20 突きつけられる選択

柊木瑠璃とことを構えるつもりなのか。

そう聞いたのは教師の北条真那だったが、西園寺芳乃と千南咲希も息を呑んで俺に真剣な眼差しを向ける。

三人には快楽という毒が回っていて、その目はいくぶんとろみを帯びていたが、この時だけははっきりとした緊張が見えた。


「柊木瑠璃は俺に南浅生みなみあそうに立ち入るなと言った。だが、諸事情あって、それは無理だ。俺はモンスターを倒し、力とアイテムを得る必要がある」

「その、歩み寄る余地はないのでしょうか……?」

「それは俺じゃなく柊木瑠璃に言ってくれ」

「そうなると、亥ノ上さんの眷属となったわたしたちも柊木先生やその支配下にある他の生徒たちと戦うことになるのですか?」


北条真那の言葉に、俺は即答するのを躊躇した。

戦いを嫌う北条真那でも、柊木瑠璃との戦いは避けられないとは思ってるようだ。だが、柊木瑠璃の支配下にある他の生徒たちまでそれに巻き込むことはできないと思ってる。教師としては美質だし、人間としても正しいと思う。


「あたしは……こうなった以上、やるしかないと思ってる。戦いを避けたって、世界がこんな状態じゃジリ貧だよ。柊木先生が隕石は資源だって言ったのはたぶん正しい。これから世界ではアイテムという物資を生む隕石の奪い合いが起こる」

「そうかもしれませんけど、何も戦わなくても……」

「いえ、先生。わたしも千南ちなみさんに賛成です。何より、このまま柊木先生を放置しておいたら、セフィロトの生徒たちは地獄を見ます。たとえ犠牲が出たとしても、柊木先生――いえ、柊木瑠璃を討つべきです」


実にきっぱりと、西園寺芳乃が言い切った。

性格特性「現実主義」や「諦念」の効果――と言いたいところだが、直後に俺に送ってきた視線を見るに、優柔不断な教師を説得することで俺相手のポイントを稼ごうとしてる感じである。いきなり吸血されて眷属にされたというのに、この短いあいだで俺は、西園寺の中で同じ学校の生徒と戦ってでも取り入りたい相手になっていた。

千南咲希のほうは、俺に取り入るためというよりは、自分を恐怖で縛り捨て駒にしようとした柊木瑠璃に対し、純粋に怒りを抱いているようだ。

つまり、二人とも案外現実を見ていない。俺への本能的な好意と柊木瑠璃への復讐心で言ってるだけだ。


「ですが、いくら亥ノ上さんが強いと言っても、セフィロト側には三十人近い覚醒者と、千人近い一般生徒がいるんです。アイテムの数は足りませんが、弓道部やアーチェリー部の弓、陸上用の投げ槍、あるいはもっと単純に火炎瓶や石などを一般生徒に持たせるだけでも、十分に戦力になるはずです。実際、そのようにしてモンスターを狩っているわけですし」


北条真那は、生徒二人よりは冷静な見方をしているようだ。

実際、北条真那の懸念はもっともだ。

現時点で俺の有する魔法や技は柊木瑠璃を凌ぐだろうが、柊木瑠璃はモンスターとの戦闘経験を重ねた上に、アイテムでも武装している。もともとの攻撃的な性格と武道の経験も戦う上では脅威だろう。もしこちらが精神的に柊木の劣位に置かれるような事態になれば、柊木の「支配の教壇」の効果が俺にまで及ぶことになる。性格特性で強化されてるとはいえ、俺は元ひきこもりだ。5倍に増幅された柊木瑠璃の心理学的な圧迫に耐えられるような精神構造はしていない。


《亥ノ上直毅は、柊木瑠璃に対抗するには戦力が足りないという結論に至る。足りない戦力を補うための手段を検討した直毅は、性格特性「妄想」「開き直り」「利己主義」「現実主義」「邪悪」「直感」及び魔法適性「死霊」「召喚」、種族「吸血鬼」を用いて、以下の選択肢を抽出することに成功した。》



《選択肢A:直毅は、このキャンプ場にいるセフィロト女子の一般生徒十人を生贄いけにえに、召喚魔法「サモン:デーモン」を試すことにした。》


《選択肢B:直毅は、十人もの一般生徒を生贄とすることに抵抗を覚え、今回と同様の奇襲によってセフィロト女子の他の覚醒者を眷属とする代替案を取ることにした。》



これまでとはずいぶん毛色の違う「天の声」が降ってきた。


生贄というからには、一般生徒十人は命を失うことになるのだろう。

カードゲームでよくある「◯◯を生贄に◇◇を召喚!」というやつだが、さすがに人の命をマナコスト代わりにするのは抵抗がある。


だが、「天の声」が選択肢を出してきたということは、どちらでも同程度の結果が出るということだろう。これまで「天の声」は絶対の正解をひとつだけ示してきた。その「天の声」が選択肢を示す以上、その選択肢は等価なものでなければおかしい。

しかし、選択肢二つを比較すると、常識的に考えて、選択肢Bのほうが穏当そうだ。同じような結果を得られる選択なら、わざわざ後味の悪いほうを選ぶ理由はない。

Bだろ、B。


……いや、待て。

じゃあなぜ、その後味の悪い選択肢Aが選択肢Bと等価な形で示されているのか?

選択肢Aでは、最初に十人の生徒が犠牲になる。柊木瑠璃のスパイがいるかもという話ではあるが、そうだとしても、元凶は柊木瑠璃であり、その有害な影響力がなくなれば、一般生徒も目の前の三人同様正気を取り戻すことだろう。言ってしまえば、彼女らは状況に強いられやむをえず敵に回ってるだけの(ほぼ)無辜むこの女子高生十人なのである。俺が女子高生にいまいち萌えないとか、学生時代にいじめられた記憶が蘇って嫌な気分になるとかは俺の勝手な事情であり、彼女らには罪のないことだ。

一方、選択肢Bでは、一見この十人の犠牲を回避できるかに見える。しかし二つの選択肢が等価であるという前提に立つのなら、この選択肢Bでも相応の犠牲が出ると見るのが妥当だろう。目先の十人を助けることはできるが、この先のどこかの局面で再び似たような選択を迫られることになるのかもしれない。


……決められねえぞ、こんなの。


《亥ノ上直毅は、性格特性「現実逃避」「妄想」「厭世」「利己主義」「人間洞察」「邪悪」「現実主義」「快楽主義」「解脱」「冷血」「用意周到」「慈愛」「偽善」「マキャベリズム」「克己心」「理想主義」「直感」を用いて、二つの選択肢をさらに掘り下げることにした。》


《行動判定:成功S。》


《直毅は、二つの選択肢について将来得られるであろうものと将来失うおそれのあるものの一部を思い描くことに成功した。》



《選択肢A:直毅は、このキャンプ場にいるセフィロト女子の一般生徒十人を生贄いけにえに、召喚魔法「サモン:デーモン」を試すことにした。

 >強力な悪魔の召喚により、敵方の覚醒者を戦わずして無力化することに成功、柊木瑠璃との決戦に万全の状態で臨むことができる。

 >生贄とされた一般生徒十人の魂は悪魔に喰われ失われる。

 >性格特性「邪悪」の強度がⅤになる他、関連する複数の性格特性が劇的に伸びる。さらに、強力な複数の魔法を習得する。

 >北条真那は反発するが、最後には性格特性「被虐」「邪婬」を発現し、快楽によって懐柔される。》



《選択肢B:直毅は、十人もの一般生徒を生贄とすることに抵抗を覚え、今回と同様の奇襲によってセフィロト女子の他の覚醒者を眷属とする代替案を取ることにした。

 >性格特性「聖人」発現、「偽善」「慈愛」その他複数の性格特性が大きく伸びる。魔法適性「聖」を発現する。種族「???」を獲得する可能性がある。

 >北条真那が心から服従し、今夜直毅にその身を捧げる決意をする。

 >敵方の覚醒者とは消耗戦となる。敵方の覚醒者、一般生徒から死亡者が出る。戦いは長引き、柊木瑠璃との決戦は夜明け以降に持ち越される。

 >亥ノ上雪乃、北条真那、西園寺芳乃、千南咲希の四名のうちいずれか一名以上がロスト・死亡する確率がおよそ30%存在する。亥ノ上雪乃がロストする確率は約17%。北条真那、西園寺芳乃、千南咲希が死亡する確率は、それぞれ約19%、8%、7%である。》



「……マジかよ」


俺は思わず顔をしかめる。

選択肢Aなら、犠牲は最初の十人で済む可能性が高い。この結果は「将来得られるであろうものと将来失うおそれのあるものの一部・・」らしいから、今の結果にない犠牲が出る可能性も否定はできない。ただ、得られるものが強力な分安定して戦えるようなので、Bに比べれば予期せぬ犠牲者は出にくいだろう。


対して選択肢Bは、今後の戦いにかなりの不確実性を抱え込む選択になっている。せっかく十人を生贄にすることを回避しても、その後の戦いで敵方に死者が出る。その上、母さんとここにいる三人の眷属からも、三割の確率で一人以上の犠牲者が出る。「以上」ということは、運が悪ければ二人以上失うリスクがあるってことだろう。

これはおそらく、柊木瑠璃との決戦が夜明けにずれ込むことに一因がありそうだ。俺の種族「吸血鬼」と性格特性「夜行性」は夜間の心身の能力を押し上げる効果がある。母親の「不死者」は眠る必要がないので昼夜問わず能力は変わらない。一方柊木瑠璃は覚醒者とはいえ夜間は心身ともに能力が下がる(能力うんぬんではなくごく常識的な意味で)。つまり、柊木瑠璃との決戦は、夜間が俺に圧倒的に有利なのだ。夜が明けてから、しかもそれ以前の戦闘で消耗した状態で柊木瑠璃と戦うと、こちら側も無傷では済まない可能性が高くなる。


これまで散々柊木瑠璃は難敵だと自分に言い聞かせてきたが、ひょっとするとそれでもまだ認識が甘かったのかもしれない。

俺はどこかで思っていた。柊木瑠璃は難敵だが、勝てないことはないだろう、と。

だがこの選択肢を提示されれば嫌でもわかる。犠牲を払わずに柊木瑠璃に勝つことはできないのだ。


じゃあ、犠牲を払った上で、俺は何を得られるのか?

双方の選択肢で得られる性格特性は対照的で、単純な比較は難しい。「聖人」だのなんだの、不確定な要素も多すぎる。

それ以外の違いといえば……選択肢Bでは北条先生から心のこもったご奉仕が受けられそうなことくらいか。魅力的な話ではあるが、その場合でも北条真那は最後の決戦で19%もの確率で死亡する。西園寺、千南と比べて死亡確率が高いのは、情の通った北条真那が俺のことをかばうからだろうか。

Bでは、現状近接戦での最強戦力である母さんまで結構な確率でロストする。母さんだけ「死亡」ではなく「ロスト」なのは不死者だからだろう。母親は既に死んでいるという事実を直視するのなら、犠牲が母親だけで済む場合、戦死者は実質ゼロと強弁することもできなくはない。

人数だけを考えるなら、Bで死亡するのは決戦前に戦う覚醒者・一般生徒の若干名と、三割の確率で俺の「身内」の一人(かそれ以上)。逆に、七割の確率で身内の死亡者は出ないとも言える。期待値で言えば、選択肢Aの十人を超えることはなさそうだ。


「天の声」に耳を澄まし、長く考え込んでいた俺は、目の前にいる三人のことを忘れていた。

ふと気づいて顔を上げると、三人は不安と怯えの混じった表情で、俺の顔色をうかがっている。


「……柊木瑠璃と戦うかどうか、だったな」


俺の言葉に三人がびくりと震えた。


「そこは、選択の余地がないんだ。戦いは不可避だ」

「そんな……!」


北条真那がさあっと血の気の引いた顔で声を上げる。


だが、そこは絶対に揺るがない。

「天の声」は「戦わない」という選択肢は示さなかった。つまり、「戦う」か「戦わない」かの二択なら、迷う余地なく「戦う」しかない。「天の声」を信じるならな。


「では、何を迷っていらっしゃるんですか?」


西園寺芳乃が慎重に聞いてくる。


「戦力の確保のために、使える切り札がひとつある。だが……」


俺の言葉は自然尻すぼみになった。


ここで、この三人に他の生徒を全員生贄にして悪魔を召喚する、と言ったらどうなるか?

三人に拒否権はない。もし反発したとしても、選択肢によれば懐柔は可能だ。最も反発しそうな北条真那でさえ、最後には屈するしかないらしい。その「反発」だって、所詮は口先だけのものであって、今から俺に逆らえるわけじゃない。


では、俺は何を恐れているのか?


単純だ、目の前にいる他人から、人非人だと非難されることを恐れているのだ。

そんな非難では傷ひとつ負わないとわかっていても、他人の感情的な攻撃に晒されることに恐怖を感じる。


だが、その恐怖に負けて選択肢Bを選べば、その先に待つのは不確実な未来と確率でもたらされるかもしれない仲間の死だ。


結局、選択肢Aの最大の「デメリット」は、その選択肢を取ると宣言することに対して覚える俺の側の恐怖なのである。


「よくわかんないけど、あたしは亥ノ上さんがためらってるほうが正解な気がするよ」


千南咲希はあっけらかんとそう言った。


「そうですね。わたしもそうだと思います。おそらく、辛い選択なのだと思いますが……」


西園寺芳乃は、ちらりと北条真那を見た。

彼女は、俺の躊躇の理由が北条真那の賛同を得られそうにないからだと察したらしい。いざとなればわたしが抑える、といったニュアンスの視線である。


「柊木先生の怖さはあたしらのほうが身に染みてわかってる。手段を選んでる余裕はないんじゃないかな」

「千南さんに賛成です。柊木瑠璃は危険すぎます。万全を期して望まなければすべてを失うことになりかねません」


生徒二人は俺の切り札が何かも聞かずに賛成を示した。俺への追従だけじゃない。二人は柊木瑠璃の怖さを知っている。同僚の教師である北条真那よりも、生徒の方が教師の本質には敏感なのだろう。生徒は教師の性格に人生をも左右されかねない立場にあるからな。


「待って、ください。ちゃんと、説明をしてください。亥ノ上さんは、何をされようとしているのですか……?」


俺のまとう不穏な空気に北条真那が怯えた声を漏らす。


《亥ノ上直毅は、性格特性を用いず、自らの意思でその選択を口にした。》



「……悪いな、先生。あんたの大事な生徒を生贄にさせてもらうことにした」



そう告げる俺の唇は、邪悪な形に歪んでいたかもしれない。

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