30 戦力補充

「の、のう。マスター⋯⋯怒っておるか?」


柊木瑠璃との刺々しいやりとりが終わった後、スマホの画面が消えて暗くなった部屋で、赤いドレスの悪魔が聞いてくる。しゅんと肩を落とし、俺を不安そうに見上げながらな。


「なんでだよ?」

「その、マスターはわらわにこやつらを無力化せよと命じたろう。それなのにその機械に気づかず、みすみす敵に情報を漏らしてしまった⋯⋯」


見るからに落ち込んだ様子のベルベットに、俺は無言で近づいた。


「ひっ」


身をすくめるベルベットの頭を、俺は片手で撫でてやる。


「気にするな。いずれにせよ対決は避けられないんだ。事前に脅してやったほうが、向こうも警戒して消耗するだろう」

「じ、じゃが、こちらの動きを気取られないほうが有利だったのではないか?」

「どうだろうな⋯⋯。柊木瑠璃は人を信用しない。監視が無力化される事態に備えて、なんらかの察知手段を用意してるはずだ」


このスマホはおそらくここにいた生徒か教師の誰かがとっさに機転をきかせたものなのだろう。だが、もしこれがなかったとしても、この部屋や誰かの荷物に盗聴器でも仕掛けられてないとも限らない。あるいは、定期連絡の方法になんらかの暗号を仕掛けてるとか、監視者をさらに監視する監視者が離れた場所にいるとか、疑い出せばキリがない。つまり、いずれこっちの動きが露見するのは避けがたいところだった。

それに、もしこれが致命的な問題なら、「天の声」が事前になんらかの警告を発してるはずだ。だが今回「天の声」が指摘したのは、悪魔の美術館と化した部屋の惨状を真那たちに見せないことと、俺がベルベットとの会話で真那たちに触れかけたところで制止したことだけだ。「天の声」にとってはここで俺と柊木瑠璃が言葉をかわすことは既定路線だったことになる。


「盗聴器って線は捨てきれないか⋯⋯。しかたない、こいつらを連れてこのアパートのべつの部屋に⋯⋯いや、服に盗聴器が仕込まれてる可能性も?」


隕石墜落から現時点までで、柊木瑠璃が高性能な盗聴器を手に入れている可能性はそんなには高くないだろう。近所のホームセンターなんかで見つかるようなシロモノじゃないからな。セフィロト女子は工業高校じゃないから校内で「生産」するのもあまり現実的とは思えない。だが、スマホを切って油断させておき、べつの手段で盗聴を続ける、くらいのことは柊木瑠璃なら考えそうではある。


「ふむ。では、こやつらの服を剥がしてべつの部屋に放り込めばよいか?」

「そうだな。頼む。そのあいだに俺は真那たちを呼んでくる。三階の部屋の扉を破っておくよ」


俺はベルベットとそう打ちあわせると、部屋を出、階段を降りて、三階に。目に付いた扉の前に立つ。


「どうやって破るか」


そうつぶやいたのは、扉を破る手段がないからではなく、逆に多すぎるからだった。

結局俺は手に入れたばかりの「地獄の爪」で扉のノブ側の溝を縦に切った。熱した飴を切るようにさっくりと、黒い爪が溝ごと中の鍵を断つ。

鍵のなくなった扉をベルベットのために開けておき、俺は階段を降りてアパートの前に出る。北条真那、西園寺芳乃、千南咲希の三人と母親は近くにある屋根付きの駐輪場にいた。


「直毅さん!」


芳乃が俺に気づいて声を上げる。


「長かったですけど⋯⋯どうしたんですか?」


俺は、ベルベットが監視者を無力化し、その後柊木瑠璃と通話したことを説明する。俺は社会人になった頃からこの手の状況説明を苦手としていたが、「虚言癖」あたりのおかげか自分でも驚くほどすらすらと説明できた。


《亥ノ上直毅は、性格特性「能弁家」を発現した。「能弁家」の強度がⅠになった。》

《亥ノ上直毅は、武器適性「槌」に開眼した。》


「能弁家」ね。たしかによく舌は回るようになった。しかも俺の言葉は昔とは比べ物にならないほど説得力があって、他人に聞いてもらいやすい。昔は何をしゃべってもうまく伝わらず、他人に自分の意図をわかってもらうことができないままに、馬鹿にされて会話を打ち切られるということがしょっちゅうだった。

でも、教師である北条真那や柊木瑠璃に「能弁家」がないのに、俺が「能弁家」を獲得できたのはなぜだろう? 「◯◯家」シリーズには他にも「分析家」があって、これも俺以外の所持者を見ていない。性格特性の中でも発現しにくいものがあるのだろうか。


「そ、そんなことが⋯⋯」


俺の話を聞き終えた真那がつぶやく。


「とりあえず、話はベルベットと合流してからにしよう。ここにいたセフィロトの監視者の処遇も決めないといけないしな」


俺の言葉に、セフィロトの三人がぎくりとした。


「まさか⋯⋯また?」


咲希がごくりと唾を呑んで聞いてくる。

恐れるような口調の中に、ほの暗い欲望が滲んでるのがわかった。他人を生贄に捧げ、悪魔を喚び出すという行為は、絶対に許されない生命への冒涜であるだけに、病みつきになりかねない魅力もある。


「いや、今回は必要ないだろう。ベルベットが躾けてくれたからな」


俺は四人を伴ってアパートの階段を上る。

三階に差し掛かると、ちょうど上からベルベットが降りてくるところだった。ベルベットは宙に下着姿の二人の少女を浮かべている。

扉を開けっぱなしの部屋に少女二人を投げ込みながらベルベットが言う。


「マスター。この二人で最後じゃ」

「ありがとう、助かった」

「なに、失態を見せてしまったからな」

「だから気にしてないって」


ベルベットの労をねぎらう俺に、真那が冷たい目を向けて聞いてくる。


「あの⋯⋯どうして服を脱がせてるんです?」

「え、ああ⋯⋯盗聴器でも仕掛けられてたら困るからな」

「そういうことですか⋯⋯」


真那たちはここに来るまでに動きやすい格好に着替えさせているから、制服に盗聴器があったとしても問題はない。


三階の部屋は、四階ほどは広くはなかった。

何室かにずらりと下着姿の女子生徒・教師が並んでるさまは異様である。そのいずれもが恐怖に強張った顔のままなのだから、エロいというよりはホラーに近い。


「起こす前になんか着せてやるか」


俺はアイテムボックスから適当な衣類を取り出し、女性陣に渡す。女性陣は同級生や教師に近づき、苦労しながら服を着せていく。


「あ、あの⋯⋯この子、失禁してるみたいなんですが」

「ああー⋯⋯女性用の下着も用意はある」


俺は芳乃がしゃがみこんだ女子生徒から目をそらし、アイテムボックスから下着を取り出し芳乃に手渡す。なお、俺が女性ものの下着まで確保してるのは母親用のつもりであって、べつに趣味で集めたわけじゃない。

準備が整ったのを確認してから、俺はベルベットに言った。


「ベルベット。こいつらを起こせるか?」

「むろんじゃ」


ベルベットがパチンと指を鳴らす。恐怖で失神していた十人強の生徒・教師が苦しげに身じろぎをして目を覚ます。

そして、一様に「ひっ⋯⋯!」と息を呑む。


「状況はわかってるか?」


俺はいちばん落ち着いて見える生徒に声をかけた。

栗色がかった髪を三つ編みにした丸い眼鏡の少女だ。見た瞬間に「図書委員だな」と思ったが、気弱そうな雰囲気に反して、この場では最も冷静に見えた。この場にいる全員は度を超えた恐怖を味わったが、そんな場合にはかえって、普段は気が弱い人間のほうが立ち直りが早いのかもしれない。普段気が強い人間は恐怖という感情にあまり慣れていないが、気弱な人間は日常の些細なことでも恐怖を感じてしまいやすい。それだけに恐怖との付き合い方に慣れている。なんでそんなことがわかるかといえば、もちろん俺自身がそうだからだけどな。

なお、さっき下着姿を見てしまったが、彼女がいちばん大きかった。何がとは言わないが。


「は、い⋯⋯。あなたが、亥ノ上直毅、さん、ですか?」


三つ編み少女が聞いてくるあいだに、俺は無詠唱で彼女に「インスペクト」をかける。


―――――

立花香織

覚醒者

武器適性:杖・触・鎌

魔法適性:妨・召・闇・陣

性格特性:人間洞察Ⅲ、現実逃避Ⅱ、妄想Ⅱ、被虐Ⅱ、努力Ⅱ、克己心Ⅱ、自己欺瞞Ⅱ、陰険Ⅱ、オカルティストⅡ、現実主義Ⅰ、節約Ⅰ、邪婬Ⅰ

魔法:「ダークバレット」「ブラインクラウド」「イノセントクラウド」「スリープクラウド」「デプレッションクラウド」「オーバーサスピシャス」「サモン:パペット」

技:「杖ガード」「痛打」

―――――


⋯⋯微妙に親近感を覚えるステータスだな。


「ああ。この班の覚醒者は、立花さん、君と、あっちの子とその子だな?」

「っ! どうして名前を⋯⋯いえ、北条先生がそちらにいるならおかしくはないですね」


俺は真那に名前を聞いたわけではないが、立花香織は勝手に納得してくれた。


「今の気分はどうだ?」

「ええ、その⋯⋯恐ろしい目に遭いましたが⋯⋯不思議と解放されたような気分です」

「そうか」


俺は柊木瑠璃の「支配の教壇」について立花香織たちに説明した。


「そんなことになってたんですね。以前から怖いとは思っていましたが、隕石以来はそれが一段と強まって、とてもではないですが逆らえない感じだったんです。逆らえば殺されるとしか思えませんでした」

「俺たちは、柊木瑠璃を倒してセフィロト女子を解放しようと思ってる。そのためには戦力が必要だ。といっても、柊木瑠璃のように捨て駒として使い潰すようなことはけっしてしない」


俺は真剣な表情を取り繕って、立花香織の眼鏡の奥の瞳を見る。

つい先刻に十人もの生徒を生贄にして悪魔を喚び出しておいてのこのセリフに、自分でも歯の根が浮くような感覚があった。きっと「虚言癖」だの「能弁家」だのといった性格特性がまた仕事をしてるのだろう。

彼女は覗き込む俺の視線に赤面し、顔を少し逸らして言った。


「そ、その。柊木先生に楯突くのは怖いです」

「⋯⋯ほう。マスターの意向に従えぬというのか、小娘?」


立花香織の反応は当然のものだったが、ベルベットは肝が冷えるような声で脅しをかける。


「ひぃっ⋯⋯!?」

「やめろ、ベルベット。命がかかってるんだ。簡単に従うとは言えないだろうさ」

「はて。そうじゃろうか? ヒイラギルリとマスターとを比べて、ヒイラギには従えるがマスターには従えぬと言う。つまり、妾の与えた恐怖が手ぬるかったということであろう。すまぬ、マスター。これは妾の手落ちであった。早急にこの娘にさらなる恐怖を与えよう。いや、他の娘どもも同罪じゃな。さて、あれ以上となると、この小娘どもの正気がもつかどうか⋯⋯」

「ひ、ひぃぃぃっ!? ごめんなさい、どうか、どうかあれだけは許してください!」


立花香織が床にひれ伏し、ベルベットに必死で赦しを乞う。

他の女子たちもにわかに浮き足立つが、ベルベットが怖くて悲鳴を上げることすらできないようだ。その中に一人だけいる女教師が口を開いた。


「ち、ちょっと待ってください! 今のは立花さんが勝手に言ったことです! わたしたちには関係ないことじゃないですか! わたしは嫌です! もう嫌あ! あんな恐怖には耐えられない!」


女教師は、恐怖のあまり生徒を売った。


「おいおい⋯⋯あんた教師だろ?」

「そ、そりゃ教師だけど、だからってなんで生徒のために犠牲にならなきゃいけないのよ!?」

「正直で結構。じゃあ、柊木瑠璃と戦ってくれるな?」

「そ、それは⋯⋯」

「悪いが、俺は正義の味方でもなんでもない。俺は俺の都合で柊木瑠璃を倒したいだけだ。そして、そのための戦力を求めてる。戦力になれないというなら正直に言ってくれ」

「な、なれません⋯⋯! 柊木先生に逆らうなんてとてもできない!」


頑なに女教師は首を振る。

俺は真那に聞いてみる。


「なあ、真那。この先生は柊木先生とはどんな関係だったんだ?」

「ど、どんなと言われても。仲は悪くなかったと思いますが⋯⋯」


真那は歯切れ悪く言って目をそらす。


「芳乃。おまえの見るところでは?」

「はい。篠原先生は柊木先生の腰巾着といいますか、虎の威を借る狐といった感じでしたね」

「なっ⋯⋯! 西園寺さん! 教師に向かってなんてことを!?」

「そりゃまた辛辣だな。ベルベットの恐怖でもまだ支配が拭えないとなると⋯⋯どうしたものか」


彼女は覚醒者ではないので、正直戦力としてはいてもいなくても大差はない。だから見逃すという手もないではないが、それをやってしまうとこの場にいる他の生徒たちも見逃すことになってしまう。それでは示しがつかないというものだ。


「立花さん。君は『サモン:パペット』が使えるね? 召喚魔法⋯⋯だよな?」


俺が聞くと、立花香織がギクリとした。


「は、い。な、なぜわかったんですか⋯⋯? 柊木先生しか知らないはずですが⋯⋯」

「やっぱりそうか。魔法は使って初めて魔法欄に記載されるからな。君はその魔法を使ったことがある。そして、召喚魔法は、ゲームやなんかと違って、必ず生贄が必要だ」


そこまで言うと、立花香織の顔から血の気が引いた。


「や、やめてください!」

「わかってる。柊木瑠璃に強いられたんだろう。その時の生贄と、喚び出したモノはどうなったんだ?」

「い、生贄は、柊木先生に逆らった先生でした⋯⋯。喚び出したパペットは、柊木先生が強さを試すと言って斬ってしまいました⋯⋯。それからわたしに、逆らっても無駄だと耳打ちしてきて⋯⋯」

「ふぅん?」


柊木瑠璃がわざわざそんなことをしたってことは、柊木は立花香織の召喚魔法を警戒したってことだ。だから、生贄を捧げるという毒杯を呑ませた上で、パペットを倒して自分の力を見せつけた。結局斬られてしまったのなら脅威というほどではないのかもしれないが、セフィロトの戦力の中では立花香織は有力な部類に入るのだろう。


「⋯⋯よし。じゃあ、こうしよう」


俺は邪悪な考えをまとめて、立花香織へと近づいた。

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