40 運命論者

目を覚ますと、俺は見知らぬ天井の部屋にいた。しかも、俺は一糸まとわぬ裸である。

といっても、合コンで酒を飲みすぎて知らない相手とベッドインしたなんて話ではないだろう。俺はまず合コンに誘われないし、誘われたとしても行かないし、行ったとしても話さないし、奇跡的に話せたとしても見知らぬ異性といきなり意気投合するなんて状況は想像することすら難しい。もちろん、女性をラブホに連れ込むなんて行動は、べろんべろんに酔っ払ったとしてもできないはずだ。できたからなんだという話ではあるが。

しかし、現実問題として今俺の視界には見知らぬ天井が映っている。自室以外で目を覚ますのはひきこもって以来のことだ。天井は新しくはないが古びてもない。部屋は四畳半だろう。縦長の部屋にやや少女趣味のベッドと机が置かれ、奥にはベランダに出られるガラス戸がある。外からは明るい陽光。明るさからして今はもう昼なのか。


机の上には、俺が装備していた「地獄の爪」と「追儺の太刀」が置かれていた。そのことに俺は冷や汗をかく。いくら「装備」しているとはいえ、意識のないあいだに装備を剥がすことは可能なのだ。俺は柊木瑠璃を倒し、力を使い果たして倒れる前に、自分の装備をアイテムボックスにしまっておくべきだった。まあ、ベルベットや母親、セフィロト組の眷属たちがいたのだから、あの状況でそこまで警戒しなくてもよかったとは思うが。戦場ではそもそも意識を失った時点で負け確ではあるものの、今後似たような状況がないとも限らない。その時には装備を必ずアイテムボックスにしまいたい。とはいえ、意識を失う寸前の状態でそこまで気が回るものかどうか。

本当に必要な場合には「天の声」が注意してくれるとは思うが、「天の声」だって万能じゃない。リザードマンの群れとの戦闘では想定外の流れになってヘルリザードとまで戦うことになったし、柊木瑠璃との決戦は俺の想像をはるかに超える綱渡りのような戦いを強いられた。

問題なのは「天の声」そのものではなく、俺が間違いなくその内容通りに行動できるとは限らないということだ。ある行動が「天の声」によって示されていたとしよう。しかも、それは「天の声」が導き出した最適解だったとする。だが、その最適解は俺がわずか一手をミスっただけで崩壊しうるのだ。AをしてBをしてCをするのが最適解だという状況で、俺がBをやり損なえば、最終的な結末は最適解とは似ても似つかない最悪のものとなるかもしれない。それとも、「天の声」は俺がやり損なう確率まで織り込んだ上で期待値の高い選択肢を示しているのだろうか?


「……ああ、いや。そうじゃない。今考えるのは別のことだな」


俺はベッドから起き上がる。そこでかけ布団の上に新品の衣類が置かれているのに気がついた。紺のジャージとコンビニに売ってるような男性物の下着である。アイテムボックスから自分のものを取り出してもいいが、せっかくの厚意なのだから甘えておこう。靴は、と思って探してみると、来客用らしきスリッパが置かれていた。だが、スリッパではいざというときに動きにくい。俺はアイテムボックスからホームセンターでかっぱらってきた安全靴を取り出した。机の上に置かれていた「地獄の爪」と「追儺の太刀」はアイテムボックスにしまい、代わりに「テンタクルウィード」を取り出してジャージの袖の下に装備する。


俺の目覚めた部屋は、セフィロト女子の学生寮の一室のようだ。その証拠に、俺の吸血鬼としての嗅覚が無数の処女の気配を感じている。あいかわらず変態じみた感想だが、感じてしまうものはしかたがない。俺がセフィロト女子に討ち入りをかけたときには学生寮からも強い恐怖の気配を感じていた。今はそれも鎮まって、安堵と消耗の入り混じった気配が建物の中に満ちている。


「柊木瑠璃が死んだからって終わりじゃないからな」


隕石が降り注ぎそこからモンスターが現れるという妄想じみた事態が続く以上、この先の見通しなんて立ちようがない。俺のように十数年もひきこもっていた身からすると先の見通しなんて立たないほうが普通の状態だが、セフィロト女子の生徒たちは違う。地域有数の進学校で将来を期待されていた優等生たちにとって、今の状況は未来が閉ざされたも同然だ。既存の秩序がぶっ壊れ、これから先は力あるものが力なきものを支配する弱肉強食そのものの世界になるかもしれない。


俺が部屋から出ようとしたところで、部屋の扉がノックされた。


「マスター、起きておるな?」


扉の奥からベルベットの声が聞こえてくる。

俺は「ああ」と答えながら部屋の扉を開いた。

ゴシック風のアイドル衣装のような赤と黒の出で立ちの少女は、悪魔の証である金色の瞳と黒い縦長の瞳孔で俺を見上げる。


「どうなってる?」

「察しておられる通りじゃろう。セフィロト女子は圧政者から解放された。ホウジョウマナやサイオンジヨシノが率先して事情を説明してくれた。地下に幽閉されていた学園長も戻っておる」

「そうか。俺の扱いはどうなってるんだ?」

「なんとも言えぬな。眷属たちはマスターを英雄視しておるが、学園の者らはヒイラギルリの洗脳支配をいまだ完全には脱しておらぬ。ヒイラギはマスターのことを悪の権化のように触れ回っておったようじゃしの」

「具体的には?」

「セフィロト女子から脱走した女子生徒に暴行を加えていたところをヒイラギに見つかり交戦したじゃとか、ホウジョウマナたちを奴隷のように扱う邪悪な吸血鬼じゃとか……。もし学園がマスターの手に落ちることになれば、見た目のいい女は奴隷にされ、見た目の悪い女は肉壁にされることになる、それが嫌なら戦うしかない、などと喧伝しておったようじゃ」

「要するに俺はレイプ魔扱いされてるのか」


一部事実が混じってるだけにタチが悪い。セフィロト女子の世論を味方につけるのは難しそうだ。

セフィロト女子の生徒は柊木瑠璃の「支配の教壇」で洗脳されていたわけだが、その洗脳はあくまでも心理学的なもので、魔法によるものではない。だから、柊木瑠璃が死んだとしても、洗脳が一夜にして解けるということはないだろう。それこそ、洗脳を解けるような魔法を編み出すか、吸血して眷属化するか、ベルベットに恐怖の上書きをさせるか。なんらかの対策を講じないと、死んだ柊木瑠璃を神格化するような動きすら出かねない。実際、カルト教団の元信者が長い間洗脳の残滓に苦しみ続けることがあると聞く。


「学園長はマスターのことを救世主と持ち上げておるよ。マナやヨシノの人望もあって徐々に風向きが変わりつつあるようじゃ。ヒイラギルリが悪魔と化して生徒を虐殺しておったことは事実じゃからな。何より学園長自身が稀有な白魔術師であるからの」

「もう会ったのか」

「うむ。今こうしてやってきたのも、学園長からそろそろ起きるはずだと聞いたからじゃ」

「なんでそんなことがわかるんだ?」

「占術じゃな」

「占術ねえ」


そんなものが使えるならみすみす柊木瑠璃の跳梁を許したりはしなさそうだが。

まあ、まずは会ってみてからだな。





途中で母親や北条真那、西園寺芳乃とも合流し、俺は真那の案内で学園長室にやってきた。

セフィロト女子の校内は生命の樹を模したというややこしい設計になっている。柊木瑠璃が殺戮を行なっていた大講堂はその真ん中やや後方だ。玄関が大きく崩壊した大講堂の前にはロープが張られ、何人かの教師が緊張した面持ちで誰も立ち入らないように見張ってる。


その大講堂のあるティファレト棟の脇を抜け、緩やかな坂を上っていくと、学園長のいるマルクト棟があった。学園長室と各学年のマルクト組(魔女組だ)の教室があるというその建物は、セフィロト女子の中枢だ。いや、学校としての機能の面では職員室のある棟が中心だろう。マルクト棟はいわば「奥の院」のような場所らしい。苔むした煉瓦の壁には蔦が這い、四隅に尖塔のある建物をいかにも魔女の住処らしく演出している。


左が黒、右が白の門柱のあいだを抜けて建物に入ると、そこには感じのいい初老の女性が待っていた。


「ようこそ、救世主様。この度はわれらをお救いいただき、感謝の言葉もございません」


女性はそう言って俺に深々と頭を下げた。

女性は夏だというのに幾重にも布の重なったローブのようなものを身につけてる。緑や茶のような自然な色に染められたゆるやかなローブだ。


「いや……俺は俺の都合で動いただけですよ。結果だけを見れば、助けたと言っていいのかどうかも疑問です。頭を上げてください」

「救世主様は謙虚な方ですね」


女性が目を細めて淡く微笑む。歳相応のしわのある顔なのだが、その笑みはどこか童女のようだ。


「学園長……おひさしぶりです」


驚いたことに、そう言い出したのは同行してる母親だ。


「雪乃さん。あなたの息子さんに救われるとは、不思議な巡り合わせもあったものですね。いえ、これは運命の必然だったのかもしれません。わたしにも見通すことのできない深遠なる運命が働いたとしか思えません」

「母さんを、知ってるんですか?」


思わずそう聞いてしまったが、考えてみれば当然だ。母親はセフィロト女子の卒業生であり、しかも在学中は魔女組にいたのだから。


「ええ、もちろん。十年に一度いるかどうかという優秀な魔女候補でした。ただ、とても慎み深い生徒で、普通の生活を望んでいました。普通に就職し、普通に結婚し、普通の家庭を築きたいのだと」

「そう、ですか……」


俺は複雑な気持ちでそうつぶやく。就職し、結婚するまでは「普通」の範疇だったろう。しかしその普通の家庭は軋轢に満ちたものだった。その上、最後には息子がひきこもり、夫とは離婚。その後は苦しい家計を働きながら支えていた。


「救世主様、勘違いしてはいけません。雪乃さんは望んだものを手に入れたのです。普通の生活とは、家庭の不和や経済的な問題をともないがちなものでもあります。魔女として生きることには危険もありますが、社会の中で地位を得る上では有利です。そうしたことを秤にかけ、雪乃さんはその道を選んだのです」


慈愛に満ちたまなざしで、学園長が母親を見た。母親の様子は一目見ておかしいと気づいたはずだ。それでもそのことには触れてこない。


「後悔はしてないってことですか?」

「いえ、当然後悔もあることでしょう。ですが、後悔のない生活が『普通』でしょうか?」

「それはそれで、普通ではないですね」

「わたしも当時はまだ若く、雪乃さんを説得しようとしたものです。せっかく優れた才を持って生まれたのに、世間に埋没して生きる道を選ぶことはない、と」

「母はなんと?」

「自分は目立つのが苦痛なのだ、とおっしゃっていました。たとえ良いことであれ、他人と差をつけられること自体が落ち着かないのだと。わたしは雪乃さんにもっと自信を持つべきだとばかり言いましたが、その実雪乃さんの感じ方を理解してはいなかった。今のわたしが過去の雪乃さんと出会っていれば、雪乃さんに合った道を示すこともできたはず……。人を型に嵌めるような従来の教育のあり方を変えたいなどとうそぶきながら、わたしもまた生徒を型に嵌めていたということです」


どうも学園長は、母親の現状やうちの家庭環境を把握してるみたいだな。ってことは俺がひきこもりだったこともわかってるのか。いや、それは柊木瑠璃が宣伝して回ってた可能性もある。こみ上げてくる羞恥心に眉を寄せるが、その感情はほんの数秒で消えていく。どうせ性格特性のしわざだろう。


「それでも、雪乃さんの人生は雪乃さんのものです。わたしなら導きえたなどと言うのはおこがましいこと。そうは言っても悔いがあることは確かですが、運命の変転は人智の及ばないものですから。わたし個人の後悔はべつとして、雪乃さんの人生の責任は雪乃さんにあります。それを認めないことは、雪乃さんには自分の人生を選ぶ力がないと言うようなもの。冷たい言い分のように思いますか?」

「いえ……そんなことは」


たしかに当時の学園長がもっと賢明だったなら、母親の人生は今よりいいものになっていたのかもしれない。でも、そんなことを言い出したらキリがない。当時母親の身の回りにはたくさんの人間がいたはずだ。そのすべての人間に母親の人生を悪くした――あるいは、「良くしなかった」責任を問えるはずもない。母親と関わりのあった他の人間だって、もし母親が何かをしていれば、その運命が好転していたかもしれないのだ。それぞれがべつの人生を生きる他人である以上、互いの人生に責任を持つことなどできないし、それを求めるべきでもない。


学園長がこんな話を持ち出してきたのは、おそらくは俺への配慮である。俺だけが母親の人生を最悪のものにしたわけじゃない。というより、母親の人生を悪くしたのは、やはり母親自身である。それは、俺の人生を悪くしたのが結局は俺自身の選択だってのと同じだ。いや、俺自身の感覚としては、その時々で選択の余地がなかったわけではないにせよ、選択の結果がすべて見通せるはずもない以上、俺の選択は結局のところ必然的に選ばざるをえないものばかりだった。それは、選択というよりは「運命」といったほうが正確なものだ。母親には母親の運命があり、俺には俺の運命があった。互いの運命が互いに悪影響を及ぼしたことは否めないものの、どちらもそれ以外の選択が取れなかったこともまた事実だろう。


「今回の一件で、この学園は大きな犠牲を払うことになりました。それもまた、運命です。それぞれの選択の積み重ねが影響しあって、運命という錦絵を織り上げます。そのり糸の一本にすぎないのが人間なのです」

「学園長には占いの力があると聞いています。それでも避けがたかったのでしょうか?」

「わたしにできるのは、ほんの少しだけ事態を好転させることにすぎません。この学園を巣立っていった魔女たちがやっているのも同じことです。世界には悪意が満ちていて、それは時に容易く世界を破滅へと導きます。世の中を善くする難しさと比べて、世の中を悪くすることのなんと容易いことか……」


学園長は深く息をついた。


「それにしたって、今回のことは常軌を逸していますけれどね。これほどに大きな運命の流れは、たとえ事前に察知できたところで、変えることはおろか、備えることすらできません」

「たとえば、柊木瑠璃を事前に警戒し、排除するようなことはできなかったんですか?」


俺の言葉に学園長が首を振る。


「わたしは隕石災害の前に『凶星と凶星に似たものを見分けよ』と生徒たちに言いました。その時点では、何が凶星なのかわからなかったからです。いえ、柊木先生がこの学園を支配するに至っても、まだ彼女が凶星なのか凶星に似たものなのかはわからなかったのです。きわめて近い場所に、もうひとつ凶星か凶星でないかわからない大きな存在がありましたので」

「……それが俺ってわけですか」

「ええ。二つの凶星候補は激しくせめぎ合っていました。どちらが悪に堕ち、どちらが踏み止まるのか、占いの結果は時とともに目まぐるしく変転していたのです。こんなことはこれまで『詠み』に身を捧げてきて初めてのことでした」

「ああ……なるほど。どっちが凶星なのかがわからなかったんじゃないんですね。どっちが凶星に『なる』のかがわからなかったんだ」


しかも、凶星に対抗するためには、凶星に似たものの力が必要だったのだろう。現実には柊木瑠璃が凶星となり、俺がそれを潰すことになったが、役割が逆だったとしてもおかしくはなかった。俺だって正義の味方とはほど遠い存在なんだからな。巨悪と、それよりはいくらかマシな悪の、どちらが勝つかという問題だ。その上、どっちが「本物」かが事前に確定してなかったのなら、初動で柊木瑠璃を排除するわけにはいかないだろう。


いや……待てよ。


「学園長。凶星と凶星に似たもの、と言いましたが、負けた方が凶星だったと決まったわけではないですよね?」


俺の言葉に、学園長がわずかに笑みを深くした。

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