(5)

 もし本当に事件があったとすれば、一番怪しいのは体育の時間だ。

 一度整理してみよう。


 朝、三田が登校してきてから二時間目の体育の時間までは常に教室には複数の人がいた。

 そして今、二時間目の時の話を聞いていて分かったのは、一番最後に教室を出たのは井上さんだということ。彼女は開始時間に少し遅れそうになって、慌てて体操服と靴を持って教室を出て行った。自分が最後に戸を閉めたし、その時はもう誰も室内には残っていなかったという。

 体育の授業を欠席した人はいなかった。

 途中で気分が悪くなった山口が授業を抜けて教室に戻っている。

 そして山口が教室に戻ってから昼休みまでは常に誰かが教室にいた。


 もちろん、よそのクラスの奴らなら空いていた時間に教室に入ってこれた可能性はある。それは他のクラスのやつに聞いてみないと分からないな。それを言うなら、上級生の先輩たちでも教室に出入りはできるから聞き込み範囲は広がってしまう。

 だが、動機を考えると、先輩たちの線は薄い。一年生の英語の宿題を盗む理由があるとは考えにくい。


 三田のノートに絞って考えると、三田が登校してきてから昼休みまでに、教室で一人の時間があったのは井上さんと山口の二人だ。

 うーんと唸りながら考え込んでいると、三田が怒ったまま歩き出した。


「じゃあな。俺、もう家に帰るわ。一応もう一回家の中を探してみるし。絶対家にはないと思うけどな!」

「そうか。じゃあまた明日なー」


 一応声をかけてみたけど、返事はない。


「じゃあ俺も……」

「私も帰るね。私はノートは見つかったけど、先生には明日提出しようかな」


 越川と井上さんも帰るという。俺も残る理由はないし、二人と一緒に階段を降りた。

 靴箱の所に着いたが三田はもういない。靴を履きかえて、おれは越川と井上さんと並んで校舎を出たが、すぐに二人と別れることにした。


「ごめん、部活の先輩に本を渡すの忘れてた。俺、第二校舎に寄ってから帰るわ。越川も井上さんも、また明日な!」

「ああ、またなー」

「さようなら、続木くん」


 第二校舎に向かう分かれ道で、越川と井上さんに手を振った。


 ◆◆◆


 校舎を出てまっすぐに進むと校門から学校の外に出る。この学校は丘の上に建っている立地上、公道に通じている出入り口が正面の校門だけだ。なので生徒のほとんどは校舎を出てまっすぐ校門に向かう。

 校門の方には向かわず、分かれ道から左方向に歩くと校舎と並んで建っている体育館がある。体育館の向こうは第二校舎で、今日ソウと昼メシを食った公園がある方向。

 今は公園の所までは行かず、校舎と体育館の間を通り抜ける。左手に校舎の裏口があって、そこからも階段を使って教室まで行くことができるんだ。


 校舎と体育館の間には今は全然人気ひとけがない。辺りを見回して無人を確認してから、バッグの中のソウに俺が考えていることを言ってみる。

 ソウは俺の話を聞いてきゅいきゅいと頷いてから、一つのヒントをくれた。

 そして嬉しそうにくねくねする。


「やっとシュートもやる気になってくれましたか」

「やる気になった訳じゃねえけど、何となくこのままじゃマズいかなって」

「いいですね。そういう気持ちは大切にしないと。さあ、教室に戻りましょう」

「ずっとじゃないぞ。暗くなったら家に帰るからな」


 そう。

 俺とソウはこっそり裏口から教室に戻ることにしたんだ。

 夕方も六時を過ぎると教室にはもう誰も残っていない。部活があるやつはみんな、そのまま直接帰れるように荷物を持って部室に行っている。学校に残って勉強したい奇特なやつは荷物を持って自習室へ行ってるだろう。

 あと三十分もすれば先生が教室の鍵をかけに巡回しはじめる。それまでのことだ。教卓の内側に座って、待ってる間はソウと戯れていた。落ち着かない気持ちのまま……。


 教卓に隠れて十分ほど経った時、廊下を歩く足音が聞こえてくる。そのまま黙って耳を澄ましていると、この教室の扉が開いた。

 パタパタと上靴の足音は急ぎ足で教室の中に入って、ガガガっと音を立てながら誰かの席の椅子を引く。

 そっと教卓の影から覗くと、そこにいたのは……。


「越川、やっぱりお前だったのか」

「つ……続木、わ、忘れ物を取りに……来たんだよ」

「でもそこ、三田の席だよな」

「……」


 越川の手には、緑色のノート。英語の宿題は全員同じ学校から配られた緑色のノートだ。呆然と立っている越川に近付いて、その手にあるノートの表紙を見る。名前の欄には『三田 瑛人』と書かれていた。


「これは……たまたま拾って……」

「最初から少しおかしいって思ってたんだ。昼休みに宿題探してる時は、越川は他の人達よりも早く、すぐに諦めて席についていただろ? なのに放課後また探しに戻ってきてる。なんでわざわざ戻ってきたのかって」

「……」


 俯いて黙り込む越川。


「越川、さっき井上さんの宿題、遠くから中を見もしないで『三田よりきれいな字』って言ったよな。みんな同じ表紙のノートなのに」

「それは………………ごめん。ごめんなさい。でも、でも俺、続木のノートは盗ってない」


 ポロポロと、高校生の男子がこんなに泣けるのかと、場違いに感心するほど大粒の涙をこぼす。


「分かってる」


 俺がそう言うと、越川は泣きながら話し始めた。

 越川が宿題のノートを盗ったのは、今朝宿題を持ってくるのを忘れたからだった。

 中学と違って高校は成績が悪かったら単位が取れない。入学時に散々、先生方に脅された。あまり英語が得意ではない越川が、せめて提出物で点数を落としたくないと思った気持ちは分からなくもない。


「英語の久保田先生は宿題を五人以上忘れたら、たいてい提出日を伸ばしてくれるんだ。山口はまだ宿題ができてないのは知ってた。朝早く来て言ってたから。だから俺以外にあと三人忘れてれば提出日は伸びるはずだって……そう思って……」


 なるほど。宿題をなくしたのは俺以外みんな越川と席が近い。チャンスがあったので突発的に盗んでしまったんだろう。


「みんなの宿題をこっそり返そうと思って井上のノートをロッカーに入れた時に、他のやつらが教室に帰ってきたってとこか」

「……うん。迷惑かけてしまったから早く返さないと」

「それで、残る三田と西八木のをこっそり返しに来たんだな」


 井上さんはもう、首をひねりながらもノートを受け取ったからいいかもしれない。西八木もさほど気にしてはいなさそうだ。だが三田はあの怒り様だからなあ。明日学校に来てロッカーから宿題が見つかったとしても、きっと犯人を捜すと思う。


「どうしよう……こんなに騒ぎになるとか思ってなかった……」

「そうだなあ。微妙な問題だけど、俺なら早めに正直に謝るかなあ……。俺から他の人にバラすつもりはないけどさ。でもこのままこっそり返せばおしまいって訳にもいかないと思うよ」


 しばらく俯いたままじっと黙っていた越川だったが、意を決したように頭を持ち上げて、俺を見た。


「俺、三田と井上と、あと西八木に謝るよ。明日朝イチで謝る」

「そか」


 その言葉をまるで待っていたかのように、ガラガラっと音がして、勢いよく教室のドアが開けられた。

 入口に立っているのは三田と井上さんだった。


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