31 なぜ追い抜かれた?

◆柊木瑠璃視点


「クソっ! ひきこもりごときが調子に乗って⋯⋯! このわたしに知ったような口を⋯⋯ッ!」


柊木瑠璃は憤りに任せて刀を抜いて振り回す。

校長室に飾られた年代物の優勝旗が切り裂かれ、誰がいつ取ったものだかもうわからない優勝カップがレーザーのような切断面で真っ二つになった。さらに、カップの置かれていた棚が斜めにずれ、宙を滑り落ちて床にぶつかる。ずどん、と重い音が部屋はおろか廊下や階下まで響くが、今さらその程度のことを気にするものはここにはいない。


「はぁ、はぁ⋯⋯」


柊木瑠璃は床に突き刺した刀を杖に、荒い息を鎮めながら次第に冷えてきた脳髄で思考を巡らせる。

柊木瑠璃は執務机に置かれた紙にちらりと目を向けたが、もう数え切れないほど見返したその内容はすでに完全に諳んじていた。

その紙に記された内容はこうだ。


―――――

亥ノ上直毅

覚醒者、吸血鬼

固有スキル:天の声

武器適性:投・射・杖・牙・爪・鎌

魔法適性:死・召・援・妨・時・次・吸

性格特性:現実逃避Ⅴ、妄想Ⅴ、寄生Ⅴ、開き直りⅣ、厭世Ⅳ、夜行性Ⅳ、利己主義Ⅲ、邪悪Ⅱ、人間洞察Ⅱ、解脱Ⅰ、冷血Ⅰ

魔法:「インスペクト」「リキッドドレイン」「アイテムボックス」「マジックサーチ」「アポート」

技:「ナイフスロー」

―――――


柊木瑠璃が最初に亥ノ上直毅と邂逅した時に「インスペクト」で手に入れた貴重な情報である。

しかし、今現在の亥ノ上直毅のステータスと比較すると、もはや「情報が古い」という次元を超えて、別人の情報としか思えない。そのことはむろん、柊木瑠璃には知る由のないことではあった。


だが、柊木瑠璃は、その後入手した断片的な情報からだけでも、亥ノ上直毅の戦力が大幅に上がっていることは疑いえないと判断していた。


まず、柊木瑠璃は、北条真那率いる北部監視班が亥ノ上直毅の手に落ちたことを察している。

柊木瑠璃は監視班の運搬に使わせた学園のミニバスに生徒から取り上げたスマートフォンを忍ばせていた。先の襲撃の時のように会話を盗聴することはできなかったが、紛失したスマートフォンの現在地をGPSで割り出す機能を使って、ミニバスが瑠璃の指示にない移動を始めたことには気づいていた。天通川てんつうがわの氾濫や停電の影響もあってかスマホのバッテリーは途中で切れ、完全な追跡ができたわけではなかったが、その時点で瑠璃は学園の防備を固め、亥ノ上直毅を迎え撃つ準備をしていたのだ。


だが、亥ノ上直毅はセフィロト女子には直接向かわず、天通川沿いに南下し、別の橋を監視していた北西部監視班へと襲いかかった。

北部監視班は柊木瑠璃にとって疎遠なものを寄せ集めた、いわば捨て駒の集団ではあった。それに対して北西部監視班は、柊木瑠璃が隕石以前から飼い慣らしていた教師・篠原を班長とする、比較的強い覚醒者を複数配置した強力な部隊⋯⋯のはずだった。

それが、あっけなく制圧された。篠原の機転で瑠璃はスマホ越しに襲撃の様子を耳にすることができたが、聞こえてきたのは阿鼻叫喚ばかりである。


その後盗み聞いた襲撃者らしき少女と亥ノ上の会話から、少女が「悪魔」を名乗る存在であることがわかった。亥ノ上直毅の魔法適性には「召喚」がある。北西部監視班に加えたセフィロトの生徒・立花香織も同じく「召喚」の魔法適性を持っていた。瑠璃は立花香織に召喚魔法を試させてみたことがあるが、喚び出されたのはモンスターよりも一回り以上強力な「モノ」だった。人を生贄に捧げる必要があるだけに、召喚魔法で現れる「モノ」は強力だ。瑠璃が強力な抜刀術を習得していなかったなら、ああも簡単には倒せなかっただろう。

とはいえ、立花香織が喚び出したモノには、その立花香織自身を含む北西部班をたやすく制圧できるほどの力はなかった。

一方で、亥ノ上直毅が喚び出した「モノ」が北西部班を簡単に無力化したことはまぎれもない事実である。「悪魔」を自称する少女は、北西部班をまるでその恐怖を愉しむかのようにいたぶり、弄んで殺害したのだ(と、瑠璃は考えているが、直毅は北西部班のメンバーを殺してはいない)。


その悪魔が自分に差し向けられた場合に勝てるのか?

柊木瑠璃は何度となく自問したが、自信を持って勝てるとは言えなかった。

いや、それどころか、力を大きく増しているはずの亥ノ上直毅や、セフィロト女子のマルクト組出身であることが判明したその母・亥ノ上雪乃を相手にしてすら、確実に勝てるとは言いがたい。

さらに、悪魔は亥ノ上が「吸血」によって他者を「眷属化」できるという情報もこぼしていた。

亥ノ上直毅が悪魔を使って北部・北西部監視班を殲滅した、というのならまだいい。

最悪なのは、亥ノ上が北部・北西部監視班の合計27名をすべて眷属化し、自分の手勢に加えている場合である。


「西部と南西部の監視班には既に撤退を命じた⋯⋯。これ以上奴に戦力を与えてやるわけにはいかんからな」


結果から見れば、柊木瑠璃が天通川の渡河地点に配置した戦力は、亥ノ上直毅に各個撃破される形になってしまった。戦力の逐次投入は愚策、というが、瑠璃は結果的にその愚を犯してしまったことになる。戦力の配置は戦史研究会とその顧問教師に献策させたものだったので、彼女らには既にその「責任」を取ってもらっている。文字通り、刀で(ゴブリンの短剣だが)腹を詰めさせた。太平洋戦争の愚劣な戦史を好んで研究するような奴らにとっては本望だろう。その首は瑠璃が手ずから斬り落とし、生徒たちを監禁している学生寮の門の上に飾っておいた。


その学生寮は、十人程度の小集団に分割し、それぞれに看守役の生徒を一人だけ置いている。

看守は、もともとリーダーシップを発揮していたような生徒は避け、鬱屈した学園生活を送っていた生徒をあえて抜擢している。

看守の役割は、担当の「囚人」が相互に連絡を取り合わないよう監視することと、食料の配分を決めることだ。食料の配分という生殺与奪を握る権力を持たされた看守は、そう仕向けた瑠璃が驚くほどの早さで、看守の役割に順応してしまった。逆らうものに食料を与えないのはもちろん、普段の学園生活では逆らえなかった相手に殴る蹴るの暴行を加える「看守」もいた。


学園内の支配体制は万全といえた。

なにかとうっとうしかった学園長はマルクト棟の地下室に監禁している。タロットなどという迷信にすがる哀れな老婆と思っていたが、隕石落下後のマルクト組生徒・担任の覚醒を思うと、白魔術は実際に存在したのだと思えてくる。隕石の墜落の直前に、全校放送で「想像を絶する災厄が起こる」などと言い出した時には、この老婆ももう終わったなと思ったものだが、その警告が見事に的中したことに今となっては畏怖を感じる。


だが、今はあの老婆のことはどうでもいい。所詮、予言するしか能のない無力な老人だ。

それよりも今は、迫り来る脅威のことを考えねばならない。


「なぜ奴はこんなにも急に力を増した? モンスターはこちらが独占してるというのに⋯⋯」


モンスターは隕石の周囲にしか発生しない。隕石を中心に天通川の東岸までがモンスターの発生範囲である。川をまたいで対岸に発生する可能性がないとは言わないが、発生地点を地図にプロットした限りでは、発生したとしても偶発的な例外だ。南浅生の旧中心街のように安定してモンスターが狩れるわけではない。狩れる数が少なければモンスターの落とすアイテムの数も少なくなる。実戦経験の面でも、性格特性・武器適性・魔法適性の面でも、アイテム入手の面でもこちらの有利は揺るがないはずなのだ。

柊木瑠璃自身、時間さえあればバイクで街に向かい、モンスターを積極的に狩るようにしている。いや、それは「積極的」というような言葉では生ぬるい。ほとんど偏執狂的に可能な限り多くのモンスターを狩り、ステータスをわずかでも上げようと文字通り血の滲むような努力を重ねていた。

モンスターは、資源だ。強さをもたらす源泉だ。たしかに危険な存在ではあるが、危険に見合う以上の見返りがある。

隕石が世界中に降り注いでいる以上、柊木瑠璃と同じ結論に至るものは多いはずだ。となると、世界中で力を高めるための熾烈な競争が人知れず始まっていると見るべきだ。その競争はやがて白日のもとに晒されることになる。その時になって、自分が十分に強くないと知るようでは遅いのだ。

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