23 魔女の園
「まあ、じゃああなたも魔女なのかしら?」
母親の言葉に、後部座席の西園寺芳乃がぎくりとした。
そのあいだに、北条真那の運転するミニバスが発車している。今は夜で、台風の風雨もある。少し離れただけで見失ってしまうおそれがあった。真那にはトランシーバーを持たせてるし、スマホのチャットアプリも交換してるが、はぐれないに越したことはない。
「母さん、悪いけど、前のミニバスを追いかけてくれる?」
「わかりました」
俺の依頼(というか命令)に、母親が車のギアをドライブにし、ミニバスを追いかけ発進する。
俺は後部座席の芳乃に聞いた。
「魔女って、どういうことだ?」
「いえ、それはこちらが聞きたいことなのですが……」
「そりゃそうか」
いきなり魔女かと聞かれて「はい」も「いいえ」もないもんだ。
俺はそう思ったのだが、芳乃は俺の言葉に首を振る。
「そういうことではないのです。そのことは家族にも口外してはならない秘密で、直毅さんやベルベットさんの前でお母様がそのことをわたしに聞いてきたことに驚いたのです」
芳乃は、どこか口を濁すような口調でそう言った。
「は? どういうことだ?」
「そうですね……。このような事態になっては今さらです。直毅さんがセフィロトを攻略すればいずれわかることですし」
「なんだ、まさか本当に魔女だって言うのか?」
冗談めかして言った俺に、芳乃は真顔でこくりとうなずいた。
「セフィロトには魔女組と呼ばれるクラスがあります。学園長が選抜した生徒のみで構成されるクラスで、各学年にひとつ。セフィロト女子の学級は、各学年ケテル、コクマー、ビナー、ケセド、ゲブラー、ティファレト、ネツァク、ホド、イェソド、マルクトの十組があって、そのうちマルクトが魔女組です。といっても、魔女組という言葉を使うのはマルクトの生徒だけで、他の組の生徒はマルクトの秘密を知りません。よくわからない基準で選抜された組だということくらいは知ってると思いますが」
「ええっと……カバラとか数秘術とかの話か?」
ゲームとかでなんとなくだが聞き覚えがある。セフィロトとはユダヤ神秘主義の「生命の樹」のことで、芳乃が挙げたクラスの名前はその各部分の名前だったと思う。
「詳しいことはなんとも……。ただ、マルクトに所属する生徒に魔術の才があることは事実です。タロットを使ったフォーチュンテリングやダウジング、記憶術といったものから、そよ風を起こす、砂つぶを石に変える、種火を起こすといった四大を操るものまで。ごく些細なものではありますが、隕石以前からマルクトの生徒は魔術が使えました」
「マジか……。っていうか、母さんもそうなのか?」
「だと思います。マルクトの生徒でなければ、セフィロト女子が魔女の選抜・育成を行なってることは知り得ないはずですから。ただ、セフィロトの魔女組とそのOG以外には口外してはならないという掟があるのですが……」
「その掟っていうのも魔法で?」
「いえ、本当にただの掟です。でも、魔術は秘するほどに効果が高まるものですので、魔女が魔術のことを魔女以外に口外するのは推奨されません。言っても信じてもらえないでしょうし」
「母さんは一度死んで、自我が弱くなってるからな。そのあたりの複雑な判断ができないのかもしれない」
「そ、それはその……なんと言いますか……」
「気にするな。その罪は俺がかぶればいいことだ。このまま不死者として生かすべきなのか、葬ってやるべきなのかはよくわからないがな」
「直毅さん……」
芳乃が気遣わしげな声を漏らす。
俺が元のひきこもりのままだったら、こんな風に気遣ってもらえることもなかっただろう。性格特性「誘惑」「支配」「魅了」「カリスマ」あたりが仕事をしてるにちがいない。
俺の言動に対する他人のリアクションがいちいちポジティブな方向に変化していて、何か話すたびに居心地の悪い気分になる。これまで俺は、他人からなじられ、責められ、罵られ、死ねと言われるのが普通だったが、生まれつき見た目がよかったり性格が明るく素直だったりする奴は、性格特性なんてなくても他人との関わりでこの程度のリアクションが普通に期待できるってことだよな。そりゃ、人との関わりに積極的にもなれるだろう。
「魔女の話を続けてくれ」
「あ、はい。といっても、さっき言った通りですね。マルクト組もカリキュラムは他のクラスとほぼ同じです。週に何度か魔術の訓練があったくらいです」
「魔術の訓練か。何をやるんだ?」
「たいていは、ペアを作ってタロットで互いの運勢を占うだけです。週に一度学園長がやってきて、その時々で魔術の講義をしたり、各自に合わせた特殊な訓練をしたりしてました」
「学園長自身が魔女ってことか。……待てよ。その学園長は今どうしてる?」
「わかりません。柊木先生がどこかに幽閉したのではないかと言われてました」
「殺されてはいないのか?」
「学園長はマルクト組の卒業生をまとめ上げる存在です。セフィロト女子の外界への影響力の要となる存在なんです。いくら柊木先生でも、今の状況で学園長を殺しはしないと思います」
「柊木瑠璃は魔女じゃないのか?」
「ちがいます。マルクト組の担任はすべて魔女で、他にも魔女の教師はいますが、柊木先生はそうではなかったです。そもそも柊木先生は白魔術向きの性格をしてませんし……」
「ってことは、セフィロトで教えてるのは白魔術だけなのか? いや、そもそも俺のイメージしてる『白魔術』ってのが正しいかどうかもわからないな。ざっくりでいいから教えてくれないか?」
俺が「白魔術」と聞いて思い浮かべるのはロールプレイングゲームのヒーラーである。黒魔術が攻撃魔法で、白魔術が回復やバフ。そんなようなイメージだ。
芳乃はうなずいて言った。
「自然の
「ああ、真逆だな。世界をのあり方をねじ曲げ、あるがままを否定し、肥大したおのれのエゴを満たそうとしている」
俺が言えた筋合いではないかもしれないが。
「直毅さんのおっしゃる通りです。柊木先生には、むしろ黒魔術への強い適性があったのでしょう。学園長はおそらく柊木先生のそうした特性を見抜いて、それを徐々に良い方向へ転換させていくつもりだったのだと思います。そのために、あえて柊木先生を学園に受け入れた……」
「わざわざ面倒なやつを抱え込んだってことか? それも白魔術師の使命なのか?」
「さあ……学園長の目指すところは高邁すぎて、わたしにはわかりません。それを言うなら、そもそもセフィロトで魔女を育成している理由もわかりませんし」
「なるほどな。ともあれ、セフィロトが抱え込んで無力化しようとしてた毒が、隕石を契機に吹き出してしまった、と」
「学園長は直前の授業で、近く想像もできないほどに大きな厄災が起こるとおっしゃっていました。それが具体的にどんなものなのかは見通せないが、自分の想像をはるかに超えた何かが起こる、と。なんでも、長年使っていらっしゃったタロットの『塔』のカードがひとりでに八つに裂けたのだとか……」
「それはまた不吉だな」
その後に起こったことを思えば、そのカードは最後に正しい仕事をしたってことになりそうだ。
「凶星と、凶星によく似た何かが現れる、その二つをなんとしても見分けよ……学園長はそんな予言をされていました」
「凶星ね」
それが柊木瑠璃のことなのか、俺のことなのかはわからないけどな。
母親の運転する車はミニバスの後部にヘッドライトを向けて、雷雨の中を進んでいく。せわしなく動くワイパーも視界を確保する役にはあまり立っていなかった。
「真那や咲希も魔女なのか?」
「千南さんは一年マルクト組なので魔女です。北条先生は一般クラスの担任で、新任の先生でもあるので、魔女ではないです。セフィロトに雇われたということは素質はあったのだと思いますが」
俺の素人目で見ても、北条真那はいかにも白魔術向きの性格をしていそうだ。
「魔女というが、具体的には何ができるんだ? たとえば芳乃には何ができる?」
「水滴を凍らせることと、簡単な占いくらいですね。それも、学園の中以外ではできないです。覚醒して得た力と比べるとおもちゃにすらなりません」
「学園の中以外ではできないっていうのはどういうことだ?」
「セフィロト女子は入念に設計された結界になってるんだそうです。魔女の素質のある生徒を、魔術を増幅する学園に集めて、ようやく手品程度の魔術が使える、というのが実態ですね」
「母さんはどうだったの?」
俺はうつろな顔でハンドルを握る母親に聞いてみる。
「熱を偏らせて発火させることと、簡単なヒーリングができました。セフィロトの外では効果が弱くなるけど」
「お母様は優秀ですね。普通は三年で何か一つが安定して使えるようになるかどうかで、セフィロトの外では使えないという人が大半なんです」
「そういや、俺が怪我した時なんかに、母さんがよく傷口に手をかざしてくれたっけ」
それが目に見えて効いたという記憶はないが、大きくなってから怪我をした時に、昔より治りにくいと感じたことはあった。歳のせいかと思ったが、母親のヒーリングが治癒を早めていたのかもしれない。
「ベルベット。魔女ってのは一般的な存在なのか?」
後部座席で静かに目を閉ざしていたベルベット――召喚した悪魔に聞いてみる。
俺がベルベットの名を口にしただけで、その隣にいる芳乃がわずかに震えた。そりゃ同じ学校の生徒十人を生贄にして喚び出した悪魔だからな。怖がるのも当然か。
当の悪魔は、芳乃の反応に気づいた様子もなく、金色の光彩に浮かぶ黒い縦長の瞳を、バックミラー越しに俺へと向けてくる。
「かつて魔女はもっと大きな力を持っておったが、今ではほとんど絶滅寸前じゃ。人から信じられなくなった『神』が力を喪うように、魔女もまた人から信じられなくなれば力を喪う定めにある。科学が依って立つところの理性とは、精神と自然の合一を解体し、あらゆるものから独立した『個人』なる虚妄をでっち上げるものじゃからの。魔女という存在は、現代の時代精神と完全に
赤いドレスの悪魔は肩をすくめ、つまらなそうに言った。
「なんだ、あまり興味なさそうだな」
「白魔術は、妾とは水と油の存在じゃ。柊木瑠璃なる女のほうが妾にはよほど近い存在じゃろう。もっとも、黒魔術即悪というわけではない。要は使い方の問題なのじゃが、黒魔術師のほうがより強く力を求め、力に溺れやすい傾向はあろう」
「ふぅん。ちなみに、俺はどうなんだ?」
「マスターは間違いなく黒魔術の強い素質を持っておるよ。百年に一度いるかどうかといった逸材じゃ。魂のうちにどす黒く淀んだものを抱えておる」
「全然褒められた気がしねえな」
俺はなんとなく、雨が滝のように流れるフロントガラスに目をやった。運転席の表示光に照らされて、俺の顔が暗いフロントガラスに浮かんでる。
その顔を見て、俺は違和感を覚えた。
鏡なんて長いこと見る習慣がなかったが、何かが妙なのだ。
俺は助手席の上にあるサンバイザーを倒し、その中にある鏡に自分の顔を映す。
車内は暗いはずだが、吸血鬼であるせいか俺にはそこそこ明るく見えている。
だから小さな鏡に写った自分の姿も見えるのだが……
「……あれ?」
俺はおもわずつぶやいた。
「どうした、マスターよ」
「いや……なんつーか、思ったよりも老けてないなって」
ひきこもった十数年のあいだに、俺はきっと嫌になるほど老け込んだにちがいない。
そう思ってばかりいたのだが、鏡の中の俺は存外若い。
いや、若すぎる。
ひきこもりを始める前と比べても、なお若く感じるだろう。
その頃はブラック企業で心身ともにボロ雑巾になってたので、肌の色つやも悪く、吹き出物も多かった(吹き出物が多くて気持ち悪いと職場ではさらにいじめられた)。
それに比べると、今は色つやもよく、顔のしわも目立たない。ていうかない。
さらに、もともとの顔立ちより顎まわりがいくらかすっきりし、目元も心なしかくっきりしてる。
つまり、若返った上に、気持ち美形になってるってことだ。
「ふむ。以前の顔を知らぬからなんとも言えぬが、うら若き乙女の血を吸った結果であろう」
驚く俺にベルベットが言う。
「吸血鬼ってそんな効果もあったのか」
道理で、女性陣が俺に奇妙な反応をしていたわけだ。もともとイケメンでもなければ、長い不摂生で歳より老けてそうな俺なのに、いくら性格特性で補正がかかるとはいえ、ちょっとドギマギしすぎだろう、と思ってたのだ。
「なあ、芳乃。俺っていくつくらいに見える?」
聞いてみてからちょっとウザい感じの質問だったなと思ったが、この場で客観的に判断できるのは彼女しかいない。
芳乃は戸惑った顔で言った。
「ええと、大人の男性の年齢はよくわからないのですが、三十前後ではないですか? 二十代と言われても不思議はない感じです。北条先生よりは上だと思いますけど」
「……なるほど」
こいつは思わぬ収穫だな。今の状況で見た目のよさがすぐに役に立つわけじゃない……というのは甘い考えだ。見た目がよければたいていの人間は親切になる。少なくとも不審者扱いされるリスクは小さくなる。この期に及んでも人は見た目が九割なのだ。
無為に失った二、三十代の貴重な十数年を取り戻したような錯覚もあって、くすぐったいような奇妙な嬉しさがこみ上げてきた。
「ま、それはいいや。デメリットはないし、原因もわかったんだからもう終わった話だな。
芳乃の魔術についてはさっき聞いたけど、咲希はどうなんだ?」
微妙な恥ずかしさもあって、俺は話を元に戻す。
「千南さんはサイコメトリー……人の考えがなんとなく読める素質があるそうです。かなり不安定で当てにならないと言っていましたが」
そういえば、咲希の性格特性には「直感」があった。強度もⅢとなかなか高い。
「隕石でセフィロトの生徒や教師が覚醒したという話はしましたが、覚醒者はほぼマルクト組の生徒か担任教師でした。例外は北条先生と柊木先生だけですね」
「セフィロトにも小さな隕石が落ちたんだったな。その後はどうなんだ? 柊木瑠璃は
「わたしの知る限りではいませんね」
「ってことは、セフィロトの結界とやらが覚醒にプラスに作用したってことか」
「その可能性は高いです。逆に、直毅さんやお母様がどうして覚醒できたかのほうが気になるのですが……」
「ああ、まあ……極限状況だったからな。母さんが優秀な魔女だったってのはむしろ納得がいくかもな」
折しも世界では隕石の墜落が始まっていて、母親は急な発作で死にかけていた。もともと魔女の素質もあったとなれば、覚醒の条件はある程度整ってるように見える。
いや、そうでもないか。ステータスの並び順からして、母親は覚醒者となってから不死者になったはずなので、母親の覚醒は俺の覚醒の前――つまり、南浅生に隕石が落ちる前だってことになる。
俺のほうはどうか? 隕石の墜落で覚醒し、無意識に死霊魔法を使って母親を不死者にした……という筋書きが成り立ちはするが、セフィロトの生徒・教師たちのように直接モンスターの脅威にさらされたわけじゃない。死を覚悟して飲まず食わずでゲームをぶっ続けでやってたのが、なんらかの修行的な効果を持ったということか?
「セフィロトには覚醒者が三十人くらいいるって話だったか。各学年にマルクト組があるなら妥当な数か?」
「マルクト組は各学年二十人前後ですので、その半数程度が覚醒したことになります。残りの覚醒していない生徒は優先的にモンスター狩りに出されてますが、後から覚醒した生徒はいませんでした」
セフィロトに千人前後がいるとして、覚醒者三十人なら覚醒率3%、と思っていたが、覚醒者がほとんど魔女組に偏ってるというのなら話は違ってくる。そんな特殊な素質の持ち主が、セフィロトの結界内という特殊な場で、隕石の墜落・モンスターの出現という異常事態に晒されてようやく覚醒したってことになるからな。
「隕石墜落地周辺にいる3%くらいの人間が覚醒する可能性があるかと思ったが、もっと少ないと見てよさそうだな」
俺がそうつぶやいたところで、ずっと沈黙してたやつが口を開く。
《北条真那の運転するミニバスは、最初の鉄橋へと近づいた。鉄橋は遠目にも冠水し、南浅生町側にも河水が溢れ出しているのが見て取れる。種族「吸血鬼」、性格特性「夜行性」をもつ亥ノ上直毅は、雨と濁流、夜陰の中に、不穏な気配を感じ取った。直毅はトランシーバーで北条真那にミニバスの停止を命じることにした。》
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