21 悪魔召喚

「⋯⋯悪いな、先生。あんたの大事な生徒を生贄にさせてもらうことにした」


俺の言葉に、北条真那のみならず、西園寺芳乃も千南咲希も息を呑んだ。


「ど、どういうことです⋯⋯?」


白い顔で北条真那が聞いてくる。


「俺には『召喚』の魔法適性がある。いわゆる召喚魔法だが、これには生贄が必要なんだ。覚醒者相手に十分戦えるようなものを召喚しようとすると、ここにいる三人を除く残りの十人を生贄にするしかない」

「そ、そんな⋯⋯! わ、わたしも戦います! みんなの分もわたしが戦いますから⋯⋯!」

「それじゃあ柊木瑠璃には勝てないよ。中途半端な戦力で戦いになったら、こっちから大きな被害が出ないとも限らない。戦力が拮抗してる場合も厄介だ。戦いが長引き、熾烈になれば、敵味方ともに多くの死者を出すだろう。柊木瑠璃が生徒を捨て駒として繰り出してくるならなおさら、な」

「で、では、わたしが⋯⋯わたしが生贄になります。だからどうか、生徒たちだけは⋯⋯」

「せ、先生」


西園寺芳乃が迷わず自己献身を申し出た北条真那に驚いている。


「たしかに北条先生は覚醒者だから、生贄としては普通の人間よりはいいかもしれない。でも、それでは先生という貴重な戦力を失ってしまう。回復や支援魔法の使える先生はこっちの生命線でもあるんだ」

「そ、それは⋯⋯」

「それから、これはもう決めたことだ。悪いけど、先生の意見を聞いてるわけじゃない。俺の命令通りにしてもらう」


キツいようだが、こう言っておいたほうがいいだろう。

悪いのはあくまでも俺で、先生は最後まで反対した。それでいい。


「さ、そうと決まったらすぐにやろう。夜が明けるまでに柊木瑠璃を討つところまで行きたいんだ」


俺は三人に命じて、テントの中で眠っている一般生徒十人を一箇所に集めてもらった。

テントの外は台風だが、全員が入れるうようなサイズのテントなんてないので、吹きさらしのキャンプ場に昏睡状態の女子生徒十人を頭を中心に向けて車座に並べた。かなり強い風雨にさらされ、制服はずぶ濡れになっているが、生徒たちは誰一人起きてこない。念のために「スリープクラウド」をさらに重ねがけしておく。


いざとなると、俺もさすがに緊張してきた。


「やるか」


俺がぼそりとつぶやくと、これまで罪悪感もあらわに準備を手伝っていた三人がびくりと震えた。

その震えは、恐怖だけによるものではないようだ。北条真那は、守らねばならない大切な生徒を、吸血鬼から与えられる快楽を得るために悪魔への生贄に捧げようとしている、という事態に対し、恐怖と同時に底知れない背徳的な快楽を感じている。同じ学校の生徒を生贄にする形の西園寺芳乃と千南咲希も、北条真那ほどではないまでも、同種の背徳的な快楽に目をとろけさせ、唇をひくひくと震わせていた。それはまさに、サバトに参加する悪しき魔女たちの享受する快楽だ。

俺がアイテムボックスから取り出して渡した現場作業用のレインコートのフードの下からは、自らの罪悪感を飴玉のように舌で転がす彼女たちの濡れた瞳がのぞいている。


召喚には、儀式のようなものは必要ない。

ただあらかじめ生贄を用意した上で、一言「『サモン:デーモン』」とつぶやくだけでいい。ヤモリの串刺しだとかカエルの丸焼きだとか雄山羊のされこうべなんかがいるわけじゃない。インスタントでお手軽で、こんなに簡単でいいのかと気が引けてくるような手順である。


「やるぞ⋯⋯」


つぶやいてから、その言葉が二度目だったことに気づく。

俺は首を振って、心の底が抜けそうな恐怖を振り払う。

そして、その言葉を口にする。


「『サモン:デーモン』」


俺の詠唱と同時に、頭を上にサークル状に並んだ生贄たちの周囲の地面を、血色の光が駆け巡った。

光は生贄を逃すまいとするかのようにまずはその周囲を真円で囲んだ。

それが終わると、真円を六つに等分する円周上の点に赤い光の柱がほとばしる。

その光の柱から、それぞれ別の柱に向かって、同時に血色の光のラインが繋がった。

血色の不吉な六芒星は、空中から地面へとゆっくりと焦らすように降下する。

六芒星が地面に接触した。地面から赤い光が立ち上り、まるで地面に焼き込むかのように、赤い光が地面に六芒星を刻んでいく。当然、そのラインの途上に寝かせられていた女子生徒は、赤い光のラインに灼かれ、その肉体を切断された。


「ぎゃあああああっ!?」


悲鳴を上げられたのは、まだマシなほうの生贄だ。彼女はその左腕を赤いラインで切断されていた。だから、まだ、声を出すことができた。他の生贄の中には、首から肩を切断されたものもいれば、頭から股間までを真っ二つにされたものもいる。もっとも、苦痛が長引くことを思えば、最初にバイタルな部分を切断された女子生徒は幸運だった。


「うっ⋯⋯!?」


俺の後ろで、北条真那がえづく声がした。続いてびしゃびしゃという嘔吐の音。


しかし魔法陣はこちらの反応など意に介した様子もなく、六芒星の中に、さらに細かな線を刻んでいく。六芒星の中にフラクタルな六芒星をさらに描き、その中にいっそう小さな六芒星を描く。かと思えば、見慣れない文字らしきものを太いラインに沿ってびっしりと書き付ける。そのたびに「邪魔」になる場所にいた女子生徒の身体が切り刻まれ、吹き付ける台風の雨に流されて、地面に赤い水たまりを広げていく⋯⋯。


「ん⋯⋯?」


陰惨な光景を目を逸らさず見つめていた俺は、その変化に気がついた。

もはやサイコロステーキと化した肉と、そこから溢れ出した大量の血液が、六芒星の円陣の中で、赤い燐光をまとって浮かび始める。十人の生ける処女から作られた肉と血とは、六芒星の中心でひとかたまりとなり、吹き付ける雨を弾きながら、徐々に大きくなっていく。

それは、胚の細胞分裂によく似ていた。最初は赤い真球だった「それ」は、まず縦に半分に割れ、次に横に半分に割れた。その次は縦に、さらに横に。血肉は分裂しながらその形を次第に整え、血色の泥人形のようなものへとなっていく。生贄の血肉で作った、悪趣味極まりない冒涜的な泥人形は、やがてすうっと宙を降り、赤いつま先を六芒星の描かれた地面にそっとつけた。

その瞬間、つま先から頭頂までを、黒い波動が駆け抜けた。


「わっ!?」


思わず手で顔を覆ったが、波動にとくに害はなかったようだ。それでも、人間ならば本能的に危険を覚えざるをえない、邪悪ななにかだったように思う。

俺はゆっくりと自分の手を下ろした。


そこには、黒々とした長い髪をもつ、美貌の少女が立っていた。

いや、正確には浮いていた。

地面に片方のつま先を触れただけの姿勢で、少女は宙に浮いている。

足先までを覆う長すぎる黒髪に覆われた少女の白い裸身が目に眩しい。

少女は絹ひとつまとっていなかったが、その裸身に感じるのは欲情ではなくもっと崇高な美の感覚だ。

それまで閉ざされていた少女のまぶたが上がり、その奥から金色の虹彩には、縦長の漆黒の瞳孔が収まっている。

その無明の闇のような瞳に見つめられ、俺は思わずたじろいだ。


「ほう⋯⋯おぬしか、わらわを喚び出したのは」


赤く、ヴァギナのように艶めかしい唇が開き、鈴のような、しかし同時に重厚でもある声が漏れ出した。


「よい供物くもつであった。完璧だ。世を生きる苦労をまだ味わってはおらぬ処女どもの血肉と絶望と⋯⋯仲間を生贄に差し出したそこな女どもの苦悩と葛藤と邪婬と⋯⋯クフフッ、かほどの供物はひさかたぶりにもろうた。人間どもが魔術を忘れておらなんだ時代にも、これほどの饗応きょうおうを受けたことはない。それこそ、ファウスト博士かマヤの王か、エジプトのファラオか、不老長寿を求めた中国の皇帝か⋯⋯。しかし、彼らに比べれば、いささか若く迫力に欠くマスターではあるようだな」

「いや、そんな連中と比べられたら誰だって迫力に欠くだろうよ」


凍りついていた口からは、意外とあっさり軽口が出た。


「ファウスト博士、ということは、あなたはメフィストフェレスということですか?」


北条真那が、俺の後ろからそう聞いた。


「うつけがッ! 誰が妾に直接口を聞いていいと言った? 妾と言葉を交わしてよいのは妾をこの世に具現させたマスターのみぞ」

「ひぃっ!」


一点、凶悪な面相で叱りつける少女に、北条真那はすくみ上がり、その場に尻餅をついていた。


「まあまあ⋯⋯俺だけだと気づかないこともあるだろうから、後ろの三人の発言も許可してくれないか?」

「ふむ⋯⋯不本意であるがしかたあるまい。今の世では悪魔と聞いてもピンと来ぬであろう。妾も、このような奇怪な事態が起こらなければ、もはや人間どもに召喚されることはあるまいと思っておったところだ」

「奇怪な事態ってのは、隕石のことか?」

「さようじゃ。だが、その話をする前に、互いに名乗りを上げようではないか」

「それもそうだな。こういう場合の作法はよく知らないんだが、真名を知られるとマズい的なことはあるのか?」

「真名など、今の世の中で何の意味があろう。ああしたものは、秘するからこそ力を持つのだ。故に古の魔術師たちは、『誰にも名乗らぬ名』という実用上無益でしかないものをでっち上げることで、自らのうちに秘するべき力が宿ることを期待した。相手に知られぬこと、秘密であることは、魔術という常識を超えた力を現実にする前提条件であったからの。もっとも、世界のありようが変わった今となっては、魔術はもはや隠然たることをやめ、科学と同じ明示的な世界法則となりつつあるのだが」

「いろいろつっこみたいが、とりあえず普通に名乗ればいいんだな? 俺は亥ノ上直毅だ」

「亥ノ上直毅、だな。あまり召喚師らしくはない名だが、この際しかたあるまい。

 妾は⋯⋯はて? 名前が思いつかぬな」

「なんだよ、記憶喪失か?」

「いや、記憶はきわめて明瞭だ。

 問題は、おぬしが妾の名を唱えずに召喚したことであろう。普通は、召喚師の側に、喚び出さんとする悪魔について、真実か虚妄かはともかくとして、ある程度の知識やイメージがあるものなのだ。そのイメージに沿って悪魔は地上に受肉する。

 先に、そこな女が妾はメフィストフェレスなのかと聞いてきおったが、その答えはしかりでもあり否でもある」


少女はそう言うと、ふわりと地面に降り立った。

少女の白い素足が、台風でひっきりなしに水の流れる地面にひたりと立った。


「悪魔には本来実体がない。形而けいじ上の存在なのだ。形而上と言ってわかりにくければ、意識あるエネルギーのような存在だと思えばよい。ただし、その本体はこの世界とは別の世界に存在する。その状態では、悪魔に『個』や『自我』といったものはありえない。したがって、己に名前をつけるということもない。悪魔とは、名前のない存在なのだ」

「つまり、召喚された時に、召喚した奴のイメージに従って名前がつく、と?」

「その理解でほぼ間違っておらぬ。しかし、今回はそうではなかったようだ」

「じゃあどうすればいいんだ? 名無しの悪魔とでも呼べばいいのか?」

「それではさまにならぬ。こうなってはなんでもよい。妾にふさわしいとおぬしが思う名を付けてはくれぬか?」

「俺、ネーミングセンスとかないんだけどな⋯⋯」


一瞬、後ろの三人に丸投げしようかと思ったが、それをやると悪魔の機嫌を損ねるかもしれない。「インスペクト」で調べた限りでは、召喚した悪魔は召喚師には服従する、とあったのだが、気分良く働いてもらうに越したことはないだろう。


悪魔の名前ね。

さっき挙がったメフィストフェレス。堕天使ルシフェル(ルシファー)。七つの大罪関連でベルフェゴール。処女の生き血を飲むということならエリザベート⋯⋯これは悪魔じゃなくて実在の人間が。

メフィ、ルシフェラ、べルフィ、エリザベート⋯⋯うーん、悪くはないが、ピンと来ない。


「おぬしが妾を喚び出したのには理由があるのであろう? でなければ十人もの生贄を用意できたとは思えぬ。おぬしが妾に求めるものを名に込めればよかろう」


と、悪魔が助け舟を出してくれる。


たしかに、過去の悪魔たちの名前から取るのは違う気がする。

俺はファウスト博士でもファラオでも秦の始皇帝でもないんだ。


では、俺が求めるものはなんなのか?


脊髄反射で答えるなら、安全だ。

今俺は実家を失い、柊木瑠璃の勢力と敵対している。

だから、俺は安全の確保のために戦う覚悟を決めた。


だが、安全の確保というのは、最終目的というより当座の目標、今後の生存のための前提条件という側面が強い。


つまり、俺はその先に「何か」を求めているから、その前に安全を確保しようとしている。


それが何かと言えば⋯⋯なんだろう。

うまく言語化できなかったが、俺の頭に昔のことが浮かんできた。

短いブラック企業勤めをしていた時に、仕事明け、職場でのいじめでボロボロだった俺は、深夜営業のファミレスで店員が引くほどの勢いで酒を飲んだ。酔っ払って記憶がないのだが、一応ファミレスはちゃんと金を払って出たらしい。その後ふらふらと繁華街を歩いた俺は、よろめいて、半地下のバーへの階段を転げ落ちてしまった。そのバーの女性バーテンダーが驚いて出てきて、店の中で介抱してくれた。

酔いが醒め、落ち着いてくると、俺は申し訳なさでいっぱいになった。謝りまくる俺にバーテンダーの女性は困り果て、とあるカクテルを出してくれた。

彼女が大好きで、バーテンダーになって真っ先に作ったというカクテルは、ベルベット・キス。生クリームやバナナ・リキュール、パイナップルジュースを使ったそのカクテルは、男の俺には甘かったが、いかにも目の前の彼女が好きそうな味だと思った。

それから彼女は、俺にバーテンダーになってからの失敗や大変だったことをいくつも話してくれた。

俺はベルベット・キスをアホみたいにお代わりしながらその話を聞いた。

結局それでまた酔ってしまって、会計はちゃんと済ませたものの、肝心のその店の名前や場所を忘れてしまった。

だから、たぶん遅い初恋だったのだろうそのバーテンダーには、それ以降二度と会えていない。

そういえば、北条真那と似たようなタイプの女性だった。


「⋯⋯そうだな。ベルベットっていうのはどうだ?」

「ほう。思いのほか、よい名前が出てきたものだ。その意は?」

「それは⋯⋯秘密にしておこう。一応俺も召喚師らしいからな」

「くくっ、なるほど、女絡みだな? 好きな女の名前を他の女につけようとは大胆な男よ」

「そ、そういうんじゃねえよ!」


だが、俺が求めているもの。

それは、ひょっとしたら「愛」だったのかもしれない。

男女のあいだの愛だけじゃない。親子、友人、知人⋯⋯他の人間と愛情をもってつながれること。それが俺の望みなのか。

意外といえば意外だ。俺は、他人と関わるのが嫌なのだと思っていた。

しかし、それは他人と関わった結果として嫌な思いをするのが嫌なのであって、他人と関わった結果が良いものとなるのなら、他人と関わることそのものが悪いとはいえなくなる。

もっとも、俺の性格や境遇を考えれば、他人と関われば嫌な思いをするはずだという予想は、かなりの確率で当たるものであって、ひょっとしたらうまくいくかもなんて楽観的な期待を抱くのは難しい。これは俺の悲観的な思い込みなんかじゃなく、実体験で証明された経験則なのだ。


「よかろう。妾は今この時よりベルベットじゃ。おぬしの最愛の相手となれるよう精進していきたいの」


ベルベットはとびきり蠱惑こわく的な笑みを浮かべてそう言った。

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