11 セフィロトの女教師

一台のバイクが、鉄橋の向こう――南浅生みなみあそう町の方からやってくる。

バイクは鉄橋を渡ってこっちに向かってくる。

突然現れた他人に、俺はパニクりそうになった。


《直毅は、深く深呼吸をした。性格特性「開き直り」「解脱」「冷血」の効果で、直毅は頭の芯がすっと冷えた。直毅は、性格特性「人間洞察」を使って、やってくる人物を観察することにした。》


深呼吸をすると、なるほど、頭の芯が完全に冷えた。

俺は落ち着いてバイクに目を凝らす。

そういえば、俺はあまり目がよくない上に、何年か前に眼鏡を割ってしまってから眼鏡すら持っていない。その割に遠くがくっきり見えるのはなぜなのか?


《直毅は、人物属性「覚醒者」「吸血鬼」、武器適性「投擲」「射撃」、魔法適性「時空」には視力を強化する効果があると気がついた。さらに、人物属性「吸血鬼」、性格特性「夜行性」は、夜間に限って暗視能力が向上するようだ。》


「天の声」の有り難い解説を聞き流しながら、俺はバイクの乗り手を凝視する。

大型のバイクに跨っているのは女性のようだった。赤いヘルメットの後ろから黒い髪が風にたなびいている。ヘルメットの下は、黒い袴に白い衣、その上に剣道の胴着という格好だ。黒い袴には日本刀らしきものをさし、袴の上に黒い革のベルトをつけている。

どこかで見たようなベルトだな⋯⋯などと思ってるうちに、バイクが俺たちの手前10メートルほどの場所で急停止した。バイクは右を向いて止まり、女性は左手でベルトの右腰から何かを抜き出し、俺に向かって突きつける。


「動くな」


凛とした女性の声に動きを止める。

彼女が左手に握っているのは拳銃だった。見覚えがあると思った革ベルトは、警官が腰にぶら下げているものだとようやく気づく。


女性が右手でヘルメットを取った。


黒くつややかな髪が翻り、女性の冷たい美貌が現れる。

見惚れそうな光景だが、俺は現実の女性になんらの期待も抱いていないので、「いい女だ、やりたい」的な発想は浮かばない。

俺が最初にやったのは、


「『インスペクト』」

「『インスペクト』」


女性と声が重なり、愕然とする。

同時に、俺の脳裏に分析の結果が流れ込む。



―――――

柊木瑠璃

覚醒者

固有スキル:支配の教壇

武器適性:刀・射・剣・短剣・爪・体・乗

魔法適性:氷・闇・妨・次

性格特性:克己心Ⅴ、努力Ⅴ、正義感Ⅴ、教条主義Ⅴ、支配Ⅴ、カリスマⅣ、勇猛Ⅳ、嗜虐Ⅳ、被虐Ⅲ、人間洞察Ⅲ、理想主義Ⅲ、魅了Ⅲ、冷血Ⅱ

魔法:「アイスランス」「アイシクルレイン」「インスペクト」「ダークフォグ」

技:「抜刀術・花霞はながすみ」「流鏑馬やぶさめ」「クイックドロー」

―――――



⋯⋯何者だ、こいつ。


「何者だ、おまえは?」


俺の情報を読み取ったのだろう、女性――柊木瑠璃が言った。


飛鳥宮あすかみや市の住民か? だが、なぜ飛鳥宮の住民が覚醒している? 飛鳥宮にもモンスターが出ているのか?」


俺が答えないでいると、柊木瑠璃は俺の足下にちらりと目を落とす。


「山野をやったのはおまえか?」


山野って誰? と一瞬思ったが、すぐに気づく。俺の足下に転がっている女子高生がそんな名前をしていた。


「ひょっとして、セフィロト女子の教師か?」

「質問しているのはわたしだ。撃たれたいのか?」


高圧的で一方的な質問にイラついたが、


《直毅は、とりあえずとぼけることにした。》


「俺たちが来た時には手遅れだった。俺たちはゴブリンを倒したにすぎない」

「ふざけるな。死体が焼けている。山野を囮にしてゴブリンを倒そうとしたのではないか?」

「言ったろ。来た時には手遅れだった。ゴブリンどもがこの女子高生の死体を食ってるところだったよ」

「ではなぜ死体を焼いた?」

「こっちだって必死なんだ。もう死んだ人間のことなんて考えてる余裕はない。死体を囮にさせてもらったよ」

「貴様っ⋯⋯!」


正直に答えただけなのだが、柊木瑠璃は激昂した。


「死者を冒涜ぼうとくするか! 隣にいるのはおまえの肉親だろう! 不死者とはなんだ!?」

「知るかよ。気づいたらこうなってたんだ」

「こんな『性格』の人間の言うことが信じられるか!」

「性格が悪いからって、嘘をついているとは限らないだろ」


《直毅は、性格特性「虚言癖」を発現した。虚言癖の強度がⅠになった。》


うるさいわ。おまえが惚けろって言ったんだろ。


「ふん⋯⋯嘘は言っていないようだが⋯⋯」

「『人間洞察』か?」

「いや、教師としての勘だ。貴様にそんなことをする度胸はない。わたしが一喝すれば怯えて言うことを聞くタイプだ」

「そうかい」


なるほど。これは厄介そうな相手だな。


《直毅は、性格特性「人間洞察」を生かし、柊木瑠璃の人格を分析した。何事も努力次第で達成可能だと信じる熱血教師だが、自分の言動が威圧的で支配的であることを自覚していない。その裏には抑圧された嗜虐心や他者を支配せずにはいられないという願望がある。だからこそ、人格の未熟な学生を「教育」することに血道を上げている。厄介なのは、彼女は自分の考えがいかなる時も絶対に正しいと確信していることだ。結果、彼女の担当する生徒は、彼女の熱狂的な信奉者となるか、彼女から徹底的に糾弾され、冷遇される犠牲者になるかのいずれかである。直毅は、「人間洞察」の強度がⅢに上がった。》


「天の声」は、勝手に相手の洞察を進め、その上「人間洞察」のレベルまで上げてくれた。

ともあれ、「天の声」によれば、相手は自分のクズさに無自覚なクズ教師だ。なまじ有能なだけに余計タチが悪いタイプだろう。


《直毅は、柊木瑠璃を人格面から突き崩すことにした。直接戦闘になっては危険が大きいと判断したからだ。》


まあな。この先生はいかにも戦えそうだ。

隕石の落下地である南浅生で、すでに何度もモンスターと交戦してきたのだろう。

俺と母親が二人がかりで戦っても、無事に済むかはわからない。

かといって、このまま見逃してくれるとも限らない。俺の性格特性を見られているから、危険人物と見なされ、「念のために」で殺される可能性すらあった。


だが、このタイプの「正義漢」を怒らせるのは簡単だ。

なにせ、本人のほうが怒りたがっている。自分の正しさを確信しつつ相手を徹底的に叩きのめせるようなわかりやすい悪。このタイプが求めるのはそうした相手のはずだ。

掲示板やツイッターで他人の粗を探しては炎上させようとするタイプと根は同じ。他人から見れば憂さ晴らしのために無関係な人間を叩いているだけなのだが、本人は正義のためにやっていると思ってる。叩かれる側に非がないわけではない場合も多いので、自分が正義だという本人の思い込みを否定するのは難しい。

ただ、このタイプは、正義=自分が悪を攻撃するのには慣れていても、自分が悪として攻撃される事態には慣れていない。自分の誤りを積極的に認めることはなく、自分を批判する者=悪というレッテルを貼り、徹底的に論破しようとする。論破できなければ人格攻撃をして貶める。それすらできなければ怒りを剥き出しにして威嚇する。それでもダメなら個人情報を引き出して攻撃や脅しの材料にしようとする。

もっとも、このステップをすべて抵抗なく踏んでいくほどに邪悪な奴は限られる。ステップを上るほどに悪質度が増していくが、この先生はステップをどこまで上るのだろうか?


「俺のことを、教師が脅せば大人しくなるタイプだっつったな? だが、この山野さんはどうだったんだ? この子はそんな感じじゃないよな?」


俺は分析を踏まえて聞いてみる。


「なんだと?」

「見たところ、彼女は一人で逃げてきたようだな。おおかた、緊急事態ってことでいつもより締め付けを厳しくしたあんたの支配に耐えかね、逃げ出したってとこなんじゃないか?」

「なっ⋯⋯!」


図星だったのだろう、柊木瑠璃の顔が赤くなり、青くなった。


「柊木先生は理想家のようだな。努力を惜しまない克己心の持ち主だ。だが、その強すぎる正義感は融通の利かない教条主義にも通じている。そして何より問題なのは、隠れ持った嗜虐心と他者を支配したいという願望だ。あれこれと理屈をつけて正当化してるが、あんたは未熟な子どもを自分のいいように作り変えて愉しむために教師になったんだ」

「だ、黙れ! 貴様に何がわかる!?」

「いきなり他人に銃を突きつけ、その言い分を証拠もなしに嘘だと決めつける――どうせ教室でも同じことをやってるんだろ? あんたには妙なカリスマがあるから、純粋な生徒はころりとあんたの信者になる。で、あんたに従わないそれ以外の生徒のことは、あの手この手でいびり抜くんだ。山野さんなんかもろにそのタイプだよな。さぞかしセフィロトでは浮いてたんだろうな」


俺は柊木瑠璃を揺さぶるために同情たっぷりに言ってやる。

内心では、このギャルっぽい女子高生に親しみなんてかけらも持てず、したがってかわいそうなどとはつゆほどにも思っていないのだが。


「何を言っている? 教師であるわたしが正しいことを言っている以上、それに従わない生徒を矯正するのは当然だろう。それが生徒への愛情でもある」

「その愛情は通じてなかったみたいだけどな。あーあ、かわいそうに。山野さんはあんたが殺したも同然だな。もっと包容力のある教師に当たってれば、こんな死に方をしなくても済んだのにな。あんたの同僚にもいるだろ? あんたから見ると無能にしかおもえないが、生徒たちからは慕われてる教師が。気に食わないよなぁ? あんたはそういう教師に嫉妬と劣等感を覚えてるはずだ」


俺は柊木瑠璃の反応を見ながら、さらに挑発を重ねていく。柊木瑠璃の表情は氷のようだが、それだけにかえって怒りのほどがわかりやすい。こっちの当て推量にリアルタイムで顔色を変えるから、面白いようにこちらの推理が当たっていく。もちろん「人間洞察」の効果もあるのだろうが。


「き、貴様ぁっ⋯⋯!」


柊木瑠璃が拳銃の引き金に力をこめた。


「おっと、そいつを引いたら、俺の言い分が正しかったと認めることになるぜ?」

「くっ⋯⋯」


柊木瑠璃は歯を食いしばったまま、拳銃を持った左手を下ろす。

一度大きく深呼吸をすると、いくらか落ち着いた口調になって柊木が言う。


「ふん⋯⋯たしかに貴様が嘘をついているという証拠はないな」

「へえ、認めるのか」

「ああ。山野美希は反抗的な生徒だったが、それでもわたしの生徒であることに変わりはない。遺体を焼かれ、逆上していたことは謝罪しよう」


柊木瑠璃が急に引き下がる。

言ってることはもっともだが、柊木は奥歯を噛み締めたままだった。

まるで、意に沿わぬことを言わねばならないことを屈辱に思ってるかのようだ。


「さすがにこの状況で遺体を持ち帰ることはできないが⋯⋯せめて、遺物や遺髪など、彼女をしのべるものをセフィロトに持ち帰ってやりたい」


要は、山野美希の死体に近づくが邪魔するなと言いたいのだろう。


「そりゃ、勝手にすればいい」

「そうか⋯⋯」


柊木瑠璃は拳銃を革ベルトのホルスターにしまい、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

俺は女子高生の死体から数歩退いて場所を開ける。

柊木は女子高生の死体に近づき、しゃがみこむ――と見せかけ、腰だめの姿勢で顔をこちらに跳ね上げた。


「――馬鹿め! 死ね、クズが!」


柊木瑠璃が発砲した。ホルスターにしまっていたはずの拳銃が手の中にある。情報にあった「クイックドロー」という技か。

だが同時に、俺の視界を母親の背中が埋めている。

がぎぃん!と、金属の激しい衝突音がした。

母親は、左手のフライパンを振り抜いた姿勢で、柊木瑠璃に茫洋とした目を向けている。

どうやら、フライパンで銃弾を弾いたらしい。


「なにっ!?」

「『ファイヤーボール』」


動揺する柊木瑠璃に母親の魔法が飛んだ。


「くっ!?」


柊木瑠璃は身をひねってそれをかわす。


《直毅は、「アポート」の魔法で柊木瑠璃から拳銃を奪えないか試すことにした。》


ありがたい助言をもらった俺は、


「『アポート』」


唱えた瞬間、柊木瑠璃の手から拳銃が消えた。

俺は手に入れた拳銃を柊木瑠璃に突きつける。


「動くな!」


が、柊木瑠璃は俺の言葉を鼻で笑い、


「『ダークフォグ』」


闇色のもやのようなものが、俺たちと柊木瑠璃のあいだに立ちこめた。


「ちっ!?」


視界を塞いで――どう来る!?

逃げるのならば追わないが、柊木瑠璃の性格なら攻めることを選択するかもしれない。

闇に紛れての接近してくるか? いや、それはリスクが高い。闇から出たところを俺が拳銃でズドンとやればおしまいだ。

じゃあ、闇の奥から魔法で攻撃か。それなら向こうにリスクはない。


「母さん、魔法に注意して防御の構えを取りながらファイヤーボール」

「わかりました。『ファイヤーボール』」


あいかわらずのうつろな声で母親が言い、闇の中に火球を放つ。

闇の奥からかすかに「⋯⋯シクルレイン」と聞こえた気がする。

炎と氷の魔法が闇の中でぶつかりあい、づごぅん!がきがきかきん!と、激しい音だけが聞こえてくる。


《直毅は、魔法適性「吸収」「妨害」を生かし、魔法「マジックアブソーブ」を編み出した。》


「はいはい、『マジックアブソーブ』!」


「天の声」の指示通りに俺が唱える。

目の前に立ち込めていた黒いもやが、俺の手の中に吸い込まれていく。


《行動判定:成功S。》

《直毅は、魔法「ダークフォグ」をラーニングした。》

《直毅は、魔法適性「闇」に開眼した。》


「わお」


おいしい結果に驚きながら、晴れた視界の奥を凝視する。

柊木瑠璃は、ちょうどバイクに跨ったところだ。エンジンをふかしながらハンドルを切り、前輪を南浅生側に向けようとしてる。


《直毅は、母親に魔法「アイシクルレイン」を使用せよと命令した。》


「母さん、『アイシクルレイン」を」

「『アイシクルレイン』」


さっき柊木瑠璃の使ってきた魔法を、今度は母親が使用する。失念していたが、母親にも魔法適性「氷」がある。

割れたガラスのような大きさの無数の氷片が、バイクを旋回させる柊木瑠璃に襲いかかる。バイクが擦過音を立てて旋回し、柊木瑠璃の右手が腰に伸びる。


「――『抜刀術・花霞はながすみ』!」


一瞬だけ、何かが動いた、と見えた。

きらめきながら柊木瑠璃に襲いかかった氷片が、空中でまとめて砕け散る。

柊木瑠璃の左手が、いつのまにか腰の日本刀の鞘に添えられている。拳銃を左手で持っていたのは、右手で刀を抜くためか。だが俺には、刀を抜くところはおろか、斬り終えた刀を納めるところすら見えなかった。


《柊木瑠璃は、抜く手も見えない早業はやわざで抜刀し、飛来する無数の氷片をソニックブームで撃墜したのだ。》


「マジかよ!」


おまえは石川五右◯門か!


「亥ノ上直毅ッ! 貴様は南浅生に足を踏み入れるな! 貴様のような卑劣で薄汚い男がセフィロトの生徒に近づいたらと思うとゾッとする!」


柊木瑠璃がバイクの尻をこちらに向け、首だけを振り向けて言ってくる。


「おいおい、いつから南浅生は選民思想の街になったんだ? 俺はまだ何もしてないだろう。一方的に襲われたのは俺のほうだ」

「いいか、もしセフィロトの生徒に近づいてみろ! わたしは必ずおまえを殺す!」

「近づいただけで殺すのかよ」


襲われたから反撃しただけなのに、完全に犯罪者扱いだ。


とりあえず、俺は銃の引き金を引いてみる。

武器適性「射撃」のおかげか、銃弾は柊木瑠璃の頭へと飛んでいく。

同時に、柊木瑠璃の右手が霞む。

俺の放った銃弾は抜刀術で「斬られた」ようだ。


柊木瑠璃がバイクを一気に加速させる。

その背中に銃を向けるが、もう当たるような気がしない。武器適性「射撃」が有効射程の外だと告げている。


「逃した、か」


柊木瑠璃のバイクは、南浅生の半壊した街の奥へと消えていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る