第8話

 それから翌日に早速会議とやらで俺は江見に呼び出されたのであった。

 指定された場所は駐車場の隣にある納屋。整えられていない草木の中にあるボロボロのプレハブは見るだけで忌避意識の湧くおもむき。視覚的瑕疵物件である。江見によると、ここが学祭執行部の活動拠点なのだという。


 こんな場所に入らねばならないのか……


 可能であれば近付きたくないしできる事なら入りたくないが今更後には退けない状況。口にした言葉は取り消せはしない。


 まいった。馬鹿な承諾をした。


 今更ながら後悔。とはいえたられば。そもそも回避不可能な厄災であったのだから悔いたところでどうにもならないという話しなわけであるが、それはそれとして不満くらいは出る。人を呼んだのだからせめて草木の刈り入れくらいしろと言いたい。


 あぁどうしようか。今から軍手を買ってくるか……いやしかしそんな時間は……


 雑に生える緑に右往左往。情けないが苦手なものは苦手だ。仕方がない。如何にしてこの試練を超えたものかと立ち往生するも策は浮かばず。困った。



「あ、おはようございます! 早かったですね!」


 入り口前で躊躇しているとプレハブの窓が引かれ江見が上半身を乗り出してきた。まるで鳩時計のようである。


「さぁ、入ってください! お茶をお入れしますから!」


「……あぁ」


 覚悟を決めねばならないな……


 見つかった以上はここで案山子になっているわけにもいかない。嫌々足を踏み出し進み、三歩でゼロ距離。扉を開けようとドアノブに触れると案の定ザリとした感触に泡肌が立つ。錆だ。錆と砂利とその他諸々が付着した不潔なドアノブを俺は自らの手で包んだのだ。なんたる不浄か。潔癖でなくともこれは辟易不可避。とんだオモテナシである。入場前から既に帰りたい。


 対策を講じねばな……


 全てを諦めた俺はどうせしばらく付き合う事となるだろうこの納屋の改善策を考える事により不快なザリザリから気を紛らわす。

 サビ落とし。ヤスリ。アルコール……必要なものを呪文のように呟きながら入室。こんにちわである。


「どうも上尾さん。改めておはようございます。ささ。座ってください。お腹が空いていたらそこのパン食べてください」


 すると江見がシャカシャカと動き回りやたらと世話を焼きにきた。やや鬱陶しさを感じるが咎めるのも野暮というもので、俺は指定された椅子に座り一息を吐く(やはりドアノブに触れた手が気持ち悪い)。

 納屋の中は何やらわけの分からぬ荷物が所狭しと収納されていたがそれなりに片付いてはいた。随所に見られる埃が気にはなるがまぁ落ちつける環境にはなっている。これならばギリギリだが及第点をくれてやってもいい。


「コーヒーか紅茶か緑茶。なにがいいですか?」


「……コーヒーをいただこう」


「かしこまです! 少々お待ちを!」


 紅茶にブランデーたっぷり。と、答えたいところだったが止めておく。朝から酒など堕落の極致だし、こんなところにブランデーがあるとも思えない。おとなしく、スタンダードなモーニングブレークと洒落込ませていただこう。


「おまたせしました。コーヒーです。インスタントですが……」


「ありがとう」


 渡されたコーヒーはインスタント特有の粉っぽさと酸味があり美味くはなかったが雰囲気にはマッチしていた。紙コップというのもGOODだ。如何にも現場という感じがする。不潔は我慢ならんがこういうのはいい。高揚し、働くぞという気分にさせる。

 

 ……この勢いで話を進めるか。


「それで江見君。学祭の準備はどこまで進んでいるのか。是非進捗を聞かせてほしいのだが……」


「あ、えっとですね……その……」


 言い淀む江見。まぁ分かってはいたが。


「ようやく人集めに着手できる程度。といった認識で間違いないか?」


「……はい。すみません……」


 江見は項垂れみるみるとしょぼくれていく。気の毒だが仕方がない。事実実行能力が芳しくないのだ。それは気持ちも落ち込むだろう。


「了解した。それでは今後の予定を煮詰めていこう。早速で悪いが、企画書を見せてくれ」


 とりあえず現状把握だ。予算や予定や規模など頭に入れておかねば話にならん。問題点と課題を炙り出し、人員確保と並行してできる事をやっていこう。時間がない時こそ着実確実にである。焦って抜かりがあっては目も当てられん。ていっても、残り数ヶ月で……ん?


「……」


「……?」


 


 江見が固まっている。

 どうしたというのだろうか。まさか声が聞こえなかったのか? この距離。この静かさで?

 そんなわけあるか。では聞き取りにくかったとでも? 馬鹿な。俺は自分でいうのもなんだがカナリアのように透き通った声質。ありえん。ではいったい何故江見は固まってしまったか。


「……」


「……」



 いや、分かっている。分かってはいるのだ。奴のポカンとした間抜け面にまん丸とした目が全てを物語っているのだから分からぬ方が異常であろう。つまり、江見は……


「……ないんだな。企画書」


「……はい」


 返答を聞いた瞬間ついに出る溜息。江見の態度でおおよそは察していたがいざ実際に耳に入れると頭が痛く痛くなる。

 まったく馬鹿な奴だ。進行計画もなしにどうして事が運ぼうか。あまりの無謀に早くも暗雲が立ち込める。


「分かった。まずはそこからだ。とりあえず予算関係をまとめよう。さすがに大学行事だ。幾らか出るんだろう?」


「あ、はい。大学からは50万円出していただけるそうです」


「ごじゅ……」


 思わず耳を疑う金額。たかだか50万で何ができるというのだ。大道具小道具や備品で消える額だぞ……


「あぁあと、水道光熱費もそこから出せと……」


「……!」


 馬鹿な! そんなもの足が出るに決まっていよう! これでは暗に止めろといっているようなものではないか! 冗談じゃないぞ! いくら質実剛健が校訓といえども生徒が自主的にイベントをやろうとしているというのにこの非協力はない! 圧政だ!




「いいだろう……まずはそこからだな……分かった。行くぞ!」


「え、どこへ……」


「学生課だ! そんな額では金魚すくいもできやしない! したがって直談判を決行する!」


「え、マジですか?」


「大マジだ!」


 席を立ち足早にプレハブを出る。向かうは本棟一階。偉そうに人を見下してくるあの高慢ちきな学生課職員どもに物申してやる!



 ……



 憤りを原料に徒歩5分。

 洒落臭い自動ドアをくぐり受け付けに言い放つ。


「学祭について話しをしたいのですが」


 刺さる視線。数多に集まる冷たい目。

 だから嫌いなのだ学生課は。人を見下して自分達が高等だと錯覚している連中しかいない。


「何か?」


 受け付けのババアがわざわざ嫌な顔をして嫌な声を出す。あぁまったく気に食わん。人格がねじ曲がり品性が欠落している。


「予算について申し立てたい。たった50万ではなんともならないのでこの10倍はいただきたい」


「無理ですね」


「無理とは何故か。どうした理由で無理なのか」


「無理なものは無理だからです。お引き取りください。それでは」


 横暴! ババアめ! 話半分で引っ込んで行きやがった! 


「ちょっと! そんな態度ないでしょう! 失礼じゃないか!」


「か、上尾さん……ここは一旦……」


 あ、江見! お前日和ったな!?


「一旦もクソもあるか! 奴らの仕事は学生の支援だぞ! それがなんだこの態度は!? 職務怠慢にも程がある! 俺だけではなく全学生への侮辱だ!」


 絶対に許さん! かくなるうえはこの場にいる全員を正座させ鉄拳による制裁を持ってして落着とするしか気が収まらない! おのれババア! 澄ました顔をしてこちらを見おって! ただでは……


 怒りが頂点に達し玉砕覚悟の正義を執行しようとした瞬間。何者かに腕を掴まれ捕らえられた。見れば屈強な警備員。なるほどなるほど……おのれ! 増援を呼んだな!?


「君達。皆さん迷惑してるから」


「しかし!」


「しかしも何もないよ。これ以上暴れると、警察沙汰になるよ?」


 脅迫か!? 面白い! 俺にそんな舐めた態度をした事後悔させてくれる!


「そんな脅しに……」


 食ってかかろうとした矢先。今にも泣き出しそうな江見の顔を見て、俺は怒りこそ収まらなかったが正気に戻った。ここで問題を起こしてら学祭どころではない。それこそあのババアの思うツボである。冷静に……冷静にならなければ……


「……分かりました。では、今日のところは失礼します」


「はい。さようなら。次はないからね」


「……はい」


 一言余計だ!


 憎たらしい警備員の手から離れた俺は学生課を出る間際に例のババアを睨んだ。すると奴め、既に事が終わったような顔をしてPCを操作しているではないか。冷徹さと非情さしか感じられないその姿はまるで絶対零度の剃刀のようである。


 その鉄面皮。絶対剥がしてやるからな!


 俺は心中で呪いを呟き外に出た。後から追てきた江見の顔が、情けなく、印象深かった。

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