8 虚空劇
母親の運転する車は、事故車で通行不能な国道から脇道に入ると、複雑な住宅街の道を縫って、母親いきつけのスーパーの裏手に出た。
車でスピードを出すのが苦手な母親は、幹線道路よりこうした小道のほうを好んでいた。小道のほうが不意の飛び出しなどが多くてかえって危ないと俺などは思うが、今回に関しては母親の脳内マップに助けられた格好だ。
スーパーは、シャッターが降りていた。
中に人がいる様子もない。
ゾンビパニックものなんかではショッピングモールに立て籠もるのが定番だが、このスーパーはモールほど大きな建物じゃない。スーパーだけに入り口も大きく、前面がガラス張りで、モンスター相手に籠城ができるような建物ではないだろう。
まあ、そこまで深く考えず、隣町からモンスターが来ると聞いて、大急ぎで逃げ出しただけかもしれないが。
「買い物、できない?」
母親がスーパーの駐車券を手につぶやいた。なぜか発券機だけは生きていたので、母親は律儀にもそれを受け取っていたのだ。
「裏に回ってみよう」
俺は言って、スーパーの裏へと回ってみる。
トラックが入る大きな搬入口はシャッターが降りていた。
その隣にあるスチールドアの勝手口に近づくと、ドアに真新しい張り紙があることに気がついた。
『避難民の方へ。このドアは開いています。必要なものがございましたらご自由にお持ち出しください。建物に立て籠もる場合は、中から施錠し、ロッカーなどでドアを塞いでください。日頃のご愛顧、まことにありがとうございました。 店長』
張り紙にはそう記してあった。
「へえ⋯⋯えらい人もいたもんだな」
こんな状況で、他の避難者への気配りができるとは。
ドアのノブを回すと、勝手口は簡単に開いた。
「中に篭ってる奴はいないってことか?」
《直毅は、魔法適性「時空」を生かし、探知魔法「マジックサーチ」を編み出した。》
「はいはい便利便利。『マジックサーチ』」
俺の身体から微弱な魔力が放射され、周囲一帯へと広がった。
魔力は壁をある程度貫通するらしく、スーパーとその周辺をスキャンすることに成功する。俺の脳裏に3DCADのような立体図が浮かぶ。
「人はいないね。母さん、こっち」
俺は母親を連れて、シフト表の貼ってある狭い業務用通路を抜け、店内に出る。店内は照明が落ちて薄暗い。少しなまぐさい臭いもする。冷蔵庫や冷凍庫の電源が落ちて、生鮮食料品がやられたのだろう。
「直毅くん。ママはお買い物してくるね。いい子で待ってるのよ?」
母親にいきなりそう言われて飛び上がりそうになった。
「そうか。母さんと買い物に来るのなんて小さい頃以来か」
母親の過去の記憶が甦り、こんな反応になったのだろう。
とはいえ、今の俺はおっさんと言っていい歳だ。今は俺しかいないからいいが、くれぐれも他人の前ではやらないでほしい。完全に俺がヤバい奴に見えるじゃないか。ヤバい奴じゃないとも言い切れないのが悲しいところなのだが。
母親はスーパーの本来の入り口に向かい、カートを引き出し、カゴを載せて、店内を順に回り始める。
「気が済むようにしてもらうしかないか」
さいわい、母親は野菜や肉など傷んでいるものはきっちりと避けてるようだ。並ぶ食品の質が悪いことに首を傾げている。
そのあいだに俺はバックヤードへ向かった。
日持ちする飲料や缶詰、カップ麺、レトルト食品、菓子などを亜空間にしまい込む。
「酒もけっこうあるな」
だが、重いばかりで役には立たないだろう。
そう思ったのだが、
《直毅は、酒類もある程度ストックしておくことにした。貨幣経済が混乱する中で、酒やタバコは通貨代わりになるかもしれないと思ったのだ。》
「なるほどね」
刑務所でタバコが交換のための「貨幣」として使われた、という話を何かで聞いた。タバコは重量も軽いのである分だけ亜空間に取り込み、酒は高価そうなものから順に在庫の三分の一くらいをいただいておく。
「その理屈なら米も大量に確保しておくべきだな」
バックヤードに積まれた大量の米袋を、俺はごっそり亜空間に取り込んだ。
その他、バックヤードにあったちょっとした医薬品や生活用品などを適当に亜空間に放り込む。
「医薬品か⋯⋯」
このスーパーの隣には薬局がある。この先医薬品があるに越したことはない。母親には「回復」の魔法適性があるが、残念ながら俺にはない。
「病院も重要拠点だよな」
しかし、避難が終わっていれば医師や看護師はいないだろう。無人の病院から医薬品だけ拝借しても適切に使用できる自信がない。
逆に、避難が終わってなければ入院患者や急患で大混乱に陥っているはずだ。俺はひきこもりなので少しでも人のいそうなところには行きたくない。
バックヤードを漁り終えると、俺はスーパーの事務所に入る。
灰色のデスクとくたびれたPCチェアがいくつか置かれた狭いスペースだ。
デスクを覗いてみるが、書類ばかりでこれといった収穫がない。
PCを起動してみたものの、案の定パスワードがかかっていた。これでは持って帰って予備のパソコンにするという手も使えないな。
事務所の奥にはスチールドアがあり、入ってみるとそこは店長室らしかった。
奥まったところにある金庫が開けっ放しになっている。中に入っているのは証券らしきものと小銭が大量に詰まったケースだけだ。
さっき「天の声」は今後貨幣経済が混乱すると予言した。小銭を回収する必要はないだろう。俺はそう思ったのだが、
《直毅は、なんとなく必要になる気がして、391円分の小銭をポケットに入れた。》
「妙に具体的だな? そのくせ理由が曖昧だ」
なんとなくでそんな中途半端な額をポケットに入れる奴がどこにいるというのか。
怪訝に思いつつも、「天の声」の指定した通りに百円玉3枚と五十円玉1枚、十円玉4枚と一円玉1枚をポケットに入れる。本当にその額でいいのか不安になったので、結局小銭のケースも亜空間に入れた。
「ふう⋯⋯こんなもんか、『天の声』?」
《直毅は、ほんの気まぐれから、事務所のロッカーに入っていた店員用の帽子とエプロンを身につけた。》
「だからどんな気まぐれだよ!?」
謎の指示に戸惑いつつも、しかたないので言われた通りにする。
事務所の隅の曇った鏡を覗くと、おどおどと頼りない感じのスーパーの店員がそこにいた。
「こういう仕事でもできていれば、母さんも死なずに済んだんだろうか」
いや、もしここでパート店員をやってたとしても、今回の隕石でしっちゃかめっちゃかになっていただろう。「天の声」や母親の不死者化といった現象も起きなかったかもしれない。
俺が人生の不条理を噛みしめていると、
《そろそろ母親の買い物が終わる頃だ。直毅は店内に戻ることにした。》
「はいはい、行きますよ」
薄暗い店内に戻る。
店内の棚もざっと見て、バックヤードになかったものを回収しておく。
懐中電灯や電池をありったけ。まだ季節外れだがカイロも持って行こう。下着のたぐいも男女問わずにありったけだ。
《直毅は、ふと棚の隅にコンドームがあるのに気づいた。小学生の頃から一度たりとも異性にモテたことのない直毅のことだ。万一にも必要になることはありえないと思ったが、ほんの気まぐれ、冗談半分で、直毅はコンドームを持っていくことにした。》
「うるせえよ!? 余計なお世話だよ!?」
俺は思わず「天の声」につっこんだ。
しかし、そこまでディスっておいて、「天の声」はコンドームを持っていけと言う。
「え、どこかでワンチャンあるってことなのか?」
まあ、コンドームを水筒代わりに使えだとか、知り合った相手との物々交換に便利だとかいう理由かもしれないけどさ。
「それにしても『一度たりともモテたことがない』って⋯⋯」
「天の声」は
俺が気づかなかっただけで誰かにひっそり想われていたという可能性すらなくなった。
薄々察してはいた衝撃の事実に凹んだが、「開き直りⅣ」とやらのおかげか立ち直りは早かった。
俺はスーパーのレジへと向かう。
誰もいないレジの前で、買い物カゴにどっさりと商品を入れた母親が立ち往生していた。
「レジが開かない⋯⋯買い物ができない⋯⋯」
母親はうつろな目のまま、戸惑ったようにそう言った。
「母さん」
俺が声をかけると、
「店員さんのお母さんではありませんよ?」
トンチンカンな答えが返ってきた。
一瞬首を傾げ、すぐに気づく。
今の俺は、スーパーの店員のエプロンと帽子を身につけている。
顔を見れば俺だとわかるはずだが、店員の顔を見ることがあまりないのか、あるいは、俺が働いている姿が想像できなかったのか、ともあれ母親は俺のことを店員だと誤認している。
「レジ、お願いします」
母親に言われ、俺はまごつく。
「いや、この状況だし⋯⋯このまま持って帰ろうぜ」
「万引きになってしまいます。万引きGメンに捕まります」
母親の場違いなワードチョイスに吹き出しそうになるが、母親の顔は真剣だ。
「勝手口に店長さんの張り紙があったろ? 好きに持っていっていいって」
「そんなこと言われても困ります。隣近所での貸し借りは少なくしないと⋯⋯。お金に困っているわけじゃありません」
どうも、商品を勝手に持ち出すことは、母親の価値観と衝突するらしかった。
不死者である母親の「使役者」は俺となっているが、買い物に行くと言い出した時といい、完全に言うことを聞くわけではないらしい。
俺が黙りこくっていると、「天の声」が言ってきた。
《直毅は一計を案じることにした。このまま店員のフリを続け、レジで会計する演技をすれば、母親も納得するのではないかと思ったのだ。直毅はさっそくレジに入った。》
「⋯⋯その発想はなかった」
さっき事務所で店員の格好をさせたのはそのためか。何が「ほんの気まぐれ」だよ。
ともあれ、こうしていてもしかたない。
俺はレジのブースに入り、
「ええっと⋯⋯お、お客様? こ、こちらへどうぞ」
微妙にキョドりながら母親に声をかける。
不死者になった母親以外誰もいないというのに、これが仕事だと思っただけで不安が胸にこみ上げてきた。
が、「開き直り」が効いたのか、母親がカゴをレジに載せる頃には落ち着いた。
しかし、店内の電源は落ちている。
当然レジが動くこともない。
この状況でどうしろと?
《直毅は、レジの読み取り機を商品のバーコードに当て、口で「ピッ」と音を出す。》
はい、演技指導入りました。
「い、一点〜、ピッ!」
⋯⋯こんな感じか?
誰も見てないとはいえ妙に恥ずかしい。
「開き直り」のせいか恥ずかしさはすぐに薄れたが、状況のシュールさ自体は変わらない。
「ピッ、ピッ⋯⋯」
俺は商品を取り上げ、バーコードを読みとって、支払い済みの黄色いカゴへと移していく。
俺がーー俺こそが読み取り機だ!
母親は米、レトルト食品、漬け物、ペット飲料、缶詰などきちんと保存のきくものを選んでいた。
その中に、幼児向けの駄菓子を見つけてハッとする。
それは、俺がガキの頃によく食べてた駄菓子だった。
俺はそっと息を漏らすと、何も考えずにエア読み取り作業に徹することにした。
「ええと⋯⋯全部で2000円になります」
合計額なんて計算してなかったので、適当にお釣りの出なさそうな額を告げる。
「店員さん、間違えていませんか?」
無駄に鋭い指摘を入れてくる母親に動揺する。
《商品の合計額は9609円だった。》
「すみません、間違えました。9609円のお買い上げになります」
俺の言葉に納得したようにうなずき、母親が会計用トレイに一万円札を置いた。
そこでふと、俺はさっきポケットに入れた小銭のことを思い出す。
「ええっと、391円のお返しです」
ポケットから取り出した小銭は、お釣りピッタリの額だった。
母親は小銭を受け取って財布に入れ、俺は受け取った一万円札をポケットに入れる。
「店員さん、若いのね。息子と同じくらいの年齢です」
母親が、いきなり雑談を振ってきた。
「ああ、えっと⋯⋯」
「あらごめんなさい。大変なこともたくさんあるでしょうけど、がんばってね」
「は、はぁ、どうも⋯⋯」
母親はそう言い残してレジ奥のサッカー台に向かう。
俺は用済みになった帽子とエプロンを脱ぎ捨て、母親に近づいた。
「直毅くん。買い物は終わったよ。待っててえらかったね。これあげる」
母親が差し出した懐かしい駄菓子を、俺は複雑な気持ちとともに頬張った。
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