(2)
「あれ?英語の宿題が無い」
「おかしいな、入れたはずなのに……」
数人が鞄に頭を突っ込んで焦った声を上げている。それを友達が取り囲んで、心配そうに声をかけたり、一緒に探したりしてるので、教室内はちょっとした騒ぎになっていた。
かく言う俺も今まさに、自分の荷物をひっくり返して探している最中だ。
午後の最初の授業は英語で、今日は夏休みの宿題を提出しなきゃいけない。英語の久保田先生は隣のクラスの担任で三十六歳。二人の可愛い女の子のパパで、授業中にデレデレと自慢することも多い。どちらかというと優しくて、宿題を忘れてもそんなに厳しく怒ったことはない気がする。ただ、さすがに提出物を期限内に出さないと成績に響くのは間違いない。
公園から帰ってすぐに、ざわざわとしている教室内を不思議に思いながら次の授業の準備をしていたら、俺も宿題のノートが無いことに気が付いた。
あれえ……持ってくるのを忘れたかな?
たしか英語の宿題は夏休みのかなり早い時期に終わらせたはずだ。宿題用にと配られた緑色のノートは、えっと……忘れないようにもう何日も前に鞄の中に入れて……それから……そのままのはずだ。多分。
もしかしたら昨日荷物をそろえるときに、うっかり出して忘れてきたっけ?
そんなことするかなあ。いくら俺がうっかり屋の母の血を引いているからと言っても。
「おかしいな。一週間くらい前に確かに鞄に入れたんだけど」
「これは、事件ですね!」
バッグの中から、ソウがまたひょこっと顔をのぞかせて、何度もうなずきながら話しかけてきた。
ヤバいって、ソウさん。引っ込みなさい。
ノートを探すふりをしながら、ぐっと頭をバッグに押し込む。でもソウは諦めない。
「これは、事件ですね!」
「だから出てくるなって!」
小声で必死に説得する俺に、手のひらを上に向けて、肩をすくめるような仕草をした。
肩なんて、ないけどな。
いいから頭を引っ込めなさい!
「ふむ。シュートは臆病ですね。こんな騒ぎの中、可愛いカワウソのことなんて誰も気付きませんよ。いや……でも、『臆病』ではなくて『用心深い』と言えば、探偵にふさわしいかもしれません。なるほど。ふむふむ」
ソウは短い前足を顎の下にちょこんとあてるお気に入りのポーズをとって、ようやくぶつぶつ言いながらバッグの中に引っ込んだ。
最近、ソウは俺の部屋にある探偵マンガにすっかり夢中になってるんだ。
最新刊まで読み終わった今では、すっかり自分も探偵になった気分みたいで……。ことあるごとに『これは事件ですね』と言っては、部屋の中を走り回って何かを探している。
どうやら今も、英語の宿題ノート紛失事件について思いを巡らせ始めたようだ。事件なんてないのに。
まあいいか。
いろいろ推理しながらバッグの中で静かにしていてくれればいい。
教室内では、宿題がないといって慌てていた奴らも、仕方なく諦めたらしい。久保田先生が来て、授業が始まった。
「さて、夏休みの宿題だが、みんなやってきたな?」
集めながら未提出者をチェックしてる。
やばいなあ。マジで最後まで解いたし、ちゃんと持ってきたはずだったのに。
「このクラスは八人か。ちょっとやってないやつが多すぎるぞ。宿題は次の英語の授業までに必ず職員室に持ってくるように。それ以降は減点するからな」
言い訳をしかけた女子もいるが、先生は気にせず授業を始めてしまった。
みたところ、未提出者八人のうちの三人は実際にやってなかったんだろう。授業のノートを取ると見せかけて、今必死に宿題をやってる。
俺の席って一番後ろだから、よく見えるんだ。そしてそれ、多分先生からも見えてるからなー。
しかし俺以外の七人のうち、まだ宿題ができていない奴が三人。だったら残りの四人は俺と同じうっかりなのだろうか。
四人も?
メンバーを見ると、普段忘れ物などしないすごく真面目な女子が一人混じってて、少し気になる。
これ、まさか本当に事件じゃないよな?
◆◆◆
英語の授業が終わって休み時間になるやいなや、ひょこっ、ひょこっとソウがバッグから顔を出そうとする。
気が付かれたらどうするんだよ。ほら、小池はじっとこっち見てるぞ。
さりげなく頭を押し戻したけど、今度は手だけちょっと出して、ひらひらと振る。このままじゃ、皆にソウのことがばれるのは時間の問題だ。
あー、もうっ。しかたない。
俺は根負けして、バッグをひっ抱えて教室の外に飛び出した。
さて、どこに行こう。公園に行く時間はもちろんない。トイレの個室はちょっと嫌だ。近くて人が通らない物陰と言えば……屋上か!
一年生の教室がある四階の廊下の端には屋上に通じる非常階段があって、普段はロープで封鎖されている。ロープの内側に入って階段を上ると、屋上の出口のドアの前に座った。ここのドアには鍵がかかっていて屋上には出られないが、だからこの階段には人が来ない。
「ソウ、何やってるんだ。見つかったらもう学校に来れなくなるぞ」
「きゅい」
バッグを覗き込みながらソウに厳しい口調で言い聞かせる。
これって目撃されたら絶対に変なやつって思われるよな。
ソウはバッグの底に敷かれたタオルの上で寝そべっている。
ぐぬぬ。俺がこんなに苦労しているのに!
そんな俺の気も知らず、ソウは寝ころんだままくつろいだ様子で手を振ってきた。
「きゅいきゅい」
「きゅいきゅい☆じゃねーよ!」
「怒らないでください。ちょっと話したかったんですよ。でも教室ではあまり話せないでしょう?」
「だからってっ」
「大丈夫ですよ。バレやしません。まあ、多分きっと? そんなことよりシュート、聞き込みをしましょう」
「はあ?」
「ですから聞き込みですよ。大事なのは推理のヒントになる情報を集めることです。そのためにはまず聞き込みでしょう。宿題を紛失した生徒になくしたときの状況を聞くんです」
俺たちは探偵じゃないし、これは事件じゃないぞ。一応そう言ってはみたものの、ソウの勢いは止まりそうにない。
そしてソウと俺の探偵ごっこが始まった。
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