12 超分析回

いろいろと予期せぬことがあったものの、食料の調達という当初の目的は達成できたので、俺は母親の運転する車で亥ノ上家に戻ってきた。

出発前は、家自体の強化が必要かと思っていたのだが、母親のもつ固有スキル「セーフハウス」のおかげで、この家には母親の許可のないものは入れない。モンスターすら、今の亥ノ上家には侵入してくるおそれがなかった。


俺はひさしぶりの外出でくたくただった。たかだか車でスーパーに行って戻ってきた程度のことなのに、ブラック企業で一週間働きづめだった後のような疲労感がある。まあ、どこへ行くにもモンスターへの警戒が必要だったし、それ以上に他人との遭遇を警戒する必要もあった。実際、南浅生みなみあそうへの鉄橋では、ゴブリンに襲われる女子高生を見殺しにし(というか石を投げつけてゴブリンどもへの囮に使い)、その後、あのセフィロト女子の女教師・柊木瑠璃と言葉を交わした。命の危険と常に隣合わせだったわけで、今回に限っては、疲れた主因は俺がひきこもりだったせいではないだろう。


いや、むしろ、あれだけのストレスに晒されて、よく落ち着いていられたものだ。これはけっして、「俺も成長したものだ」とか「ひきこもりが勇気を持って一歩を踏み出した」とかいった美談ではなく、ひとえに覚醒のもたらした「性格特性」のおかげだろう。「現実逃避」「開き直り」「厭世」「利己主義」「邪悪」「解脱」「冷血」などが、俺がストレスフルな事態から受けるショックを和らげているのだ。

たとえば、柊木瑠璃をやり込めた件。普段の俺だったら途中で怯えてしどろもどろになっただろうし、万一やり込められたとしても、勝利感より罪悪感のほうが強かったはずだ。ところが、今の俺は、「傲慢で人を人とも思わないサディストの教師をやり込めた」ことに愉悦を感じこそすれ、罪悪感はそれほど覚えてない。


「性格特性、か。可能性を感じるな」


ゴブリンに殺された女子高生はインスペクトで見た限りでは「人間」だった。一方、俺、母親、柊木瑠璃の三人のステータスには「人間」の文字はなく、共通して「覚醒者」となっていた。俺には「吸血鬼」、母親には「不死者」もあるものの、柊木を含む三者に共通するのは「覚醒者」だ。


「つまり、覚醒するとステータスが手に入るってことだな」


正確には、ゴブリンに殺された一般通過女子高生にも「人間」とだけ書かれたステータスがあった。だから、厳密に言うなら、「覚醒者」となることで「固有スキル」「武器適性」「魔法適性」「性格特性」を手に入れ、それに応じた「技」や「魔法」を覚えるという仕組みのようだ。


まるでゲームが現実になったようで馬鹿げているが、実際にそうなってるのだからしかたがない。妄想と現実のあいだに長く身を置いてきた俺の目には、「覚醒するとステータスが増えて技や魔法が使える」という事態は、俺の妄想ではないと写っている。


妄想というのは突飛なようでいて案外パターンが知れている。誰かに監視されている、誰かに脳内を盗聴されている、そうした妄想は突飛ではあるがよくあるものだ。しかし、隕石が降り注いで全世界が混乱しているのは報道でもネットでも確認できるし、街に出て自分の目で確かめたことでもある。ゴブリンとの戦闘や柊木瑠璃との交戦も、妄想というには実体がありすぎるのだ。

他にも、「各国の天文学者が宇宙望遠鏡で観測していたにもかかわらず突如として彗星群が『出現』し、地球に雨のように降り注いでいること」「その隕石の周辺にはモンスターが湧くこと」は、妄想ではなく現実だとしか思えない。


ならば、「覚醒」という現象も、この隕石がらみだと考えるのが自然だろう。モンスターがいるならステータスや魔法があってもおかしくない⋯⋯というのは飛躍した論理だが、直感的には理解しやすいところだ。


「問題は、誰がどうやっていつ覚醒するのか?ってことか」


俺が現在知っている覚醒者は、俺、母親、柊木瑠璃の三人だけだ。


人類がすべて覚醒したわけではないのは、見殺しにした女子高生が「人間」だったことからわかってる。柊木瑠璃がセフィロト女子で現在主導的な立場にあるのだとすれば、千人くらいは人がいるはずのセフィロト女子であっても、覚醒者は少数か、それなりにいたとしても柊木ほどの戦闘力はないということだろう。そうでなければ、力を得て本性を露わにしたあの人格破綻教師が主導権を握れるとは思えない。


だが、柊木瑠璃がいつどのように覚醒したかはわからない。それどころか、俺は自分自身がいつ覚醒したのかもわからない。すくなくとも最初に「天の声」が聞こえた時点で覚醒していたことは確実だが、それ以前のいつだったかは確定できない。ただ、母親が急死し、食事を絶ってゲームをしながら死のうとしてたときに、ちょうど隣街に隕石が降ってきたわけなので、極限状態+隕石が近くにあること、あたりが覚醒の条件なのかもしれない。


母親についてはさらに複雑だ。そもそも母親が不死者になるのと覚醒者になるのではどちらが先だったのか? ステータスの表記順通りだとすれば覚醒者が先だ。自我がなくなる不死者が「覚醒」できるかは疑問でもあるので、母親は不死者になる前に、つまり、生前に覚醒したということになる。よって、母親は、隕石が南浅生に堕ちる前夜、俺に最期のメッセージを伝え、死に逝こうとしているときに覚醒したと考えるしかない。この場合、母親の覚醒と隕石との因果関係は、俺や柊木瑠璃の場合にくらべて薄いということになるだろう。覚醒は隕石とは関係なく本人の精神状態の昂りによって起こるのかもしれなかった。「覚醒」という言葉の語義からすれば、むしろそちらのほうが自然な発想だといえなくもない。


「極限状態に置かれることが覚醒の条件なら、モンスターに襲われたのをきっかけに土壇場で覚醒する、なんてこともありそうだな」


まるで少年マンガだが、今世界中で起きていることを思えば、そのような形で覚醒者となったものがいてもおかしくはない。


「つまり、今後覚醒者と敵対し、交戦する可能性がある⋯⋯」


そのときに重要になるのは、いうまでもなく「技」や「魔法」だろう。

武器適性、魔法適性、性格特性は重要だが、あくまでも潜在的な特性であり、現実的な脅威となるのは具体的な技や魔法である。


「技」や「魔法」は、その存在を知った上で発動しようと思うと発動できるという仕組みらしいが、どうやったら知らないはずの技や魔法を知ることができるのか?という根源的な疑問にぶつかるので、何か別の習得法があるのだろう。

俺や母親の場合は、俺の固有スキル「天の声」の指示にしたがった結果、ぶっつけ本番で技や魔法を使えたが、柊木瑠璃はおそらく別ルートで技や魔法を覚えたはずだ。柊木瑠璃はもともと武道でもやってそうなタイプだから、魔法や銃弾を叩き落とした「抜刀術・花霞はながすみ」は、元の素養+覚醒の効果で覚えたのかもしれない。

柊木瑠璃のようなオタクを嫌悪してそうなタイプが「インスペクト」や「アイシクルレイン」のような魔法を自分の発想で発見したとは思いにくいので、やはり適性持ちが戦闘経験を積むことで技や魔法を閃くと考えるのが妥当だろうか。

柊木瑠璃の武器適性は「刀・射・剣・短剣・爪・体・乗」となっていたので、剣道や弓道、柔道の心得があり、バイクにも乗っていたことが覚醒後の武器適性に反映されたのだろう。つまり、武器適性はソシャゲのガチャのようなランダムな割り当てではなく、本人の素質を反映したものだと考えたほうがよさそうだ。


「まあ、それじゃあ俺の武器適性はどうなんだって話になるんだが」


俺の武器適性は「投・射・杖・牙・爪・鎌」。子どもの頃にキャッチボールくらいならしたことがあるが、野球は下手なほうだったし、射撃や杖術の心得なんてない。牙や爪で戦った経験など、もちろんあるはずがなかった。

とはいえ、一応説明のつく仮説はある。「吸血鬼」だ。一般的なイメージとして、吸血鬼なら牙や爪は向いてるだろう。鎌には魔法適性「死霊」が関わっていそうだ。

この辺のことは、思いつくことをすべて書き出し、ひとつひとつインスペクトで情報を整理していく必要がある。パソコンのスプレッドシートに打ち込むのがいいだろうか。それとも将来の停電を見越して紙媒体で用意するべきなのか。

そういえば、ガソリンで動く発電機が入手したいとも思ってたな。スマホやPCの電源ならソーラー充電のモバイルバッテリーのようなものがあればいいのだろうか。クラウドストレージはいずれ使えなくなる可能性も否定できないので、データはローカルに置くことになるが、ローカルにデータを置くと端末が故障したときにデータが取り出せなくなってしまう。この状況下で小まめにバックアップを取るというのも面倒ではある。


「スプレッドシートでまとめて、それを印刷して持ち歩くか。ノートにまとめてもいい。紙やノートは『アイテムボックス』につっこめばいいし」


俺はパソコンを開き、スプレッドシートに思いつく限りの項目を列挙していく。各特性や適性は、「性格特性」のような全体項目と、「現実逃避Ⅴ」のような個別項目の両方を書く。俺、母親、柊木瑠璃の「インスペクト」の結果を網羅し、そのひとつひとつに「インスペクト」をかけて情報を引き出す。迷ったときには「天の声」も使ってみる。


まず判明したのは、武器適性、魔法適性、性格特性と技、魔法の習得の因果関係が複雑すぎる、ということだ。

魔法適性「死霊」は、性格特性「現実逃避」「妄想」「寄生」「厭世」「夜行性」「利己主義」「人間洞察」「邪悪」「解脱」「冷血」から影響を受け、ものによっては逆に「死霊」が性格特性の個別項目にも影響している。さらに「死霊」は魔法適性「召喚」「吸収」「闇」にも影響を及ぼす。さらに深掘りして魔法適性「闇」について調べると、「闇」は魔法適性「死霊」「妨害」に関わり、性格特性「現実逃避」「妄想」「厭世」「夜行性」「利己主義」「人間洞察」「邪悪」「冷血」「虚言癖」、さらには俺の持っていない他の性格特性にも関係している。

つまり、あらゆる要素が互いに影響を及ぼしあい、複雑怪奇なネットワークを作り出しているのだ。

ただし、魔法適性「死霊」を手に入れるのに必ずしもさっき挙げた性格特性のすべてを揃える必要はない。あればあるほど適性が開眼しやすいのは事実だが、俺の場合は「現実逃避」や「妄想」、「厭世」、「夜行性」、「人間洞察」の強度(ⅠからⅤまであり、大きいほど強度が高い)が高かったことで、比較的開眼条件の厳しい「死霊」を最初から持っていたようだ。

この他、武器適性も同様に複雑きわまりない相互矢印によって開眼や強度の上昇が決まってくるし、個別の技や魔法もそうである。

最初は図にして把握しようと思ったのだが、あまりの複雑さに収拾がつかなくなったので、現在の強度が高いものを中心に、重要そうなものだけをスプレッドシートにまとめてみた。


一見、ものすごく地味で絵にもならない作業だったが、得たものは大きかった。

現在の武器適性・魔法適性・性格特性・習得済みの魔法と技の組み合わせで「すぐに」習得できる技や魔法がいくつも見つかったのだ。

使うときになってから説明してもいいと思うが、ここまで分析したのだから成果の一部をここで紹介しよう。まずは魔法。



「ダークファング」闇属性の攻撃魔法。単発、威力小。急所に命中すると威力大。発射音も着弾音もなく、暗いところでは視認することが難しい。

「ブラッドスピア」吸収属性の攻撃魔法。単発、威力中。命中すると対象の生命力を吸収する。使用者が吸血鬼の場合、複数回命中させると稀に「眷属化」が起こる。

「イノセントクラウド」相手を思考停止させる範囲妨害・闇魔法。

「スリープクラウド」相手に強烈な眠気を起こす範囲妨害・闇魔法。

「ポイズンクラウド」相手に継続ダメージを与える範囲妨害魔法。

「デスクラウド」範囲内に一定時間以上留まった相手を即死させる範囲即死魔法。

「スロウクラウド」相手の時間認識を遅らせる範囲妨害・時空魔法。

「アンガークラウド」相手を激怒させる範囲妨害・闇魔法。

「ブラインドクラウド」相手の視界を奪う範囲妨害・闇魔法。

「デプレッションクラウド」相手の気持ちを落ち込ませる範囲妨害・闇魔法。

「オーダサティ」対象の恐怖を取り去り、勇敢にする支援魔法。

「ヘイトレッドクラウド」対象の敵意を増大させる範囲妨害・支援魔法。

「オーバーサスピシャス」相手の疑心暗鬼を誘発する範囲妨害・闇魔法。

「サイレントクラウド」指定範囲内の音を吸収する範囲妨害・支援・時空・吸収魔法。

「クロックアップ」自分の思考を加速する時空・支援魔法。

「ソリッドバリア」対象への物理攻撃を一回だけ防ぐ時空・支援魔法。同一対象には一日に一回しか使用できない。

「ドレインクラウド」指定範囲内の対象から生命力を吸収する吸収魔法。

「アンチインスペクト」対象への「インスペクト」を無効化する支援・次元・妨害魔法。効果時間は一日。



あくまでも一部ではあるが、相当に有用な魔法が含まれている。攻撃魔法の数が少ないのは気になるが、その分範囲妨害魔法が充実している。それも相手の精神に作用するような魔法がより取り見取り。

「インスペクト」で調べた様子だと、ゲームのようないわゆる「状態異常」という現象はなく、眠気や激怒といった言葉も、ごく一般的な意味で使われている。つまり、強烈な眠気に襲われても相手の気力次第では持ちこたえるし、激怒するといってもこれまた相手次第で冷静さを取り戻すことができるようだ。

ただし、ゲームの状態異常が確率でかかるのに対し、眠気や激怒はどうやら確定でかかるらしい。「デスクラウド」の即死も、ゲームのような確率ではなく、相手が魔法の範囲内に一定時間留まっている必要がある。効果が強いだけに範囲は狭く、所要時間もかなり長い(最低でも半日以上)ので、確実に即死させようとしたら相手を先に拘束する必要がありそうだ。しかし拘束できるならわざわざ「デスクラウド」を使わずとも相手を殺すことはできるわけで、実戦的な魔法とは言い難い。

ともあれ、性格の悪い搦め手でどうにかせよ、というのが、俺に対する天の注文なのかもしれなかった。


妨害以外で重要なのは、不意打ちへの保険となる「ソリッドバリア」、一度かければ一日のあいだ「インスペクト」を無効化する「アンチインスペクト」あたりだろう。


続いて、技。これも一部だ。



「精密射撃」準備時間を取ることで次の射撃の命中率が大きく上昇する。

「五月雨撃ち」命中率を犠牲にすることで、射撃系武器の連射が早くなる。

「杖ガード」杖で物理攻撃を受け止める。

「杖パリング」杖で物理攻撃を弾く。

「白刃取り:牙」牙で物理攻撃をキャッチする。

「ポイズンクロー」爪による物理攻撃で、対象に継続ダメージを付与する。

「ブラッディファング」牙による物理攻撃で、対象の出血を大きくし、同時に生命力を吸収する。

「ソウルリッパー」鎌による物理攻撃で、対象の精神にダメージを与えると同時に、対象に付与された精神操作系の妨害効果の効果量を一時的に増大させる。

「獣化:ウェアウルフ」身体能力が爆発的に上昇するが技が使えなくなる。夜間のみ使用可能。

「特攻」この技の効果をオンにしている間、防御系の技や魔法が使用不可となる代わりに、攻撃系の技や魔法の効果が倍になり、身体能力も向上する。効果は任意にオン・オフできる。

「ナイトハント」夜間限定で、こちらに気づいていない対象への攻撃がすべて即死攻撃になる。対象を含むグループのメンバーに一度でも発見されると、その夜は「ナイトハント」の効果が消失する。



柊木瑠璃から奪った拳銃の残弾が三発しかない現状では、「五月雨撃ち」よりは「精密射撃」のほうが有用だろうか。といっても、武器適性「射撃」があるので、わざわざ準備時間の必要な「精密射撃」を使う場面は限られそうだ。回収したニューナンブ(制服警官の制式採用拳銃)は、狙撃に使うには難がある。


防御に使える「杖ガード」「杖パリング」は便利そうだが、「天の声」によれば杖自体の耐久力によって攻撃を防げない可能性があるらしい。それなら魔法の「ソリッドバリア」のほうがあてになるが、「ソリッドバリア」は同一対象には一日一回しか使えない。「ソリッドバリア」をキープする意味合いでも、防御に使える杖を入手したいところだ。


牙と爪にもそれぞれまずまずよさげな技があるものの、そもそも牙や爪をどうやって手に入れればいいのだろうか? これは自前の歯や爪ではダメらしく、動物の牙や爪を模した専用の武器が必要らしい。吸血鬼であることから犬歯だけは牙扱いになるようなのだが、他の歯はそのままなので、敵に直接噛み付くようなことは避けたいところだ。こんな状況で他人に噛み付いて、感染症になるようなことになったら目も当てられない。


鎌の「ソウルリッパー」はクラウド系の妨害魔法との相性がよさそうだ。とはいえ、これも鎌をどこで入手するかという問題がある。フライパンが盾になるくらいだから、ホームセンターにあるような鎌でも大丈夫だろうが、普通の草刈り鎌ではリーチが短すぎるだろう。柄の長い草刈り鎌なら考慮に値するかもしれない。


残りの三つ、「獣化:ウェアウルフ」「特攻」「ナイトハント」は、使用条件やデメリットが存在するものの、いざというときの攻撃力アップには有用だろう。とくにオンオフ可能な「特攻」が使いやすそうだ。


武器に関しては、そもそもどうやって入手するのか? というのが最大の問題である。

「天の声」によれば、


《亥ノ上直毅は、ゴブリンの使用していた武器を回収した結果から、武器はモンスターの装備しているものを奪うのが早いのではないかと推測する。また性格特性「妄想」により、武器適性というものが存在する以上、それに対応した武器の入手手段が存在する可能性が高いのではないか、という仮説を閃いた。あくまでも仮説の段階であるが、直毅は武器の入手先として、モンスターの装備を奪える他に、モンスターを倒した時に武器が出現する可能性、隕石周辺の地域にゲームの「宝箱」のような形で(あるいは生身のまま)武器が散在している可能性、を思いつく。》


とのことなので、モンスターを倒し、南浅生の町内を探索する必要がありそうだ。

飛鳥宮市内のホームセンターや作業用品店などを漁ればある程度武器がわりになるものはあるだろうが、ゴブリンの装備していた短剣ですら、包丁よりもずっと鋭利だったのだ。


柊木瑠璃の所持していた拳銃は警察官から奪ったものだろうが、あの刀のほうはどうだろうか? 柊木瑠璃がもともと居合でもやっていて、隕石以前から日本刀を持っていた可能性も捨てきれないが、モンスターの装備、ドロップ、あるいは町内で拾ったものかもしれない。


とはいえ、柊木瑠璃は、俺に「南浅生に立ち入るな」と言った。

あの様子では、俺を発見次第殺そうとしてくる可能性が高い。大義名分としてはセフィロト女子の生徒を守るためと言ってるが、性格特性に「嗜虐心Ⅳ」なんてものがある人間だ。目の前に殺していい人間がいるのなら理由なんてなくても殺してみたいと思うにちがいない。バイクを使って南浅生をパトロールしているようでもある。相手が一人である以上監視の目をかいくぐることはできるだろうが、万一出くわした場合には戦うしかない。いや、セフィロトの教師や生徒を使って南浅生への侵入経路を見張ってる可能性もあるか。そうなると、南浅生に乗り込む場合にはかなりの覚悟と準備が必要になる。

だが、使える魔法と技こそ増えたものの、実戦での使用経験はまったくない。それ以外にも、状況に応じた使い分けや相手を確実に仕留めるための戦術など、詰めておくべきことはいくらでもある。

柊木瑠璃はモンスターと戦い慣れているようだったし、もともと武道もやってるようだった。拳銃を奪ったとはいえ、けっして油断のできる相手ではない。しかも、柊木瑠璃は「インスペクト」で俺のステータスを見てるから、こちらの武器適性や魔法適性、技や魔法を前提に、対抗戦略を練ってくるはずだ。


「そうだ。『天の声』、柊木瑠璃の固有スキル『支配の教壇』については何かわかるか?」


そこまで期待せずに言ってみたのだが、


《行動判定:成功S。》


《直毅は、「インスペクト」で得た情報流の残滓をすくい上げることに成功した。柊木瑠璃の固有スキル「支配の教壇」は、己を上位者と認めるすべてのものに対し、あらゆる心理学的な効果を5倍に高めるものであることが判明した。》


「あらゆる心理学的な効果を5倍⋯⋯催眠とか洗脳とかってことか?」


さっき確かめたように、魔法が使えるようになった今の状況でも、ゲーム的な「状態異常」は存在しない。ゲームであれば「混乱」「魅了」といった精神に作用する状態異常があるが、この現実にはそうしたものはなく、ただ一般的な意味で混乱したり魅了されたりすることがあるだけだ。一般的な意味での混乱は、ゲームのように即座に同士討ちを始めるようなものではないだろうし、魅了だって、異性に(同性でもいいが)心奪われるあまり味方を攻撃しはじめる、なんてことにはそう簡単にはならないだろう。

だが、現実においても、人を洗脳することは、知識のある人間には不可能なことではない。全体主義国家が国民を洗脳しようとした実例はいくらでもあるし、この国でもカルト宗教が信者を洗脳してテロを起こさせたことが過去にはあった。悪質な自己啓発セミナーや霊感商法も広い意味では洗脳の一種といえるだろう。


「洗脳⋯⋯そういえば、海外の大学で囚人と看守を演じさせた実験があったような」


パソコンで検索してみると、「スタンフォード監獄実験」の話が見つかった。心理学の実験のために学生を看守役と囚人役に割り振って、その状態で生活をさせる。実験のための便宜的な役割だとわかっているにもかかわらず、看守役は時間とともに支配的な態度を取るようになった。結局この実験は危険と判断されて中止されたという。

他にも、「心理学 テクニック」で検索すると、ちょっとした説得術から詐欺的な騙しの手口まで、さまざまな手段が次から次へと見つかった。人を言いくるめたり騙したりするのに固有スキルなんていらないってことだ。俺も学校や職場でそれは嫌というほど味わってる。

しかも、今はこんな非常時だ。柊木瑠璃みたいな人間にとってはやりやすい環境だろう。その上『支配の教壇』であらゆる心理学的な効果が5倍になるときた。


「セフィロト女子はどうなってるんだ? 外部からの救援はないのか?」


ネットで調べてみてもセフィロト女子の現状はわからなかったが、柊木瑠璃の手に落ちていると思っておいたほうがいいだろう。

また、「支配の教壇」の成立条件を考えると、その場の空気に呑まれて精神的に柊木瑠璃の「下」に入るようなことは絶対に避けなければならない。

柊木瑠璃と戦う場合には、物理的な戦闘だけではなく、精神戦をも覚悟しておく必要があるということだ。そのためには新たな性格特性の発現や既存の性格特性の強度上昇、魔法による自分自身のメンタルの強化や防衛、回復手段を考えておくべきだろう。


「厄介だな⋯⋯」


いくら世界中が混乱しているとはいえ、高校生の集団であるセフィロト女子に自衛隊の救援が向かわないのは不思議である。柊木瑠璃は自身の支配を確立するために、あえて救援を拒んで力を蓄えようとしているのかもしれない。将来的にその支配力はセフィロト女子の外の世界にも向かうだろう。


というように、柊木瑠璃は難敵ではあるが、さいわいなことに、現在の向こうの要求は「南浅生に立ち入るな」だ。こっちから南浅生に乗り込まない限り、当面のあいだは戦闘になることを避けられる。将来のことまではわからないけどな。


南浅生で手に入るかもしれない戦闘経験や武器などはあきらめるしかないが、飛鳥宮市郊外にある大きなホームセンターに行けば、発電機やソーラー式充電器、柄の長い草刈り鎌、杖として使えそうな丈夫な棒などが手に入るはずだ。


「直毅。ご飯ができました」


ノックとともに聞こえた声に、俺は椅子から立ちあがり、ドアを開く。

盆を持ってうつろな目で立ってる母に、


「今日は下で食べよう」


そう声をかけてから、俺は母から盆を受け取り、階下へと降りた。


不死者である母親との食事は家族団欒だんらんとは言い難かった。

だが、形ばかりでも家族と食卓を囲んでいると、俺の心に「戻ってきた」という感覚が浮かんできた。

どこからどこに戻ってきたのかはよくわからない。俺のほうも現実のほうも跡形もないほどに変わり果てていて、かつてあった平凡な生活には戻りようがない。それでも、俺は「戻ってきた」。

そのことに、泣きたいような、苦笑したいような奇妙な感傷がこみ上げてくる。

俺は首を左右に振って、その感傷を強引にかき消した。




それが、この食卓でとる最後の団欒になろうとは、そのときの俺には知る由もなかった。

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