35 羅刹
セフィロト女子は、戊辰戦争時代の砦をもとに造られた堅固な学園だ。
以前は「不審者対策にはもってこいだな」くらいにしか思ってなかったが、今ならわかる。魔女の園であるセフィロト女子は、「万一」に備え、常に籠城できる構えを崩さなかったのだと。北条真那に聞いたところによれば、セフィロト女子にはかなりの食糧が生産できる畑や果樹園があり、ガソリンで動く発電施設があり、さらには戦時の防空壕まで残っているという。防空壕は冷戦時代には核シェルターへと改築された。セフィロト女子の学園長は一体何と戦おうとしていたのか。ほとんどパラノイアじみた防衛意識の持ち主のようだ。
当然、俺は組織的な抵抗があるのだろうと思っていたのだが、セフィロト女子の正門付近に人の気配はなかった。
台風の雨は今はほとんど収まりつつある。俺たちはかさばるレインコートから丈夫な作業服に着替え、ゴム長から安全靴へと履き替えた。さいわいホームセンターで片っ端から回収した物資で人数分の装備はギリギリ足りた。まあ、もしここで足りないことが致命的な問題を招くのなら、ホームセンターの時点で「天の声」が俺に注意を促したんだろうけどな。
「
俺たちは乗用車とミニバスから降り、それぞれの武器を携えて集合する。俺は左腕に「テンタクルウィード」を巻きつけ、両腕に「地獄の爪」、上下の犬歯に「地獄の牙」、作業服のポケットに「地獄の魔玉」をしのばせている。「珊瑚の杖」は立花香織に回し、召喚したパペット「マイムマイム」の制御の精度を上げさせた。
セフィロト女子の正門は、高さ2メートル半はありそうな鉄製の柵で、蔦が巻きついたような造形をしている。その正門の左右に煉瓦の塔があり、塔の脇から左右へ煉瓦の塀が広がっていく。その煉瓦の塀の上には鉄条網が巡らされていた。目を凝らすと近くの電柱とコードで結ばれた部分がある。触っただけで感電するようなシロモノがもともとあったとも思えないので、柊木瑠璃が設置させたのだろう。
門の奥は薄暗く、遠く校舎から漏れるわずかな光が煉瓦敷きの道をおぼろげに照らすだけだった。その道には、生徒や教師の姿は見当たらない。
だが、かすかに漂ってくるこのにおいは⋯⋯
「誰もいませんね」
西園寺芳乃が言ってくる。
「真那、監視班が出た時、ここの警備はどうなってた?」
「三交代制で厳重に監視していたはずですが⋯⋯」
その時、空を稲光が走り、一拍おいて雷鳴が鳴り響いた。
「きゃっ!」
「っと。大丈夫か?」
「あ、は、はい⋯⋯ええと、その、ありがとうございます⋯⋯」
悲鳴を上げた北条真那を支えると、俺の腕の中で彼女が顔を赤くしてそう言った。性格特性や吸血鬼での若返りがあるとはいえ、俺を相手に女性がこんな反応をすることにはいまだに慣れない。痴漢扱いされて警察を呼ばれるほうがかえって納得感があるほどだ。
今の雷がどこかに落ちたのか、セフィロト女子の校舎の明かりがふっと消えた。
しばらく様子を見ていると、消えた明かりが一斉に点き始める。非常用の発電機が作動したのだろう。電源が代わったせいか、さっきまでは消えていた街路灯にも明かりがともる。
「こ、これは⋯⋯!」
あらわになった光景に真那が顔色を変えた。
青白い明かりに照らされた煉瓦敷きの道には、ところどころに血溜まりがある。血溜まりは引きずられたように奥のほうへと二条の赤い線を残していた。
「やはり、修羅の道を選んだか」
ベルベットがつぶやいた。
「奥だ。行くぞ」
俺は有無を言わさず宣言すると、「地獄の爪」で門のかんぬきを切り、巨大な鉄門を蹴り破る。
俺は「アブセントスフィア」を全体にかけながら、大股でセフィロト女子の構内を進んでいく。
隅から隅まで手入れの届いた瀟洒な乙女の園には、不似合いな血溜まりが点在していた。その数は奥に進むとともに増えていく。中にはちぎれた手足がそのまま放置されているものもあった。ただ、死体や負傷者の姿はない。いずれも奥に向かって引きずっていかれた痕跡がある。
俺は仲間の動揺を防ぐために「オーダサティ」を使って、味方の勇気を高めておく。
「あの建物に気配が集中してるな」
俺が前方を指さすと、
「ティファレト棟ですね。大講堂があります」
青い顔の西園寺芳乃がそう答える。
「その奥のほうの建物にも気配は多い。恐怖と緊張、敵意の混じった気配だな」
「あっちは学生寮です。生徒が相互監視状態で監禁されてます。あそこから出され、任務を与えられるのは名誉なことだと思い込まされてるんです」
「だが、大講堂の気配のほうがヤバそうだぞ。恐怖、恐慌⋯⋯」
そのくせ、悲鳴が聞こえることもない。
駄目押しのように雷が鳴った。大講堂の姿が黒々と浮かび上がる。その陰に、俺は何か不気味に嗤うモノの影を見たような気がした。まばたきして見直すと、その影はもう消えていて、見間違いだったかと思えてくるのだが。
大講堂からは、ヘルリザードの時とも違う、凍てつくような冷気が伝わってくる。気温が下がったわけではない。身体ではなく魂そのものを凍えさせるような、物理現象を伴わない「冷気」である。
「気をつけられよ、マスター。あそこにおるのはもはや人間ではあるまい。この
「じゃあ、なんだってんだ?」
「わからぬ。じゃが、人たることを捨てたモノがあそこにおるのはたしかじゃな」
「ベルベットより強いのか?」
「さてな。この世に降ったモノと、この世から昇らんとしておるモノと。どう噛み合うかによるであろう」
《亥ノ上直毅は、狭い空間での戦闘は避けるべきだと考えた。直毅は、魔法によって大講堂の入り口を破壊することにした。》
「よし。打ち合わせ通りにいく。魔法で講堂の扉をぶち抜き、中にいるのをおびき出す」
突入した途端に攻撃されてはたまらないからな。中にいるかもしれない他の生徒が巻き添えを喰うおそれはあるが、見ず知らずの相手を救出するためにリスクを負う気は俺にはない。
前にも言ったように、俺にとって他人は基本的に敵である。助けたところで敵対される確率の方が高いのに、なぜリスクを冒してまで助けなければならないのか。もっとも、若返り、「魅了」「カリスマ」といった性格特性を得た今の俺なら助ければ相手から感謝される公算は高いのだが。とはいえ、まだ出会ってもいない相手からの感謝のために、大切な眷属や召喚した悪魔を危険に晒せるはずもない。
もっとも、出口さえ開けば、中に囚われたやつらが逃げ出せる余地も生まれるだろう。俺にやってやれるのはそこまでだ。中など確認せずに魔法を連打して建物ごと皆殺しにしないだけマシだと思ってもらいたい。
みんながうなずくのを確認してから、俺はアイテムボックスから鉄板を取り出し、音を立てないように地面に置く。この鉄板は路上に捨てられていた車のボンネットを剥がしてきたものだ。台風のせいで地面に魔法陣を描くのが難しいので、代わりの「キャンバス」を用意したってわけだ。キャンバスや線を描く媒体もよいものを選べばそれだけ魔法の威力が上がるらしいのだが、今はそんな贅沢は言ってられない。鉄板には事前にマスキングを施してある。俺が鉄板にスプレーを吹き付け、絹村美久にマスキングテープを剥がしてもらう。これで、魔法陣の完成だ。最初から鉄板に魔法陣を描いておけばいいのでは?と思うかもしれないが、魔法陣は放っておくと込めた魔力が霧散する。複雑な魔法陣を描けば長持ちさせられるようだが今の俺の手には余る。せめてもの時間短縮にと、マスキングとスプレーを提案してくれたのは美術部員である絹村美久だ。同じような鉄板を合計4つ取り出し、準備を終えた。
この場にいるベルベット以外の全員(俺、母親、北条真那、西園寺芳乃、千南咲希、立花香織、絹村美久、長澤忍の8名)に「ソリッドバリア」「アンチインスペクト」をかけておく。おっと、香織の使役するパペット「マイムマイム」にもだな。ベルベットは「いらぬ」らしい。人間組にはさらに「オーダサティ」も掛け直し、恐怖への抵抗力を高めておく。
今さらだが、俺の魔力の量は他のメンツと比べてかなり突出している。性格特性や魔法適性を獲得するたびに伸びている感じもあるが、ベルベットによれば俺はもともと魔力が桁外れに多いのだという。母親がセフィロトでも優秀な部類の魔女だったことに加え、ひきこもる以前の精神的な軋轢と長年のひきこもり生活が魔力を異常に高める結果になったようだ。
ここにいる俺以外のメンツも決して魔力が少ないわけじゃない。白魔術師だというセフィロトの学園長に見込まれた教師・生徒たちなので、一般人よりはかなり魔力が高いという。その彼女らと比べてなお、俺の魔力は異常だってことだ。
たとえば、立花香織も俺と同じく「魔法陣」の魔法適性があるが、魔法陣の作成には俺の十倍くらい時間がかかるし、一度魔法陣を描いたらしばらくは魔力を回復する必要に迫られる。威力の面でも魔法陣から発動する魔法は元の魔法に比べて威力が落ちると言っていた。俺の場合は威力が落ちるどころか時間をかけて練り込める分むしろ威力が上がるんだけどな。
「行くぞ」
俺は全員がうなずくのを確認してから、魔法陣を描いた鉄板を踏み抜いていく。鉄板に描いた魔法陣は「フレイムランス」「ファイヤーボール」「ストーンブラスト」「ファイヤーボール」。真那は水属性の攻撃魔法を覚えているが今は待機。母親は「ファイヤーボール」、芳乃は「サンドストーム」、咲希は「ウィンドスラスト」、香織は「ダークバレット」、絹村美久は「フレイムランス」を俺の魔法に合わせて放つ。俺も無詠唱でさらに「ファイヤーボール」二発を撃ち込んだ。火、地、風、という相互に干渉しない魔法だけをかぶせたのだ。
俺の「フレイムランス」が大講堂の重厚な木製の扉に食い込み、その隙間で「ファイヤーボール」が爆発する。数個の尖った岩石が扉を破り、その奥で俺の二発目と母親の「ファイヤーボール」が炸裂する。芳乃の放った土砂の嵐と咲希の放った風の刃が吹き荒れる炎の中で暴れまわり、夜闇に沈んだ影のような弾丸が炎風の先で何かを砕くのがわかった。俺が追加で放っていた火球二つはその奥に吸い込まれ、若干のタイムラグを経て爆裂する。
打ち合わせ通り、俺は無詠唱で「デバフクラウド」を放ち、
「『ブラインクラウド』!」
「『フラッシュ』!」
香織と芳乃がそれぞれ視野を奪う妨害魔法と閃光を放つ魔法を建物の中で発動させる。
俺以外の魔法はそこまでだ。魔力に余裕はあるが、初撃で使い切るわけにはいかない。絶対に倒しきれる自信があるならともかくな。
「⋯⋯出てくるぞ」
ベルベットが言うが、その注意がなかったとしても、誰一人「それ」に気づかないことはなかったろう。ベルベットが「瘴気」と呼んだこの世ならざる魂の冷気が、爆炎の余波の残る大講堂から吹き付けてくる。「オーダサティ」をかけていてなお、理由のない恐怖が心の底からこみ上げてきた。
大講堂の玄関は爆撃にでもあったかのように砕かれ、その破片が魔法の余波を受けて渦巻き、奥への視界を奪っている。大講堂の中は明かりが点いていたらしく、塵の煙に一つの影が浮かび上がる。
それは、ただの人影にすぎないはずだった。両手に抜き身の刀をぶら下げ、ただゆっくりと歩いてくる女性の影。しかしその身体からは、暗く冷たい炎のようなものが立ち昇っていた。光が足りないわけでもなく、温度が足りないわけでもない。それなのに、「暗い」としか見えず、「冷たい」としか感じられない気炎のようなものが、怒り気味の肩から蜃気楼のように立ち昇り、その暗い気炎は頭上で一条の黒い煙へと縒り合わされ、天に向かって伸びている。それは、さながら天を衝き破らんと欲する邪龍のような気炎だった。
凍てつくオーラをまとった人影が、塵の煙の中から街路灯の下に姿を現わす。
「インスペクト」
「インスペクト」
まるで挨拶のように、俺と柊木瑠璃は互いに「インスペクト」を使っていた。
最初にこの女と邂逅した時と同じ展開だ。
だが、その結果は今回は違う。「インスペクト」が俺の表面で弾かれたことに、柊木瑠璃が片方の眉をわずかに上げた。
一方で、俺は流れ込んできた情報に凍りつく。
―――――
柊木瑠璃
羅刹
固有スキル:
武器適性:刀・射・剣・短剣・爪・体・乗・投・二刀・四刀・三節棍・薙刀
魔法適性:氷・闇・妨・次・吸・造・地・時・呪
性格特性:支配Ⅴ+、邪悪Ⅴ+、克己心Ⅴ、努力Ⅴ、正義感Ⅴ、教条主義Ⅴ、嗜虐心Ⅴ、人間洞察Ⅴ、無謀Ⅴ、残忍Ⅴ、カリスマⅣ、勇猛Ⅳ、冷血Ⅳ、パラノイアⅣ、威圧Ⅳ、被虐Ⅲ、理想主義Ⅲ、魅了Ⅲ、殺戮者Ⅲ、圧倒Ⅲ、現実逃避Ⅲ、獰猛Ⅱ、獣心Ⅱ、超人Ⅰ、魔神Ⅰ
魔法:「アイスランス+」「アイシクルレイン+」「インスペクト」「ダークフォグ」「ダークファング」「ダークヴォイド」「テラークラウド」「テラーペトリファイ」「フロストバイト」「コキュートス」「ソウルアブソーブ」「ソウルサクリファイス」「クリエイト:キラーソード」「アイテムボックス」
技:「抜刀術・
E:
E:悪鬼の太刀
―――――
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