34 愚者ゆえに

俺は「天の声」のお告げに従い、団地を慌てて出発した。


《亥ノ上直毅は、覚醒者でない一般生徒を連れて行くのは危険だと判断した。》


ということで、メンバーは俺、ベルベット、母親、北条真那、西園寺芳乃、千南咲希、立花香織、絹村美久、長澤忍の9名に絞る。最後の二人は北西部監視班にいた覚醒者だな。火魔法使いと剣使いだが、戦力としては他のメンツに一段劣るので、香織の護衛に徹してもらう。柊木瑠璃と対面した場合に備え、絹村美久と長澤忍も眷属にした。眷属にしておけば「支配の教壇」の効果は効きにくいはずだ。ベルベットは「十分脅したから大丈夫じゃろう」と言ってたけどな。


九人は亥ノ上家の自家用車とミニバスに分乗している。自家用車は俺の母親が運転し、俺、ベルベット、千南咲希が乗る。ミニバスは北条真那の運転で、残りの覚醒者(と香織の使役するパペット「マイムマイム」)を乗せていた。


《直毅は、戦いが熾烈になった場合に備え、仲間の命に優先順位をつけることにした。》


「天の声」の有難い忠告に顔をしかめ、俺は助手席でそっと息をついて、与えられた課題について考える。

課題自体は簡単だ。優先順位は、上から順に、俺、ベルベット、母親、立花香織、北条真那、千南咲希、西園寺芳乃。絹村と長澤は消耗してもいいと考える。

母親よりベルベットを優先しているのは、単純に戦力の問題である。どちらかが欠けた状態で柊木瑠璃と戦うことを想定した場合、ベルベットがいないほうがキツいだろう。もっとも、どちらかの犠牲によって柊木瑠璃を倒しきれるなら話は別で、母親>ベルベットとなる。セフィロト女子で生贄を新たに調達すれば、ベルベットに代わる悪魔を召喚できる可能性がある。つまり、ベルベットは替わりが利く。ただし、戦闘中にベルベットに死なれるのは敗北に直結するから、母親を身代わりにしてでもベルベットを死守する必要がある。

香織、真那、咲希、芳乃がこの優先順位になるのは、パペットを扱える香織>貴重なヒーラーである真那>近接戦をこなせる咲希>遠距離牽制役の芳乃 という判断だ。もっとも、戦い以外のことまで考えるなら、3年マルクト組の優等生らしい芳乃はもっている情報やリーダーシップ、状況判断能力などから価値はぐっと高くなる。だから、咲希と芳乃についてはそこまではっきり優劣がつくわけじゃない。ただし、負傷者が出た場合の生還率を高めるために北条真那は生かしたい。使い潰せる肉盾であるパペットを使役できる香織を失うのは、パペットと香織の二枚損になるので極力避けたい。

もっとも、吸血して眷属としたことで、俺には覚醒者たちへの庇護意識のようなものが芽生えていて、彼女らを使い潰すような戦い方には抵抗があった。もちろん、ベルベットに対してもな。

それでも、「天の声」が指摘したように、戦いの場では否応なしに命の選択を迫られる。その時になって誰も死なせたくないなどと言っていては、自分も含めすべての命を失うはめにもなりかねない。

だから「天の声」に従って優先順位を立てたのだが⋯⋯


「⋯⋯徹底できるもんかね?」


俺は苦い顔でつぶやいた。

いざという時に、ベルベットを温存するために母親に死を命じ、香織や真那を守るために咲希や芳乃に死ねと言う。そんなことができるものだろうか? いや、できるのだろう。今の俺の性格特性ならな。


「どうしたの、直毅さん」


後部座席から咲希が聞いてくる。


「ああ、いや⋯⋯なんでもない」


首を振る俺に、咲希が言う。


「あたし、なんとなく人の心が読めることがあるんだよね。魔女としての力で」

「セフィロトの外でも読めるのか?」

「前はできなかったけど、今はできた。直毅さんは、いざって時に誰を助けるかを考えてた」

「⋯⋯悪いな」

「悪くないよ。しかたないことだ。直毅さんのために死ぬんなら、それはそれでいいかなって今は思えるし」

「それは、眷属化の影響だろう」

「さあ、どうかな。でも、あたしは自分の気持ちに正直に生きるって決めてる。たとえそれが誰かの影響かも知れなくても、あたしは迷わず自分の気持ちに従うんだ。西園寺先輩とは違って直感派なんだ。その直感を疑うようになったら、あたしはあたしじゃなくなってしまう」

「そうか⋯⋯」

「直毅さんは、そういうの、ないでしょ。西園寺先輩みたいに現実を見て割り切ることもできないし、あたしみたいに直感を信じて人生賭けることもできない。中途半端。いつも迷ってる」

「う⋯⋯」


女子高生にピタリと言い当てられ、俺は思わず言葉に詰まる。


「生贄を捧げて悪魔を喚んでも、まだ心が固まらない。いつまでも揺れてる。みんなの手前しっかりしようとしてるけど、内心ではいつもびくびくしてる。ベルベットみたいな存在を喚び出せるくらいの闇を抱えてるくせに、仲間を死なせたくないと思ったりもする」

「そう、だな」

「でも、だからこそ、あたしは直毅さんを信じられる。直毅さんが迷って迷って決めたことなら、そんなに間違ってるはずがない。ううん、間違ってたっていいんだ。人間が人間らしく迷った結果として、人間らしく間違えた。それって、責められることじゃないと思う」

「人間らしい⋯⋯? 俺が、か?」


疑うように言った俺に、咲希は迷わずうなずいた。


「うん。西園寺先輩は理屈で、あたしは直感で正解を探すけど、そういうのは⋯⋯なんていうか、ちょっとズルい。直毅さんが必死でもがいて対岸に泳ぎつこうとしてる横を、モーターボートに乗った西園寺先輩が駆け抜けて、クジラの背に乗ったあたしが追い抜いてくような⋯⋯」

「モーターボートを持ってたり、クジラの友達がいたりするなら、そりゃ使うべきだろう。俺は賢くもなければ勘が鋭くもないし、金もなければ地位もない。あるのは歪んだ性格だけだ」

「だけど、それが本当の人間なんじゃない? すべての虚飾を剥ぎ取った生身の人間。学園長なら無言でタロットの『愚者』を差し出すかな。そうやっていろんなもののあいだを揺れ動くからこそ、たくさんの性格特性が得られるんだと思う」


咲希の言葉に、なんと答えたらいいかわからず黙る俺。

代わりに、ベルベットが笑いながら言った。


「くくっ。サキの指摘は正鵠を射ておるよ。悪魔を求めるのは人間だけじゃ。それも、とびきり愚かな人間じゃな。なまなかに才気のある人間は、悪魔など喚べば押しつぶされる。運命というものは、自分は高みにあると奢った人間を低きへと落とし、自分は最低だと自覚するものを高みへと昇らせる。運命のそうした作用に良心はない。ただ戯れに、そうなったほうが面白いから、栄光から破滅を、破滅から栄光を生み出すのじゃ。その運命の一翼を担うのが悪魔なる存在なのであろう」

「ふぅん⋯⋯じゃあ、柊木瑠璃はどうなんだ? あの、自分は高みにあると思ってる教師は?」

「さて、な。神をも射落としそのくらいを伺うのやもしれぬし、イカロスのように翼を焼かれて堕ちるのやもしれぬ。いや、あの者に神を殺すような器などありはせぬか。マスターを恐れ、慌てふためいて力を求めるようでは、そのいく末などたかが知れておる。状況に呑まれ、運命に呑まれ、知らずして道化の役を押し付けられるだけであろう」

「たいした脅威にはならない、と?」

「それはどうであろうな。高みにあるものが堕ちれば、その墜落の衝撃は計り知れぬものがあろう。高みに昇ろうと望むものはわかっておらんのだ。墜落することを恐れ、昇れば昇るほどに、堕ちたときの破滅は大きくなるということを。最初から大地におれば堕ちることもないというのにな。いや、そうした輩は心のどこかで望んでおるのやもしれぬ。高みを目指し、翼を燃き尽くした果てに、落下して『楽になる』ことをな」

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