27 ヘルリザード戦

風雨が吹き付け、濁流が足元を洗う鉄橋の上で、俺は巨大な青黒い蜥蜴とかげと相対していた。片側一車線の鉄橋の中央に鎮座する蜥蜴は、爬虫類らしい無感動な目をこちらに向ける。リザードマンたちの眼差しのほうが敵意に満ちてはいた。だが、1ダース近いリザードマンの群れよりも、この巨大な蜥蜴から感じるプレッシャーのほうがはるかに強い。


アドレナリンが出て身体が緊急信号を出すようなタイプのプレッシャーじゃない。むしろ、全身から血の気が引いて、恐怖に身体がこわばり動けなくなるようなタイプのプレッシャーだ。リザードマンが血の気の荒い不良だとしたら、この蜥蜴には心を動かすことなく淡々と人を殺す殺人鬼のような冷たさを感じる。


《亥ノ上直毅は、ヘルリザードに「インスペクト」を使った。》


そんな基本的なことを忘れていたことに舌打ちしつつ、俺は「インスペクト」を使う。


―――――

ヘルリザード

モンスター

武器適性:牙・爪

魔法適性:氷・吸・回

性格特性:獰猛Ⅴ、好戦的Ⅴ、愚鈍Ⅴ、邪悪Ⅲ、猪突猛進Ⅲ、貪欲Ⅱ、臆病Ⅰ

魔法:なし

技:なし

E:地獄の牙

E:地獄の爪

D:地獄の魔玉

―――――


なるほど、「天の声」が戦う選択肢を残したわけだ。

「特攻」「獣化:ウェアウルフ」で片付けるのはローリスクローリターン。

ヘルリザードになるのを待ってから倒すのはハイリスクハイリターン。

期待値だけを見れば二つの選択肢は釣り合っていたということだろう。俺には武器適性「牙」「爪」「魔玉」があるから、ヘルリザードの装備・ドロップアイテムはすべて有用なのだ。

だが、それだけ有用なアイテムを得られるチャンスがあるにもかかわらず、期待値としては召喚阻止と等価だった。つまり、このヘルリザードを倒すのはアイテムの有用性と同じ程度には難しいってことだ。俺の本来の価値観からすればローリスクローリターンを選びたいところだったが、今回は時間がなさすぎた。


《直毅は、鉄橋の上に「憑霊生物:イソギンチャク」のドロップアイテム「テンタクルウィード」が落ちていることに気がついた。》


なに?

言われて探してみると、たしかに橋の隅に絡まったロープのようなものがあった。とぐろを巻いたウミヘビのような不気味なもので、うねうねとその場でうねっている。「天の声」の保証があるにもかかわらず、俺は思わず「インスペクト」をかけた。


―――――

テンタクルウィード:ひとりでにからまった触手。死せるモンスターの触手のみがなんらかの理由で生き残ったもの。武器「触手」。

―――――


うん、間違いなく武器だ。

「天の声」が指摘するくらいだから有用なものなんだろう。

うねうねしてて生理的に受け付けないものを感じるが、俺にはベルベットを召喚した時に手に入れた「触手」の武器適性があり、今現在他にモンスター由来の武器を持ってない。この世界の杖や鎌でヘルリザードと戦うのは無理だ。


さいわいテンタクルウィードは数歩横に動けば届く位置に転がってる。

俺はヘルリザードを警戒しながら慎重にテンタクルウィードに近づいた。

あと一歩のところまで近づくと、テンタクルウィードのほうがもぞりと動いた。

全体で反動をつけて跳ね飛ぶ――俺に向かって。


「うおっ!?」


思わず顔をかばった俺の左腕に、テンタクルウィードがからみついた。


「こ、これで装備できたのか?」


俺の意識が一瞬ヘルリザードから逸れた。

ヘルリザードはその隙を見逃さない。

鉄橋を揺らし、コンクリートを踏み割りながら、ヘルリザードが巨大な口を開いて俺に迫る。


《直毅は、触手を装備した腕を頭上に掲げ、「梁に巻きつけ」と念じた。》


その通りにすると、触手は俺の身体を巻き上げ、梁の上に放り出す。

直前まで俺がいた空間をヘルリザードの大口がむなしく喰らった。


アクシデントの連鎖に正直頭が追いつかないが、じっとしてたらやられるってことはわかる。

俺は無詠唱で「ダークファング」をヘルリザードに放つ。

闇の牙が虚空に生まれ、ヘルリザードの頭にかじりつこうとする。

だが――


「なっ!?」


闇の牙は、ヘルリザードの頭に食い込みかけたところで止まっていた。ヘルリザードの青黒い肌がぬらりと輝き、闇の牙が食い込むのを防いでいる。

闇の牙は結局、ヘルリザードの肌を上滑りするようになぞっただけで、上下の牙が噛み合うことなく霧散してしまった。ヘルリザードの肌はリザードマンとちがって鱗はないが、ぬらりと光る青黒い肌は魔法防御に優れているのかもしれない。


《直毅は、現象の分析はともかく時間を稼ぐべきだと思った。直毅は「デバフクラウド」をヘルリザードにかけ、一旦仲間と合流することにした。》


「天の声」の指摘はもっともだ。

俺はヘルリザードに「デバフクラウド」をかけると、橋の梁から梁へとジャンプして、母親や真那たちのいる橋の入り口へと降り立った。

母親たちはいつのまにかリザードマン・ソードファイターとリザードマン・ランサーを倒していたらしい。咲希はランサーの装備してた「深海の槍」を構えている。俺は使用者がいないまま転がっているソードファイターの装備品「ゴブリン・ソード」をアイテムボックスに回収した。


「大丈夫ですか、直毅さん!?」


西園寺芳乃が言ってくれる。


「ああ、なんとかな。こっちも無事か?」

「はい。雪乃さんが持ちこたえてるあいだにわたしと千南さんでなんとか⋯⋯」

「そ、それより、あれはなんなの!?」


千南咲希が珍しく青い顔で聞いてくる。


「ヘルリザードというらしい。すまん、向こうのサモナーの召喚を止められなかった」

「つまり、リザードマン・サモナーがリザードマンの卵を生贄にあれを呼んだんですね?」


北条真那の確認に俺はうなずく。

目の前で俺がベルベットを召喚するのを見ているだけに理解が早い。


「退却してベルベットさんと合流しましょう」

「⋯⋯そうだな。無理に戦う意味はないか」


北条真那の判断は妥当だが⋯⋯はたしてそううまく行くだろうか? 「天の声」の示した選択肢は、召喚阻止か召喚後撃破の二つだった。召喚されてからの撤退という選択肢はなかったのだ。


俺は雨に霞む鉄橋の奥を凝視する。

ヘルリザードは、ぼうっと虚空を見つめていた。「デバフクラウド」の一部である「イノセントクラウド」が入り、思考が停滞しているのだろう。ひょっとしたら眠気も効いているかもしれない。ただ、怒りや落ち込み、憎悪、疑心暗鬼といった精神的な作用はどうもあまり効いてないような気がする。無効化されてるわけではないようだが、爬虫類に近い脳をしているせいでリザードマンの時のようには効かないのだろう。「ドレインクラウド」による生命力・魔力の吸収はかかったようで、これまでの戦いで消費した魔力がおそろしい勢いで回復していく。逆に言えば、この程度の魔力はヘルリザードのもつ魔力の一部でしかないということだ。インスペクトで得られる情報の中にゲームのようなHP、MPといった要素は存在しないので、魔力の残量は感覚で把握するしかない。


いや、そうか。さっきからヘルリザードから感じる冷たいプレッシャー。これも魔力がらみなのかもしれない。


《亥ノ上直毅は、性格特性「妄想」「現実主義」「解脱」「直感」、魔法特性「氷」「闇」「吸収」により、ヘルリザードのプレッシャーの正体を解き明かした。ヘルリザードは表皮に強い魔力の欠乏状態を作り出すことで、周囲の魔力を引きつけ、体内へと吸収しているのだ。そのため、ヘルリザードと相対するものは、おのれの魔力を吸われる感覚を寒気と誤認するのである。》


《直毅は、性格特性「分析家」を発現した。「分析家」の強度がⅠになった。》

《直毅は、性格特性「智識」を発現した。「智識」の強度がⅠになった。》


「なるほど。で、どうするって話なんだが⋯⋯」


思わずつぶやいた俺に、


「えっ、いまなんと?」

「ああ、いや。すまん、独り言だ。ここは素直に逃げよう」


そう言って俺が「アブセントスフィア」をかけたところで、ヘルリザードが動き出した。

鉄橋をその体重で揺らしながら気配を消したはずのこっちに向かって突進してくる。


「なにっ!?」


と、驚きながら、俺はすぐに気づいていた。

ヘルリザードは体表から魔力を吸っている。とすれば、ヘルリザードは他者の気配を吸収される魔力の量によって探知できるのではないか? というより、ごく単純に、魔力がより多く吸えそうなほうに向かう習性があるのではないか? 走光性といったか、虫が光に向かって飛ぶように。

つまり、俺は「アブセントスフィア」で気配を殺したことで、かえってヘルリザードに自分の居場所を教えてしまったのだ。


「くそっ! おまえらは全員下がれっ! 公園に戻って車で逃げるか、ベルベットを探して合流しろ!」


俺は左腕の触手を伸ばし、橋の梁に再び跳び乗る。

そして、


「こっちだ!」


俺は梁の上でがむしゃらに「ファイヤーボール」を連打した。

そのすべてがヘルリザードの体表にぶつかったが、火球は爆発することなくヘルリザードの皮膚に吸われて消えた。

ヘルリザードは突進をやめ、俺のいる梁の上へと顔を向ける。

俺はちらりと橋の入り口を振り返った。

俺の言った通りに、母親、真那、芳乃、咲希が逃げていく。

べつに薄情なわけじゃない。俺がそう命じた・・・からだ。


「あいつらがいても無為に殺されるだけだからな⋯⋯」


今の俺なら時間を稼ぐことくらいはできるだろう。そのあいだにあいつらがベルベットを連れてきてくれればいい。ベルベットとヘルリザードのどっちが強いかと言えば、俺は確実にベルベットが強いと思う。人間の魂を十も捧げたんだから、ヘルリザードに遅れを取るようじゃがっかりだ。


ヘルリザードはのっぺりした目を梁の上にいる俺に向ける。

だが、どうもその目は焦点を結んでないように見えた。爬虫類の目なんてまともに見たことはないが、もうちょっとこっちを見てる感じがあってもいいだろう。おそらく、ヘルリザードは目があまりよくないのだ。単純に魔力を寄り多く吸えるほうへと近づき、そこにあるものを呑み込んでいく。知能はかなり低そうだが、魔法は体表で吸収されるし、武器攻撃もあの巨体では効果が薄そうだ。


「でも、ここにいれば攻撃できないか?」


ヘルリザードの手の届かない梁の上は、ひょっとすると安地(安全地帯)なのかもしれない。だとすればこのまま時間を稼げばいいだけだ。


と、思いかけたところで、ヘルリザードが口を開く。鋭利な黒い水晶質の牙が二つある奥に、三つに枝分かれした青黒い舌が蠢いている。

その舌が、一斉に伸びた。


「どわっ!」


俺は隣の橋の梁へと跳び移る。もう感覚を把握してきて、触手を使わずとも跳び移れるようになった。舌は俺がさっきまでいた梁に巻きつくと、太い鋼鉄製のそれをへし曲げた。


「やべっ!」


俺は「ファイヤーボール」を連発しながらヘルリザードの背後に飛び降り、橋の路上を飛鳥宮側(俺たちが今回来たのとは逆の方)に下がっていく。

ヘルリザードはのっそりと身体の向きを変え、再び突進の構えを見せている。

梁から降りたのは、あのままでは梁を折られては橋を潰されかねないと思ったからだ。橋を壊させ、橋ごとこいつを葬るという手もあるかもしれないが、その場合アイテムの回収が難しくなる。橋の崩壊くらいじゃこいつは死なず、川を渡って追ってくるおそれだってあるしな。


魔法を連発したせいで、俺の魔力が少なくなる。

魔力が少なくなると、独特の欠乏感が現れる。飢えや渇きと似て非なる感覚だ。

俺はヘルリザードに「デバフクラウド」をかけ、ドレイン効果を利用して魔力を回復する。

地響きとともに突進してきたヘルリザードを、梁に跳び上がって再びかわす。


「いや、待てよ? さっきから『デバフクラウド』は効いてるんだよな?」


攻撃魔法は吸われるのに妨害魔法がちゃんとかかるのはなぜなのか。


《直毅は、性格特性「妄想」「分析家」「智識」を生かし、ヘルリザードに妨害魔法が有効である理由を推定した。妨害魔法は攻撃魔法と異なり、相手に取り込まれてから作用を発揮する魔法である。妨害魔法はもともと取り込まれることを前提に組み立てられており、ヘルリザードの吸収によってもその核たる作用を損なわないままヘルリザードの体内に浸透できるのではないか。》


つまり、カプセル薬みたいなもんか。特定の臓器で溶け出すように、それまでの段階で溶けないような仕組みがあると。


「デバフは効く。それはいい。だが、毒じゃ殺すまでには至らないみたいだしな⋯⋯」


「デバフクラウド」でヘルリザードに毒を盛ることもできているが、目に見えてわかるほど毒が効いている様子はない。たぶん、あまりに身体がでかすぎて、少量の毒は分解されるか、単に効き目が薄いかなのだろう。この「毒」というのもゲーム的な状態異常の毒ではないようなので、ゲームのように「最大HPの何%を削る」といった便利なものではない。そんなに複雑な物質を魔法で手軽に生み出せるとも思えないから、毒としてもかなり単純なものではないだろうか。元素であるヒ素とか水銀とかな。


何度かヘルリザードを挑発してはかわす、ということを繰り返しながら「天の声」を待ってみるが、次のお告げはないようだった。


「まさか、もう詰んでるから選択肢が出ない、なんてことはないよな⋯⋯」


《直毅は、弱気になっている自分に気づき、自分に「オーダサティ」をかけた。》


「よかった。まだ見放されてない。『オーダサティ』」


恐怖を取り去る支援魔法を使うと、俺の心の中にあった重い何かが消え去った。魔力を常に吸うヘルリザードと対峙しているうちに、魔力の欠乏感が発生し、精神をかき乱されるのかもしれない。俺は「デバフクラウド」をヘルリザードにかけ直す。


「生命力も魔力も吸ってるはずだが、あっちの吸収のほうが早いのか?」


ひょっとすると吸収した魔力で生命力を回復している可能性もある。毒が効きにくいのはそのせいかもしれない。

しかしそうだとすると、なんとかして物理ダメージを与えたとしても、体表から常に吸収し続ける魔力ですぐに回復されるのでは?


「対策としては⋯⋯一撃で仕留めるとか?」


いや、まさか。

バトル漫画だったらそんなゴリ押しもできるだろうが、これは残念ながら現実だ。

今の俺に、そんな都合のいい必殺技のようなものはない。


待てよ?

技か。

たしか、こんなのがあったような⋯⋯



―――――

ソウルリッパー:鎌による物理攻撃で、対象の精神にダメージを与えると同時に、対象に付与された精神操作系の妨害効果の効果量を一時的に増大させる。

―――――



「生命力も魔力も回復される。でも、精神への攻撃ならどうだ?」


俺はヘルリザードの突進を誘発すると、梁から触手でぶら下がり、突進をギリギリの高さでかわす。

そしてその交錯ぎわにアイテムボックスから取り出した長柄の草刈り鎌で斬りつける。


「『ソウルリッパー』!」


農業用の鎌はヘルリザードのぬるりと冷たい表皮にかすり傷をつけただけだった。

だが、その効果は絶大だった。

ヘルリザードは突然足をもつれさせると、斜めに転倒し、橋の柱に頭からぶつかった。

橋全体が大きく揺れ、梁からぶら下がってる俺はブランコのように揺れた。


「よし!」


俺は触手を梁から離し、反動を生かしてヘルリザードの方に跳ぶ。

ヘルリザードに近づきながら、俺は「デバフクラウド」をかけ直す。

ヘルリザードは体表から吸収する魔力でデバフすら素早く「消化」してしまう。

だが、それでも十数秒くらいの猶予はある。

その猶予のあいだに、


「『ソウルリッパー』!」


鎌で引っかき傷をつけると、ヘルリザードの足から力が抜けて、地響きを立ててその場に崩れる。

「デバフクラウド」のもたらす茫然自失や眠気が「ソウルリッパー」によって増幅され、ヘルリザードの回復力を上回ったのだ。


そのあとは――はっきり言って作業だった。


ヘルリザードはその後二度と立ち上がることも目を覚ますこともないまま、精神を徐々に破壊され、最後にはぴくりとも動かなくなった。

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