えられている。
魚眼になったミラーを覗き込む。路地の向こうはやはり同じようなL字のカーブになっている。鏡写しのように、このカーブと左右対称だ。
街の喧騒が遠くになった気がした。
「どうやら、術中にあるようですわね」
「わかるのか?」
「あら。あまりわたくしに期待なさらないでいただきたいわ。魔物と付き合いが長いだけのただの花の女子高生ですから。言えるのは、こういうことが可能だ、ということですわ。わたくしたち、ある種の隔絶された空間に閉じ込められたのです」
どれだけ進んでもL路地を左右に曲がりつづけるだけ。マコトは空を見あげた。喧騒が聞こえるだけに、不気味な感じがする。
と、そこで気づいた。
「空は、見えるんだな」
「そうね。もしわたくしたちが空を飛べるのなら、こんな罠、あっさり破れてしまうのですわ」
「じゃあ、無理なのか」
ふふん、とほのか様は鼻で笑った。
角に置いてあった鉢植えを手に取り、中の土をひっくり返す。
「肝心なのは、この罠がそんな抜け道を許す程度の完成度ということです。急ごしらえだったのでしょうね」
ほのか様は鉢を振りかぶり、カーブミラーに叩きつけた。
甲高い破砕音が響く。
マコトにはそれが、悲鳴に聞こえた気がした。
同時に、耳がすっきりした気がした。トンネルをくぐっているときに感じる耳の違和感がなくなったような感覚に似ている。
「さて。中心となっている呪物を破壊したことで、呪法は破れましたわ」
「呪法って、鏡か」
マコトは鏡の破片を拾う。
そこに映ったマコトは顔を苦痛に歪めて泣いていた。
「な――っ」
「あら。どうやら魔物の本体が映っているようですわね。ちょうどよかったわ。ねえ、鏡のあなた。わたくしの声、聞こえます?」
『ひ、ひぃぃ! ぼ、ぼくは反対だったんですよ! 魔王様をこんなところに封じ込めるなんて』
「結構。話せるようね。では、答えてちょうだい。いったい、何のためにわたくしはあなた方に狙われているのでしょう?」
『そ、それは……』
「話さないのなら、あなたはこのまま分別が曖昧な京都市のゴミとなって、燃やされることになりますけれど」
『い、言います! チル様に言われたのです! 天界の討ち手がほのか様を狙っている、強引でもかまわないから魔界にお連れ戻ししろ、と』
「やはり、チルですか」
ほのか様は考える仕草をした。
「で、そのチルはいずこに?」
「討ち手を狩りにいく、とおっしゃられてました」
「討ち手さんもかわいそうに。チルに狙われてしまっては、魂さえも残りませんわ」
「まさか――」
マコトが息を呑んだ。
関係ない話だと思っていたが、それに気づく。天界から選ばれた魔王の討ち手。
「それって、ねーちゃんのことじゃ……」
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