(5)
「なあ。ソウって初めて会った時、井戸の中にいたよな」
「ええ。ずいぶん長いことあの井戸の中で過ごしていました」
「どうして、あの井戸の中に入ったの? その前はどこにいたの?」
「あの井戸へは、旅の途中でのどが渇いたので寄ってみたんです。どうしてあの井戸に入り込んでしまったんでしょう? なんとなくおいしい水がある予感がして入ったような気が……」
川沿いの道を走りながら、目の端で風景を追う。行きに通った道だけど帰りは全然違う風景に見えるんだよな。
また一つ、大きな木を見つけた。
「あの木はどうだ?」
「うーん。これのような気もしますが、違うような気もします」
「周りの景色はあまり参考にならないからなあ」
「そうですね。川幅は広くて近くに橋もありますけど、もちろん当時の橋とは違います」
三百年近く前の記憶だ。はっきりしなくて当然だろう。焦るまい。
それに、ここじゃあない気がする。
確認のために近寄ってみると、そこはあまり広くはないけど、公園になっていた。入口の丸太のような看板には『クスノキ公園』の文字が。もしかしたら元々あったこの大木を切らずに済むように公園にしたのかもしれない。
木の周りは柵で囲まれて、その前に由来の書かれたプレートがある。
「樹齢三百年のクスノキ……か。だったら三百年前は若木だったのかな」
「その頃もこれと同じくらい大きかったですから、あれは若木ではなかったと思います。クスノキって三百年でこんなに大きくなるんですか。びっくりします」
「そうだな。せっかく公園に来たんだから、ベンチで休憩しよう」
「きゅい。おやつタイムですね」
いつもソウのお弁当は、生魚は腐りそうなので果物かキャットフードを持ち歩くようにしている。今日のおやつはカリカリのキャットフード。
ソウは食べなくても水さえあれば平気だと言うけど、いつもすごく嬉しそうに食べるので、やっぱりご飯はあったほうがいいんだと思う。
「カリカリはおいしいです。いろんなメーカーのものがありますけど、全部味が違っているのですよ」
「へえー、色とか形もいろいろあるもんな」
「ええ。みんな違ってみんなおいしいです」
そう言いながらカリカリを食べては、コップに注いだ水を上手に飲む。
「ところでさっきの話の続きだけど、ソウがいた井戸の水って、結局おいしかったの? 水といえばさっき、生まれたところの川の水は匂いが分かるって言ってたけど、井戸の水も似てた?」
「美野川の水と同じ匂いがしました。源流の、私が生まれたところよりはずいぶん薄い匂いでしたが。それに、薄いけれどなんだか懐かしい匂いがしましたよ」
井戸があったのは、古い神社だ。色のハゲた鳥居。ただの石ころと見分けがつかない狛犬。蓋で塞がれた井戸。壊れかけた社。そして社の横には大きな木が一本生えている。
御神木なんだと思う。木の種類は分からない。
この公園の木と似た葉っぱだったような気がする。それは帰ってから直接見たら分かるだろう。
「井戸の中で、いろいろと思い出していたんです。もう忘れかけていた子供の頃の事とか、大人になってから両親と一緒に旅した時の事とか。そういえば、そのときからお墓の事が気になりはじめたのかもしれません」
じいちゃんちの裏の神社が、ソウの両親のお墓がある場所じゃないのかな?
もしそうだとしたなら……。
……。
灯台下暗しすぎるっ!
樹齢三百年だというクスノキをスマホで写してから、また自転車に乗って家へと向かった。
クスノキ公園から家までは案外近い。途中にそれらしい大木もないし、やっぱり一番怪しいのは神社だろうと思う。
家に自転車を置いて、裏口から神社へと入る。
古い社のすぐそばに、クスノキ公園の樹齢三百年の木よりももっと幹の太い立派な大木があった。
「なあ、ソウ。この木じゃない?」
「うーん。こんなに大きくはなかったですから、よく分かりません。でもここはなんだか懐かしい匂いがします」
「ご両親のお墓は、どんなのだったの?」
「それはですね、私よりもこう、これくらい大きくて」
ぴょーんと飛び跳ねながら手をいっぱいに広げて左右に動く。墓の横幅を表しているんだろう。ソウの身長よりはずいぶん大きいように思う。
「両親は私よりも大きかったんです。とても強くて、魚を捕まえるのも上手なカワウソでした。お墓は両親とだいたい同じくらいの大きさで、こんなふうに立ち上がった格好でした。立派な台座の上に乗せられて、本当にかっこよくて訪ねてきた人間がみんな手を合わせていったものです」
「それって、もしかしてこれ?」
「……っ!」
神社の入り口に置かれた狛犬は、風化してはっきりした形が分からない。あまり大きくはなくて、膝ぐらいの高さの台座に乗った縦長いフォルムの石だ。
こういう場所にあるからてっきり狛犬だと思ってたけど、立ち上がったカワウソと言われれば、そう見えなくもない。
ソウは息をのんで狛犬に駆け寄った。
「きゅい、きゅいきゅい」
狛犬の周りを走り回っては、鳴く。人間の言葉ではなく、カワウソの言葉で叫ぶ。狛犬に話しかけているのだろうか。
俺は御神木と思われる大きな木に寄りかかって、黙ってそれを見ていた。
しばらくしてソウは、狛犬の周りを走るのをやめてこっちに来た。だけどそのまま御神木と社の間を通り抜けて、どうやら社の裏手に行くようだ。
社の裏は空き地で、その向こう側には木が何本か生えて根元も低木で覆われた藪のようになっている。そのうちの一本の木は小さな濃いピンクの花で覆われていた。その他にも違う種類の木や、枯れかかったアジサイの花がいくつかみえる。梅雨頃に見に来たらもっと華やかかもしれない。季節ごとにひっそりと、いろんな花がここを彩っているんだろうと思う。
ソウはピンクの花の前に身を伏せて、しばらくの間じっとその花を眺めていた。
「
ぽつり、ぽつりとソウの口から言葉がこぼれる。
「ここにいた頃、私には人の言葉はよく分かりませんでしたから。ここにはもっと大きな家が建っていて、派手な門があった気がします。今思えばそれは朱に塗られた鳥居だったのかもしれません」
「うん」
「この萩の木は当時と同じものではないのかもしれませんが、綺麗な花の下に、両親は埋めてもらいました。当時の私はそれがどういう意味かは知らなくて、でもここの人間は時々おいしいものをくれる、いい人でした」
「うん」
「両親との別れは寂しくもありましたが、一方で最後まで安らかに……静かに寿命を刻み終えたという安心感もあります。私はしばらくの間この近くに住んで人間の前に時々顔を出したんですが、人間はいつもおいしいごはんと一緒に何か言葉を発していました。その時私は、人間についてもっと知りたいと思ったんです」
「そっか」
「ここが、両親のお墓でした。シュート、一緒に探してくれて、本当にありがとうございます」
その後はまた、長い時間じっと花を眺めていた。
【カワウソの墓 おわり】
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