37 奥の手

「――なんじゃ、つまらぬ」


その一言とともに、俺の魂と肉体を蝕む氷が砕け散った。


「な、に⋯⋯!?」

「小娘が。ちぃと人外の域に足を踏み入れたからと調子に乗りおって」


赤と黒のゴシックドレスの少女は、金の光彩と黒く縦長の瞳孔をもつ瞳を柊木瑠璃へと向けた。

柊木瑠璃はその瞳を見て悟ったようだ。


「ほう。貴様が亥ノ上直毅の召喚した悪魔とやらか。どうやらわたしとは同族らしい」

「ふざけるな、貴様などと同族でたまるか。ともあれ、貴様の『死配シハイ凶壇キョウダン』とやらは封じさせてもらった。勝手が違ったせいで思いのほか時間を食ってしまったがの。すまぬな、マスター」

「げほっ⋯⋯だ、大丈夫だ」


狂気に至る直前までの恐怖を与えられた俺の魂は、解放されたとはいえまだダメージを引きずっている。


「で、倒せそうか、ベルベット?」

「残念ながら無理じゃな。死配シハイ凶壇キョウダンを封じながらではこやつの魂をひしゃげさせるほどの攻撃はできそうにない。いや、厳密には時間がかかりすぎるというべきじゃの。こやつは相当な数の魂を喰ろうたようじゃ。そのすべてをひとつひとつ潰すのは暇を要する仕事であるな」

「じゃ、どうすりゃいい?」

「簡単じゃ。肉体のほうを滅ぼしてしまえばよい」

「誰が?」

「おぬしに決まっておろう」

「やっぱか」


だが、話は簡単になった。死配シハイ凶壇キョウダンをベルベットが封じてるあいだに、俺が柊木瑠璃を倒せばいいってだけだ。


俺が覚悟を決めかけたところに、いきなり何かが飛んでくる。無詠唱で「キャッチ」すると、それはセフィロトの生徒の氷像だった。先の石像といい、「天の声」が避けるのではなく受け止めろと言ったからには何か意味があるはずだ。いちばんありそうなのは石像・氷像になった生徒はまだ死んでおらず、蘇生の手段があるってことだな。

しかしそれならこんな危険な場にほっぽり出すわけにはいかないだろう。どうするか。そう思ってすぐに気づく。アイテムボックスにしまえばいい。柊木瑠璃が石像・氷像をアイテムボックスにしまっていたのなら、俺にも同じことができるはずだ。実際やってみると石像・氷像は俺のアイテムボックスに収まった。

⋯⋯途端に、開けた視界に羅刹がいた。右の刀、「追儺ついなの太刀」が斬り下される。俺はそれを左の「地獄の爪」で受け止める。左の刀、「悪鬼の太刀」は横ざまの薙ぎ払いだった。俺は右手に鉄パイプを取り出し、「杖パリング」でそれを弾く。アイテムではないただの鉄パイプはその一回だけでへし折れた。その鉄パイプを間近から「投擲」しつつ、吸血鬼としての身体能力で後ろに下がる。

だが、あまり後ろに下がりすぎると、後衛のみんなの危険が増す。まさか柊木瑠璃がこんなことになってるとは思わなかった。今の感じだと、羅刹となった柊木瑠璃の攻撃を凌げるのは俺以外では母親だけだ。他のやつは柊木瑠璃に近づかれただけでほとんど詰むと思っていい。


距離を取った俺の背後に、いきなり強い魔力が現れた。とっさに前に跳んだ俺の背中を、その魔力がかすめてすぎる。振り返る余裕はないが、おそらく柊木瑠璃が「ダークファング」を無詠唱で放ったのだろう。

俺は「アイシクルレイン」を無詠唱で放って牽制――したつもりだったが、柊木瑠璃は襲い来る氷のつぶてを無視して突っ込んでくる。青白い肌を氷のつぶてが切り裂くが、顔や心臓は二本の刀で防いでいる。


《亥ノ上直毅は、柊木瑠璃が技「猛攻」を使うつもりだと看破する。「猛攻」は攻撃が命中するたびに攻撃速度が加速するという時間制限のある支援技だ。効果時間は7秒、使用後は再使用までに1分かかる。》


「くけけけけっ!」


柊木瑠璃が獣じみた声を上げながら左右の刀で斬りかかってくる。柊木瑠璃には俺と同じく「詠唱破棄」がある。だから、魔法や技の出がわからない。「インスペクト」して調べる時間も当然ないので、「天の声」のフォローは大助かりだ。


「攻撃が当たらなければいいんだろ!?」


俺は二刀の連続攻撃を、受けることなくすべてかわす。

だが、さすがに無理があった。右の太刀が俺の腕をかすめて過ぎる。傷自体は浅かったが、攻撃の命中によって柊木の太刀が加速した。

俺は無詠唱で「クロックアップ」を使い、ギリギリのところでやいばの嵐をかわしていく。

「猛攻」の効果は7秒のはずだが、その7秒が永遠のように感じられた。柊木瑠璃の振るう両の太刀はいずれも一撃必殺の威力を持っている。かするだけでもその攻撃は加速し、加速した攻撃でさらにかすり傷を負うだろう。そうなれば、致命傷をくらうまでには秒もない。

その7秒のあいだに、柊木瑠璃の斬撃は百に達していたと思う。7秒の最後の一撃を俺は右手の「地獄の爪」で受け止め、同時に左手の「テンタクルウィード」から触手を伸ばす。追儺の太刀を握った柊木の右手首に触手がからみ、異音とともに骨を砕く。俺は好機とみて詰め寄ろうとするが、


《直毅は、嫌な予感を覚えて飛びすさった。》


セコンドの指示に従い、大きく下がる。

柊木瑠璃のやったことはわかった。「クイックドロー」だ。以前俺が奪った拳銃とはべつの銃をアイテムボックスから直接「クイックドロー」して発砲したのだ。

その狙いは正確だった。たぶん、「精密射撃」も併用してる。だが、精密なだけに狙いはかえってわかりやすい。俺の額のど真ん中を狙った銃弾を、俺は首を伸ばして・・・・咥えこむ。歯が折れそうな衝撃とともに「地獄の牙」が弾丸を捕らえた。「白刃取り:牙」。こんなピーキーな技が役に立つとはな。

だが、奇妙な攻撃だった。柊木瑠璃は両手に刀を握っている。今「クイックドロー」したのが左右の手であるはずがない。射撃後、銃は魔法のように消えていた。実際、アイテムボックスにしまったんだから魔法である。どちらの手で発砲したのかはわからずじまいだ。

柊木瑠璃は右手に握っていた追儺の太刀を左腰の鞘に収め、空いた右手にアイテムボックスから銃を取り出す。右手の手首はさっき砕いた。刀をさばくのは厳しいという判断か。右手に銃を取ったということは、さっきの銃撃も右だったのか? だが、柊木のこの動きは不用意だった。


「『アポート』」


最初の鉄橋で交戦した時と同じく、転送の魔法で柊木瑠璃の手から銃を奪う。前のニューナンブとは違い、オートマチックの拳銃だ。「アポート」による武器取りはモンスター由来のアイテムには効かないが、この世界の物質には有効なのだ。

俺は手に入れた拳銃で「五月雨撃ち」を放った。照準をずらしての連射を、柊木瑠璃は左手の刀ですべて弾く。以前使っていた「抜刀術・花霞はながすみ」――ではない。技を使わず、反射神経と身体能力だけで飛来する銃弾を斬ったのだ。


「ちっ」


俺は自動拳銃を「キラーパス」で芳乃に送る。「射撃」適性もちは芳乃と咲希だが、咲希には既に深海の銛と深海の槍がある。攻撃を強化するなら芳乃がいい。以前奪ったニューナンブはべつのやつに持たせてるしな。


俺の「五月雨撃ち」で足が止まった柊木瑠璃に、俺の後方から魔法が飛ぶ。「ファイヤーボール」「サンドストーム」「ウィンドスラスト」「ダークバレット」「アクアアロー」「フレイムランス」。逃げ場を塞ぐように着弾点を少しずつずらしてる。事前に教えておいた通りにな。


乱れ飛ぶ魔法に、柊木瑠璃の姿が俺から隠れた。

俺は一気にダッシュをかける。急迫する俺に魔法の渦の中から氷の槍が飛んできた。

俺は無詠唱で「マジックアブソーブ」。氷の槍は俺の魔法に吸収され、ついでに魔法の渦の一部も消える。俺と柊木瑠璃を遮るものがなくなった。

そこで無詠唱の「フラッシュ」。突然の閃光に柊木瑠璃が目を押さえてのけぞった。

技「八艘跳び」で距離を詰め、「地獄の爪」で「ポイズンクロー」。柊木瑠璃は気配を頼りに左手の太刀を振るが、そのさらに左に回り込んで「ポイズンクロー」で脇腹をえぐる。毒が効いたが、柊木は俺に脇から背中にかけてを無防備に晒す。


《直毅は、嫌な予感を覚えて――》


「下がるんだろ!?」


俺は見せかけのチャンスをためらいなく捨てて、再び後ろに飛びすさる。

俺と柊木瑠璃の距離が空いたのを見て、いくつかの魔法と咲希の投げた「深海の銛」が柊木瑠璃へと襲いかかる。柊木瑠璃は魔法を「抜刀術・花霞はながすみ」で、「深海の銛」を三節棍で叩き落とす。


⋯⋯は? 三節棍? いったいどこから現れた?

そもそも抜刀術は片手で鞘を押さえてもう片手で抜く技だ。柊木瑠璃は右手を左腰の鞘に添えている。今の「抜刀術・花霞はながすみ」は左手の「悪鬼の太刀」によるものだ。左右両方で居合いが使えるとは器用なものだが今さらそんなことでは驚かない。

問題なのは、左手は太刀を、右手は鞘を握ってるってことだ。

にもかかわらず、三節棍はたしかに「手」によって握られていた。

柊木瑠璃の右肩の後ろから伸びた第三の「手」が、朱色の軸に鈍色の鉄塊のついた三節棍を握っている。節くれだった細い腕で、肘関節が二つある。その手に握る三節棍と似ているが、それは紛れもなく腕だった。

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