14 ひきこもりにはお似合いの末路

◆柊木瑠璃視点


天通川てんつうがわ氾濫はんらんするだと?」


天文地理部員の報告を受け、柊木瑠璃は校長室のデスクから顔を上げる。

その視線に、天文地理部員の女子はびくりと震える。


「は、はい。天通川てんつうがわ上流の天通ダムの水位が異常上昇しているそうです。インターネット上で閲覧できるダムのライブビューでも水位が上がっているのを確認しました」


眼鏡をかけた地味で内気そうな女子は、調査の不備を突かれるのではないかと怯えながら報告する。

隕石の墜落直後に覚醒を果たした柊木瑠璃は、あっというまにセフィロト女子を掌握していた。その手法は恐怖政治の一言に尽きる。


「台風の影響か? だが、今回の台風はあまり強くないという話ではないか。台風による水位の上昇程度、事前に見越してダムや堤防を設計しているはずだろう?」

「たしかにその通りです。去年の文化祭で天文地理部は地域のハザードマップの展示をしました。その際に調べた限りでは、飛鳥宮あすかみや市は天通川てんつうがわの護岸工事や堤防の整備をしているほか、氾濫時には川を流れる水の一部を地下水道へ放流し、海に流すという仕組みがあります」

「万全の備えだな。ではなぜ、天通川が氾濫するのだ?」

「天通ダムに隕石が落ちたことが影響していると思われます。隕石のなんらかの作用により、台風を差し引いても異常といえる早さでダムの水位が上昇しているのです」

「隕石の体積分水位が上昇したということか?」

「いえ、もしダムの水位をここまで上昇させるほど体積の大きな隕石が落ちていたら、ダム周辺はクレーターになっているはずです。それに、水位の上昇は隕石墜落による瞬間的なものではなく、隕石墜落後しばらく経ってから始まったものです。ですので、推測される原因としては⋯⋯」

「そうか、モンスターか」


柊木瑠璃の言葉に、天文地理部員がうなずいた。

墜落した隕石の周囲にモンスターが発生することは、既にマスコミやネットでも広まっていた。なにより、柊木自身が南浅生みなみあそうに出現したモンスターと何度となく戦っている。

隕石の墜落後、付随して奇妙な現象が起きているのだとしたら、その原因として真っ先に思いつくのはモンスターしかない。


「ダムの中に発生したモンスターが、なんらかの手段、なんらかの理由でダムの水位を増しているということだな?」

「はい⋯⋯確定するには情報が少なすぎますが、現状そう考えるのが妥当だというのが天文地理部の結論です」

「このままダムの水位が増したとして、どうなる? ダムが決壊するのか?」

「さすがに、日本のダムがすぐに決壊するとは思えません。ただ、一定水位を超えた時点で、異常洪水時防災操作ーーダムに貯まった水の放流が行われます。放流時には都道府県知事の承認を得、関係機関や住民に通知を行うことになっているのですが⋯⋯」

「今の混乱した状況で通知がどこまで徹底するかだな」

「はい、その問題もあります。ですが、それはむしろ副次的な問題です。むしろ、隕石とモンスターによって結果的に事前避難が済んだと言えなくもないです」

「では、何が問題なのだ?」

「水位上昇の理由がモンスターなのだとしたら、ダムの水を放流したところで時間とともに再び水位が上がってきます。今は台風も来てますので、放流しても水位が思うように下がらず、天通川の水量が長期にわたって大幅に増えることになるはずです。そうなりますと、天通川の流域で堤防がもたなくなる可能性が出てくるのです」

「だが、堤防が決壊するのがこのあたりだと決まったわけではあるまい? ダムからここまでは県境をまたいで距離がある。もっと上流で決壊すれば、そこで水量が解放され、この付近は被害を免れるのではないか?」

「たしかに、絶対にこの付近で決壊すると断言はできませんが、その確率は決して低くありません。南浅生みなみあそうと飛鳥宮の境を流れているあたりは、川がゆるやかに蛇行しているために、歴史上何度となく氾濫が起きている危険地帯です。さきほど述べたように、飛鳥宮市・南浅生みなみあそう町は堤防の強化などの決壊対策を行なってきたのですが、裏を返せばそれだけ決壊の危険が高かったということです。その決壊対策は通常の氾濫を基準に計画されたものですので、隕石がからむとどこまで有効に機能するものか⋯⋯」

「ふむ⋯⋯」


柊木瑠璃は、革張りの椅子の背もたれを軋ませる。


「セフィロト女子は高台にある。ここまで河水がくることはあるまい?」

「はい、さすがにそれはありえないと思います。ただ、南浅生みなみあそう町の川沿いは危険ですし、飛鳥宮市側はさらに深刻です。飛鳥宮市側の堤防沿いには天通川の川面かわもより海抜の低い地域が広がっています。天通川が氾濫したら、堤防沿いの広い範囲が浸水し、しかもその水はかなり長いあいだ残るはずです。場合によっては、浸水地域がそのまま新たな天通川になるかもしれません」

「ほう、飛鳥宮が水没するか。これはおもしろい」


柊木瑠璃は唇を悦びに歪めてつぶやいた。

その脳裏によぎったのは、町境の鉄橋で対峙した薄汚い覚醒者のことだ。


実は、柊木瑠璃はあの覚醒者の身元を既に突き止めていた。

「インスペクト」で調べた男の名前は「亥ノ上直毅」。

もちろん、その名前に心当たりなどあるはずがない。セフィロト女子の教師たるものが、あんないびつな性格特性をもった危険人物と、これまでの人生において接点があったはずがない。

だが、その男と一緒にいた女性のほうはどうだろうか?

その男と一緒にいた女の名は「亥ノ上雪乃」。この名前に心当たりのある学園関係者ならば見つかるのではないか?

そう考えた柊木は、手始めにまず、セフィロト女子の卒業生名簿を調べてみた。

すると、驚いたことに、「亥ノ上雪乃」という名の卒業生が見つかった。数十年前にセフィロトを卒業し、進学はせず、県内に支社のある企業の事務員になったという。卒業年次からわかる年齢も、鉄橋での印象と矛盾しない。

卒業生名簿には、ご丁寧にも現在の住所までが記されていた。亥ノ上雪乃は卒業後しばらくはOGの同窓会に出席していたが、途中からは参加しなくなっている。ただ、几帳面な性格だったようで、同窓会への招待状には必ず返信を寄越していた。つまり、名簿にある住所は現在の住所と見てほぼまちがいない。

さらに古い名簿を遡ってみると、亥ノ上雪乃は一時期別の姓を名乗っていたようだ。セフィロト卒業後五年で結婚して夫の姓を名乗るようになり、そのさらに二十四年後に旧姓へと戻っている。

あの男の性格特性にあった「現実逃避」「妄想」「寄生」「開き直り」「厭世」「夜行性」「利己主義」「邪悪」「解脱」等々を考え合わせると、亥ノ上雪乃と亥ノ上直毅の関係性には推測がつく。


つまり、亥ノ上直毅は「ひきこもり」で、亥ノ上雪乃はその母親だ。


ひきこもり。

その言葉を思い浮かべただけで、柊木瑠璃の全身の肌が粟立った。腕に蕁麻疹じんましんが出て、吐き気がこみ上げてきたほどだ。

ひきこもりーー生きているだけで他人と社会に迷惑をかける、ゴミ以下、蛆虫うじむし以下の存在だ。

もし自分がそんな立場に陥ったら、即座に首を吊って死ぬだろう。

いや、むしろ、なぜそうせずにいられるのかわからない。なぜ、おめおめと生き恥を晒し、図々しく他人の情けにすがって生き続けることができるのか。

ひきこもりになった人間が最低限果たすべき義務は、社会に迷惑をかけないよう潔く死ぬことだけだというのに、卑劣で恥を知らないひきこもりどもは、そんな最低限の義務すら果たそうとしない。


そのせいで人生を狂わされた亥ノ上雪乃という女性には多少の憐憫を覚えなくもない。

だが、それでもやはり、柊木瑠璃の価値観からすれば、この雪乃という女性も、軽蔑すべき惰弱だじゃくで無責任な人間だ。

自分の息子に、人に迷惑をかけずに生きられる最低限のしつけと教育を施すことに失敗した挙句、家にひきこもらせるという形で、価値のない人間の生存に手を貸している。

ひきこもりのようなゴミを育てた責任を取って、早くあの薄汚い男を叩き殺せばよかったのに、そんな親としての最低限の務めすら果たしていないのだ。


柊木瑠璃の思考回路の中に、「ひきこもりになるには相応の理由があったはずだ」などという同情的な解釈が入り込む余地はない。柊木瑠璃にとって、ひきこもりとは嫌悪すべき悪である。努力で克服できるはずの困難に屈し、他人や社会に依存して怠惰を貪る寄生虫である。「努力してできないことは何もない」という、教育者としての柊木瑠璃の信念に唾を吐きかける害獣だ。


そのくせ、あの親子は覚醒者だった。

人間のクズの分際で、柊木瑠璃と同じステージに立っている。

あの劇的な覚醒以来、自分は神に選ばれし存在だと信じるようになった柊木瑠璃にとって、あの二人はこの世に存在してはならない存在だった。


柊木瑠璃の顔が、人を殺さんばかりに険しくなる。

一切の妥協を許さない努力至上主義の教条主義者は、笑みひとつ浮かべない真性のサディストとして、隕石墜落以前から学内で恐れられる存在だった。

そんな教師が人知を超えた力を手にし、凶暴なモンスターを嬉々として狩り、その持てる「性格特性」にさらなる磨きをかけたのが、今の柊木瑠璃という人間だ。

そんな人間の浮かべた本気の殺意に、天文地理部員が「ひっ!」と息を呑んでのけぞった。


「あの親子の住所は天通川からさほど離れていない場所だったな。こちらから襲撃してやろうかと思っていたが⋯⋯くくっ。これはいい。川の氾濫で家ごと水没し、自室の中で溺れ死ぬ。ひきこもりにはお似合いの末路ではないか」

「は、氾濫の規模にもよりますが、当面は飛鳥宮方面への移動は難しくなると思います。場合によってはセフィロトのある高台を除いて、南浅生みなみあそうの街まで水没することに⋯⋯そうなれば、セフィロトが孤立無援になる可能性が⋯⋯南浅生や飛鳥宮にはまだ逃げ遅れた方がいる可能性もありますし⋯⋯」


深刻そうに眉を寄せて言う天文地理部員に、柊木瑠璃は気取られない程度の笑みを浮かべた。


セフィロトが孤立する。

結構なことだと、柊木は思う。


状況が絶望的になればなるほど、セフィロトにいる教師も生徒も追い詰められていく。

柊木瑠璃の「支配の教壇」は、精神的に追い詰められた相手には無類の強さを発揮する。

これを機に、セフィロトの支配をさらに盤石なものとし、そのへの布石を打っていく。

天通川の氾濫は柊木瑠璃にとっては好都合な出来事だった。

逃げ遅れた人間のことなど、むろん柊木瑠璃の頭にはない。この期に及んでまだぐずぐずしている間抜けのことなど、なぜ心配してやる必要があるというのか。

いい機会だ、馬鹿と間抜けと怠惰な人間は、残らず淘汰されればいい。


「わかった。よい報告だった。天通川が氾濫した場合に水没する範囲を地図にまとめられるか?」


形ばかりは質問だが、それが絶対の命令であることは誰にでもわかる。


「は、はい。必ず」

「そうだな、三時間後には持ってこい」

「さ、三時間、ですか!?」


天文地理部には比較的優秀な生徒が揃っている。

だが、もともと天文地理部は、地理より天文に比重のある部活だった。

天文に詳しい生徒は、現在天文関係の情報収集に追われている。隕石の墜落予測を追いかける人員のほか、そもそもなぜ彗星群が地球に接近するまで観測されなかったのかを海外サイトに当たって調べている生徒もいる。どの部員も睡眠を削って調査に当たっており、余力はないに等しかった。

柊木瑠璃のもとに報告にやってきたこの生徒は、部の中では珍しく地学に関心のある部員だったが、詳しいのは地層や地質であり、河川の氾濫ははっきり言って専門外だ。しかし他に適切な人員がいなかったため、ネットや図書館の資料を首っぴきにしてかろうじてここまで調査したのだ。

なお、天文地理部の顧問だった地学教師は、柊木瑠璃の粛清に遭ってすでに死んでいる。


「なんだ、できないのか?」

「い、いえ⋯⋯やります。やらせてください」

「よし。よい報告を待っている。覚醒もできないただの人間など、せめて頭でも使ってもらわなければな。もしそれすら望めないようなら⋯⋯どうなるかはわかるだろう?」


柊木瑠璃は、これまでにも人間の覚醒について実験を重ねてきた。

「使えない」と判断した教師や生徒を指名し、互いに殺し合えと命じたこともある。

その一部始終は学内のテレビで放映されていた。放映を見てショックで倒れる生徒が何人も出たが、映像を見て覚醒するものは現れなかった。

その陰惨な光景を思い出したのだろう、天文地理部員は青い顔で首を縦に振るのだった。

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