第15話
ついた先は歓楽街の入り口。
色が漂い魔が巣食う欲望の区画はまだ陽が高くある為寂寞の閑に包まれている。が、一度日没を迎えれば艶かしいネオンが輝き人を堕落させる
「ここです。ここの3階」
立ち止まる
「随分いい場所を借りているんだな」
「キャストが輝くのに最高の舞台を。それが私の信条です。さぁ、上ってください」
押し込まれるようにして背を押され階段を上り3階エントランス。黒く重厚な扉が一つ。そこに後ろにいた梵が前に出てきて鍵を開ける。
「どうぞ」
窓のない部屋は入り口から刺す陽の光のみによって照らされ、客席であろう四角いテーブルセットとカウンターがレンブラントの描いた作品のように写実的な非現実性を俺に突きつけた。漫画などでよく見る、借金のカタに水商売に沈められる女の気持ちが少しわかったような気がする。恥じる事なく表すならば、怖い。だ。
「上尾さん……」
傍で江見が小さく声を上げる。
そうだろう。お前もこんなところに来てしまってさぞ心細いだろう。成り行きとはいえ場違い甚だしいところに連れ去られてしまったのだ。その不安、分かるぞ。
「なんだかワクワクしますねこういう雰囲気! ほら! テレビとかで見た事ある感じ!」
駄目だ。全然分からんかった。
なんという能天気か。紛れも無い馬鹿だこいつは。ここまで危機感がないと将来が大変そうだ。少なくとも現場仕事は任せられんが、かといって計画管理もできそうにもない。就職どうするんだこいつ。人生設計大丈夫か? 四年になる頃に焦っても遅いんだぞ? 周りが当然のように内定決まっていく中自分だけが取り残されていくなんて事になったら死にたくなってしまうぞ。どうするんだ江見お前。無い内定で卒業だなんて悲惨以外のなにものでもないんだぞ。惨めで悔しくて夢も希望もなくて職もないのだ。堪えられるかそんな生き地獄に。堪えられるわけがない。首を括ってもおかしくない惨状。いや、実際括るだろう。言葉なく揺れるるお前の足元には遺書が一通。あぁなんと儚い人生であったか! 確かに考えなしは悪いが死ぬ事はないではないか! 若い身空で絶望しか見えなかったとは! 俺は悲しい!
「お前、自殺とかしてくれるなよ?
「え、なんですか突然……しませんよ……怖いなぁいきなり……」
悪ふざけ的な妄想の果て、ついいらぬ言葉が口を突いて出てしまった。しまったな。江見の奴め大分困惑している。まぁいいか。江見だし。
「ほら、無駄話をしていないでこちらへ来て。やる事を一から説明しますから、あ、メモあるなら取ってくださいね」
「あ、はい。すみません」
「……」
偉そうに。もう雇用主気取りか。資本主義の化身め。貴様のような人間はいずれ日の丸が朱に染まった時真っ先に粛清される宿命にあるという事を学べきだ。
「とりあえずやるべき事を教えましょう。まず18時に出勤したら掃除。そこの物置に掃除機とダスターと洗剤があるからそれを使ってください。まぁこのくらいなら難なくできると思いますので、一々やり方は教えなくともいいですね」
異をとなえる暇もなく話を始めおった。
まぁここまできてわざわざ反抗するのも馬鹿らしいし何か言う気もないのだが、一言余計なのがどうにも苛つく。立場上仕方ないので我慢をせねばなるまいが、うぅむ……
「あ、あと、お手洗いもお忘れなく。サニタリーボックスにキャストの汚れ物などありますが、まぁ社会勉強だと思って頑張って取り除いてください。あ、そのまま捨てては駄目ですよ? かかっている袋を縛って取り出してから、もう一枚ビニール袋を被せてバックのゴミ箱に入れてください」
女の生理用品の処分までせねばならんのか……当然といえば当然だが、屈辱的だな……
「上尾さん。なんですか? サニタリーボックスって?」
「……後で教えてやる」
「その後はキャストの出勤状況の確認です。シフトのチェックと、あまりありませんがフリーでご予約された方がいらっしゃった場合は誰に付いてもらうかを決定します。これは慣れないとできませんのでしばらくは私がやりますが、いずれはお任せしたいと思います。キャストメンバーは重要ですから、しっかり頭に叩き込んでおいてください」
平気でドタキャンかましてくる奴もいるというしな。それに、聞いた話では突然店に来なくなり、どうしたのだろうと思っていたら部屋で死んでいたなをて事もあるらしい。つくづくヤクザな商売である。
「ここまでやって時間が余ったらバックの掃除。必要なものがあったら買い出しに行ってください。 その際は領収書をお忘れなく。出る際は勝手口から非常階段を使ってください。鍵は扉の横にかかっています。キャストが到着したら笑顔で挨拶。気持ちよく仕事ができるようにしてくださいね」
女に媚びなければならないとは……
仕事だからやらねばなるまいが……
「ここまでが始業前の業務です。もちろん、来客や電話があった場合は対応していただきます。応対のテンプレートは必要ですか?」
「いらん。でき……」
できるだろう。俺ならば。だが……
……
ふと江見を覗く。
「……」
いかん。ビビっている。
表情が硬く視線が一定していて動いていない。この反応、恐らく接客は慣れていないと見た。
「いや、一応貰っておこう」
「分かりました。後ほど接客マニュアルと共に用意します。では次に、営業中の業務について説明します」
要点だな。ここはメモをしておこう。何せボーイなど始めてだからな。所詮黒服だと侮っては足元を掬われる。準備を怠るわけにはいかん。
「まずはお客様をお席にご案内してキャストを付ける。しかし、フリーのご予約と一緒でどのお客様にどの嬢をつければいいのかは勤めてしばらく経たなければ分からないと思いますので、こちらも最初は私が決めます。貴方方は機械的にご案内とキャストの誘導をしていただければ結構。その後はドリンクの作成。焼酎やウィスキーならツーフィンガー。キャストドリンクならハーフ。その他カクテルは作り方がありますから暗記しておいてください。それと、オーダー時にキャストが小指を立てたらキャストドリンクにアルコールはなし。指定のドリンクを作ったらおしぼりと一緒に配膳」
ここまでは容易だな。だが人員不足の中で行うとなると不備が生じる可能性もある。基礎オペレーションを馬鹿にしてはならない。
「待機中については常にテーブルに目を光らせておいてください。灰皿にある吸い殻は一本まで。ナッツの殻やゴミも同様。一つ入ったら即交換。水とアイスは半分が目安。その他粗相があれば処理作業。あぁあと、トイレなのですがこちらも順番の把握と誘導をする必要がありますので悪しからず。これも手抜かりは許されませんので。業務中は一息吐く暇もないと思ってください」
脅すではないか。だが、浅いな。その程度想定済み。やってできない事はない。貴様が思うより二倍三倍の仕事をしてみせようではないか。
「本来であれば食器やグラスの洗浄もお願いしたいところですが何分人員不足。そこは私がやりましょう。営業中、私はバックで雑務と雑用をしていると思いますから、何かあれば言ってください。可能な限り対応します。ここまでで何か質問は?」
「ない。強いていえば予約の確認方法と会計くらいだが、それは後ほど聞かせてくれるのだろう?」
「中々聡明でいらっしゃる。覚えも早い。要領のいい方は嫌いじゃありませんよ」
うるさい。いらん社交辞令だ。
「そちらの方は……江見さんは、何か質問ございませんか?」
「あ、あの……いいですか?」
「どうぞ」
「その……すみません。さっぱり分かりませんでした」
「……」
「……」
……だろうな。
……仕方がない。
「……フロイライン」
「はい」
「今日、ホールは俺一人でやるから、こいつはドリンクと電話番と、あとトイレの使用状況の確認くらいにしといてもらえないだろうか」
「まぁ、そちらが構わないのでしたら」
構う構わない以前の問題だこんなもの。
「上尾さん。すみません」
「……いや、いい」
頭を下げる江見を一瞥して覚悟を決める。
あぁ、今夜は大変な事になるぞ……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます