15 力がなければ始まらない

◇亥ノ上直毅視点


《直毅は、スマートフォンを取り出し、気象予報を見ることにした。》


ホームセンターでの物資漁りを終えたあと、豪雨に晒されるホームセンターの搬入口に、「天の声」が響き渡った。

「天の声」は俺にしか聞こえないのだが、なぜか周辺環境に反響するように聞こえるのだ。

だが、「天の声」の性質についての考察は今はいい。

問題は「天の声」の示唆した内容だ。


俺は弾かれたようにスマートフォンを取り出した。インターネットは災害に強いというが、現在のところは飛鳥宮あすかみや市ではスマホの電波は生きてるようだ。


スマホの画面を表示すると、天気予報アプリの通知が何十件も入っていた。通知は『〔!〕至急避難せよ!!!天通……』とあり、続きは折りたたまれているようだ。他にも同様の通知が緊急通知としてさまざまなアプリから表示されている。天気や災害とは関係ないはずのOSの検索アプリまでもが狂ったようにプッシュ通知を並べていた。俺はほとんどのプッシュ通知をオフにしてるにもかかわらず、その設定を無視してでも伝えねばならない情報があるらしい。

嫌な予感を覚えながら、通知をタップしてアプリを開く。



『〔!〕天通ダムで異常洪水時防災操作による放流開始。天通川てんつうがわ氾濫の恐れ。天通川流域に避難指示。危険地域内にいる者はただちに避難せよ!!!』



画面の上三分の一を占めるほどのサイズで、赤に白抜きの毒々しい文字が踊っている。

公式情報にあるまじき「!」の連打と命令口調から、発信者の強い危機感が伝わってくる。


「天通川が氾濫……!?」


天通川は、飛鳥宮市と南浅生みなみあそう町の境を流れる大きな川だ。

我が(というか母親の)家は、天通川の堤防から歩いて数分の場所にある。一帯は海抜の低い地帯だと小学生の頃に社会科で習った記憶がある。


「出がけに『天の声』が警告してたのはこのことか……!」


「天の声」は、俺が家を出るときに《ひょっとするともうこの場所には帰ってこられないかもしれない、という予感がした》という警告を発していた。

俺は外出先でアクシデントに巻き込まれ家に帰還できなくなる事態を想像していたのだが、まさか家のほうが危機に陥るとは……。

母親の固有スキル「セーフハウス」があるから家は絶対安全だ――そんなふうに思い込んでいた過去の自分をぶん殴ってやりたい。


とはいえ、もし家が天通川の氾濫で流失するとあらかじめわかってたとしても、俺にはどうすることもできなかっただろう。押し寄せる洪水をどうにかできる魔法など、覚醒した今の俺にも使えない。


俺はアプリの警報をタップし、危険地域の地図を表示する。

天通川の上流から下流まで、河川の両岸が真っ赤に染まっていた。が、岸から何キロかを機械的に塗ったという感じで、予測の精度はあまり高くなさそうだ。予報を出す側でも、精密な予測を立てる時間がなかったのだろう。

地図によれば、危険なのは飛鳥宮市周辺に限ったわけではない。隣県にある上流から数十キロ下流にある河口まで、あらゆる地域が「危険」とされている。

河川の氾濫に詳しいわけじゃないが、水が溢れるという性質上、ここより上流のどこかで堰が破れれば、そこから水が拡散し、この近辺は被害を免れる可能性もある。

いや、


「そうじゃない! 逆だ! 確実に・・・、飛鳥宮と南浅生近辺のどこかで天通川が氾濫する!」


そのことが、俺にだけは確信できる。

なぜかといえば、「天の声」の警告があったからだ。「天の声」が能書き通り無謬むびゅうなのだとしたら、天通川の氾濫は絶対に・・・この近辺で起き、亥ノ上家を跡形もなく押し流す。


だが、どうして今になって?

今回の台風はそんなに強くないという話じゃなかったのか?

実際、搬入口からは外で渦巻く風雨が見えるが、そこまで激しい嵐のようには見えなかった。毎年台風シーズンになれば一度や二度はあるくらいの風雨でしかない。


天通川だって、俺の物心のつく前から、これまで一度も氾濫など起こしたことがない。台風での一時的な川の増水くらいなら、行政は織り込み済みで治水対策をやってるはずだ。


「くそっ……それは考えてもわからないか。どうせ隕石がらみなんだろう」


たとえば、隕石墜落で天通ダムの一部が壊され、貯水量の上限が下がったとか。

ダムの水の中に、クラーケンだか水龍だか、巨大な水棲のモンスターが発生し、ダムの水位を増してるだとか。

状況が状況だけに、もっともらしい説明はいくらでもつけられる。

だが、大事なのは原因の究明ではなく、天通川の氾濫という確定済みの未来の出来事にどう対応するかだ。


「家がなくなる、か……。それはつまり、安全な拠点がなくなるってことだ。まあ、母さんの『セーフハウス』で適当な拠点を安置にしてもいいけど」


俺はちらりと近くに立つ母親を見る。


「……問題は、母さんがそれをよしとするかだな」


不死者である母親は、死霊魔法の術者である俺の命令に基本的には従う。

しかしこれは絶対ではない。母親自身が生前にこだわっていたことがからむと、俺の命令が拒まれることもある。

家が流されるので別の拠点を作ろう、と提案したとして、母親がそれを素直に受け入れるだろうか。


「公共の避難所に移ろうにも、俺はひきこもりだし、母親は不死者だ。厄介な事態になりかねない」


一時的には、避難者としてサポートを受けることができるだろう。だが、長期的には俺はなんらかの職に就く必要が出てくるはずだ。まさか避難所でひきこもりが許されるわけもない。

職に就いて働く上では、覚醒者であるという現在のメリットは生かせないだろう。覚醒者の能力を抜きにすれば、俺は職歴なしの年代物のひきこもりでしかない。余裕をなくしたこの世界において、そんな奴はただの厄介者でしかなく、最悪の場合は見殺しにもされかねない。

かといって、覚醒者であることを明かせば、その力を危険視されたり、利用されたりするおそれがある。性格特性の効果で以前より対人関係に強くなっていそうだとはいえ、法や軍事力といった力を背景に、行動の自由を奪われたり、強制的にモンスターと戦わされたりすることは十分にありそうだ。


逆恨みも多分に含まれているとは思うが、俺は俺を破滅に追い込んだこの社会を憎んでいる。覚醒者としての力を発揮してみんなを守ろう!などという気にはとてもなれない。世の中の八割五分くらいの人間は、俺にとっては敵側の一員なのだ。

なんで俺が、命がけでそんなやつらのために戦ってやらなければならないのか? 俺が困ってるときに、そいつらが命がけで戦ってくれたことがこれまでに一度だってあったのか? 利用されるくらいならいっそ関わらないほうがマシだとしか思えない。


しかし、それならどうすればいい?

当面は食料も確保できているし、住居は母親をなんとか説得して新たにセーフハウスを設定すればいいだろう。その他の資材も、一人分(と不死者である母親分)としては十分すぎる備蓄ができた。

足りないものがあるとすれば、単純な戦闘力だろうか。モンスターと戦い、モンスター由来の武器を手に入れること。戦いの経験を積みながら性格特性の発現を狙い、技や魔法を充実させること。

そのために必要なものは、すべて天通川の対岸――南浅生にある。そして、南浅生は柊木瑠璃の中庭だ。


《亥ノ上直毅は、こうしていてもしかたがない、と思った。母親に事態を納得させるためにも、家の様子が見られる場所を目指すことにした。》






天通川は飛鳥宮市の東側を北から南に流れている。

天通川に面した地域は海抜が低く、堤防が決壊すれば水浸しになることは確実だ。

それに巻き込まれてはマズいので、俺は自宅から少し離れた高級住宅街付近へとやってきた。高級住宅街は地盤が確かで亥ノ上家のあたりより十数メートルほど高くなっている。金持ちは災害に強い場所をちゃっかり確保してるってことだ。

その中でいちばん背の高いマンションの駐車場に車を入れ、俺と母親はマンションの内部に侵入する。金持ちのマンションなので当然オートロックだったが、母親が斧を使ってこじ開けた。

警報がやかましく鳴る中を悠々進み、俺と母親はエレベーターで最上階へとやってきた。

最上階のドアは斧では壊せそうになかったので、離れたところから数発「ファイヤーボール」を撃ち込んだ。溶けて歪んだドアに蹴りを入れると、ドアは室内に向かって倒れ込んだ。

二十畳はありそうなリビングは四方がガラス張りになっている。吹き付ける雨で視界が悪いが、なんとか、暗雲の下にある飛鳥宮市の様子が見下ろせた。


「直毅、あれがおうちよ」


母親が、窓の外を指差し、幼児に話しかけるような口調でそう言った。見晴らしのいい光景に、昔どこかの高層ビルに上った時のことでも思い出したのだろう。俺のほうでは、両親と高層ビルに上ったことがあったかどうか、思い出すことができなかったが。


母親の指差しは正確で、その先に亥ノ上家が小さく見える。その奥には堤防があり、堤防の先には濁った水を不気味に湛える天通川の流れが見えた。暗い中よく遠くまで見えるものだと自分でも思ったが、昨日調べた限りだと吸血鬼や「夜行性」の効果らしい。


天通川は、まだ決壊はしていない。

俺はリビングの真ん中にある50インチ以上ありそうな大きなテレビのスイッチをつける。

最初に移ったのは砂嵐だ。初日に俺がリアルタイムで隕石がテレビ局に直撃するのを見てしまったその局だ。

俺はリモコンでチャンネルを変える。どの局もあいかわらずの報道特番で、アナウンサーたちにも疲労の色が濃い。くりかえし隕石の墜落予測地点を報じていて、天通川関連の報道がなかなか出ない。川の氾濫など、隕石の墜落に比べれば限局的なものだということか。比較的弱いとされている台風の情報も、チャンネルをザッピングしてみたが、どの局でも報じていなかった。


《亥ノ上直毅は、ホームセンターで手に入れたオペラグラスのことを思い出す。》


っと、そうだった。

俺はアイテムボックスからオペラグラスを二つ取り出し、片方を母親に渡しつつ、もう一つを自分の目に当て、天通川の様子を見ることにする。


まさにその瞬間に、異変が起きた。

天通川の上流から瓦礫を満載した土砂流が押し寄せてきたのだ。川の水量は一気に増え、堤防の上を河水が洗う。堤防はすぐに濁流に隠れて見えなくなった。堤防を越えた濁流は、ここからではむしろゆったりと見える速度で飛鳥宮市の住宅街を呑み込んでいく。


「おうちが……」


母親が悲痛な声を漏らした。


「わたしの守ってきたおうちが……」


亥ノ上家は、海抜の低い地域の中ではやや高い、堤防と同じくらいの高さに建っている。そのため、二階にある俺の部屋からは、天通川の向こう岸である南浅生の様子も見えていた。

亥ノ上家の周囲の家々に濁流が押し寄せる。濁流は地上の建造物の周囲を一度は周り、別の濁流と合流してから、四方から押し潰すように建物を一軒一軒呑み込んでいく。それぞれの持ち主が人生を賭けて買っただろう家々は、まるで紙細工のようにたやすくひしゃげ、濁流の中に消えていく。

亥ノ上家は、他の家よりは長くもった。他の家の姿が見えなくなり、一帯がもはや川の一部としか思えなくなるまで、亥ノ上家は濁流の中に屹立していた。

だが、多少高いところにあるとはいえ、今いる高級マンションのように好立地を金で買っているわけではない。

濁流はついに亥ノ上家の土台を洗うようになった。


「あ、ああ……」


オペラグラスを握る母親の手が、力の入れすぎで白くなっている。

天通川の氾濫は、かろうじて亥ノ上家の足元ぎりぎりの線で停滞を見せていた。

これ以上水位が上がらないなら、一階部分の浸水は避けられないとしても、家が流されることはないのではないか?

が、そんな俺の淡い期待を打ち砕くかのように、濁流にのった自動車が、亥ノ上家の壁に衝突した。家が、濁流の中でぐらりと傾く。

そこからは、一瞬だった。濁流は、抗う術をなくした亥ノ上家を、瞬時に呑み込み、闇の奥へと押し流していった。


「うっ……」


俺は目からオペラグラスを離して首を振る。


思った以上に、こたえていた。


俺にとって家とは、安全なシェルターであり、同時に脱出不能な牢獄でもあった。

家が好きか嫌いかと言われれば、好きとも嫌いとも言えないが、かといって何の感情も抱いていないわけではない。むしろ、あらゆる感情が詰め込まれているせいで、もはや家とはなんなのか、あるいは、家に対して俺はどういう感情を抱いているのか、理解可能な形で説明することができないほどだ。


だが、ひとつだけ、俺が疑っていなかったことがあった。


家はいつまでも不動であり、不滅であるということだ。


われながら、無邪気で、幼稚で、無知なことだと呆れるしかない。


家が揺るぎなくそこにあるがゆえに、俺は家にいられるし、逆に家から出ることもかなわなかった。

俺にとって家とは、世界そのものだったのだろう。

世界とは、不動で不滅で、そこにいられる代わりに、そこから出ることもできないものだ。

その意味で、俺の世界は家だった。

奇妙な運命の巡り合わせによって、今回は世界の方が先に崩壊し、そのあとに家がなくなった。

隕石で文明が崩壊しかけてることより、河川の氾濫で家が流されたことのほうが、俺には衝撃が大きかった。

もうおまえはあの狭い世界には戻れないのだと、改めて突きつけられた気持ちになる。


同時に、俺は悟っていた。

といっても、しごく当たり前のことである。

安全な場所は、タダで手に入るものではない。

自らの力で手に入れるしかないものだ。

手に入れたところで、こうして理不尽に奪われることもある。

本当の意味で安全を確保したいのなら、常におのれの力で、安全を確保し続ける必要がある。

そのためには、力が必要だ。


これから世界はますます混迷を深めていくことだろう。

安全な場所は次第に少なくなっていくにちがいない。

そんな中で、スーパーやホームセンターをあさって多少の食料や物資を確保して喜んでるだけでは、必ずいつか行き詰まる。

結局俺は、人のいなくなった街で、人の残したものをあさって、商品をタダで持ち出す非日常の喜びに興奮していただけなのだ。

そんなのは当面の安全の確保には役立っても、未来にわたって安全を確保し続ける役には立たないというのに。


人類がこのまま衰退するにせよ、盛り返すにせよ、人は必ず群れ、集まる。

その集団の力学の中で、俺は圧倒的な弱者である。

そのことは、もう認めるしかないのだろう。

認めた上で、それでも俺が安全であるにはどうしたらいいかを必死で考えるしかない。


俺が多数派には決してなれず、かならず少数か個人で動くしかないのだとしたら、俺は多数派をねじ伏せられるほどの圧倒的な力を手に入れる必要がある。


「そうだ、力だ。力がなければはじまらない」


俺は、手にしたオペラグラスをフローリングの床に力の限り叩きつけた。

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